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第60話 闇夜の牙

 奇襲攻撃を受けた騎兵学校は混乱の最中にあった。王都各地に点在する陸軍基地はそれぞれ要塞化が施され、有事の際には抵抗拠点として運用されることがかつてから前提となっている。

 しかし、王都が戦場となることそのものがナンセンスだと取り扱われるようになり、籠城戦が歴史の彼方に遠ざかってから設置された騎兵学校は、実戦を意識した要塞としてはあまりにも脆弱であり、点在する建物はいずれも実戦を考慮したものではない。


「第七区画に敵だ! 撃ってきたぞ!」


 警備を担当する兵卒の声が響く――だが、同士討ちを恐れる警備部隊の射撃は控えめであり、少数で侵入したゲリラ部隊を掃討するには至らない。

 駐屯する兵力の大部分が警備を目的とした軽歩兵でしかなく、噴進弾によって重武装した共和主義者のゲリラ部隊は、騎兵学校の敷地を知り尽くしているかのように機敏に移動しながら攻撃を続け、駐屯部隊に狙いをつけさせなかった。

 アイリスとエリカを除いた第7分隊の四人とベアトリクスは、度々闇夜の中から撃ちかけられる正確な射撃の前に停止を余儀なくされていた。敵の射点を把握することは容易いように見えて、複数の敵が移動しながら建物を盾に精密な狙撃を加え、反撃の暇を第7分隊に与えない。


「くそっ――手榴弾でもあれば!」


 ベアトリクスが手にしたカービン銃を一発放てば、即座に反撃が襲う。たまらず頭を引っ込めた瞬間、彼女の被っていたヘルメットを銃弾が掠めて火花を散らした。


「ええい、クソネズミのクソ野郎! 脳天をドブに突っ込んで×××の毛に点火して――」


 ベアトリクスが猛烈な罵倒を放つ。だが、それが終わるよりも早く一発の手榴弾が弧を描いて飛来した。その場の全員がぎょっとして目を見開く中、ベアトリクスはそれを蹴飛ばして削れたヘルメットを脱ぎ、見事にその上に被せてのけた。

 直後に炸裂――だが、ヘルメットの内張りが威力を減衰させた。炸裂音こそ派手に響いたが、手榴弾は何の被害ももたらすことはなかった。


「訓練通りだ――まあ、こういうこともある。とりあえずあと4発は耐えられる。5個目が飛んできたら信じてねえカミサマに祈るか、テメェで手榴弾に覆いかぶさりゃ結構だ。本物より美人な銅像が建って、お前らの名前がついた食堂ができるぞ」


 考えたくはない――が、その言葉にはある程度の真実味があった。ベアトリクスは髪をかき上げると、手にしていた小銃を再装填して敵の隠れる場所を指差した。


「あの辺のどこかだ――私が囮になるから、射点を特定してカウンタースナイプで潰せ。この中で一番上手いのは……オリヴィア・モンドラゴン。貴様だ」


 ベアトリクスの視線がオリヴィアのほうを向く。オリヴィアは緊張した面持ちでスリングを強く握り、ベアトリクスの指差すほうを見つめた。


「……僕で、いいんですか」

「むしろ、貴様でなければ不可能だ。狙いを定めて、一発で殺せ――やれるな?」

「マム・イエス・マム!」


 覚悟を決めたオリヴィアは唇を横一文字に引き結び、カービン銃のグリップを握りしめた。ベアトリクスはその一言に頷くと、一度視線を交わして障害物の影から飛び出し銃弾を放った。闇夜に閃く銃火――それが命中したかどうかは分からなかったが、敵の反応は極めて機敏だった。

 ベアトリクスが中ば倒れるように隠れた瞬間、飛来した一撃は障害物の縁を掠めて飛び去る。その刹那、オリヴィアは視界の果てに小さな発射炎が閃くのを確かに認め、流れるような動きでカービン銃を構えてトリガーを引いていた。


「……!」


 一撃必殺――オリヴィアの狙撃は敵の頭蓋を貫き、その場に打ち倒した。照準からトリガーを引くまでになんの迷いも戸惑いもなく、その一射は完璧な狙撃手のものであった。

 彼女にその動作を取らせた理由はただ一つ、仲間に迫りくる危険を打ち払わなければならないという義務感一つである。しかし、ここで確実に命中させなければ全員が死ぬかもしれないという状況にあって指先が狂わなかったのは、狙撃手としての天性の才覚、そして日々の生活の中で培われた確かな技術があってこそのものであることに疑いはない。


「僕は――」


 オリヴィアの狙撃に反応した敵がすかさず応戦、2発の弾丸が彼女を掠め飛ぶ。その刹那に銃口炎を視認したオリヴィアは、素早く身を隠すと慣れた手付きで手にした小銃に実弾を込め直した。


「――ここにいるみんなを守るためなら、迷わずに撃つ」


 再装填完了――即座に身を翻して遮蔽物から飛び出した瞬間に反撃の一射が飛ぶ。だが、その一撃は彼女の僅かに横を通り過ぎ、研ぎ澄まされた技量を誇る最優の狙撃手に、致命的な反撃の機会を与えた。

 続く一射も敵の額を正確に貫いてその場に撃ち倒し、反撃の気力を一瞬のうちに奪い去る。ただの一発であれば偶然と切り捨てることもできる――しかしながら、立て続けに撃ちかけられた狙撃がいずれも額の中心を直撃するに至って、敵は一瞬だけ躊躇し、それが反撃の緒となった。

 突撃、と叫ぶ声が響き渡り、着剣した小銃を携えた歩兵が敵の潜んできた建物の影に猪突する。一度だけ銃声が響いたものの、その一撃は誰かを穿つことはなく、逆に放ったものは銃剣を突き立てられ、その場で一切の容赦なく切り刻まれ、刃をその身に突き立てられた。


「訓練生にしては上等だ――モンドラゴン、もう戻っていい。この周辺区域はいずれ制圧される」

「マム・イエス・マム――」


 オリヴィアは大きく息を吐いて聖衆を下ろし、そのまま暫し目を閉じた。すでに3人――彼女は訓練生の身ながらも実践において敵を打倒している。それは誇るべき事実ではあるが、同時に彼女の心に重大な負荷をも与えるものであった。


「オリヴィア――」


 彼女の隣りにいたテレサがそっと手を伸ばしたが、その手は宙を彷徨って力なく下ろされた。既にに3度、オリヴィアは部隊の仲間を救うために敵を殺している。

 彼女が得意とする小銃を操り、確実に相手を殺傷したことを自分自身の目で見て取ったとなれば、その心理的負担は計り知れないものとなる。

 狙撃手は優れた能力を持つが故に、至近距離での白兵戦と大差ないだけの衝撃を精神に受け続ける――が、それを緩和する方法は、あまり多くはない。

 しかし、オリヴィアは気丈にも深く頷いて見せた。ここで弱気になれば仲間を不安にすると知っているが故に、彼女は無理にでも強くあることを選んだ。


「大丈夫だ。僕のことなら、心配しなくていい。アイリスとエリカは自分にできることをして戦っているんだから、僕も自分にできることをして戦い抜くさ」


 その言葉に迷いはない。恐怖が全て消え去ったわけではないし、仲間に銃を向けた敵とはいえその命を断ち切ったことが明らかであれば、逃れがたい嫌悪感が襲ってくるのもまた事実ではある。だが、それを受け入れてこそ自らは第7分隊のエース・スナイパーになることができると、オリヴィアは心の底から感じていた。

 オリヴィアの狙撃から数分後、銃剣突撃を敢行した部隊が勝利の雄叫びを上げる。それは戦闘の続く騎兵学校に轟き渡り、作戦を継続していた王国軍部隊には勇気を与え、深入りし過ぎて手痛い反撃を受けつつある共和主義者のゲリラ隊には、撤退の潮時であることを知らせた。


「状況が動いた。いずれ増援も来るだろうし、敵も長居はせずに撤退するはずだ。我々は非戦闘員の警護に入るぞ。全員ついてこい――逃げる敵は、シュタイナーとブレイザーの二人に任せておけ」

『マム・イエス・マム!』


 凛とした声で、その場にいた全員がベアトリクスの命令に応えた。騎兵学校の随所で上がっていた火の手は訓練生によって編成された消防部隊によって収まりつつあり、既に情勢は傾きつつあった。本気で作戦能力を奪おうとしての襲撃ではなく、テロ攻撃を通じた政治的メッセージの発信が目的であることは誰の目にも明らかであったが、それによって受けた被害は甚大なものであった。


(やってくれる――情報部は士官を一人殺られた上に、未然の阻止にも失敗した。このままでは、ユニコーン隊の早期投入を目論む主戦派に論調が傾きかねん)


 小銃を手にしたまま、ベアトリクスは配下の四人をざっと見回した。第7分隊の技量はそれぞれの得意分野については既に実戦部隊の領域に達している。だがユニコーンへの騎乗戦闘訓練すら始まっておらず、馬上での戦技に習熟するには、残された訓練期間はあまりにも短かった。


(……状況は最悪か。配備後の訓練期間でどうにかなれば――)


 その見込みが薄くなりつつあることを理解しながらも、ベアトリクスは一人祈るような気分でこの先の未来へと思いを馳せ、炎上を続ける騎兵学校の敷地を歩いていった。





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