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第58話 炎の夜

 炎に彩られた闇夜の下、六人の訓練生と一人の教官は刃を手に駆けていた。各々の持つカービン銃――接近戦を考慮し銃身が切り詰められたそれには、鋼の芯が埋め込まれ貫徹能力を大幅に増した実弾が装填されている。

 硬化革と鋼板を重ね合わせた複合防御に守られた装甲戦闘馬車バトルワゴンすら貫徹するその弾丸は、障害物越しであってもその射線上の人員を殺傷して余りあるだけの絶大な威力を秘める。


「我々の任務はこの愛すべき騎兵学校を襲撃し、無残にも噴進弾で焼き尽くそうと試みた愚か者を皆殺しにすることだ――遅れるな!」

『マム・イエス・マム!』


 ベアトリクスの言葉に少女たちが応える。その瞳には僅かな恐怖の色が滲んでいたが、彼女らはそれを塗り潰すように声を張り上げた。大声はそれだけで恐怖を忘れさせ、闘志の炎を燃え上がらせる。

 アイリスもその例に漏れず、恐怖を抑え込みながら小銃をしっかりと握りしめ、辺りを見回しながら駆けていた。


(戦うのは怖い、けれど――)


 惑いや躊躇いが無いと言えば嘘になる。だが、彼女は自らが兵士であることを自覚しており、その責務に背くことがあってはならない――そして、仲間のために刃を手にすることにおいて、一欠片の疑問も持つことはない。

 自らの覚悟を鈍らせるものがあるとするならば、それは抑え難い本能的恐怖に他ならない――だが、それを自覚できないほどアイリスは弱くはなかった。

 恐怖を完全に克服することは難しいとしても、それを一定の領域に制御することはできる。少なくとも戦闘に支障のない程度に恐怖を圧縮できる程度に、少女たちは鍛えられていた。


「優先目標はユニコーン用の厩舎だ! あそこさえ守ればどうとでもなる――テロリスト共が何を考えているのかは知らないが、あれを奪われるわけにはいかない。やるぞ!」


 ベアトリクスの命令に従い、少女たちはただ無心に駆ける。怯えと恐れを振り払うように足を動かしひたすら前へと進むその行為は、さながら恐怖を背後に振り切ろうとするかのようであった――が、突如として甲高い音を立てて飛来した噴進弾の一撃が間近に着弾して炎を散らすと、彼女らは悲鳴を上げて地面に伏せた。


「くそっ――全員無事か!?」


 吹き荒れた爆炎を浴びたのか、ベアトリクスの髪はところどころ焦げていた――が、彼女はすぐさま立ち上がって全員の安全を確かめた。第七分隊の訓練生たちはよろめきながらも立ち上がり、その場で視線を交わして銃をしっかりと握りしめた。

 その刹那、再び飛来した噴進弾が着弾して、少女たちの向かう先に紅蓮の猛火を迸らせる。その光景に、全員が一瞬息を呑み――次の瞬間、命令を出すことも待つこともなく、ただ全速力で駆け出していた。

 弾着はユニコーンの厩舎の直近――単純な構造の噴進弾は火薬が発明されて以降使用を続けられてきたいわば枯れた武器ではあるが、小銃よりも遥かに扱いやすく、焼夷性の高さから施設攻撃において無類の威力を発揮する。即座に着弾地点に炎が吹き上がり、激しく燃え広がった。


「くそっ、何をしに来たってんだよ――!」


 手にした小銃に着剣しながら、カレンが忌々しげに叫ぶ。その視線の先には、火の手が迫り、今にも炎上しそうな厩舎があった。完全木造で干し草なども積み上げられた厩舎に火が回ればひとたまりもない――が、そこかしこで発生した火災のせいで消防部隊の手が足りておらず、厩舎の周りには一個分隊の兵員――それも武装した警備要員が展開しているばかりであったが、駆けてきた七人の必死の形相を見てその場から飛び退いた。

 ベアトリクスは歩哨から鍵をひったくって扉を開けると、中で待っていた四十八頭のユニコーンに視線を向けた。いずれも負傷している様子はない――が、彼らが明らかに狼狽していることは容易に見て取れた。


「消火の余裕はない――こいつらを練兵場に連れ出すぞ! 頭が良い生き物だ、ついて来いと言えば命令に従うはずだ、やれ!」

『マム・イエス・マム!』


 訓練生たちは一斉に唱和し、ユニコーンの待つ厩舎を開け放っていく。非常時であることは彼らも察していたのか、いずれも素直に命令に従った――が、アイリスの愛馬である《ブリッツ》だけは、頑としてその場を動こうとしなかった。他のユニコーンの誘導を終えたカレンが前に立って扉を開け放とうとすると、《ブリッツ》は角の先をカレンの心臓へと向けて、燃える瞳で彼女を睨み据えた。


「おい――逃げないと死んじまうぞ、お前!」

「……!」


 言葉はない――だが、虹の輝きを帯びた鋭い角と炎の揺れる瞳は、何よりも明白に拒絶の意志を示していた。命令に従わない、などという程度のものではない。断固としてカレンの命令を撥ね付け、死すら厭わないという確固たる意志が《ブリッツ》の行動から見えた。その姿はまるで自分の死を望んでいるようにも見えて、カレンは感情を激発させた。


「……お前がどんな苦しみを味わってきたのか、アタシには分かんねェ。何をされたのかは聞いたが、アタシらはそれを完全に理解する方法を持ってねェからな。死んじまいたいくらいひでェ気分だってことは何となく察しがついても、それ以上は何も言えない。人間同士だってそうさ――でもな、お前自身が自分の命を無駄にすンのは、納得できねェよ!」


 カレンの叫びに《ブリッツ》が唸り、鎖を鳴らして前方に猪突する。角の先がカレンの頬を掠めて、さながらレイピアが掠めたような傷を作ったが、彼女は一歩も退こうとせず、隣で他のユニコーンの誘導を続けるアイリスに視線を向けた。


「見ろよ、お前のご主人様だ――頑張ってるぜ。もし厩舎に燃え移ったら死ぬかもしれねェってのに、必死にあそこで戦ってる。でもな、ここでお前が死んだらあいつの頑張りが無駄になっちまうンだよ。お嬢は――ここにいるみんなを助けたいと思って命張ってんだ。お前が自分で死ぬことを選んだら、あいつの名誉を傷つけることになる。それだけは――絶対に許すわけにはいかねェんだよ!」


 魂を絞り出すが如き叫び――だが、《ブリッツ》はその場でじっと立ってカレンを睨みつけるばかりであった。カレンは悔しげに視線を逸らすと、手にしていた小銃を一瞬だけ《ブリッツ》に向けようとしたが、すぐに思い直してその場に背を向けた。


「言いたいことはこれで最後だ――お前のご主人様に、お前を助けるように言ってくる。それでも駄目なら、もう死んでくれて構わねェよ。アタシは……」


 カレンの手の震えを伝えて、握りしめた小銃のスリングが鳴る。その先の言葉は、火の粉が飛んで干し草に燃え広がった炎が立てる音にかき消された。激しく炎上を始めた厩舎を一瞥して、カレンはアイリスのほうへと駆け出していく。


「お嬢。奥にまだ――」

「……分かってる。《ブリッツ》は――」


 アイリスは薄い唇を真一文字に引き結び、肩に掛けていた小銃をカレンに手渡した。


「――私が助ける。約束したから、絶対に見捨てない。私は……ヴェーザー王国陸軍の兵士だもの!」


 火の粉が舞い始めた厩舎の床に、軍靴の足音が響く。その様子を、カレンはしゃんと背筋を伸ばして見送り、最後に《ブリッツ》以外のユニコーンが残されていないことを確認すると、他の仲間たちと視線を交わして厩舎から駆け出していった。






 ――火の粉が散る厩舎を、軍靴を鳴らして駆け抜ける。距離にすればほんの僅かで、実際に掛かった時間も僅かなものであろう。だが、アイリスにとってその時間は、無限にも等しいものであるかのように感じられていた。

 アイリスは《ブリッツ》の前で立ち止まると、まっすぐにその瞳を見つめた。対面の小部屋にはすでに炎が燃え移り、アイリスは背中に激しい熱を感じた。本能は逃げ出せと命令を下したが、彼女は両足でその場に踏み留まると、一歩踏み出して柵を開け、《ブリッツ》に正面から歩み寄った。途端に角の先端が心臓を向いたが、アイリスは恐れることなくさらに歩を進めた。


「……もう生きているのも嫌な思いをしたんだね、貴方は」

「……」

「全部の苦しみは分からない。けれど――ほんの少しでも分け合えるなら、それが貴方の救いになるなら……私は、諦めたくない」

「……」


 角は心臓に向けられたままで、瞳は炎上する厩舎を映して更に煌々たる輝きを放つ。だが、アイリスは何の躊躇いも持たず《ブリッツ》の角に手を伸ばしてそっと撫でた。


「汚されてなんていないよ。貴方は――こんなにも美しい」


 突然触れられて驚いたのか、《ブリッツ》は首を大きく振ってアイリスの手を振り払った。レイピアのように尖った角の先端が手を掠めて血が滴ったが、アイリスはお構いなしに前に進み出ると、《ブリッツ》を縛めていた鎖の金具を丁寧に外していく。その間にも火の手は迫り、今にも厩舎が焼け落ちんばかりの状態であったが、彼女の手は止まらない。《ブリッツ》はその様子を、狼狽したかのようにただ呆然と見つめているばかりであった。

 やがて全ての金具が外されて鎖が地面に落ち、《ブリッツ》は身体の拘束を完全に解かれたが、動きを見せずにその場に立ってアイリスに視線を向けていた。その気になれば開け放った扉から厩舎の外にでることも可能だっただろう――が、頑としてその場を動こうとしない。


「《ブリッツ》――あなたは……」


 アイリスが手を伸ばす。その瞬間、火が回った柱の一つが突如として崩れ落ちると、厩舎を構成していた建材の渾然一体が降りかかった。最初に落ちてきた一つは彼女から遠くに落ちたが、支えが外れて落ちたもう一塊は、燃えながら彼女の頭上から降り注いだ。


「あ――」


 天井の一部が崩れる音を聞いたときには、何もかもが遅きに過ぎた。頭上から燃える鉄槌となって落ちてきた梁の一部は、アイリスの体を粉砕して余りあるだけの威力を有していた。即死には至らずとも直撃すれば骨を砕き無残な焼死を免れない。覚悟を決める間も無く、アイリスはただ恐怖に目を閉じかけた――が、その時突如として眼前の《ブリッツ》が膝を折り、彼女に視線を向けて深く頷くような動きをした。


「……!」


 ――そこから先は、ほぼ全てが反射と衝動だった。

 アイリスは素早く身を翻すと、幼い頃から練習を重ねてきた乗馬と同じ要領で《ブリッツ》の背に飛び乗った。あぶみも鞍もない――だが、彼女は両手を《ブリッツ》の首に回すと、しっかりと両膝を締めて体を保持し、次の瞬間にはほぼ無意識のうちに叫んでいた。


「――行きなさい!」


 叫ぶと同時、彼女の世界が遥か下方へと流れ去る。何が起きたのか判別もつかないうちに凄まじい加速度が全身を揺るがしたかと思うと、鋭く尖った角が厩舎の外壁を粉砕して突き破り、次の瞬間には燃え上がる厩舎から《ブリッツ》は斜めに跳躍していた。天井よりもなお高くほぼ四十五度の角度で跳び上がると、アイリスは眼下に火の手の上がる騎兵学校を俯瞰していた。

 驚くほどの高度へと飛び上がった《ブリッツ》が重力に従い降下に転じる。アイリスは凄まじい衝撃を予感したが、強靭ながらもしなやかな四肢が全ての衝撃を殺し、《ブリッツ》は静かに地面へと降り立ち、自らの主を仲間たちのもとへと運んだ。


「ブレイザー……無事だったのか! それに――」


 その場に待っていたベアトリクスが目を見開く。アイリスは馬上から下りて敬礼すると、凛とした声で状況を報告した。


「アイリス・フォン・ブレイザー――全ユニコーンの確保並びに離脱を確認! 次のご命令を、教官!」


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