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第52話 稲妻の蹄

「よろしい――ならば結構だ、貴様らに運命を見せてやる!」


 その一言を合図に、鍵を手にしていた軍属が扉を開け放つ。厩舎と言うにはあまりにも整然としすぎている――真新しい木材で作られたそこには、四十八頭のユニコーンが整然と並んでいた。銀細工のように眩い純白の毛並みと、見る角度によって虹の輝きを帯びる一本の角を持つ最高位の幻獣たちは、少女たちが入ってきたと同時に視線をそちらに振り向けた。


『……!』


 澄んだ瞳に見据えられ、少女たちは思わず息を呑んで立ちすくむ。それを見たベアトリクスは、ふっと笑みを浮かべて全員に呼びかけた。


「全員、よく聞け――これから貴様らには自分の愛馬を選んでもらう。一度絆を結べば、どちらかが死ぬまでその絆は分かたれることはない。後から変えられるものではないから、慎重に考えて、それから決めろ……と言いたいところだが、実際のところ貴様らに選ぶ余地は殆どない。二割程度は貴様らの意志かもしれないが、残りの八割はユニコーンがふさわしい乗り手を選ぶ」

『……』

「自らにふさわしい乗り手かどうかは、あいつら自身が判断する。あとは貴様らウジ虫どもがどこまで合わせられるかだ。安心しろ、どのユニコーンにも選ばれないようなことは……」


 ベアトリクスがそこまで言ったところで、厩舎で待っていたらしい軍属が一人駆け寄ってきて、ベアトリクスにそっと何やら耳打ちした――その瞬間、ベアトリクスの表情が一変し、彼女は突如として拳を柱に叩きつけて呪いの言葉を吐いた。


「なんだって――クソ、なめやがって、地獄に落ちやがれ、ロクでなしめ! 四十八番目があいつだなんて、聞いていないぞ!」

「落ち着いてください軍曹――怒りをブチ撒けたところで何も……」

「腹を立てずにいられるものかよ、ええ!? これ以上抜かしてみろ、軍需部のクソどもの代わりに貴様のクビをねじ切ってやる。他のならまだいい、だが何故あの《ブリッツ》なんだ! あいつは実験の被害者で、もう誰も乗れないと――」

「し……知りませんよ! これを送ってきたのは陸軍実験局から依頼を受けた軍需部で――我々は輸送段階までしか関与していません!」

「何故連れてくるとき確認しなかった! どうしてあの《ブリッツ》なんだ――実験局も分かっていたはずだ、このクソッタレめ! 四十八頭、まともに用意できると言ったのはあいつらだろう! クソ、なめやがって……」


 苛立ちを隠そうともせず柱を殴りつけるベアトリクスを前に、隣に立っていたリーアはそっと彼女の拳を両掌で包み込んで首を振った。


「ベアト――来てしまったものは仕方ありませんわ。どんな理由があったのかゴミカスどもに問いただすのは当然ですし、再支給を要求するのも決まっておりますとも。けれど、よりによってあの《ブリッツ》を送ってくるとは――」


 げんなりとした表情を浮かべるリーアを前に、ベアトリクスは一度頷いて天を仰ぎ、それから訓練生たちに呼びかけた。


「そうだ。あいつは心を引き裂かれて……ああ、まったく。おい貴様ら、さっさと自分のユニコーンを選んでこい。それと、恐らく一人余るのは確定だ。予定外のユニコーンが来た……実験小隊で散々弄くり回された人間不信だ。一番奥の厩舎にいるだろうから、近づかないほうがいい。昨夜来たばかりだから確認していなかった私も悪いが……クソ、なんて日だ」


 ベアトリクスは毒づきながら訓練生たちを厩舎に追いやり、疲れた表情で柱に体を預けた。その隣に立つリーアは、訓練生たちがユニコーンと顔を合わせる様子をぼんやりと眺めていたが、ふとベアトリクスに視線を向けて少しばかり目を伏せた。


「……悲しい、事件でしたわね」

「ああ。貴重なユニコーンを一頭、軍用の役に立たないようにしてしまった。半分程度は我々の責任だ……あの実験小隊にいたのは私たちで、実験の全容を知っていながら止められなかった。その機会はあったはずなのに……」

「……知っていたところで止められるわけがありませんわよ。あのときの実験小隊は何でもあり――ユニコーンの人工繁殖に成功して、適性の高いライダーを用意する必要性に駆られていましたもの……何だって思いつくものでしてよ、本当に」

「だがな、あれはほとんど強姦に近い。考えるだけでおぞましいぞ――よくもあんなことを思いつくものだ――」


 ベアトリクスはそう言って、過去の行いを振り返るように――それと同時に、自らの行いを悔いるように悔しげに目を伏せた。リーアは嘆きを隠そうともしないベアトリクスの肩をそっと抱き、厩舎を見て回る訓練生たちに視線を向けた。


「あの娘たちの誰かが《ブリッツ》の心を融かしてくれたら……」

「ああ。幸せな仮定だ――しかし、あくまで仮定に過ぎない。それだけ深い傷だ」

「……ええ。そうね――」


 リーアは遠い目で四十八番の厩舎を見つめ、哀しげな声で呟いた。


「……女装した童貞に何度も乗られて、最後の騎乗でライダーのズボンが破けたなんて――私だったら、確実に気が狂いましてよ」






 相手が自分を選ぶ――その言葉の通り、第七分隊の少女たちは次々と自らの愛馬を見つけていった。何を基準に選んでいるのかは分からない。だが、何かしら運命らしきものに導かれるように、分隊の少女たちとユニコーンは巡り会いを果たしていく。その中、アイリスただ一人は未だに自らの愛馬に会えないままでいた。何が悪いというわけではない――だが、彼女はその運命を手に入れられずにいた。


(教官は行くなって言ってたけれど……他に居ないよね、多分)


 最後に残った一頭――近づくな、と言われた四十八番のユニコーンにアイリスは視線を向けた。恐らく奥で寝ているのだろう――そう思ってアイリスが近づいた瞬間、鋼の鎖が鳴る音が聞こえた。ぎょっとして彼女がそちらに視線を向けた瞬間、狂乱の雄叫びと共に鎖がはちきれるほどに張り詰め、淡い虹の輝きを帯びた角がアイリスの眼の前にあった。


「……!」


 アイリスは声も出せずその場に凍りつく。憤怒に燃えて紅蓮にぎらつく瞳と、銀色の輝きを放つ馬体――そして、その体を縛める鈍色の鎖。その全てが衝撃となって、彼女の意識を支配した。それと同時に、アイリスはその瞳に一筋の涙が流れるのを見たような気がした。

 ユニコーンは裏切りさえしなければ、基本的に人間――それも清らかな乙女に対しては従順な生物である。アイリスは戸惑い、目を見開いたまま一方後ろに下がった。


「おい、ブレイザー! そいつに近づくんじゃない!」


 ベアトリクスの声で我に返り、アイリスは緩慢な足取りでそのユニコーンの前から離れた。何が起きているのか全く理解できない――これまでの座学で、彼女はユニコーンという生物がいかなるものであるのかを学んできた。少なくとも、彼女の知る限りではそう簡単に激烈な反応を示すものではない。


「この子は……?」


 アイリスの問いかけに、ベアトリクスは疲れたような表情を浮かべて首を振った。


「そいつは実験部隊上がりでな……酷く弄くり回されて人間不信になったんだ」

「実験部隊……?」

「ああ。貴様らの養成が決まるより早くから進められていたユニコーンの繁殖と、そのライダーの育成に関する計画で、そいつ――《ブリッツ》は、非道な実験の対象に選ばれた。止められるものなら止めたかったが……結局のところ、実験は強行された。結果は見てのとおりだ。心を病んだ哀れな被害者の出来上がり……」

「実験って……何をされたのですか?」


 ベアトリクスは一瞬、その問いかけに答えるべきかどうか悩んだ。大した機密ではない――ユニコーン部隊に関わったものなら誰でも知っていることであり、現状を彼女に納得させるには他に方法がない。だが、実験部隊に参加していた彼女自身の負い目が口を重くした。


「それは……」

「それは……?」


 あまりにも真っ直ぐな瞳を前に、ベアトリクスは言い淀んだ。うまく言葉が見つからない――言ってしまえば単純なことであるが、それ故に伝えにくいことでもある。ベアトリクスは一呼吸置いて、アイリスを正面から見つめて一言問いかけた。


「貴様は、このユニコーンをどう思った」

「どう、と言われましても……」

「直感的な答えでいい」

「それは……」


 アイリスは暫し考え込む。最初は怖いと思った――だが、その感情はすぐに消え失せた。聖なる幻獣が鎖に縛められ、苦しげに喘ぐその様は例えようもないほどに痛ましい。彼女は胸を押さえて、ベアトリクスの問いに答えた。


「もし話せたのなら、言葉を聞いてあげたかった……と」

「それは憐憫か」

「いえ――そうではないのです。ただ、何故これほどに苦しんでいるのか……そして、その苦しみから逃れられないのは何故なのか……私は、それを知りたいと」

「……知ってどうなると?」

「救えるのなら、救いたい――そう思います」


 彼女の言葉に嘘偽りはない。人類の友であるはずのユニコーンが、まるで猛獣のように縛めを受けて繋ぎ止められていることを何とも思わないでいられるほどアイリスは冷血ではない。その言葉を受け止めたベアトリクスは、繋ぎ止められたユニコーン――《ブリッツ》に目をやって、静かに語り始めた。


「……ユニコーン部隊の設立時、どのようにライダーを確保するかが問題になってな。女子騎兵の導入に反対した一派が、女装した童貞の兵士を乗せるという方法を思いついた。その実験台になったのが、この《ブリッツ》だ」

「……」

「最初はうまく行っていた――女装が上手だったおかげで、五十回目の騎乗までは乗り越えられた。こいつも上機嫌で、あちこちを走り回っていたよ。だが、五十一回目で悲劇が起きた。ライダーの乗馬ズボンが下着ごと破けて、《ブリッツ》は背中でナマの――アレを乗せてしまった。質の悪い強姦と同じだ」

「ええ……」

「その瞬間に怒り狂った《ブリッツ》はライダーを振り落とし、股間を串刺しにした。哀れその兵士は童貞のまま『切断手術』を余儀なくされた……それからというもの《ブリッツ》はどのようなライダーも受け入れようとしなかった。これが全部だ……それを知ってなお、貴様はこいつを救いたいと思うのか」


 アイリスは何も言えず暫し黙り込んでいた。だが、やがて凛とした表情で顔を上げて、ベアトリクスの言葉に応えた。


「少しだけ、時間をください。やってみます」

「正気か。新しいユニコーンは少し遅れるかもしれないが、上申すれば……」

「そうじゃないんです。この子が傷ついているのなら、放ってはおけません。何より――目が合ったとき、とても悲しそうでした」

「……純粋な善意で面倒を見ると言うわけか。立ち直る保障はできないぞ。お人好しすぎるのは貴様の悪癖だ、ブレイザー」


 アイリスは首を振り、しゃんと背筋を伸ばしてその言葉に応えた。瞳には眩い意志の炎が燃え、ベアトリクスさえその輝きに息を呑んだ。


「それでも……私は、傷ついた者を見捨てておけません。ブレイザーの名を継ぐ者には、傷ついた者の盾になり、側に寄り添う義務があります。もし運命があるのなら――私は、高貴なる者の責務をこの場で果たしたい……!」


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