第49話 憂鬱なる射手
兵士にとって、休暇とは大いに待ちわびるものである――と言われるが、実際のところはそれほど楽しみに満ちたものではない。休暇が始まるまでは盛り上がるものの、実際に休みとなれば、多くの者が退屈を持て余す。特にそれが新兵であればなおのことで、日々の苛烈な訓練の後に訪れた二日間の休暇は、彼女ら訓練生にとって待ちわびたものであると同時に、想像を遥かに上回る退屈との戦いでもあった。
それ故、二日目の休みが明けて再び訓練が始まったその日、四十八人全員が不思議な安堵感すら覚えていた。朝のランニングを終えて朝食を取り、少女たちは練兵場の中央にしゃんと背筋を伸ばし、小銃と騎兵槍を手にした完全武装で立っていた。
「よし――ウジ虫の割にはいい動きをするようになった。この二日間で散々××××ぶっこいてストレス解消をできたことだろう。そこで、貴様らには新しい訓練の段階に進んでもらうことにした」
「ウジ虫さんたちお待ちかねの固くて太くて黒いアレを上手に可愛がって、思いっきり発射させる訓練でしてよ。あちこちのお宿で経験しましたでしょう?」
整列した少女たちをざっと見回し、ベアトリクスとリーアは普段どおりの猥雑な言葉を交えて新たな訓練の始まりを告げた。全員の表情が瞬時に引き締まり、辺りに張り詰めた空気が満ちる。それを確認したベアトリクスは、ひとつ頷いて言葉を続けた。
「今日から貴様らには、小銃による実弾射撃訓練を行ってもらうことになった。一週間ごとに射撃スコアテストを行い、全員が通過することを目標に練習を行ってもらう。なお、午後五時から夕食時までは特例として自主訓練を認め、我々が直接指導しよう。一ヶ月後の最終射撃試験において最高の成績を収めた者に対しては、私自ら最優秀射手として卒業式で表彰し、陸軍の特級射手に推薦の上、配備途上のライフル銃が支給される」
『……!』
特級射手――その言葉に、少女たちは目を見開いた。小銃が戦闘において使用されるようになってからというもの、優れた技量を有する狙撃手の育成は各国の軍隊において最優先の課題として取り扱われてきた。
射撃技能に関する理解の薄い彼女たちであっても、陸軍特級射手――すなわちライフルマンが、いかなる任務を帯びているのかは座学において学んでいた。実戦配備が開始されたばかりの軍用ライフル銃――装填に時間がかかり、連発が遅いという問題こそあるものの、その命中精度と威力は、一般的な兵員が使用するフリントロック式マスケット銃を遥かに上回る。
「ライフルが与えられるのは、多くとも各分隊でそれぞれ一人だけだ。全員が特級射手となるのが一番良いが、そのようなわけにはいかないのでな――では、全員小銃を持って、裏手の射撃訓練施設まで集合だ――駆け足!」
ベアトリクスのその一言に従って、少女たちは一斉に校舎裏手の森に面した射撃訓練施設まで駆け出した。その背中を見送り、ベアトリクスはリーアと視線を交わして、哀しげな表情で呟いた。
「……一ヶ月だ。短すぎるとは思わないか」
「毎日撃たせても、まだ短いですわね。一ヶ月の訓練でライフルマンを選ぶなんて――せめてあと少し、後期訓練期間があれば……」
「ああ。だが……軍情報部は、それを許さないときた。ハーネルの奴にも気を配らねばならん」
「あら、味方になるつもりで?」
若干ばかり皮肉を含んだリーアの問いかけに、ベアトリクスはふっと表情を緩めて首を振った。
「そうは言わんさ。だが、あの男から『裏切った』と一方的にみなされるのは問題がある。一番いいのは、形だけの協力関係を保ちつつ政治的情勢を見て動くことだ」
「……それは、あの娘を護るためでして?」
背中を向けて射撃訓練施設に向かって駆けていくアイリスに視線を向け、リーアは首を傾げた。ベアトリクスは暫し目を閉じて何か考え込み、やがて顔を上げて小さく頷いた。
「まあ、そうとも言うが……あいつ個人のためというよりも、第七分隊そのもののためだ。あの分隊に換えは効かない――連中は、入隊前からスペシャリストの集団だ。指揮官として天性の才能を持った者が二人、とびっきりのサバイバル技能を持った狙撃兵に、陣地構築技能に長けた工兵――格闘術の申し子に、軍医の卵ときた。あの部隊は作戦行動単位として自己完結しているからな。くだらない政治的理由で失うわけにはいかないんだ」
「……特別扱いは問題になりましてよ?」
リーアの言葉に、ベアトリクスは笑みを浮かべてぽんと手を叩いた。
「特別扱いじゃないさ――連中は本物の『特別』だ。あの連中を差し置いて、他の兵士に『特別扱い』などできるものか。実戦に連れて行かれると分かった上で、あの連中は冷静さを保って戦ってきた。それは、一人ひとりが自分の持つ技術に誇りを持っている証拠だ」
「……信頼していますのね」
「当然だ、訓練生を信じなくてどうする。あいつらはどうしようもないヒヨッコだが、私の訓練に耐え抜いて戦ってきたんだ。それだけの度胸と実力は十分に持っているはずだ。信じるとも、リーア――貴様はどうだ?」
「ベアトがそう言うなら……というのは冗談として、嫉妬するほどですわ。わたくしには何の才能も無くて、ただ命令された通りにやり続けただけで――」
「ぬかせ。何回私を近接戦闘訓練で叩きのめしたんだ、貴様は。未だに忘れんぞ……まあいい、連中に殺しの作法を教えてやる。行くぞ」
ベアトリクスはそう言って、肩に掛けていたスリングを握って歩き出した。リーアも小さく頷き、すぐにその後を追って歩いていった。
小銃を手にした少女たちの前にベアトリクスとリーアが立ち、訓練施設で行った小銃操法の訓練を行う様子を、アイリスは真剣な眼差しで見つめていた。だが、彼女の心は完全にそちらを向いているというわけではなく、少なくとも半分程度は、隣に立つ戦友――オリヴィアの表情に向けられていた。
彼女は前を向いてベアトリクスとリーアの講義を聴いてはいたが、心ここにあらずといった状態で、時々小銃のスリングを握っては開きを繰り返していた。スリングには十五歳の少女の割には屈強な指の跡が残り、呼吸は浅く、短くなっていく。その様子を、アイリスは心配そうな表情でただ見つめていることしか出来なかった。
理由はこれ以上無いほどにはっきりしている――ついこの間の離脱作戦において、彼女は支給されたマスケット銃を完璧に操り、限界に近い射程の敵を狙撃して最初の一射で殺害した。彼女の狙撃は完璧であり、その場に居たベアトリクスとリーアも舌を巻くほどの腕前であったが、人生で初めて犯した殺人の経験は、彼女の胸に深い傷跡を刻み込んでいた。
「……では、これより射撃に入ってもらう。各員、レーンに入って説明どおりに撃て。分隊ごとに第一レーンから順番に三発ずつだ――いいか」
『マム・イエス・マム!』
しゃんと背筋を伸ばし、少女たちが敬礼を送って射撃レーンに入る。その様子を、オリヴィアは半ば呆けたように見つめていたが、射撃レーンに入ったユイの姿をみて、はっと我に返った。明らかに動揺している――が、その場の全員が、何も言えず沈黙を守っていた。
それは第七分隊の面々もおなじことで、彼女に対して何も言うことが出来なかった。実際に銃を手にして敵を撃ち殺した者でなければ、踏み入れない領域がある――それを斟酌するだけの度量と遠慮深さを、第七分隊の隊員ばかりか、その他訓練生全員が備えていた結果であった。
小銃を持って前線に赴き、敵と対峙しなければ分からない領域がある。それを知っているからこそ、彼女らはオリヴィアに何も言うことができないままでいた。そして、優しい沈黙が却って彼女を孤独に追い込んでいることには未だ気づかずにいる――それは、思慮深さと優しさが生み出す、悲哀に満ちたすれ違いであった。
「では――射撃はじめ!」
レーンに入った射手が射撃を開始し、鋭い発砲音と共に硝煙が辺りに満ちる。そのほとんどは的紙を飛び越える、あるいは下の地面に着弾して土埃を散らす。派手に的紙から外して隣のレーンの支柱を撃ち抜きかけたユイの尻にベアトリクスの容赦のない蹴りがめり込んだかと思うと、凄まじい罵倒が辺りの空気を貫いた。
「このゴミカスが! 根暗は貴様の性格だが、×××になれとは一言も言っていないぞ! 前を向いて撃っているのか! その調子では、いずれ貴様は自分の尻穴をぶち抜くぞ! 二発目は的紙に当てるとこの場で誓え、清楚ぶったアバズレの×××しゃぶりが! 迂闊なこと抜かしてみろ、散々咥え込んだ×××に一発ブチ込んで血便吹かせて殺すぞ! 今すぐ改めると言え!」
「マム・イエス・マム!」
ユイはその場で敬礼して手早く二発目を装填――深呼吸して狙いを定めると、次の一射で的紙の左端を撃ち抜いた――が、ベアトリクスは手にしていた棒で容赦なく彼女の背中を殴りつけた。
「あれでは良くても腕しか飛ばん。いいかクズ根暗女、卒業までに敵の頭を確実にファックできるようになるまでシゴキ倒してやる! ケツから×××を飲み込ませてでもだ!」
その一言にユイは表情を引き締め、残りの三発を撃ち込んだ。続けてオリヴィアに順番が回り、彼女はぎこりない足取りで射撃レーンに入って狙いを定め――隣の六番レーンの射撃に合わせて発砲した。
放たれた一射は直進すると、的紙の僅か左に外れる。続けて三連射――だが、そのいずれも僅かに中心を外れ、オリヴィアの額に汗が滲む。他の者と比べれば圧倒的ではあるが、彼女からしてみれば納得できない結果である。最後に放った一発も右下に逸れ、オリヴィアは短く息を吐いて首を振ると、アイリスとレーンを入れ替わる直前にぽつりと呟いた。
「……当たらない」
「え――」
問い直す間もなく、オリヴィアは小銃を手に後ろに下がってしまう。アイリスは心配そうな表情を浮かべながらもレーンの裏側に入って的紙を交換し、その中心に狙いを定めた。深く呼吸してトリガーを引き絞ると、放たれた一発は的紙の中心より上を貫いた。オリヴィアと比べるとまだまだの出来――だが、彼女の表情は、射撃訓練中を通して相変わらず優れないものであった。




