第41話 逃れられぬ戦い
山岳戦闘団所属の軍曹――マックスが語った言葉は、味方の到来に安心しきっていた少女たちを瞬時に打ちのめした。随伴しての護衛が不可能という事実、そして自分たちのすぐ近くに敵が迫っているという恐怖が、彼女たちの士気を急速に低下させていく。ベアトリクスは苦虫を噛み潰したような表情で首を振り、正面からマックスを見つめて言葉を投げかけた。
「最後まで護衛しろとまでは言わない。せめて麓に降りるまで、我々を援護してはくれないか?」
「……残念だが、それだけの余裕もない。仮に同行したとしても、そちらの行軍速度に合わせていれば必ず敵は追いついてくる。貴隊が騎兵訓練小隊でなく、山岳戦闘に習熟した歩兵部隊であるならばどうにかなったかもしれないが、それでは無理だ。それに、我々だけでは手が足りない。せめて一個分隊――優秀な射手があと六人欲しい」
「しかし……彼女らに実戦は不可能だ。あまりにも経験が足りない」
「そんなことを言っていられる余裕はない。何も敵を狙撃で壊滅させるわけではない――欠員を補充し、僅かなりとも敵の頭を押さえるだけの火力が欲しい。少し時間を稼げたなら、その時点で部隊を離脱させる。あとは――我々に任せてほしい」
「だが、彼女らはあくまで訓練生だ。とても実戦には……」
「問題ない。何も最前線で戦えと言っているわけではない。あくまで後詰め、回り込まれないように必要な備えのために連れていきたいだけだ。一発も撃たずに帰すように尽力する――だから、力を貸してくれないか。ここで踏み留まらなければ、みんな死ぬ」
その言葉にベアトリクスは暫し悩み――渋々といった表情で頷いた。彼女は山岳戦のプロフェッショナルではない。この状況下において、正確に事態を把握し対応可能なのはマックスである――そう判断した結果だった。
マックスは険しい表情を崩さなかったが、そのときばかりは深々と頷いてベアトリクスの問いに肯定でもって返した。そして、その場で打ちひしがれている少女たちに視線を向けて、努めて穏やかな口調で語りかけた。
「……この中で、実弾射撃の経験がある者は?」
「それは……」
マックスは鋭い光を瞳に湛え、その場から動けずに居る訓練生を見回した。教練段階は既に小銃操法に進んでいるが、実弾を用いた射撃には未だに進めていない。
これから残り半分の期間でより実戦的な訓練――馬上での槍の扱いや実弾を用いた射撃訓練、模擬槍を使った騎兵戦闘演習などが行われる予定であり、訓練の最終盤には優等射手を選抜した射撃訓練を行うことを計画はしているが、そこまでである。
最終盤で優等射手に選抜されるだけの実力を持った訓練生であれば狙撃手として一定の働きをすることもできるかもしれないが、今の彼女たちは平均してその領域に達していない。
しかし、分隊の中には例外的な者たちもいた。小銃操法の訓練において、第七分隊だけは異様なまでの好成績を叩き出していた。理由は明白――その中には、入隊前から小銃を扱っていた者が少なからず存在するからである。
(第七の連中は銃の扱いに長けた者が多い。だが……このような状況下で名乗り出ろと言うのは、あまりにも残酷に過ぎる。下手を打てば死にかねない。しかし熱意に溢れたあいつらのことだ、自分から志願したとしてもおかしくはない。もし彼女らが志願すれば、私は……)
ベアトリクスは複雑な思いを抱えていた。仲間のために自ら進んで苦難に身を投じるのは兵士の本懐である。だがそれと同時に、ここで命を散らしてほしくないという思いも確かにあった。悩みを晴らせぬまま彼女らに視線を向けたとき、それに呼応するようにすっと手が上がった。そこには、瞳に不安の色を残しながらも、しゃんと背筋を伸ばしたオリヴィアの姿があった。
「……僕でよければ。山暮らしで、父が狩人でした。民生品の火縄銃ですが、何度か使った経験があります」
恐れることなく手を挙げたオリヴィアをマックスはまじまじと見つめ、そして彼女に静かに問いを投げた。
「なるほど、狩人か――名を聞かせてくれ。それと、どこの出身だ」
「オリヴィア・モンドラゴン――レルヒェンフェルト伯領、ヴァインツ村の狩人です」
その言葉に、マックスは暫し驚いたような表情を浮かべていたが、すぐにオリヴィアに歩み寄って彼女の顔を正面から見つめた。第七分隊の面々は、不思議そうな顔でオリヴィアをじっと見つめていた。彼女が狩猟に長けた山岳地の出身で、森林でのサバイバル技術や小銃の取扱いに優れた力を示すことは知っていた。だが、出身地を耳にしただけでこれほど驚かれる理由までは聞いていない。
「ヴァインツ村――茨の射手の部族、その末裔か」
「昔はそんなふうに呼ばれていたみたいですね。どこで聞いたのですか」
「古い伝承だ。森との交歓によって生きてきた古き民にして、あらゆる邪悪を射抜く弓の名手――噂には聞いたが、何故このようなところに。あそこは伯爵家の保護が行き届いているはずだ」
「外の世界を見たくなったのと、自分の銃の腕を活かせる場所が欲しかったから――それでは、いけませんか?」
「……いや。実に結構だ。噂に聞くヴァインツの射手ならば百人力――他に居ないか」
マックスは一度だけ目を閉じて心を落ち着かせ、再び少女たちに視線を向けた。小銃射撃の経験――その言葉に、アイリスとエリカは同時に手を挙げていた。
「……君たちは?」
マックスの視線は、まずはエリカに向けられた。彼女は軽く息を吸い込んで、堂々と胸を張ると、一瞬だけオリヴィアに視線を向けてから答えた。
「エリカ・シュタイナー――第七分隊の分隊長です。私は軍人の娘で、彼女と同じく民生用の火縄銃による射撃の経験があります。モンドラゴン訓練生ほどではありませんが」
「分かった。嘘を言っているようには見えん。ではそっち――黒髪のほう」
「アイリス・フォン・ブレイザーです。貴族の生まれで、父の狩猟に付き合ってフリントロックを扱ったことがあります」
正直なところ、アイリスには自信が無かった。オリヴィアのように生業にしているわけではないし、それほど射撃技能が優れているわけでもない。小銃による射撃は単に趣味として嗜む、あるいは武芸の一つといったものでしかない。だが、ここで手を挙げなければ自分は兵士として胸を張っていられない――その思いが、彼女を前に進ませた。
「貴族の娘……か。まあいい、前に向けて撃てればそれでいい。銃剣を振り上げることしかできん全くの素人よりずっと戦力になる。あと一人だ――戦力が欲しい、誰でもいいから出てきてくれ。的撃ちでも猟師でもいいし、この際元悪党でも――」
マックスがそこまで言ったところで、第七分隊から再び手が挙がる。そこには、顔を伏せながらもしっかりと右腕を伸ばしたカレンの姿があった。
「……君は?」
「カレン・サウアー。あ――何というか、自分は……」
暫し間があって、マックスは得心がいったようにぽんと手を叩いて彼女を見た。カレンは少しばかり居心地悪そうに俯いていたが、やがて大きく首を振って顔を上げた。
「……悪党なのか?」
あまりにも直接的な問いかけ――だが、カレンはそれを敢えて否定しなかった。
「まあ、治安の悪い場所で育って……自衛のために色々と……」
「つまりは、実戦経験があるということだ。度胸は腕より大事で、それは実に結構なことだ。まったくもって素晴らしい。あと二人は――」
マックスがそこまで言ったところで、ベアトリクスとリーアは瞳に鋭い光を宿して一歩前に進み出た。そして、第七分隊のほうを振り返ってユイとテレサに視線を向けた。
「私たちがやろう。部隊の誘導は……ユイ・セトメ訓練生とテレサ・ヘンメリ訓練生にやってもらう。根暗だけでは足を滑らせただけで死ぬだろうし、土方だけでは道に迷って死ぬだろう。だが、セトメには1.5人分の脳みそがあるし、ヘンメリには1.5人分の筋肉があるから、二人合わせればそれなりのものにはなるはずだ。セトメが地図を読んで誘導し、ヘンメリが道を切り開け。その他大勢はその二人を支援しながら共に前進――我々は敵の遅滞を実行し、地図座標21-18で合流する。何か質問はあるか」
「……」
少女たちはしゃんと背筋を伸ばして立ち上がり、無言の敬礼を答えにした。図らずも、第七分隊の献身は萎え掛けた彼女たちの士気を回復させていた。仲間のために立ち上がった勇者がいる――その事実が、少女たちを奮い立たせる。
もっとも、志願した第七分隊の隊員の心中は穏やかではない。自らの責務に照らして立ち上がりはした――だが、実戦の恐怖までは振り払えるものではない。後方からの支援射撃という条件こそあるものの、その程度で敵と直面する恐怖が消えはしない。
(今からでもやめると言えば――ダメだ、私がやるって決めたんだ)
アイリスは恐怖に耐えるために、しっかりと小銃のスリングを握りしめた。自ら先陣を切り、兵士たる模範を示す。そう覚悟して手を挙げたのならば、最後までその意地を通さなければならない。
自分を信じて撤収していった仲間の背中を――そして、それを率いる重責を負ったユイとテレサを護るために、自分は歩み続ける義務がある。アイリスは自分にそう言い聞かせて、マックスが差し出した二つの革袋――少量の実弾と火薬が入った袋を受け取り、戦闘服のポケットに収めた。エリカ、カレン、オリヴィアの三人も続いて実弾を受け取って教練通りの手順で素早く装填し、ハンマーをハーフコックして肩からカービン銃を提げた。
槍を撤収していく仲間に預け、ただ小銃と銃剣のみで武装した少女たちは互いに視線を交わし、深々と頷き合う。敵と向き合う恐怖が消えることはない。だが、厳しい訓練の中で互いに結んだ鋼の絆は、彼女らの恐怖心を僅かに薄れさせた。ベアトリクスはその様子を見て一瞬だけ目を閉じ、それから凛とした口調で言い放った。
「……行くぞ。今日ばかりは貴様らを兵士として扱う――祖国への忠誠と部隊の結束をもって、仇為す敵を打ち払え!」




