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第39話 離脱作戦

「二時間前、王都郊外の小都市六ケ所で同時多発的に、共和主義テロリストによるものと推測されるゲリラ攻撃が発生――全都市にて現在もゲリラとの交戦が続いており、本訓練場も攻撃の対象となる危険性が高いものと考えられます。練兵軍曹ならびにユニコーン騎兵候補生諸君は迅速に訓練場を離れ、当該都市を迂回して王都へ帰還せよ、との命令が教育隊総監より下されました。直ちに退避願います」


 ゲリラ攻撃――憲兵隊少尉の発したその一言は、全ての訓練生をその場に凍りつかせた。こういった事態に詳しいエリカでさえ、表情を固くしてその場で動けなくなった。彼女らは軍人の卵ではある――が、未だに実戦というものを理解したわけではない。本物の武器を手にして教練に臨むことはあれども、戦場の狂気と衝撃がいかほどのものか、彼女たちは深くは知らない。

 この場において唯一実戦を知る二人――ベアトリクスとリーアは、手渡された羊皮紙に目をやった。内容は極めて簡素なもので、攻撃が発生した場所と時刻、そして訓練小隊に撤収を命じる旨の文章が記され、その上に教育隊総監――ランメルツ中将の印が押されている。


(訓練場を防御拠点にすることはできなくもないが、建物を急造陣地化して援軍を待ったところで、こいつらヒヨッコどもではどれだけ保つか……)


 ぎり、とベアトリクスは歯噛みした。訓練場から最寄りの軍基地までは最低でも半日はかかる。ゲリラ部隊が武器弾薬の奪取を目的として訓練場を襲撃する危険性は十分に考えられ、万が一そうなった場合には、訓練生だけで防御を維持するのはほぼ不可能となる。

 小銃の取扱いについての教練や、槍や銃剣を用いた近接戦闘訓練は行っているが、実弾による射撃訓練、爆発物への対処といった実戦を意識した火力戦闘訓練はまだ出来ていない。そのような状態でゲリラ部隊――おそらくはアルタヴァ共和国の民兵向け軍事キャンプにおいて訓練を受けた敵を相手にすれば、全滅は免れないとベアトリクスは踏んでいた。

 そうであるならば、訓練場を拠点化して援軍を待つのではなく四十八人を素早く移動させて戦闘地帯から逃し、正規軍による拠点制圧で訓練場を襲撃したゲリラを駆逐するほうが全体としての被害は押さえられる――ベアトリクスはそう判断し、訓練生たちを見回した。いずれの者の顔にも不安の色が強く浮かび、とても正面からの戦闘には耐えられそうにもない。


「……リーア。脱出するぞ」

「ええ。この子たちでは戦えない――空軍の強行輸送が助けに来るようなミラクルもなければ、頼みの綱の陸軍輸送隊も到着しない。出来ることは一つですわね」

「そうだ。このアバズレ共を徒歩で脱出させる。それ以外に方法などない」


 危険に満ちた決断であった。だが、このまま訓練場に留まっていれば敵のゲリラ部隊に殲滅されるのがいいところである。国内過激派の掃討に騎兵として参戦したベアトリクスとリーアは、その戦力が侮ってはならないものであることを熟知していた。

 敵国アルタヴァ共和国のキャンプで専門的な戦闘訓練――少数のゲリラ兵をもってして、数で勝る正規軍の戦力を削り落とすための戦術を彼らは十全に身に着けており、数と装備を頼みに押し寄せる正規軍を、爆発物と狙撃、そしてブービートラップで翻弄した。そうしたゲリラ部隊に対抗する手段として、陸海空軍はいずれも特殊部隊を編成してはいるが、王国各地に散らばった共和主義者の組織を叩くには数的に不十分であった。


「……訓練生諸君。先ほど伝え聞いた通りだ――クソテロリストが町中でファックをおっぱじめやがった。この訓練場にも連中のファック野郎どもが押し寄せてくるだろう。幸いにも貴様らは処女だ、共和主義者は××××をいきり立たせてファックを待ち望んでいるだろう――よって、貴様らは膜を維持するためにここから脱出しなければならん」

『……!』


 少女たちの間に緊張と動揺が走る。ベアトリクスは彼女たちを見回し、落ち着かせるように語りかけた。


「近隣の軍基地までは最低半日はかかる。それも、目に付きやすい大通りを通って、だ。ゲリラ共の監視網は綿密だ――もし我々が大通りを行けば、狙いやすい獲物として貴様らを確実に狙ってくる。もし捕まったら最後、散々にマワされた上、身代金のネタにされるだろう。貴様らはどうしようもないウジ虫のゴミカスのアバズレのゲロブスだが、偉大なるヴェーザー王国に身代金を払わせる不名誉は、我々としても望むところではない。よって、我々訓練小隊は即時にこの訓練場を離脱、目に付き辛い山岳地を経由して王都軍学校へと帰投する。何か質問のある者は」


 暫し沈黙があって、エリカがすっと手を上げた。


「……万が一、離脱途上に敵に遭遇した場合は?」

「離脱中は本訓練場に詰めている兵員が護衛し、敵に遭遇した場合はこれを遅滞、諸君らを安全圏まで離脱させる。もし逃げ切れない場合は――諸君にも戦ってもらうことになるかもしれない。だが、そうなればもう終わりだと思え。敵はゲリラといえども、アルタヴァで戦闘訓練を受けた兵員であり、おまけに実戦経験は豊富ときている。銃剣ひとつでどうにかできる相手ではない。他に何か聞きたいことはあるか?」

「……いえ。十分です」


 エリカの表情は固く、緊張の色がはっきりと滲んでいる。多くを知る必要はない。戦えば死ぬ――今の彼女たちにとって、それだけでも十分だった。


「……では、行くぞ」

「遅れないでくださいまし、死にますわよ」


 ベアトリクスとリーアは連絡を寄越した憲兵隊少尉に敬礼して部隊の先頭に立ち、訓練生たちを率いて歩き始めた。行き先はもと来た街道ではなく、訓練場裏手の山地――行軍のペースは相当に早いものであったが、僅かな小休止を除いて止まることだけは許されないという緊張感が少女たちの心中を支配し、万が一落伍すればその時点でゲリラ部隊に嬲り殺しにされるかもしれないという恐怖は彼女たちの歩みを自然と早くさせた。


「……大丈夫、だよね?」


 アイリスは小銃のスリングをしっかりと掴み、隣を行くカレンに話しかけた。カレンは暫し沈黙していたが、苦しげな表情で首を振った。


「そればっかりは、そのときでないと分かんねェな。ただ――拳一つでどうにかなるような相手じゃないってことは確かだ。もし戦いになったら死ぬかもしれねェ。怖くないって言ったら、そりゃ嘘になるだろうな」

「……だよね」

「でもよ、まだ死ぬって決まったわけじゃない――最後まで意地通してやろうぜ、お嬢」


 小さな、だが力強い手が背中を叩く。それに押されるようにして、アイリスは行き足を早めた。






 行軍開始から二時間あまり――少女たちは訓練場を離れ、山の尾根を歩いていた。通常より早いペースの行軍であったが、敵の襲撃があるかもしれないという緊張感のせいで、彼女らはほとんど疲労を感じていなかった。二時間に渡る行軍は過酷であったが、肉体の疲労を意識する余裕もない。だが、ベアトリクスとリーアは即座に状況を判断して、小隊全てに停止を命じた。


「……小休止だ。全員、声を出さないように休め。近くに村がある――恐らく、敵はここまで来ていないはずだ。私はそこの様子を見に行くが、偵察にあたって一個分隊の志願を求める。ただし交戦は認めない。もし何かあったら即時離脱だ。随伴希望者はいるか」


 少女たちは木の根に腰を掛けたまま、少しばかり疲れた表情で沈黙を守っていた――が、その中ですっと手が伸びた。


「第七分隊、エリカ・シュミット以下六名――随伴を志願します」


 その表情に迷いはない。分隊長のエリカばかりでなく、全ての兵員がその場でしゃんと背筋を伸ばしているのを見て、ベアトリクスは彼女らが本気だということを悟った。誰かが偵察に出ていかなければならないのならば、自ら先んじてその切っ先となる。それを恐れるようならば、兵士たる資格はない――六人の少女たちは、いずれもその理念を共有していた。


「……第七分隊か。まあいいだろう――それぞれの技能は優秀だ、認めよう。分かっていると思うが、これは実戦だ。訓練と違って、少しでもミスをすれば貴様らは死ぬ。覚悟してついてこい」

「はっ!」

「今は様子を見るだけだ。小銃と槍はここに置いていけ――銃剣だけ持って、何かあったときはナイフとして使うのは結構だが、それで敵を突き殺そうなどとは思ってもみるなよ。第七は白兵に自信のある者が多いようだが、戦えば死ぬのは貴様らだ――いいな。では、私に続け」


 ベアトリクスはそう言って、第七分隊に先んじて素早く斜面を下りていく。分隊の面々は素早く目配せして、山地に慣れたオリヴィアを先頭に立ててその後に続く。言葉を交わす必要もない――二週間に渡って続いた戦闘訓練は、彼女たちの信頼と絆をより強固なものに作り変えていた。


(このまま前進を続ければ、少し開けた場所に出るはず……)


 手にしていた地図を確認しながら、部隊長を務めるエリカは斜面を素早く駆け下りていく。首にかけた偵察用の双眼鏡が、実戦に身を投じると決まった途端に異常に重く感じられ、彼女は密かに歯噛みした。

 軍人の娘として陸軍に志願し、王国に命を捧げることが自らの宿命であると思っていた――だが、敵の一矢に貫かれて死ぬかもしれないという現実が、どうしようもないほどに恐ろしい。国のために命を燃やすと誓いはしたが、死の恐怖が身をすくませることについて、エリカは自らに激しい苛立ちを覚えていた――が、隣を進んでいたユイが不意に手を握ったことで、彼女はふと我に返った。言葉はないが、他の隊員たちと比べれば小さく華奢な手はまるで、彼女の気負いを吹き散らすかのような暖かさを帯びていた。


(ああ――そうか)


 胸の内に温かな感情が去来し、エリカは表情を緩めた。自分が一人で戦っているわけではない――かつては知らなかったことを、今の自分は深く知っている。将官の娘として、誰よりも模範的であらなければならないと常に自分を型にはめて縛めてきた。

 それは軍に入るよりも前――自らが軍人の娘であることを自覚したその日から続いてきたことだった。誰かに負けることを一度も許さず、また自ら手を抜くことを許しもしない。その苛烈なあり方が周りに距離を取らせても、強者たるものは自然に孤高であると己に言い聞かせ、あらゆる温もりを撥ね付け、結局殴り倒されるまでそれを正せずにいた。

 だが、今の自分は――エリカ・シュミットは違うと、彼女は分かっている。第七分隊というスペシャリストの集団において、自分は単にそれらを率いるだけではない。その力を信じ、託し、使いこなすことで初めて隊長としての役割を果たしていくことができる。


(なら、大丈夫だ。第七分隊が揃っていれば、やれる――)


 首にかけていた双眼鏡をしっかりと握りしめる。地図に従って山の中腹にある台地に下り、双眼鏡を覗き込んだその瞬間――彼女は、雷に打たれたようにその場に硬直した。それはベアトリクスも同じことで、ぎょっとした表情を浮かべて双眼鏡の向こうに視線を奪われ、しばらくして後ろに続いていた第七分隊のほうを振り向き、緊迫した表情で告げた。


「――全員、山中に戻れ! 村がゲリラに焼かれている!」



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