第36話 衝撃
朝食を早めに食べ終えた第七分隊の面々は、ベアトリクスの不可思議な態度――昨夜の奇襲事件に対する独断での反撃について、何の責めも無かったことについて直接聞き出そうとしていた。だが、ベアトリクスは面倒そうな表情を浮かべて一瞬だけリーアに視線を送り、大きくため息をついて答えた。
「理由? なに、貴様らのようなウジ虫にわざわざ腹を立てるほうが面倒だと感じたから、適当に流しただけだ――私は優しくなどないぞ、アバズレ共。飯が終わったなら腹筋でもしてるか、新聞を読んでいろ。私はこれからまだ食べるんだ、あっちに行け」
「……」
少女たちが当惑していると、リーアはふっと笑って彼女たちを見つめた。
「まあ、そういう理由ですのよ。気まぐれや偶然とでも思っておいてくださいまし――そのほうが、貴方がたも面倒なことを考えずに済みましてよ。まあ、ウジ虫さんの腐った小さなおミソでは、あまり面倒なことも考えられないでしょうけれども――まあ、いつか分かるときが来ますわ。さあ、お戻りなさってくださいまし、クソブスが六人並んでいるとお紅茶が不味くってよ」
「……」
辛辣な一言――昔の彼女たちならば憤激していただろうが、今やどのような罵声もそよ風に等しい。入隊直後から雨あられと浴びせられた苛烈な暴力、そして一切の人間性を一旦剥奪し、新たな人格を形成する戦闘的教育の過程が、彼女たちの精神を並々ならぬ強靭さに鍛え上げていた。第七分隊の面々は素早く目配せし、しゃんと背筋を伸ばして敬礼すると、速やかに教官たちの前から立ち去り、食堂から出ていった。
「……理由はあるけど言いたくない、って感じだね」
沈黙を守っていたユイがぽつりと呟くと、その隣に立っていたオリヴィアも何度か頷いて、ふっと笑ってカレンに視線を向けた。
「間違いないね――僕にも分かる。教官はたぶん、本気じゃない。何か理由があって、僕たちを庇ってくれたんだろう。だから深くは聞くな、ってことじゃないかな?」
「……庇ってくれた?」
「ああ。アイリスの話を聞いたところじゃ、どうもややこしい問題みたいだしね。政治的に色々と表沙汰にするとまずい部分が出てきてるんだろう。相手が軍評議会に顔の利く貴族議員で、その差し金が訓練生を拉致しようとした――それだけで大問題なのに、僕たちは独断でそれを撃退してしまった。迂闊なんてものじゃない――ヘタしたら首が飛んじゃうくらいの事件だ」
「アタシは頭悪ィからよく分かんねェが……アレか? 政治案件に巻き込まれないように手を打っておいたから、それ以上は聞いてくるんじゃねえって暗黙の了解でもあんのか?」
「まあ、噛み砕いて言えばそういうことになるね。特にカレン、君は侵入してきたやつを本気で殴ったから、色々とマズい。そこのところも含めて、教官は庇ってくれたんだよ――まあ、これも僕の勝手な予想の一つだけどね」
オリヴィアがそう言うと、教官に直接話を聞こうと言い出したカレンは暫し天井を見上げ、少しばかり呆れたような――だがどこか穏やかな笑みを浮かべた。
「そういうことかよ、ったく……分かりにくいんだよ。そうならそうと、はっきり言いやがれってんだよ」
「まあまあ、教官も悪気があってのことじゃないだろうし――行くよ、今日も朝から小銃操法の訓練がある。早めに用意して待っていよう」
「……だな。何にせよ、上手く行ったんなら結構だ――」
カレンはぐい、と両の手を大きく伸ばすと、白い歯を見せて破顔した。少女たちは睡眠不足で疲れてはいたが、その瞳には苦難を自らの手で退け、仲間を守った充足感が満ち溢れていた。
朝食後、少女たちは広い体育館に集められると、それぞれに支給された小銃を手にして、分隊ごとに車座に座っていた。ベアトリクスは彼女たちをざっと見回し、手にしていた教練用の小銃を掴んで掲げた。支給はされたものの、彼女たちが銃器をまともに取り扱う方法などまだ知るはずもない。
「いいかクソッタレのウジ虫共、この王国陸軍正式採用の98式カービンは、貴様らのようなどうしようもないヒヨッコのカスが扱うには贅沢に過ぎるくらいに優れた武器だ――貴様らの一部は、マスケットの再装填動作を煩わしく思うかもしれないし、強烈な反動に面食らうかもしれない」
『……』
「だが、慣れれば馬上でも簡単に扱えるようになるはずだ。男に跨がりながらまた別の男の××××を咥え込むのと同じ程度には楽にできる――逆に言えば、馬上でこれの再装填を行い、確実に敵に命中させられない者には、王国陸軍の尖兵となる資格はない。よって貴様らウジ虫共を便所バエのサナギに成長させるため、徹底的な操法訓練を行うものとする。この施設を出る前に、最低限まともに前に向かって鉄砲玉を飛ばせるようになるまでしごき倒してやる。覚悟は良いか、サカりのついた雌犬ども!」
『マム・イエス・マム!』
「貴様らが扱うのは正真正銘、人殺しの道具だ! これを使って祖国に仇を為す悪人を徹底的に殺し尽くす! どうだ、楽しみか!」
『マム・イエス・マム!』
一つに重なる声が、少女たちの間に不可思議な高揚感を生み出す。お世辞にも上品とは言えず、徹頭徹尾戦闘的――一ヶ月前の彼女たちならばあり得なかったことであるが、間違いなく彼女らは兵士へと近づきつつあった。もとより選抜段階で適性の高い者ばかりを集めており、ごく短期間の訓練で戦闘能力を磨き上げられるという計算のもとで部隊は結成されていたが、それでも彼女らの成長速度は目を見張るものがあった。ベアトリクスは満足げに笑い、小銃を掲げて全員に向かって叫んだ。
「よく言った雌犬共! ではこれより、鉛玉で敵の脳ミソを妊娠させるための、鉄の××××のシゴき方を教えてやる! これまでに付き合った男の喜ばせ方は全て忘れろ――では、全員小銃を持ち、膝の上に置け! そっと優しくだ、子猫や××××を扱うように、大切にだ。乱雑に扱ったら膜を破って殺す!」
これまでにない勢いで罵声を飛ばすベアトリクスを前に、少女たちは恐る恐る自分に支給された小銃を膝の上に乗せた。全員がそうしたのを確認してから、ベアトリクスは手にしていた小銃を前に突き出して、少女たち一人ひとりの顔を見てから語りかけた。
「まずはいの一番――少しばかり手本を見せてやる。リーア、例のアレを持ってきてくれ。メスガキ共にショック療法をお見舞いする。今すぐに全て覚える必要はないが、手本を確認しておけ」
リーアが持ってきたのは、小さな革製の袋であった。それを見たアイリスは何となく嫌な予感がして、隣に座っているエリカともども少しばかり後ろに下がった。エリカはこの先の展開が読めているらしく、呆れた表情で――だが、その目つきだけは真剣に、ベアトリクスのほうを見つめていた。
「現代的な小銃の扱いは極めて簡単だ――昔のように、火縄を管理する必要もなければ、雨が降ったら鉄の塊になるということもない。そうだ――まずは銃口から弾と火薬を装填する。これがなければ始まらん」
そう言って、リーアは流れるような手付きで革袋を開け、中に入っていた小さな包み――黒色火薬と実弾にしか見えないものを素早く銃口に入れ、槊杖でそれを銃身の奥深くへと押し込んだ。その様子を見ていたアリシアとエリカ、そして狩猟に心得のあるオリヴィアはぎょっとして目を見開いた。だが、小銃に触れたことなどない少女たちは危機感を持たないのか、ただその様子を眺めているだけだった。
「続いて、このハンマーを少しだけ起こす。この場所をよく覚えておけ――これがハーフコック・ポジションだ。この状態では、引き金を引いても発射はしない」
ようやく事態に気づき始めたのか、軍医の娘であるユイが顔を青くした。勘のいい一部の訓練生は状況を察して、ゆっくりと座ったまま後ずさりして距離を取る。だが、ベアトリクスはお構いなしに小銃の操作を続けた。
「ハンマーを起こしたら、この金具――ここに火打ち石があるだろう、それと接触するフリズンを開く。こいつは点火薬を入れる火皿の蓋と、火打ち石から火花を飛ばす当り金を兼ねている。ここで火花が散って、火皿の火薬に点火するというわけだ。では、火皿に火薬を入れてみようか。ここは点火薬だから、ほんの少しで構わない」
極めて丁寧な手付きで、ベアトリクスは小銃の操作を続けていく。その段階でテレサが流石に拙いと気付き、耳を塞いでゆっくりと距離を取り始めた。だが、分隊で唯一、カレンだけはのんびりとその様子を眺めていた。それは銃器の存在に慣れているからでも何でもなく、二時間あまりしか無かった短い睡眠に耐えかねてのことだった。
「では、撃鉄をさらに起こす。これが発砲直前の状態だ。そして敵に向けて――」
ベアトリクスは何の躊躇いもなく、天井に銃口を向けてトリガーに指を掛けた。事態の重大性と異常性にカレンが気付いたのは、そのときになってからだった。
「――ブッ殺してやる、と叫びながら発砲する。そうすると、うまくいけば敵が死ぬ」
ベアトリクスの指がトリガーを引き絞る。同時にカレンが目を見開いて座ったまま飛び上がり、派手に背中から床に落ちた。刹那に響く銃声――だが、それは予想していたよりもあまりにも小さいものであり、飛び出したのは鉛の弾丸ではなかった。
「……えっ?」
派手にひっくり返ったカレンの顔に、白い紙吹雪が降りかかる。その様子を見ていたリーアは、げらげらと笑いながら狂ったように拍手を繰り返していた。ベアトリクスは満足げに一度頷くと、カレンのもとにつかつかと歩み寄ってその脇腹を蹴った。
「理解できたか、ザウアー訓練生?」
「マム・イエス・マム……!」
「うむ、ならば結構――このチンピラが理解したのだ、貴様らが分かっておらんとは言わせんぞ雌犬共! 火薬と紙吹雪の支給はしないが、さっきやった真似だけでいい、やってみろ! ただし、何があっても銃口を人の居る方向に向けるなよ? 弾が入っていると思って取り扱え!」
あまりにも過激な教導――体育館で減装空砲を撃つという行為は、非常識ながらもそれ故に少女たちの心を強く掴んだ。ひっくり返ったカレンはもたもたと起き上がり、自分の銃を取って深々とため息をついた。そんな彼女を見て、エリカはにやりと笑った。
「……良い目覚めだったかしら?」
「うるせえインテリ。後で覚えてろ、格闘訓練でボコるからなお前」
「楽しみにしているわ――じゃあ、始めましょうか」
六人がそれぞれ、自らに与えられた小銃をしっかりと握りしめて操作に入る。その瞳からは、十代半ばのあどけなさはすっかり消え去り、ごく小さな、だが国防に命を燃やす鮮やかな輝きが芽生え始めていた。




