第35話 一夜明けて
「……なるほど、クソほどの役にも立たない報告だった。ありがとう」
三十分あまりの取り調べを経て、第七分隊の少女たちはようやく解放された。時刻は3時を回っており、起床時刻まで2時間を切っていた――が、軍隊とはそのようなことを斟酌する組織ではない。
ベアトリクスは大きく息を吐いて、少女たちから聞き出した内容のメモを確かめた。何らかの奇襲があるだろうと隊長を務めるエリカが予測し、アイリスはウォークイン・クローゼットの中に隠した上で、格闘術において飛び抜けた実力を持つカレンを筆頭に五人がかりで強襲する――その行動の是非はともかくとして、作戦そのものは至って真っ当なものであることに、ベアトリクスは密かに感心していた。
(……悪くないセンスだ。ザウアーが格闘巧者かつ、ブレイザーに剣術の心得がなければ危うかったかもしれないが、ナイフで武装した相手に躊躇なく飛びかかる胆力だけは立派そのもの――結構なことだ)
メモに素早く目を通し、報告書用の羊皮紙にペンを走らせるベアトリクスを見て、隣に座っていたリーアは頬杖をついて微笑みを浮かべながら問いを投げた。
「それで、ベアトはどうされますの? 今回の一軒」
「どうするもこうするも――暴漢が兵舎に押し入った、としか報告できるものか。狙われたのはブレイザーだから、いくらでも理由付けはできる――攫って身代金を絞ろうとした、とでも言っておけばいい。それに、私たちの推論をそのまま軍に送ったところで握りつぶされるだけだ」
「やっぱり……議員が絡むと厳しいですのね」
「ああ。評議会に所属する上級議員――それもとびっきり策謀に長けたやつとなれば、迂闊に触ればこちらが火傷をする。ただ、議員の連中の目に触れないところまでは話を持っていってもいいだろう――済まないリーア、本棚に将官の目録があるはずだ、出してくれ」
「よろしくてよ」
リーアは席を立ち、背に「ヴェーザー王国軍将官簿」と記された薄い冊子をベアトリクスのもとに持ってきた。ベアトリクスはペンを置いてそのページを捲ると、教育隊を統括する陸軍将官――アヒム・ランメルツ中将と、さらにもう一人――エリカの父であり、王都防衛にあたる第一騎馬砲兵連隊指揮官、ゼール・シュタイナー准将の名前を見出した。
「問題が起きる前に、こちらから先に手を打っておく。幸いにもシュタイナー訓練生の父親は王都に詰めている騎馬砲兵連隊の指揮官で、政治には関与しないというスタンスを貫きながらも評議会のやり方には相当に造詣の深い人物だ。怪しい動きがあったら報告してくれるように頼んでみる」
「……うまくいく算段はありますの?」
「あるとも。ランメルツ中将はこの部隊の統括責任者だから話も通りやすい。シュタイナー准将も、軍人とはいえ人の親だ――娘と同じ分隊に所属する者が狙われていて、何かしらの危険があると言われれば協力もするだろうさ。親心を道具のように使うのは、私としても心苦しいところはあるがね」
そう言いつつ、ベアトリクスは手にしていたペンを滑らせて二人の将官に宛てた書簡を素早く仕上げ、手早く封筒に放り込んだ。
「仕事はここまでだ。二時間以下しか眠れんのは辛いところだが――」
さっさと寝よう、と言いかけたところで、再びドアをノックする音が響いた。
「……何ですの。いい加減にしてくださいまし、テメェブッ殺しましてよ?」
リーアが苛立ちを隠そうともせず、マチェットナイフの柄に手を掛けたまま乱暴に扉を開けると、そこには一人の兵士が脇に紅茶の缶を抱えたまま固まっていた。
「……お紅茶のサービスなら不要でしてよ?」
「いえ……新たな証拠品です。どうやら、歩哨が即効性の眠り薬を飲まされていたようです。夜の当番に当っていたメイドを取り調べたところ、この紅茶を出したと言いましたのでお持ちいたしました」
「眠り薬?」
「ええ――それも、普通のものじゃありません。ちょうど来ていた憲兵隊の鑑識に見せたところ、強い魔力を帯びた植物の破片が混ぜ込まれているとの鑑定結果が出まして。単なる薬というよりも、魔法薬に近いものでしょう。そうでなければ、歩哨を一杯で眠らせることなどできそうにありませんから。確認願います」
兵士が差し出した缶を受け取り、リーアはその蓋を開けた。見た目も香りも普通の紅茶と寸分変わらない。飲む瞬間まで気づかないであろう、とリーアは思った。
「……これを飲まされたおバカさんは?」
「命に別状はなく、医務室で眠っています。軍医の診察によれば、あと数時間もすれば目を覚ますと」
「当たり前でしてよ、眠り薬で死んだらお笑いにもなりませんわ――もうよろしい、下がってくださいな」
「はっ」
缶を兵士に返し、リーアは深々とため息をついて柱時計を見上げた。
「……あのお紅茶、少し貰えば良かったかしら」
「バカ言え、リーア――ほら、さっさと寝るぞ。まったく、私が軍隊にいるうちに、二度もこんなおかしなことが起きるとは思わなかった。貴族のお嬢様がトチ狂って入隊してくるわ、それを連れ戻そうとするやつが現れるわ――どうなってやがるんだ、最近の陸軍は」
「……よく覚えているではありませんの」
「うるせぇ。お前もさっさと寝ろ、気絶させるぞ」
そう言って、ベアトリクスは当直室のベッドに潜り込んだ。リーアは暫し何やら考えるような表情で椅子に腰掛けていたが、ふと表情を緩めて、突然ベアトリクスのベッドに潜り込んだ。ベアトリクスはむくりと起き上がり、喉元を掴んで押し戻す。
「何をするか、暑苦しい」
「昔もこんなだったなと思いまして。一人では寂しいとベアトが――」
「バカ言え。連れて行かれそうになった日に泣きながらベッドに潜り込んできたのは貴様だろうが」
「あら、入隊して一ヶ月でホームシックにかかって毎晩泣いていたのはどなたでしたっけ?」
「殴ンぞコラ、お嬢様はあっちのベッドで寝ろ」
「はいはい……」
リーアは渋々ベアトリクスのベッドから撤退し、反対側に置かれた自分のベッドに潜り込んだ。ベアトリクスが眠りに落ちる間際、リーアは穏やかな声で彼女に呼びかけた。
「やっぱり覚えていたじゃありませんの。あの娘たちに優しかったのも、それが理由ですのね」
不審者の侵入から一夜明けた翌日――第七分隊の面々は、眠気に耐えながら早朝の訓練に臨んでいた。右肩には支給されたばかりの槍を担ぎ、背には重りの詰められた背嚢、それだけではなく、スリングで掛けた短銃身のマスケットまで携えた完全武装で、少女たちはグラウンドを周回していた。
額に汗を浮かべ、早朝から足腰を軋ませながら走り続ける。僅かでもペースを見出せば容赦のない罵倒が飛び、時として懲罰用の棒による打撃すらも襲う――過酷ではあるが、いつもどおりの訓練であった。後半にもなると、走り始めた頃のスピードはほとんど維持できない。後ろから殴られ、罵倒を受けながらどうにか周回を終える。
「実に結構だアバズレども! ゲロブス面が余計にブスで中々に笑えるぞ――装備を戻し、食堂に到着した者から食ってよし!」
倒れ込まんばかりであった少女たちはよろめきながらも敬礼し、手にした小銃とランスを武器庫に返却すると、呼吸を整えながら食堂へと向かう。第七分隊の面々も、酷く疲れた表情を浮かべてはいたが、どうにか武器を戻して、互いに肩を貸し合いながら食堂へと歩いていく。ほとんど眠れなかったアイリスは、隣に立つカレンの肩を借りながら深呼吸して、頭に酸素を行き渡らせた。
「おいお嬢、大丈夫か? 5秒くらいで死にそうな顔してンぞお前」
「大丈夫……って言っても信じないよね」
「当たり前だろ。まあ、アタシらも調子がいいわけじゃねェけどな……まあ、お嬢を守れたならそれで結構ってやつだ、気にすんな」
「ありがと……少し楽になった」
「そうかよ、良かったぜ――しかし昨夜の教官殿、えらく優しかったじゃあないか。消灯違反は本来なら罰走だぜ? おまけに独自行動で侵入者と交戦して、普通ならタダじゃ済まねえ――何があったんだろうな?」
不思議そうに首を傾げるカレンの肩を、少し後ろを歩いていたオリヴィアがぽんと叩いた。
「気になるなら聞いてみたらいいんじゃない? 僕だって不思議に思ってたし」
「……聞いたせいでやっぱり罰走、とか無ェよな?」
「そのときは走ればいいじゃないか」
「おいおい……まあ、走ればいいってのは間違いじゃねェけどさ。みんなはどう思うよ?」
カレンが周りの仲間に問いを投げると、分隊の面々は笑みを浮かべて頷いた。気になることは気になる――重大半ばの少女らしい、好奇心が先に立っての答えであった。カレンは少し目を閉じて天井を見上げ、それからふっと笑って深く頷いた。
「よし――じゃあ、ヒマが出来たら聞いてみっか!」




