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第34話 迎撃

「――おい変態、夜のケーキデリバリーなら頼んでねえぜ?」


 突如として投げかけられた言葉は、一瞬だけ男たちの感覚を凍りつかせた。第七分隊は訓練に疲れて眠っている――そう読んでの行動であったが、起きている者が居る以上は当てが外れたということになる。

 腕を伸ばし、侵入者を捕らえたのはカレンであった。彼女は両の瞳をぎらと輝かせ、侵入してきた三人の男たちを睨んだ。その輝きはさながら野獣にも似ている。

 素早く伸びた腕は強靭で、握力も極めて強い。思いもよらない反撃は瞬間的に男たちを混乱させた――だが、次の瞬間に襟元を掴まれていた男は腰に提げていたナイフを抜き放って、二段ベッドの上から手を伸ばしたカレンの手首目掛けて問答無用に斬りつけた。


「……!」


 暗闇に閃くナイフ――だが、カレンはそれを読み切って手を引っ込め、次の瞬間にはベッドの縁を支えにして男の眼の前に飛び降りながら、空中で右足を一閃して男の手からナイフを弾き飛ばした。訓練生と侮っていた相手に武器を奪われた――その事実が動揺となり、動揺は格闘戦において致命的な一瞬の隙を作った。


「――イっちまいな。お嬢には、触らせねェ」


 静かな――だが、確固たる意思に満ちた声が闇夜に響く。男がナイフを拾おうとするよりも先にカレンのローキックが膝を撃ち抜いた。流石に十五歳の少女と、修練を積んだ騎士――同年代の少女が相手ならば骨を粉砕していただろう本気の一撃であったが、体格差と膝を覆っていた革製の柔軟なプロテクターがその威力を削いでいた。

 だが、蹴りの威力は並の訓練生とは比較にならないものであり、まったくもって想定していない痛打となって男の左足を貫いた。脚を剣で斬られたのではないかと疑うほどの激痛が刹那に駆け抜け、蹴られた男は苦悶に呻いて膝を折る――だが、カレンの連撃は止まらなかった。

 姿勢が下がったと見るやいなや、横に払った脚を跳ね上げて、胸に撃ち込む前蹴り――一旦は折れたはずの体が再び跳ね上がり、次は海老反りになる。続いて振るわれるのは左右から雨あられと撃ち込まれる拳の連打――防ぎきれない打撃が脳を揺らし、男はたまらずふらつきながら後退した。


「……このガキ!」


 後ろに続いていた二人が反撃に出て、ナイフを振りかざしてカレンに突進する。殺すつもりはない――が、この場で動けなくなるまで手傷を負わせる程度のことは考えていた。だが、その切っ先がカレンの体を穿つことはなかった。


「――やれ!」


 カレンの合図に合わせて、周りで息を潜めていたアイリス以外の四人が毛布を手に飛び起きる。二人がかりで飛びかかった彼女たちは、ナイフを握る右手に素早く毛布を被せて無力化し、同時に渾身の力で体当たりを見舞っていた。現役の騎士と比較すれば、訓練生はまだ非力である――が、力を合わせれば一時的に押さえ込む程度のことはできるであろうし、騒ぎを聞きつけた憲兵隊や教官、あるいは隣の部屋で眠っている訓練生が駆けつけるまでの時間を稼ぐ程度のことは可能であると少女たちは考えていた。

 だが、それは若干ばかり甘い想定であった。毛布で押さえ込まれていた騎士は両脚と背筋に渾身の力を込めて少女たちの拘束を振りほどくと、未だにベッドで眠っているアイリス目掛けて襲いかかった。毛布を剥ぎ取り、華奢な体を引きずり出す――が、そこにあったのは丸められた毛布の束と、そこに乱雑に被せられた寝間着であった。


「……!」


 一瞬、男たちの思考が止まる。いるべきはずのアイリスがいないという事実は、三人の間に同時に動揺をもたらした。カレンと格闘を続ける一人、そして毛布の拘束から脱したばかりの二人――彼らが思わず目を見開いて静止した刹那、部屋に設置されていたウォークイン・クローゼットが開き、次の瞬間にはモップの柄を手にしたアイリスが電光石火に飛び出した。

 手にしているものはただの掃除道具の一部――だが、アイリスとて武門の娘、剣術の心得は十分であり、ナイフ一本ではその圧倒的なリーチに対抗するには至らなかった。払った一撃がその手からナイフを弾き飛ばし、続いて流れるように二連撃に放たれた突きが、二人の侵入者を容赦なく撃った。


「ぐっ……!」


 呻き声を上げて侵入者が後退する。アイリスの手には、硬質な革防具を打った感触があった。本物のレイピアあるいはエストックであれば貫いていたかもしれない――が、彼女の突きは強かに相手を打つに留まり、致命の一撃には至らない。だが、侵入者にこれ以上の行動を諦めさせるには十分であった。三人は素早く目配せすると、一斉に駆け出して窓を乱暴に開け、そのまま離脱していった。


「……やったな」


 ふう、と大きく息を吐いて、第一撃を加えたカレンが窓の向こうを見据える。目的は撃破や捕縛ではなく、アイリスの身柄を奪われないことにある。その意味合いにおいて、六人の少女たちによる迎撃戦は成功を収めたと言っていい――が、その表情は決して明るくはない。

 自らの手で奪おうとした女に逃げられるどころか、送り込んだ手勢を返り討ちにされるという屈辱を受けて、グラウゼヴィッツ伯爵が黙っているはずがない――それは、この場における全員が共有している危機感であった。

 表向き、この事件は軍施設への不審者侵入として片付けられる――あるいは、何も起きなかったものとして処理されることになる。真実を知っているのはアイリスたち第七分隊と、彼女たちを統率するベアトリクスとリーアのみとなり、伯爵の野望は闇の底へと埋もれていく。軍の現場は一部の将官を除けば政治的発言力に乏しく、事実を明るみに出して問題化するほどの力を持っていない。


「……これからも、私は狙われるのかな」


 ぽつりと呟いたアイリスの言葉を、誰も否定しなかった。だが、隣に立っていたテレサは力強い手で彼女の背中を叩いて励ました。


「大丈夫だって――アイリスは私たちが守ってやる。今回だって出来たじゃないか、奇襲気味だったけど、これだけやっとけばしばらくは来ないって」

「テレサ――でも、私はみんなを危険に……」

「確かに危ない橋を渡ったけれども、全員で渡れば怖くない――だろ?」


 テレサは白い歯を見せて笑い、分隊の仲間たちと視線を交わす。全員が深く頷き――ふっと表情を緩めてベッドへと戻っていく。眠らずに待ち伏せを続け、相手の慢心に乗じて手に入れた勝利――その満足感に浸りながら少女たちがベッドに戻ろうとしたそのとき、規則正しいノックの音とベアトリクスの声が聞こえたかと思うと、何の遠慮もなくドアが開いてベアトリクスが姿を現した。彼女はベッドに戻りかけていた少女たちにざっと視線をやると、少しばかり疲れたような表情で問いを投げた。


「……おいアバズレ共、まだ寝るな。さっきまでここに居たケーキのデリバリーはどこに行った?」






 侵入者発生――その事実は、憲兵隊を呼び集めた張本人であるリーアにも共有されていた。訓練部隊が寝泊まりする合同兵舎の周辺で小爆発が起きたという報告を受けたと同時にベアトリクスは飛び出していったが、リーアはそこにきてほんの僅かなミスに気がついた。何か起きたとき、そちらの様子を確認に行くのではなく、逆に兵舎の周りの防御を固めるべきである、と伝えておくのを失念したことである。

 深夜に爆発を起こせば、当然ながら人目を引く。鉄条網を破砕して侵入を試みたのではないか――そのように疑う者も少なくない。だが、実際の潜入作戦において爆発物を使って塀を破砕するのは下策である。もし爆発物を使うとすれば、それは陽動のためにほかならない。爆弾で警戒部隊の気を引き、その間に潜入に特化した工作員を内部に送り込む――非正規戦のテクニックである。


(流石によく分かっていますわね。素人ではない――)


 腰に提げたマチェットナイフの鞘に触れ、リーアは暫しランタンの光を見つめた。彼女の務めは、異常事態と聞いて飛び出していったベアトリクスの代わりにこの場で連絡を待つことにある。そのまま数分間何もせずにじっとしていると、一人の兵士がドアをノックして入ってきた。その表情には戦闘状況の緊迫というよりも、困惑の色が強く浮かんでいた。


「報告します――第七分隊寝室に侵入した不審者は3名。それらいずれも……訓練生によって撃退されました。恐らく、騒ぎになることを避けたものかと」

「……そう。まあ、そうなるかもしれないとは思っておりましてよ」

「えっ」

「だってあの部隊、一芸特化のスペシャリスト揃いですもの。大方、格闘術に優れたザウアー訓練兵あたりが勢い任せにぶん殴って、それから袋叩きにしたのでしょうとも。寝ずに待ち伏せして、一斉に襲えば相手を退散させるくらいは可能でしてよ」

「し、しかし……まだ訓練生の身で、それは――」

「可能だから分隊を組ませていると言っておきましょうか。スペシャルでしてよ、あの娘たちは。他の分隊とはまた違う――ザウアー訓練兵が『殺すつもり』でかかってきたら、多分貴方では勝てませんわ。多分、私だって勝てませんわね」


 リーアの言葉に誇張はない。リーア自身、カレンが日々の格闘訓練において「見せていない」部分があることに薄々感づいていた。そして、その「見せていない」ものを解放すれば、容易に自分を殺傷しうるだけの能力を秘めていることも分かっている。


「……だから、もし何かあってもあの娘たちは自分で自分を守るでしょう――報告はそれだけですの?」

「ええ。では、これで――」


 兵士は敬礼して立ち去っていき、それと入れ替わりにベアトリクスが姿を現した。その後ろには、寝間着姿のまま目を擦る第七分隊の面々の姿があった。ベアトリクスは少しばかり呆れたような――だが、どこか穏やかな笑みを浮かべて、背後に続く六人の少女たちに振り向いた。


「誰が戦えと言った、馬鹿者どもが。だが、作戦を立てて自分の身を守ったことは評価しよう。それに免じて、罰走はなしで勘弁しておいてやる――だが、これから少しばかり、貴様らを取調べさせてもらう。面倒な手続きだが、必要なのでな――まあ、そこに座れ」


 第七分隊の面々を座らせ、メモ帳とペンを手に取ったベアトリクスを見て、後ろに腰掛けていたリーアは微笑みを浮かべた。


「……少しは、昔のことを思い出しまして? こんなこと、ありましたわよね」

「忘れたと言っているだろう」

「私は覚えておりましてよ? あれはまだ私たちが――」

「うるさい、私は忘れたんだ――コントをやっている場合ではない、調書を作るぞ」


 ベアトリクスはリーアを小突いて黙らせ、真剣な表情でペンとメモ帳をしっかりと膝の上で保持した。だが、その瞳の奥にはどこか、懐かしい思い出を振り返るような優しい光が満ちているようにも見えた。



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