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第29話 共に立つ者、導く者

「あの人は……私に縁談を持ちかけてきたんだ。それから逃れるために、私はユニコーン隊に入ることにした――陸軍に入れば結婚しなくていいと思って、私はここに逃げ込んできた。みんなみたいに、崇高な目的や理想があるわけじゃない。ただ、自分の逃げ場所がほしかっただけだった」


 アイリスの言葉を、第七分隊の隊員たちは静かに聴いていた。口を挟むでもなく、否定の言葉をぶつけるわけでもなく――ただ、彼女たちは戦友の言葉に耳を傾けている。


「グラウゼヴィッツ伯爵は好色家で、それが我慢ならなくて……軍隊に入ったらもう追ってこない、それもユニコーン隊なら現役の間は求婚されることがないって思ったから、私はただここまで逃げてきた。兵士として生きている間は、縁談のことを考えなくてもいいと思って、問題から逃げ出して――」


 その先の言葉は続かず、アイリスは俯いて口をつぐんだ。暫しの沈黙があたりに流れ――そして、唐突にそれは破られた。カレンがふっと笑みを浮かべ、アイリスを見つめて口を開いた。


「いいじゃねェか、お嬢。確かに縁談からは逃げ出したかもしれねェが、今のお嬢は縁談よりずっと辛いものと向き合ってる。軍隊に入って槍を担いで持久走なんて、並の根性でできることじゃねえよ、普通は。貴族の宿命だか何だか分からねえが、お嬢は自分の手で選び取って、今ここに立ってンだ。そいつはまったく上等なことじゃねえか?」

「カレン――」

「流されなかったお嬢は強いぜ、多分。アタシも正直、あの男は気に食わねェ。目だけでスケベだ、多分話しかけられただけで妊娠するぜ――まあそれはともかく、お嬢の選択は間違いじゃねェはずだ。アタシは信じるさ――テメェらもそうだろ?」


 分隊員たちは一斉に深々と頷き、ぐっと親指を立てた。エリカはふっと表情を緩めて、穏やかな口調でアイリスに話しかけた。


「あの男なら、私が何とかしておくわ。アイリスを狙ってたのがひと目で分かったから、なるべく遠ざけておく」

「エリカ、でも――」

「大丈夫。相手が軍評議会の貴族議員なら、私のお父様は将官よ。手を出せばタダじゃすまないって、相手も分かってると思うし、私だって自分の身を護ることくらいはできるわ。脂ぎった中年ひとりに組み敷かれるほどヤワじゃない」


 エリカの両の瞳には、決然たる炎が燃え上がっていた。心配そうに見つめるアイリスの肩にそっと手を置くと、エリカは笑顔のままとん、と自分の胸を叩いた。


「どうってことないわよ――分隊の仲間を守るためだもの、少し訓練施設を案内して、それから戻ってくるだけ。アイリス、貴女は自分の心配をしていなさいな。閲兵式ではどうせ顔を見られるんだし、もしかしたら話しかけてくるかもしれないんだから。そのときにどう対応するかが勝負よ」

「……分かった。ありがとう、みんな――」


 目元に滲んだ涙を手元のナプキンで拭い、アイリスは分隊の仲間たちに微笑みを向けた。部隊が結成されて一ヶ月――彼女の胸には、確かに仲間に対する信頼が生まれていた。過酷な訓練を共に乗り切り、共に支え合っていく日々の中で、アイリス・フォン・ブレイザーは確実に成長を遂げていた。


「……ってわけだ、何かあったらお嬢はアタシたちが守ってやる。だから安心しろ、誰もお嬢を軍隊から連れてはいかせねェよ」


 ばん、とエリカの手がアイリスの背中を叩く。アイリスは深々と頷くと、手元に残っていたライ麦パンを一口で飲み込み、冷たく冷えた水をぐいと飲み干した。急速に視界が開け、何もかもがクリアになっていく感覚――振り切ったはずの幻影に怯える少女の姿は、もうその場には無かった。


「行こうか。これから小銃の支給があるから、急がないと」

『――了解!』


 第七分隊の少女たちが一斉に立ち上がる。彼女たちの表情は覇気に満ち、足取りは堂々たるものだった。迷いはもうどこにも見当たらない。その姿を、ベアトリクスとリーアは密かに見つめ、穏やかな笑みを浮かべていた。


「……ベアトは知っていましたの? あのお嬢様――ブレイザー男爵家の長女の事情」


 少女たちの姿が消えてしばらく経ってから、リーアは紅茶のカップを手にベアトリクスに問いかけた。ベアトリクスはふっと笑って人差し指を伸ばし、とん、とテーブルを軽く叩いて答えた。


「知るわけがないだろう」

「嘘つき、本当は知っていたんでしょう? そうでなければ、あそこで案内を買って出たりしなかった。あのハゲネズミ、間違いなくブレイザー訓練生を狙っていましてよ。視察と閲兵のために何人か使者を寄越しましたけれど、その連中どうも臭いますのよ」

「……臭うって?」


 ベアトリクスの問いかけに、リーアは瞳に冷たい光を宿して答えた。


「人さらいの臭いですわ。どうも胡散臭いのを何人も連れてきて、それをボディーガードとして常駐させてやがりますのよ――多分ですけれど、自分の領地から連れてきた私兵ですわね。ブレイザー訓練生や第七分隊が抵抗したら、多分実力で制圧して連れて行くつもりでしてよ、あれ」

「軍人は身体の自由を国権以外で拘束されないという原則があるはずだ。訓練生とはいえ、軍の身分保障の対象には確実に入っている。それも騎兵候補生となれば、特別の身分保障があるはずだ。一般の歩兵とは違う。幻獣部隊なら、卒業後は最低でも伍長からだ――無理やり連れて帰ったら、軍との無用な摩擦を生むことになる」

「そこを押し通すのが政治の怖いところでしてよ。教育隊の政治力はそこまで強くはない――ユニコーン部隊の実戦編成は陸軍大臣肝いりの案件ですけれど、評議会の貴族議員、それも王都務めの伯爵が本気で動かれたら、止められないかもしれませんわ」

「……それは、貴族としての意見か」


 少しばかり、間があった。リーアが貴族の家の生まれでありながら、自ら貴族の定めに背いき、アイリスと似たような理由で勘当同然に軍に駆け込んできたことをベアトリクスは知っている。元より同じ騎兵部隊、それも当時はまだ数が少なかった女子騎兵として共に訓練を受けた仲である。この問いかけがリーアにとってややこしいものであることを知りながら、敢えてベアトリクスはそれを投げかけた。リーアは暫し無言で居たが、やがて真剣な表情で答えを返した。


「ええ。貴族として、あの男は政治的に危険な人物だと言い切れますわ。単なる好色漢ならいいのですけれど、政治的な意図でブレイザー家を飲み込もうとしているのは明白――確か、ブレイザー家は国境警備を任される山岳部隊を含んだ、強力な騎士団を保有していたはずですわ」

「……そうだな。私も聞いたことはある。ブレイザー騎士団――寡兵を臆せず戦うと評判の優れた軍団だ。諸侯軍の中でも、かなりの実力を誇るだろう」

「それに対して、グラウゼヴィッツ家は金はあれども兵は今ひとつ――武力の強化を目的に、娘を使って政略結婚をあちこちと繰り返していたはずでしてよ。政治的野心と武力の充実、この両方を満たすためには、ブレイザー訓練生を連れて帰るのが一番手っ取り早い」

「単なるスケベ心で連れて行くわけではない――ということだな?」

「ええ。八割は政治的野心で、二割はスケベ心でしょうけれど。陸軍にはもったいないくらいの器量よしですもの――わたくしが嫉妬するくらい」

「……まあ、それは事実だな。しかし、貴様のようなとんでもない発想をする人間がこの世に二人も現れようとはな。決められた相手と結婚するのは、そんなに嫌か?」

「決められた相手がとんでもないやつだったら、まあ嫌になりますわね。ブレイザー訓練生の気持ち、分からないわけじゃなくってよ」


 問いかけに答えるリーアの表情は穏やかなものだった。訓練で普段見せる笑顔――目だけが異様にぎらつき、容赦のない暴力と罵倒を叩き込むときのものとは明らかに違う、一人の大人として少女たちを導こうとする責任感が、二人の両の瞳――ベアトリクスは隻眼であるが――に満ちていた。


「案内はシュタイナーに任せるが、一応こっそりと監視をつけておけ。あの男のスケベぶりは私もよく聞いている。陸軍省の資料室で若い司書を相手にファックに及んだというのはもっぱらの噂だ――恐らく、ただの噂ではないだろう。まあ、シュタイナーなら××××を蹴り上げてノックアウトしそうなものだが……」

「了解ですわ、ベアト。この地域管轄の憲兵隊にお友達がいますの、何人か呼んでおきますわ。そうですわね――閲兵警備とか、適当な理由をつけておけばいいでしょう。それと、夜中の兵舎の警備は厳重にするように伝えておきますわ」

「助かる――では、我々も大人の仕事をしようか」


 しゃんと背筋を伸ばしてベアトリクスとリーアが立ち上がる。閲兵や視察も確かに気にかかるが、今日は訓練生に小銃を支給し、その基礎的な取扱いを教えるという重要な教練がある。彼女たち二人は視線を交わして頷き合い、大股に食堂を出て小銃が搬入されてくる裏口へと向かっていった。


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