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第2話 始まりの並木道

 アイリスが伯爵家からの縁談を拒否して半ば強引に軍に志願書を提出して二週間余り――彼女は、光の差す王都の並木道に立っていた。


「ここが王国陸軍騎兵学校……」


 彼女はほう、と息を吐いて辺りを見回した。視線の先には赤煉瓦造りの巨大な学舎があり、吹き抜ける春風が白い花びらを散らし、濃紺の制服を纏った青年たちが辺りを闊歩する。その中の一部は、不思議そうな表情でアイリスを見つめていた。


(……間違ってないよね)


 懐に入れていた入隊通知書を取り出して確認する。氏名と生年月日、そして個人識別に用いる番号のみが記され、陸軍省の印が押されているだけの簡素な一枚の紙切れを確かめると、アイリスはそれを再び懐へと戻した。

 志願者はそれほど多いわけではない――だが、実験的に設立される部隊ということもあり、最終的に入隊が許されたのは僅か48名だった。筆記試験と体力検査、そして健康診断を経て、アイリスは問題なく入隊を許される運びとなった。もとより武門の貴族として教育を受け、馬術や護身剣術の心得もあった彼女にとって、それほど難しいものではない。


(とにかく、私と同じユニコーン騎兵候補生を探さないと……)


 そう思ったアイリスが辺りを見回したとき、前方に二人、同年代の女子の姿を認めた。一人は鮮やかな金髪をポニーテールに結び、翠緑の瞳を凛と輝かせて前方を見据えている。そしてもう一人は赤みがかった茶髪をショートカットに切りそろえ、制帽を目深に被って大股に歩を進めていた。


(候補生……だよね?)


 やっと同年代の女子に会えた――アイリスの心中に安心感が去来する。彼女はショートカットの少女のもとに駆け寄ると、若干ばかり弾んだ声で呼びかけた。


「あのっ――ユニコーン騎兵候補生……だよね?」


 ショートカットの少女は振り向き、灰色がかった瞳でアイリスをまじまじと見つめ――そして、ドスの効いた迫力ある声で応じた。


「……あぁ? だったらなンだよ、オトモダチでも欲しいなら他所へ行きな」


 あまりにも乱暴な応対に、アイリスはその場に凍りついた。上流階級として生きてきた彼女にとって、その少女の言葉はさながら異国の言語のように響いた。何を言っているのかまるで理解できず、彼女は目を白黒させながら言葉を続けた。


「その……私もユニコーン騎兵学校の――」

「んなことは分かってんだよ、ミソ足りねえのか? あたしはな、他所へ行けって言ったんだよ」

「えっと……その、わたし――」

「失せろって言ってんだよ、耳にウジ虫でも湧いてんのか、あぁ? 聞こえてねえなら耳削ぎ落とすぞ?」

「……」


 想像を絶する言葉の暴風に、アイリスはただ無言で立ちすくんだ。まさに下町のチンピラ――呆然として何も言えないでいる彼女に対して、茶髪の少女はさらに畳み掛けた。


「テメェ、どこぞのお嬢様だろ。ニオイで分かんだよ」

「そうだったら、何――」

「戦争になったら簡単に死ぬぜ、テメェみたいな奴。アルタヴァ共和国の兵隊にマワされて、裸で街頭に吊られるのがオチだ。晒し者になりたくなかったら、さっさと帰りな」

「なっ……」

「わかったら二度と話しかけるな、腐ったおミソで何を考えて絡んできたのか知らねえが、あたしは馴れ合いたくねぇんだよ」


 そう言って、少女はすたすたと足早に歩き去っていく。その拍子に、彼女のポケットから一枚の紙切れが落ちた。それが入隊通知書であるとアイリスが気付いたときには、既に彼女の姿は消えていた。

 アイリスは少し困ったようにそれを拾い上げると、記されていた名前を確かめる。カレン・ザウアー――まるで悪党のような口の利き方をする、と反感を覚えたアイリスは入隊通知書を地面に放り投げようとしたが、思い直してそれを懐に収めると、もう一人の同期――金髪を春風に揺らし、しゃんと背筋を伸ばして歩く少女のもとに歩み寄った。


(人間いろいろあるし――あっちの人と仲良くなろう)


 幼少期から社交界に生きてきたアイリスには、それなりにではあるが人を見る目が備わっている。彼女の勘は、先を行く金髪の少女を「話が通じる相手」と判断した。少なくとも、先程のような敵対的態度を取ってくるようには思えない。


「あの――もしかして、あなたもユニコーン騎兵候補生?」


 金髪の少女は、碧眼に光を宿してアイリスを見た。その視線は、冬の朝日に煌めく樹氷のように美しく澄んでいるが、どこか人を寄せ付けない冷たさを帯びていた。


「……ええ。そうだけど」

「よかった……私はアイリス・フォン・ブレイザー――今年入隊が決まったんだけど、知り合いで入隊者が一人もいなくて」


 アイリスが名を名乗ると、金髪の少女は暫し無言で彼女の顔を見つめて口を開いた。


「フォン・ブレイザー……貴族ね、貴女。名前もそうだけど、平民とは話し方が違う」

「うん、まあそうだけど……田舎の男爵家だから、あまり意識しなくていいよ」

「……そう。私はエリカ・シュタイナー――名前のエリカでも、姓のシュミットでも、好きに呼んでいいわ。ところで、どうして貴女みたいな貴族がここにいるのかしら」

「えっと……」


 淡々とした口調で、エリカと名乗った少女はアイリスに問いを投げた。中年貴族との縁談から逃れるために軍に入った、などとは言えるはずもない。


「えっと……それは……」

「……」


 アイリスは何か言い訳を考えようとしたがうまくいかず口ごもる。それを見たエリカは一瞬だけ目を閉じ、やがて小さく首を振った。


「まあ、いいわ。色々理由があるんでしょう。話しにくいなら、何も言わなくていい。理由がなければ来ないでしょうしね」

「聞かないでいてくれるんだね」

「ええ。無理に聞き出しても仕方がないことだもの。聞いたところで、私がどうにかなるわけでもないし。少なくとも、お互いの得にはならないでしょう」


 どこか突き放すような言葉だったが、先程話した相手のように好戦的で悪党じみた口の利き方ではない。アイリスは若干ばかり安心して、エリカに問いを投げた。


「……そっか。じゃあ、エリカはどうして、ユニコーン隊に?」


 アイリスの問いに対して、エリカはしゃんと胸を張って答えた。


「父が軍人なのよ。家族も全員軍に関わっているから、私も志願した。理由は――そう、それだけね。私にとっては、それで十分だけど」

「……家系としての使命を果たしたい、ってこと?」

「厳密にいうと、貴女のような貴族的意思によるものではないわ。けれど近いかもね。家の伝統みたいなものだから、私もそれに従った――自己紹介はこれくらいにしましょう。急がないといけないわ」


 エリカはふっと息を吐いて、懐に入れていた懐中時計を取り出した。赤銅の懐中時計は相当な年代物らしくあちこちに擦り傷があったが、その表面に陸軍騎兵隊の紋章――槍を手にした戦乙女が刻まれているのが、アイリスの目にもはっきりと見て取れた。

 一瞬だけ時間を確認し、エリカはアイリスに背を向けて早足に歩いていく。置いていかれる、と思ったアイリスは、ペースを上げて彼女の後に続いた。駆け足でついていった先には、彼女たちと同じ白い制服を纏った少女たちの一団があった。

 まだ半分ほどしか集まっていなかったが、エリカはそれを見て少し安心したように一度頷き、続いてアイリスに視線を向けて口を開いた。瞳は変わらず冷たい輝きを帯びている。


「間に合ったわ。少し用があるから、私はここで」

「あ――はい、ごきげんよう」


 普段のようにスカートの裾を摘んで一礼しかけたところで、アイリスは自分の着衣が騎士学生の制服であるパンツスタイルのブレザーであることに気付いた。これまでの自分が生きてきた環境とはまるで違う――そのような場所に置かれていることを認識したアイリスは、緊張に背筋を伸ばして辺りを見回した。少しずつ人が増え始め、やがてその場には全ての騎兵候補生たちが集まっている。


(みんな普通の女の子だけど、これから兵士になるのよね……戦争が起きたら、本物の武器を持って戦って――)


 王国の武門に生まれようとも、兵士となって戦うことのリアリティを全て理解しているわけではない。むしろ、将としての教育を受けた彼女にとっては、自ら槍を手に先陣を切って戦う騎兵の現実は遠いものと感じられた。

 だが、これから自分はそうなるのだ。緊迫しつつある隣国との関係の中で、一人の騎兵として生きていく。ここに居る少女たちはいずれも戦争を知らない者ばかりだ。

 隣国アルタヴァで共和主義者によるクーデターが勃発して王政が崩壊、ヴェーザー王国を始めとする近隣諸国が介入戦争を挑んで返り討ちにされてから、既に二十年――国防を担う若い兵士たちの間にも、かつての戦いを知らない者が増えている。歴史の物語として知ってはいても、戦争の実感を肌身で知る者は、そう多くはない。

 アイリスは不安を振り払うように辺りを見回し、視界に先程の悪党じみた喋り方の少女――カレンの姿を捉えた。彼女は不機嫌そうにつま先で地面を叩きながら、入校式へ案内されるのを待っていた。アイリスは一瞬躊躇したが、すぐにカレンを視界の正面に捉えて一歩前に踏み出し、再び彼女に声を掛けた。


「あの……」

「ンだよ――ケッ、さっきのお嬢様かよ……次話しかけたら耳削ぎ落とすって言ったよな、聞こえなかったか、あぁ? フカシだと思ったら大間違いだぞテメェ――」

「そうじゃなくって――これ、落とし物」


 アイリスはポケットに入れていた、ハガキほどの入隊通知書をカレンの眼前に差し出した。カレンは面食らったように暫しそれを眺めていたが、アイリスの手からそれを強引に引ったくると、ポケットにねじ込んで背を向けた。


「行けよ。用は済んだんだろ」

「……うん。じゃあ、また」


 手早く用事を済ませると、アイリスは静かにカレンの近くから離れた。ちょうどそのとき、案内役らしい若い女性士官が少女たちの前に進み出て、穏やかな口調で彼女たちを赤煉瓦造りの学舎へと案内した。


(……そう、ここからなんだ、ここから――)


 アイリスは一度深呼吸し、春風を胸の奥に取り込んで心を落ち着かせる。その瞳には、期待と不安の入り混じった色が見えた。





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