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第28話 視察

 陸軍施設での訓練が開始されて十日――四十八名の訓練生たちは、紆余曲折こそあれども順調に兵士としての道を進みつつあった。与えられたばかりのランスは未だに重いが、その重さは彼女たち自身に兵士としての自覚を与えてもいた。


「共和主義者は病気持ち!」

『――共和主義者は病気持ち!』

「淋病梅毒毛ジラミ処置なし!」

『――淋病梅毒毛ジラミ処置なし!』

「汚物を消毒、焦土作戦!」

『――汚物は消毒、焦土作戦!』

「反王政派に鉄槌を!」

『――反王政派に鉄槌を!』


 早朝の練兵場に響き渡る猥雑なミリタリーケイデンスですら、少女たちにとっては今や慣れ親しんだものとなりつつあった。花束を手に歌った流行歌ではなく、目下最大の敵であるアルタヴァ共和国、あるいはヴェーザー王国に潜伏する共和主義者を徹底的に侮蔑、敵視、抹殺することをよしとする内容――入隊前であればとても口にしなかったであろう性病の名前や、卑猥なスラングを列挙することすら、今の彼女たちに躊躇いはない。


「もしも仲間の盾となり!」

『――もしも仲間の盾となり!』

「祖国に命を捧げたら!」

『――祖国に命を捧げたら!』

「軍旗に包まれ故郷へ!」

『――軍旗に包まれ故郷へ!』

「永久に伝えよ騎兵魂!」

『――永久に伝えよ騎兵魂!』


 声を張り上げるほどに足並みは揃い、少女たちの表情は精悍さを帯びていく。右肩に預けたランスは確かに重いが、彼女たちの勢いが衰えることはない。事実として、この十日余りで兵士としての自覚、そして技量は急激に伸びていた。深窓の令嬢も、花売りの乙女も、路地裏の不良少女も関係ない――ただ全員が、戦争という一つの目的を果たすための力を身に着けつつあり、自らがそうなっていくことに対してなんの迷いも持たずにいた。

 練兵場を何周か走ったところで、ベアトリクスは首に掛けていたホイッスルを吹き鳴らして少女たちに止まれと命令した。


「××××やめ! よし! 朝のランニングはここまでとする!」


 いつもの半分程度で終わったランニングに、少女たちは不思議そうに首を傾げた。誰一人汗一つかいていない。ベアトリクスは首を傾げる彼女たちを正面から見つめ、真剣な表情で語りかけた。


「諸君には知らせていなかったが、本日の昼から急遽閲兵式を執り行うこととなった。私も聞いたのは昨夜の遅くでな――準備をしている暇もなかった。閲兵といっても王族が来るわけではないから、貴様らはただ行進を見せて、それからお偉方の話を聞いているだけでいい。正直なところ、私も気が進まん。もっとも、上の都合だからどうしようもあるまいが」

「いけませんわよベアト、確かにあのハゲネズミは後ろから撃ち殺してやりたいくらい嫌いですけれど、それでも軍部省の重鎮なのですから、あまり酷いことを言うべきではなくってよ」


 ベアトリクスの隣に立っていたリーアはいつもと変わらない微笑みを浮かべていたが、その言葉は普段にもまして過激だった。何らかの因縁を予感させる物言いに、少女たちは僅かに不安を覚えていた。


「……というわけで、朝の訓練はここまでだ。泥まみれの貴様らを将官や軍部省のお偉方の前に晒すわけにもいかんのでな。その代わり、予定していた別の訓練を前倒しで行う。リーア、例のものは用意してあるか?」

「ええ、もちろんでしてよ。ベアトの頼みですもの、全部新品で要求してありますわ」

「なら結構――というわけで、朝食が終わり次第講堂に集合しろ。そこで、貴様らに新しい装備品を支給する。極めて重要な装備であるから、きっちりと使い方を覚えておけ。貴様らが相手をしてきた中年ハゲの×××の数千倍は繊細に出来ているのでな。では、解散!」


 ベアトリクスの号令とともに、少女たちは食堂へと駆けていく。第七分隊の面々もそれに続き、朝食のトレーを取って普段どおりに席に着いた。


「新しい装備だってよ――次は何をくれるんだろうな」


 ライ麦パンをひと齧りして、カレンは隣に腰掛けていたユイに問いを投げた。ユイは少し悩んでから、すっと人差し指を立ててそれに答えた。


「たぶん、小銃じゃないかな。騎兵用のショートカービン――陸軍の基本装備に入ってたはずだよ。私たちが渡されてた模擬銃と同じサイズの」

「小銃ねえ……」


 それを聞いたカレンは、何か物思いに耽るような表情を一瞬だけ浮かべたが、次の瞬間にはふっと笑って手にしていたパンに齧りつき、対面のオリヴィアに話しかけた。


「ま、どうにか上手く扱えるだろ。そういや、オリヴィアは田舎で猟をやってたんだってな。自信のほどはどうなんだ?」

「ん――まあ、そこそこかな。村にはもっと上手な人もいたけれどね。分隊の足を引っ張らない程度にはできるつもりだよ。そういえば、アイリスは本物の銃って触ったことあるの? 狩りは貴族の仕事って聞いたけれど」


 アイリスは手にしていたスプーンを置いて、まだ城に居た日々のことを思い出した。父と何度か狩りに出かけて、そのときにライフル銃を撃ったことならある――が、十代半ばの彼女にとって、その反動は強烈なものだった。彼女は苦笑を浮かべて顔の前で手を振り、オリヴィアの問に答えた。


「何度か撃ったけど、全然当たらなかったな。森での狩りっていっても、貴族仲間を集めたハイキングみたいなものだよ。どっちかというと、獲物を使った晩餐会のほうが本番って感じ。そっちで政治の話をする前座として、全員で狩りに出かけて親睦を深める……ってわけ」

「へえ……やっぱりお嬢様なんだな、アイリスって」

「そんなことないよ。ただの男爵家で、中央に呼ばれることなんて滅多にないし――王都に来たのも、もう何年ぶりかわからないくらい。貴族って言っても色々だよ」

「それでも、僕たちに比べたらずっとお嬢様さ――っと、誰か来た」


 廊下のほうから聞こえてきた足音を聞いて、少女たちはそちらに視線を向けた。ひどく耳に障る、金属の塊を打ち合わせるような声――誰なのだろうか、と不思議そうに首を傾げる少女たちの中、アイリスただ一人は視線を逸して、食堂の入り口から目を背けた。


「……お嬢?」


 アイリスの表情に影が差したのを察したカレンがそっと右手を伸ばして彼女の肩に触れようとしたその時、音を立てて食堂の扉が開き、口ひげを伸ばした小太りの男が入ってきて、無遠慮な視線と声を少女たちに振り向けた。いかに兵士といえども十代半ばの少女――好色そうな面構えの男に見つめられるのはいい気分ではないらしく、彼女たちは視線を逸した。だが、男はそんなことにお構いなしに食堂の中央に歩み出た。


「――ほう、これが噂の女子騎兵小隊か。思ったよりいい面構えをしている」

「……っ!」


 その声を聞いたアイリスは、密かに表情を引きつらせた。第七分隊が腰掛けていたのは窓際で、入ってきた男からはほとんど見えない場所にアイリスは座っている――が、彼女は苦虫を噛み潰したような表情で、その男から目を背けていた。


「アイリス、何が――」


 流石に何か様子がおかしいと思ったのか、分隊長のエリカがアイリスに声を掛けようとしたその矢先、沈黙を守っていたベアトリクスとリーアがすっと立ち上がり、男の前に進み出て敬礼した。


「ディートリッヒ・フォン・グラウゼヴィッツ伯――ようこそ、おいでくださいました」

「陸軍評議会から様子を見てこいという命令があってね。何しろ陸軍大臣肝いりの幻獣部隊だ、少数の騎兵を機動的に運用し、戦局に電撃的打開をもたらす――陸軍に新たな戦闘教義をもたらすかもしれない部隊だから、しっかりと手綱を握っておきたいのだろうさ」


 グラウゼヴィッツ――その名前を聞いた瞬間、アイリスは手にしていたスプーンを取り落としそうになり、慌ててそれをしっかりと握り直した。数メートル離れたところに立っている男との婚姻から逃れるために、自分はここまで来た。だというのに、何故再びこのような場所で対面せねばならないのか――その理不尽が、彼女の背筋を冷たくさせた。


「しかし随分とお早い到着ですね、伯爵――もう少し待たれても良かったのでは? 陸軍省のお偉方に急かされたのですか?」


 リーアが穏やかな笑みで問いかけると、グラウゼヴィッツはふっと笑って首を振った。


「まあ、そうでもあるな。閲兵ついでに陸軍訓練所の視察も仰せつかっているのでな――誰か、訓練生に案内をさせてはもらえないかね。訓練の合間でいい」

「……それならば、我々が――」


 ベアトリクスが口を挟んだが、グラウゼヴィッツは笑顔のままで首を振った。


「いやいや、忙しい訓練教官の時間をとるわけにはいかんよ――それに、私は訓練に励む兵士の生の声を聞きたいのだ。どのような思いを持ってここで訓練を重ねているのか、それを確かめたくて来たのだから」


 そう言って、グラウゼヴィッツは辺りを無遠慮に見回していたが、その視線がまるで自分を探しているかのように感じたアイリスは、緊張に表情を引きつらせて顔を背けた。呼吸が浅くなり、口から内臓が反転して飛び出しそうになる。どうか見つかりませんように――そう彼女が祈っていると、近くに腰掛けていたエリカがすっと立ち上がり、グラウゼヴィッツの前に進み出た。


「……君は?」

「エリカ・シュミット訓練生です」


 エリカはそう言って、ベアトリクスとリーアに目配せした。二人が小さく頷くと、エリカはしゃんと背筋を伸ばして言葉を続けた。


「案内が必要でしたら、自分が引き受けます。昼休みの間だけですが、お供致します」

「なに、一人だけでやれとは言わんよ。せっかくの機会だ、誰か同期と一緒に来てもいい。もう一人、誰か――」


 そう言ってグラウゼヴィッツは視線を巡らせたが、すぐさまベアトリクスが口を挟んだ。


「シュミットはこの小隊でも最上級の実力者です。一人でも問題ないでしょう。やってくれるか、インテリ?」

「――マム・イエス・マム!」


 エリカが背筋を伸ばして返事をすると、グラウゼヴィッツは仕方ない、といった表情で首を振り、彼女に視線を向けた。


「……まあ、よい。では頼むよ、シュミット訓練生」


 そう言い残して、グラウゼヴィッツは踵を返して立ち去っていった。様子をひっそりと見ていたアイリスは大きく息を吐き、暫し目を閉じて安堵の表情を浮かべた。やがてエリカが彼女のもとに戻ってきて、机に突っ伏しているアイリスに話しかけた。


「アイリス――何があったの。たぶんあの男は、貴女を探してた」

「……」


 話しにくい内容ではある。だが、ここで言っておかなければ後々問題があると考えた彼女は、真実を語ることを決めた。


「あの人は……私に縁談を持ちかけてきたんだ。それから逃れるために、私はユニコーン隊に入ることにした――」


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