第26話 研ぎ澄まされた切っ先
騎兵という兵科が誕生して以来、槍は長らく戦場の主役であり続けた。圧倒的な機動力による突進に、歩兵をアウトレンジから一方的に攻撃するリーチは、敵にとっては恐怖の代名詞であると共に、騎兵の到来を待ちわびる味方からは、その輝きは何より信頼に足るものであり続け、それは騎士という特権的戦士階級の象徴でもあった。
ヴェーザー王国において小銃が急速な発展を遂げ、大量生産されたマスケットにより武装した一般市民からの徴兵によって構成された国民軍が構成されるとともに少数の英雄的な騎士で構成された騎士団は姿を消しつつあり、その名残を各地方の諸侯が所管する諸侯軍に留めるばかりになった今でも、騎兵の役目が完全に失われたわけではない。
ピストルやカービンといった小型の銃器と、古式ゆかしき騎兵槍の療法を携えて騎兵は戦場に切り込み、マスケットで武装した戦列歩兵の一斉射撃で崩れた敵陣を一挙に断裂せしめる。
その威力は古来と変わらず強烈であり、歩兵が携行する精度の低いマスケット銃で突撃態勢に入った騎兵に対しての有効な射撃は困難である。騎兵部隊に所属するのは、その多くが専門的な訓練を国軍において受けた軍人、あるいは特権的階級に生まれた根っからの騎士であるのに対して、一般市民から徴兵された戦列歩兵は多くの場合、戦闘以外の技能習得を削ぎ落とした短期間の訓練――小銃の操作と射撃、そして隊列を形成しての前進のみを教え込まれた者が多い。
そのような兵士による射撃が騎兵に対して確実な命中を期するかと言えば、答えは否である。馬体による強烈な突進、それと同時に突き出される鋭い槍の一閃を前に士気を保ち続け応戦することは単に徴兵された者には極めて困難であり、仮に発泡を遂げたとしても多くの場合その一射は的を外し、次の瞬間には槍によって刺し貫かれる、あるいは蹄の蹂躙を受けて大地に叩き伏せられる。
小銃で武装した国民軍が形成されるに至りはしたが、騎兵は未だ死なず、槍もまた死んでいない。その意味合いにおいて、陸軍女子騎兵学校の訓練生――四十八人の少女が、騎兵の象徴たる槍を受け取ることには大きな意味合いがあった。
教官であるベアトリクスとリーアの手から槍を手渡された少女たちは、切っ先に被せられた革製のカバーをそっと外し、その鋭さと輝きをじっと見つめていた。一本一本全てが軍の抱える職人たちの手によって作り出されたもので、身の丈を超える長さと、これまで扱ってきた武器――着剣した模擬銃を遥かに上回る重さは、十代半ばの少女たちの手には余るものであった。
だが、その表情は明るかった。これまで訓練を重ね、激しい罵倒と暴力に耐えて歩み続けた彼女たちにとって、自らに槍が与えられたことは大きな喜びであった。自らが本物の兵士の入り口に立った――その事実を、彼女らは嬉しく感じていた。
無論、これは教官たちの策のうちである。暴力と罵倒を伴う過酷な訓練によってもとの人格――戦争からは程遠い、ごく当たり前の日常を生きてきた少女たちの人格を剥ぎ取り、徹底的にそれを否定すると共に「完成された兵士になることで、自らの人間性が回復される」と教え込む。
最初こそ違和感や反発を覚えるであろうが、訓練を続けるうちに自ら兵士となることを望み始め「一人前の兵士に近づいた」という証を与えられることによって、戦争という国家目標に最適化されることを自ら望むようになるとともに、兵士の証を誇りとする新たな人格が生まれ出る。洗脳に限りなく近い教育法であるが、優秀で果敢な兵士を育てるという大目標を達成するにおいて、過去人類が試行錯誤してきた中では限りなく完璧に近いものでもあった。
それは第七分隊の少女たちも例外ではない。自らに与えられた槍を手に、アイリスは感慨深げにそれを見つめていた。騎士団でも同じような武器は使っている――だが、閲兵や儀仗などで自分の周りを固めている騎士たちが手にしている槍のように、精緻な彫刻が施されているわけではない。
丁寧に彫り込まれた龍や戦乙女の紋章はそこにはなく、ただ武骨な蒼い輝きだけがアイリスの目の前にある。だが、彼女はそれを美しいと感じていた。徹底的に無駄を削ぎ落とし、国防というただ一つの目的に寄与することのみを突き詰めたその存在に、彼女はある種のシンパシーを覚えていた。
敵に抗い祖国を護るために鍛え上げられた刃――何も語らず、ただその場で輝きを放つ鋼鉄の武器は、彼女にとって自らの在り方を定める一つの指標であった。それはアイリスばかりではない。戦うために生まれた武器を手に、戦うために育てられた者が征く――少女たちはそれぞれ、手渡された槍の鋭さを見上げながら、自らを兵士であると定義づけていた。
その様子を見てベアトリクスは満足げに頷き、静かに一歩踏み出して少女たちを見つめ、訓練の際に放たれる罵倒とは打って変わって、穏やかな――だが、普段どおり卑語を交えた口調で彼女たちに語りかけた。
「……よし。全員、お気に入りの××××の形はしっかり覚えたな? 今夜から貴様らアバズレ共が取れる客はそれだけだ」
『……!』
「だが、鋼鉄の××××はお楽しみ用ではない――行き場のない思春期を煮詰めた貴様らがベッドの下に隠している実寸台の×××とは違って、こいつは正真正銘、敵を殺すための道具だ。刺されば膜が破れる程度では済まん。それを熟知した上で、今後は槍を扱え」
『マム・イエス・マム!』
凛とした声の返事が響く。以前より張りのある声を聞きながら、ベアトリクスは近くに置いていた自分の槍を手に取った。丁寧に手入れされているが、そこかしこには刃を受け止めた傷が残り、その先端は研ぎ直され、本来のものよりも少しばかり短くなっている。その様子を見た少女たちの表情に、僅かな緊張が走る。槍の穂先を研ぎ直したという事実――それは、実戦においてベアトリクスがこれを振るったということを明らかに示していた。
ヴェーザー王国仮想敵国であり、山脈を挟んで向かい合うアルタヴァ共和国とは、王政を打倒したクーデター――共和主義者が言うところの「革命戦争」に介入した二十年前に刃を交えて以来、公式には戦闘が起きていないことになっている。
だが、国境付近ではアルタヴァ共和国から越境してくるゲリラの存在が確認されており、ヴェーザー王国の国内でもアルタヴァの共和主義者と接触し、王政を打倒しようと試みる反乱分子の存在は時々確認され、その一部は正規軍に準じる強力な兵器――アルタヴァ共和国軍から提供された旧式の小銃や爆弾といったもので武装している。槍に刻まれた傷跡は、そうした過激派との戦いをベアトリクスが生き抜いてきたことを示すものだった。
少女たちの表情が変わったのを見て、ベアトリクスはにやりと笑って槍を掲げ、一人ひとりの顔をしっかりと見つめて口を開いた。
「槍の傷の意味が分かるようになったか――上々だ。では、全員槍を構えてみろ。特に指導はせん、自分が正しいと思うやり方で構えてみるがいい」
その言葉に従い、少女たちはこれまで扱ってきた銃剣に近い姿勢で槍を水平に構えた。だが、鋭く研ぎ澄まされた騎兵槍の重量は、模擬銃を遥かに上回るものだった。その場の全員が槍を構えようとしてバランスを崩す。普段は何事にも動じないエリカや、腕っぷしに自信のあるオリヴィア、テレサの二人でさえ、その重量に戸惑いを隠せないでいた。
「っ……!」
槍を取り落としそうになったアイリスは、咄嗟に腕を畳んで両脇を締めた。とても腕を伸ばしたまま持っていられない。ベアトリクスの隣に立っていたリーアは、腕が攣りそうになった少女たちを眺めながら笑みを浮かべ、持っていた木の棒を振るって手近な訓練生の膝の裏を突然叩いた。
即座に訓練生はその場にひっくり返って槍を取り落とし、唖然とした表情でリーアを見上げたが、リーアが笑顔のまま棒で地面を強く叩くと即座に起き上がった。起き上がらなければ、次に叩かれるのは地面ではなく顔面である――数日ではあるが、少女たちは確実に恐怖と痛みから学んでいた。訓練生が起き上がると、リーアはにっこりと笑って全員に語りかけた。
「先程地べたにすっ転んだウジ虫さんを見れば分かりますように、槍を立って構えるのはとてもむずかしいことですわ。どれくらい難しいかと言うと……そうですわね、初めて×××をしゃぶって、殿方を満足させるくらい難しいですわ。貴女たちウジ虫さんでは、そう簡単にできることではないでしょう」
リーアはそこで一旦言葉を切り、全員の顔をしっかりと見据えた上で、何かを期待するかのような、それでいてどこか真剣な表情で、手元に置かれていた槍――これもベアトリクスのものと同じく、そこかしこに刃の傷を残したものを手に取ると、少女たちに向かって新たな訓練の始まりを告げた。
「ですが、揺れる馬上で槍を構え続けるのは、地上で槍を構えるより遥かに難しいことですわ。今日からみなさんには、新しい訓練――槍を構えたまま、これまでより速く、長く走ってもらいますわ。よろしいですわね?」
答えは、既に決まっていた。もとより、この場には拒否の言葉はないのである。
『――マム・イエス・マム!』




