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第25話 騎兵槍

 訓練施設での戦闘訓練が始まって五日――少女たちの肉体を極限まで追い込んだ山岳訓練の三日後には、負傷した第三分隊の隊員たちは訓練へと復帰していた。彼女らの腕や足には包帯すら見られず、これまでと何の変わりもないかのように早朝のランニングに加わっていた。

 その様子を見た第七分隊の面々は、驚きに目を見開いた。軍医局には極めて特殊な技能――魔法を行使して負傷を回復させる力を持つ治癒術士が、特務医官として複数在籍している。彼らの多くは通常の軍医では手のつけられない重傷者――銃撃による負傷や、刀剣による致命的な傷に対して投入され、最前線において命を繋ぎ留める役割を負う。

 ヴェーザー王国、あるいはその隣国である諸国家において、魔法は極めて特殊な技能として認知されているが、その中でも治癒術士は極めて稀な存在であり、多くが諸侯の擁する騎士団を始めとした軍事組織、あるいは国軍の管理下に置かれている。その中でも国軍所属の医官の技量は卓絶しており、足の軽度な骨折や捻挫程度であれば、僅かな時間で完治させることが可能なまでのものであった。

 全員が無事にランニングを終えたことを確認すると、ベアトリクスは訓練生たちの前に進み出て第三分隊の完全な訓練復帰を宣言するとともに、隣に居たリーアと一瞬だけ視線を交わして、朝食後に講堂へと集合するように少女たちに告げ、それから解散を命じた。


「……何かな? 普段なら朝食後は軍事学の講義だけど」


 不思議に思ったアイリスがカレンに問いを投げたが、カレンは静かに首を振り、どこか羨ましそうな視線をアイリスとエリカに向けて口を開いた。


「アタシが知るわけねェだろ……新しい教科書か何か配られるんだろ? ったく、一日にあんなに文字を読んだり書いたりしてたら、耳から脳ミソが飛び出て死んじまうぜ? お嬢もインテリもよくやるぜ、まったく……」

「貴女が不勉強過ぎるだけよ、カレン。私たちの分隊じゃなかったら、貴女はもっと苦労していたわよ?」


 ふっと笑みを浮かべてエリカが返すと、カレンはぽんとエリカの背中を叩いた。


「言ってろ、インテリ――でもま、テメェらには感謝してるぜ? 落第して軍隊から放り出されたら、家族を食わせていく方法が失くなっちまう。ストリートの暮らしも懐かしいが、まともなメシを毎日食えて、家族に仕送りだってできるんだ――やめられるもんかよ」


 そう語るカレンの表情は、どこか清々しいものだった。訓練生といえども多少ばかりの給金が国軍から支給されている。酒保で購入した日用品などの代金支払いに当てることも可能ではあり、卒業時に一括で渡される事となっているが、カレンはそのほとんどを家族への振込に割り当てていた。


(そうか、カレンは……)


 アイリスはカレンの横顔を見つめ、彼女の生い立ちに思いを馳せた。はっきりと聞いたわけではないが、彼女は王国の中でも貧困者が多い地域の出身者であった。貴族の領地に属さず、王家からも特別の信任を得た商業ギルド連合が統括する商業都市――表向きは華やかであるが、一皮剥けば商業主義の犠牲が下町にひしめく混沌の町である。


(あの格闘技もたぶん、自分や家族の身を護るためのものだ)


 訓練において、アイリスはカレンが身につけていた戦闘技能――特に彼女が自在に繰り出す格闘術の数々を目の当たりにしている。体重移動により自分の腕力以上の打撃を対象に加えて目標を撃砕する痛烈な拳打と、自らの動きを相手に読ませない独特の歩法――それらは純粋な軍隊の技術ではなく、路地裏や屋内といった閉所で振るう技の応用であるかのようにアイリスの目には映った。

 アイリスとて素人というわけでなく、護身剣術の中で短剣を絡めた取っ組み合いのテクニックは最低限身に着けている。彼女の目にも、カレンの繰り出す技は明らかに実戦を意識したもの――それも、教科書通りの訓練で身につけたものではなく、何度も戦いの中に身を投じていくなかで磨き抜いたものであるかのように見えた。

 自らの繰り出す技に対する自信が、はっきりと動きの中に見出だせる――だが、彼女は敢えてカレンにその技術について問うことはしなかった。間違いなく彼女の暗い過去を掘り返すことになるだろうことは容易に想像がつく。

 対人訓練において振るう技の一つひとつは鮮やかかつ強烈で、容易く人の命を刈り取るだろう重さを備えていた。藁人形を一撃で叩き潰し、打撃練習用の分厚い防具越しにも凄まじい圧力を感じるほどの技を身につけて実際に振るえば、撃ち込まれた人間はたちどころに絶命するか、瀕死の重傷を負うであろうことは間違いない。

 治安の悪い場所で育ったカレンがそのような技術を身に着けているのはある種当然と言えたが、それに対して深く踏み込めば彼女の過去を抉り出すことにもつながる――そう思ったアイリスは、それ以上カレンの生い立ちに対して踏み込もうとはしなかったし、家族のために軍に入った彼女を批判することもなかった。それを言うのであれば、自分自身も異に沿わない結婚から逃れるために軍に入隊してきたのであるから、故郷の家族を養うために軍に来たカレンと比べれば、動機としてはあまりにも不純と言って差し支えない。

 そのまま三人は並んで歩き、いつものように食堂の席に着いた。普段と変わらない朝食――最初は馴染みが薄かったライ麦パンでさえ、それが当たり前になりつつあることに彼女は驚いていた。初めて食べたときはその硬さと酸味が受け付けないものであったが、もはや彼女の感覚は軍隊の朝食に慣れきって、それを特段まずいものとも感じなくなっていた。

 訓練生の朝食時間に余計なお喋りはない。刑務所のように雑談をしてはいけないという規則があるわけでもなく、ところどころで話し声が聞こえてはいたが、各員の注目は栄養補給に向いており、誰かと話している暇があれば、パンを腹に詰め込むほうが遥かに優先されるというそれだけのことであった。

 アイリスが手元の器からスープを飲み干して一息つき、ふと辺りを見回したそのとき、数名の兵士――車輪をあしらった襟元の徽章を見るに、陸軍輸送部門と思われる者たちが数名、連れ立って食堂に入ってきたかと思うと、第七分隊の座っている席に近づいてきた。

 それを見たエリカはフォークを置いて口元を拭い、しゃんと背筋を伸ばして起立しようとしたが、近づいてきた兵士はそれを押し留めてエリカに問いを投げた。


「朝食中に失礼。君たちの教官は、どちらへ?」

「向こうの端ですが……」

「ありがとう――なに、ちょっとした用事だ」


 そう言い残して、兵士はベアトリクスとリーアのもとへと歩いていった。何の理由でここに来たのか問うことはせず、エリカは再びフォークを取ってサラダを口に運んだ。ある程度の予想はつく――恐らくは訓練用装備の搬入か何かであろうが、特段関心を寄せることはない。自分たちに何らかの関わりがあることならば、教官の口から聞けばそれでよい――彼女はそう判断して、噂話を始めようともせず淡々と食事に戻った。他の者たちもまた同様で、一言交わしただけの輸送部門の兵員よりも、目の前の一切れのパンのほうに意識が向いていた。






 朝食後、少女たちは指示通りに大講堂へと集まっていた。騎兵学校の校舎に設置された講堂より遥かに立派で広々とした講堂の壇上の隅には、背丈を上回るほどの長さの箱が積み重ねられているのが見える。それが何なのかを彼女らはうかがい知ることはできない――だが、見慣れない大量の箱を前に、彼女たちは今までと違ったものを心のどこかに感じていた。壇上にはベアトリクスとリーアが立ち、真剣な眼差しを全員に向けていた。

 全員が席に着いたことを確かめると、ベアトリクスは一歩前に踏み出し、一人ひとりの顔を見つめてから口を開いた。


「――訓練生諸君。入隊して今日で二十五日、訓練施設での戦闘訓練を開始して五日が経過し、それぞれが何らかの成長を遂げたであろうことを、私は一人の訓練教官として喜ばしく思う。今日この場所にて貴様らを呼び集めたのは、一人ひとりがウジ虫を脱却し、真の騎兵となることへの思いを確かめ、その覚悟を確かなものとする証を手渡すためである――全員、壇上を見ろ。そこに箱が積んであるだろう」


 その言葉に従い、少女たちは一斉に視線を壇上へと向け、そこに山と積まれた箱を見つめた。ベアトリクスはその中の一つを大切そうに抱えあげると、丁寧な手付きでその蓋を開け、中身を少女たちに見せた。アイリスはそれを見た途端、朝食中に話しかけてきた兵士の目的をすぐさま理解した。


「――これが、貴様らが騎兵として戦う証だ」


 箱に収められていたのは、鈍色の輝きを放つ一振りの騎兵槍だった。表面には傷ひとつなく、見事に鍛えられた鋼が放つ蒼い輝きに少女たちは魅入られていた。ベアトリクスはそっと箱に蓋をして、その場にいる少女たちに呼びかけた。


「国家に生涯を捧げ、忠道を貫かんとする者は――この場にて手を掲げて応じよ!」


 ――その場において、誰一人迷うものはいなかった。

 全員が一斉に右手を掲げ、己の胸に抱いた理想をその場に示すと、ベアトリクスは破顔して彼女らを手招きした。


「実に結構――これから順番に呼んでやる、一人ずつ自分の槍を取りに来い! 今夜から貴様たちが楽しめる××××はこれだけだ、名前もつけて可愛がってやれ!」


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