第20話 六つの刃
朝食前のランニング、そして朝から行われた騎兵部隊の運用に関する座学の後、少女たちは模擬銃を手に練兵場に六人一組で集合していた。アイリスの属する第七分隊は、その中でも特に目立つ集団だった。早朝のランニングでトップの座を勝ち取ったことだけが理由ではない――平均して高い能力が、彼女たちを一際目立たせていた。
全ての分野において優れた成績を残し、流れで分隊長に選ばれたエリカはもちろんのこと、大工と木こりの家に生まれ、日常の中で鍛え上げられてきたが故の高い身体能力を持つ二人――テレサとオリヴィアが部隊に粘り強さを与え、格闘術において高いセンスを示すカレンが切り込み隊長としての役目を果たし、深い知識と判断力を持ったアイリスとユイの二人が戦術的バックアップを行う――バランスが良いわけではないが、長所を伸ばして戦うチームであった。
万能に近い実力を持っているのはエリカただ一人であり、その他の五人にはそれぞれ不得手な部分がある。テレサとカレンには相当の腕っぷしと度胸があるが、戦術的判断は全くもって苦手であり、ユイは他の五人と比べると体力面では大きく劣り、訓練生全体でも最底である――しかし、軍医の父から薫陶を受けた医術に関する知識と、優れた頭脳による判断力ではエリカすら凌駕する。
アイリスは白兵戦技能に優れていることと、戦史に関する造詣の深さから戦術的判断にも優れた素養を持つが、単純な持久力ではユイの次に低く、貴族の出自故、劣悪な環境での長時間の生存にも今ひとつ向いていない。木こりの娘であるオリヴィアは、それなりの身体能力と貴重な山岳戦技能の素養を持つが、山育ちの弊害か、戦術判断能力はテレサやカレンをさらに下回り、アイリスのような歴史に関する素養は皆無である。
一人ひとりの能力は極めて歪である。しかし、部隊を編成したベアトリクスとリーアは、第七分隊の持つ可能性について大きな期待を抱いていた。部隊の編成については、それなりに各個人の能力を計算に入れて、周りとある程度の調和が取れるように――飛び抜けた力を持つ者が部隊の方向性を決めてしまわないように留意しているし、入隊試験時に訓練生を選抜した段階で、ある程度は能力の平均化を図っている。
だが、その枠に収まらない六人――アイリス、エリカ、カレン、テレサ、オリヴィア、ユイだけはまた別物だった。自らの得意分野に関しては圧倒的な力でクリアし、そうでないものについては不合格寸前という彼女たちの特性は、兵力の均質性を求める軍隊においては一種の異物に近い。
平均してどの分野でも実力を発揮できることこそが円滑な作戦遂行においては求められる――だが、訓練生の選抜に直接関与したベアトリクス、また彼女に部隊編成の実務を担うように命じた将校たちは、それだけでは不服であると感じていた。
戦闘の基本単位は三人組の「槍仲間」を二つ合わせた一個騎兵分隊を最小とし、合計四十八名の一個小隊によって戦闘状況での運用がなされることとなっている。その中で、小隊指揮官にあたる少尉あるいは准尉、そうでなければ下士官の直属部隊となって行動し、少数での奇襲攻撃や先行偵察といった特殊作戦を実行する部隊をユニコーン騎兵隊は設立時点から求めていた。
高位の幻獣であり、あらゆる魔法を受け付けない加護と、並の軍馬を凌駕する機動力を誇るユニコーンをごく少数戦場に投入することが部隊設立当初の理念であり、その切っ先となるのは「平均的な能力を持った何でも屋」ではなく「それぞれに尖った能力を持ち、特定分野において圧倒的な技能を持つ」部隊であるとの確信が、関係者全てに共有されていた。
特定分野に優れた能力を持つ兵士を集めて一点突破を図り、その部隊による攻撃を橋頭堡としてその他の「ごく平均的な」部隊が続いて攻撃を行う――ある種の特殊部隊に近い役割を負わされたのが、アイリスたち第七分隊だった。
不得意な部分は訓練によって並のレベルまで伸ばし、他の優秀な者たちには及ばずとも、戦場で生き残ることが可能な程度にまで引き伸ばせばいい――そうした思惑のもとで結成された第七分隊は、当初からスペシャリストとなることを望まれた部隊であり、一人たりとも途中で落伍することを許されない集団でもあった。だが、少女たちはそれをまだ知らない。第七小隊の面々は手に模擬銃を取り、ベアトリクスとリーアの指示を待った。
「早朝からの訓練、ご苦労であった――腹が膨れて体が温まったところで、貴様らには新たな訓練を行ってもらうこととする。各員、東の方角を向いてみろ」
ベアトリクスの指示のもと、全ての訓練生が東にそびえる山に視線を向けた。訓練された兵士にコンパスや時計は必ずしも必要ではなく、太陽の角度から概ねの方角と時刻を割り出すことが十分に可能であり、彼女らもそうした技能を徹底的に叩き込まれていた。
休日も何もなく、優れた兵士となるための教練は土曜も日曜も続けられ、入隊から二十日余りという短い期間でありながら、少女たちは既に兵士として最低限の知識を身に着けつつあった。
もちろん、刀槍を用いた白兵戦の実戦的技術や、マスケット銃の取扱い、あるいは騎馬砲兵として戦闘を行う上で必須となる砲術訓練といった即座に戦闘に応用できる訓練はまだ施されていない。ただ、そうした戦闘技術を手にする直前の段階に彼女たちはあった。
これからしばらくの間、本物の銃剣による刺突訓練を繰り返すことで武器への抵抗感を徐々に小さくしていき、いずれは各自に基礎訓練課程を修了した証であり、騎兵の象徴である騎兵槍が与えられ、それを手に訓練に励み、戦場へと赴く。
全員が東の山を向くと、ベアトリクスは彼女たちの前で手にした棒を使ってその方角を指して訓練生一人ひとりをしっかりと見つめて言葉を続けた。
「本日午前の訓練では、貴様ら全員であの山を登ってもらう。その気になれば、花売りの女がバスケット片手に登り、上で客を取って一閃交えて裸で戻って来られる程度には簡単だ。ただし、仲良しこよしの登山というわけではない――全員、それぞれ別のポイントから出発してもらう。最も早く、なおかつ全員が確実に頂上に到達出来た分隊の勝利だ」
『……!』
少女たちの表情が途端に引き締まる。苛烈な訓練はただ彼女らの肉体と精神を追い込むためだけのものではなく、内側に眠る闘争心を呼び起こすものでもある。罵声を浴び、殴りつけられ、銃剣を振るう――その訓練は、戦闘という行為に対する抵抗感を低くし、なおかつ同じ部隊の仲間にも負けたくないという競争心を激しく喚起するものだった。
「第一分隊から第八分隊まで全員が登頂に成功した時点で訓練を終了とする――が、もちろんタダで登らせてやるつもりはない。私とリーアの二人で、貴様らウジ虫共が山に登ってくるのを徹底的に阻止するつもりでいる。捕まった時点で最初のスタート地点へと戻し、そこから再び登頂しろ」
楽に終わらせてやるつもりはないといった表情を浮かべて、ベアトリクスは手にしていた棒でどんと地面を叩いた。その隣に立っていたリーアは、昨日と同じように微笑みを浮かべたまま、それぞれの分隊長へ地図を配布していく。第七分隊を指揮するエリカにも地図が渡され、分隊員たちはそれぞれの部隊が向かうべき最初のスタート地点と、簡単ながら地形図が記された地図を確認した。それを見て、リーアはマチェットナイフの鞘を人差し指で叩きながら訓練生に微笑みかけた。
「忌々しいウジ虫の皆さん、ごきげんよう。今日も醜くて殴り甲斐のあるゲロブス面を晒してくれて嬉しいですわ。今回の訓練内容は貴女がたウジ虫軍団の中で、どの群れが一番早く這いずることができるか競争するものですわ。わたくしたちも精一杯追撃して、ウジ虫さんたちをクソの山から引き摺り出して差し上げますわ」
訓練生一人ひとりを舐め回すように見つめながら、リーアはマチェットナイフの柄にそっと指を這わせた。殴られ、蹴られ、場合によっては首を絞められたこともある。それは昨日の銃剣訓練で嫌という程実感したことだ。だが、斬られることまではない――そう分かっていても、少女たちは背中に伝う冷や汗を止められなかった。
丁寧な貴族の言葉づかいから繰り出される、訓練教官特有の罵詈雑言の数々――それらのミスマッチが恐怖心を掻き立て、万が一捕まった場合にどのような目に遭わされるのかを想像するだけで頭が痛くなるほどであった。それを分かった上でそう振る舞っているのか、あるいは本物のサディストなのか――その答えは、笑顔という仮面の裏側に張り付いたままである。
全員のもとに地図が渡ったことを確かめると、ベアトリクスは手にしていた棒で地面を強く叩いて訓練生たちに命令を下した。
「では、これより各自地図に従い、最初の集合地点まで行軍しろ。幸いにもすぐ近くだ、それほど時間はかかるまい。私たちは先回りして、貴様らウジ虫共を叩き潰す準備を整えておく――状況、開始!」
『――マム・イエス・マム!』
少女たちは一斉に唱和し、それぞれの分隊に分かれて目的地へと向かう。ベアトリクスとリーアの二人は彼女らに先んじて駆け足で山の方角へと向かい、一瞬のうちに訓練生たちの視界から姿を消した。アイリスたち第七分隊も素早くアイコンタクトを交わし、隊長であるエリカを先頭に立てて歩き始める。
「……初めての共同作業、ってやつだな。みんな、気合い入れて行こう」
分隊結成前の槍仲間でリーダーを務めていたテレサは、全員の背中をぽんと軽く叩いてエリカの隣に立った。雰囲気は上々――何の問題もなく目的を完遂できるように思えたし、その時点では確かに何ら問題のない、ごくありふれた訓練であると少女たちは思っていた。あらゆる事態に備え、持ち前の知識と判断力で状況を見通す隊長のエリカでさえ、山岳順応のための導入訓練であると捉えていた。
時刻は午前九時――空の彼方から接近しつつある不気味な黒雲に気づく者は、実に不幸なことにその時点では誰も存在しなかった。




