第19話 新たな仲間たち
軍隊の朝というものは、基本的にラッパから始まる。それは古今東西あらゆる軍隊において通じることであり、立て続けに吹き鳴らされるラッパは、兵士たちに朝を告げる雄鶏の役目を果たすとともに、苦役と危険に満ちた一日の始まりを予告するものである。
それはユニコーン騎士を目指す少女たちにとっても同じことで、早朝五時という時刻にも関わらず、彼女たちは無理矢理に心地よい微睡みから引き摺りだされることとなった。入隊して二十日以上が経ったことで早朝の起床にも慣れつつあったが、全身を打ちのめす凄まじい訓練は、全ての訓練生から等しく立ち上がる力を奪っていた。
「痛ェ……クソ、あの女蛮族、まるで人を楽器みたいにポコポコ叩きやがって……」
怨嗟に満ちた声を上げながら、ベッドに寝転がっていたカレンが起き上がる。周りでは既に数名の少女たちがベッドから身を起こしており、ベッドメイクにかかっていた。一足先にベッドメイクを終わらせていたアイリスは手伝おうと手を伸ばしたが、肩口に走った鈍い痛みに顔をしかめ、ベッドの支柱に手をついた。カレンは苦笑を浮かべ、アイリスの背中をぽんと叩いた。
「そっちも派手にやられたな、お嬢」
「訓練に差し障るくらい殴るって、どうかと思う……」
「大丈夫だ、アタシ一人でも何とかできるからさ。時間には余裕があるんだ、このくらい――」
そう言ってカレンはベッドメイクを始めたが、蓄積した疲労と体に残る痛みで普段のように手早くはいかない。元よりベッドメイクがそれほど得意でない彼女が四苦八苦していると、横合いから伸びた手がそっとシーツを掴んだ。
決して太くはないが、しなやかで筋肉質、そして浅黒く日焼けした腕が視界に入り、カレンは顔を上げた。その視線の先には、昨夜のブリーフィングで分隊を結成することになったオリヴィアの姿があった。オリヴィアはにっかりと白い歯を見せて、カレンに笑いかけた。
「貸しなよ、カレン――僕と二人でやろう。僕もこういうの苦手だから、一人で自分のだけをやるより、二人で二人分をやったほうが早く終わるはずだ。同じ分隊の仲間なんだし、こういうときこそ協力し合おうよ」
カレンは暫しの間、少し驚いたような表情を浮かべてオリヴィアを見つめていたが、やがてふっと表情を緩めて、オリヴィアと二人でベッドメイクにかかっていく。一人で四苦八苦していたときとは雲泥の差で作業が進み、僅か数十秒のうちに、ぴんと張ったシーツがそこにあった。それを見たオリヴィアは、ぽんと両手を叩いてカレンにウインクした。
「ほらね? それじゃ、僕のを――」
「その必要はないぜ、もう終わった。そっちのエリート二人組がやってくれた」
やろう、とオリヴィアが言いかけたところで、三人組の中でリーダーを務めていたテレサが声を掛けて、オリヴィアのベッドを指さした。そこには、一足先にベッドメイクを終えたらしいエリカとユイの姿があり、オリヴィアのベッドに丁寧にシーツを張っていた。エリカはオリヴィアに視線を向けて一度小さく頷き、ユイは穏やかな笑みを浮かべて彼女に声をかけた。
「同じ部隊の仲間だもの。協力しあわないと、ね? いつもそうしてきたでしょ?」
「……そうだった。助けられっぱなしだな、僕は。ありがとう、ユイ――それと、エリカも」
オリヴィアが親指を立てて笑みを浮かべると、ユイは丁寧に腰を折って一礼し、エリカもすっと右手を上げて応えた。その様子を見ていたアイリスとカレンは、どこか不思議な安堵感を覚えていた。カレンはベッドの縁に腰掛けていたアイリスの隣に腰を下ろすと、エリカを見つめて快活に笑った。
「インテリも随分と丸くなりやがったな――そう思うだろ、お嬢」
「うん。やっと、本当の仲間になれた気がする。これから先も、きっと大丈夫」
「だよな――よし、行こうぜ」
同じ分隊の全員がベッドメイクを終えたことを確かめて、アイリスとカレンは立ち上がった。時刻は五時三十分――四十五分から始まる早朝ランニングに備えて少女たちは野戦服を着込み、最後に戦闘帽を丁寧に被ると、唯一私物として持ち込みを許可されていた手鏡を使って身だしなみを整えた。
少女たちの顔には華やかな化粧の一つもなく、明日への希望を映していた瞳は、武器を手にして戦う戦意のぎらつきに塗りつぶされつつある。彼女たち自身は気付いていないが、既に年頃の少女らしさは消え去りつつあった。
陸軍訓練生となってちょうど三週間――激しい罵倒と苛烈な暴力を叩き込まれるうちに、彼女たちの常識は変質しつつあった。流行を追いかけ、恋を夢見て生きてきた十五歳の心は半ば消えかかり、戦争という不条理に満ちた世界に飛び込むことに備え、刃のように己の闘争心を研ぎ澄ますことのみを求める兵士の心が芽生えつつあった。
一人ひとりが軍という巨大な構造物の部品となり、祖国の敵を鏖殺する戦闘機械として駆動する――彼女たちはまだその段階には至っていないが、いずれは生まれてきた瞬間からそうであったかのように振る舞うようになるべく教育されている。
陸軍騎兵学校における教育は、単純な思考と記憶ではなく、精神そのものに対して痛みとともに兵士の本義を刻み込むものであり、訓練過程を終えた時点で新兵一人ひとりが一騎当千の王国騎兵となるように緻密に教程が組み上げられている。そこで行われる精神鍛錬は半ば洗脳に近い性質を持つが、それは戦争という極限状態において平静を保てる兵士を育てるために必要な方法だった。
それに自ら気づく者はそう多くはない――だが、自らで気づかずとも、結果として少女たちは兵士に近づきつつあった。小銃を装備した歩兵が戦場の主役となってからも、騎兵は戦闘の最終局面を決する存在であり、未だに戦術的価値を保ち、国家の振り上げる刃の切っ先として鋭く研ぎ澄まされている。作戦行動の最前衛に立つ者であるならば、いかなる条件にも冷静さを保ったまま対応しなければならない。
少女たちは無言のままで廊下を歩き、練兵場に整列して直立不動の姿勢で教官がやってくるのを待った。一言の喋り声も聞こえない、一種不気味な空間ではあった。しかし、それを不自然とも思わない程度にまで、彼女らは軍隊という組織に馴染んでいた。不必要な言葉を発することはなく、ただ命令に従って戦い抜く――兵士のあるべき姿に、着実に近づきつつある。
しばらくして二人の教官――ベアトリクスとリーアが姿を現すと、少女たちは一斉に背筋を伸ばして敬礼した。入隊以来叩き込まれてきた基本動作は既に全身に染み付き、半ば条件反射のように彼女らの体は動く。ベアトリクスとリーアが答礼すると、彼女らは再び直立不動の姿勢に戻った。
ベアトリクスは一度頷き、その場に居た少女たちに点呼を掛けた。一人ひとりが自分に割り当てられた番号で返事をし、最後の四十八番が全員揃っていることを告げると、それで朝の点呼は終了し、ベアトリクスは彼女らをざっと見回して呼びかけた。
「おはようアバズレ諸君。新たな分隊の仲間との淫靡な夜は楽しかっただろうが、腰を痛めたバカには後で特別マッサージをくれてやる。骨盤が砕けて男に乗れなくなるまで施術してやるから、楽しみにしておけ――では、今日も貴様らウジ虫共を便所バエのサナギに変えるための訓練を施していこう。まずは昨夜説明した通り、分隊ごとに分かれろ」
その言葉に、リーダーを任されていたエリカはテレサと視線を交わして頷き、アイリスとカレンを連れてテレサの部隊に合流した。六人一組の分隊――実戦における騎兵部隊よりやや少ないものの、訓練に適した数であった。テレサは笑みを浮かべて、ぽんとエリカの背中を叩いた。
「……やろうぜ、インテリ。第七分隊の力、見せてやろうじゃんか」
「その呼び方はやめなさいな――それはともかく、競争なら本気でやりましょう」
普段は冷たい光を湛えるエリカの瞳には、不思議な熱が燃えていた。元より他人と張り合って生きてきた人間らしい――将官の娘として生まれ、誰かに負けることを認められない環境で育ち、なおかつ本人も確固たる信念を持って他者に勝利し続けてきた者に特有の熱がそこにあるとアイリスは感じていた。こうした人間は貴族にはそう多くはない。
どちらかというと、商才によってのしあがり、社交界に顔をだすようになった政商――それも、一代で貴族すら上回る巨万の富を成した者に特有の炎であった。勝利に対しての苛烈なまでの欲求と、自らにそれを課す鉄枷じみた意思を持つ者だけが纏う特有の空気である。
(負けることは許されない、か……)
アイリス自身もそれに近い教育を受けてはきた。武門の娘として、敗北は死に直結するものであると幼い頃から叩き込まれてはきた――だが、屈強な騎士団に護衛され、内乱や共和主義者のテロ行為などからも遠ざかってきた彼女にとって、それらはあくまで数ある家の教えの一つでしかなかった。
しかし、実際に自ら銃剣を手にして敵兵を殺傷する訓練に加わったことで、その感覚にも変化が生じつつあった。たかが訓練であり、死ぬことはないなどという甘い考えは完全に消え去り、本物の武器を手にした状態で敗北すれば、自分は必ず死ぬ――それが訓練であったとしても、訓練の敗北の延長線上には、戦場における死が待っているということを、アイリスは本能的に理解していたし、他の訓練生たちもまた同様の感覚を覚えていた。僅か数時間の銃剣格闘訓練ではあるが、本物の刃を手にしての訓練は確実に少女たちを成長させていた。
第一分隊から第八分隊まで全員が揃ったことを確かめると、ベアトリクスは一歩前に踏み出して少女たちに命令を下した。
「では、分隊ごとに分かれて練兵場を十周しろ! 終わった分隊から朝食を摂ってよし! ああ――それと、一位になった分隊には朝食にドーナツがつくことになっている。甘味が食いたければ、死ぬ気で這いずれウジ虫ども!」
『マム・イエス・マム!』
少女たちの声が練兵場に響き、六人一組の分隊が駆け出していく。その様子を、ベアトリクスとリーアは、どこか懐かしいものを見るような表情で見守っていた。