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第1話 さらば縁談、ようこそ軍隊!

「――絶対に嫌です! 脂ぎった五十代半ばのバツイチ貴族と縁談なんて死んでもお断りです! 例えお父様とお母様の命令であっても、それだけは従いかねます!」


 腰まで伸ばした長い黒髪を振り乱し、両手をどんとテーブルについた十五歳の少女――ブレイザー男爵家の長女であるアイリス・フォン・ブレイザーは、澄んだブルーの瞳を鋭く尖らせて両親に抗議した。


「確かに、誠実なお方なら歳は問わないと言いましたし、政略結婚が貴族の宿命であることも心得ています。ですが、あのお方は前妻を酷く冷遇して離縁し、幾人もの愛人を作ったとのもっぱらの噂! この縁談にだけは、絶対に応じられません!」


 アイリスは必死であった。ここで折れれば脂ぎったバツイチ貴族に自分は弄ばれて捨てられる。十五の春はそう安くない――彼女は内に秘めた乙女の自尊心でもって、貴族の宿命に抗おうとしていた。

 そんな娘を、ブレイザー夫妻は少し困ったような表情で見つめていた。男爵は一歩前に進み出て、アイリスの肩に手を置いて、何度も頷きながら話しかけた。


「アイリス……お前の気持ちも分かる。確かにグラウゼヴィッツ伯爵は不貞者で有名だ。だが、だがな――貴族とは、そういうものなんだ。それに、伯爵家と男爵家では格が違う。よほどの事情があってどうしても結婚できないということなら断れるかもしれないが、向こうからの求婚とあってはそう簡単に断ることもできないのだよ――分かってくれ」

「分かりかねますし、理屈で理解できたとしても、納得はできません!」


 小さな手で分厚い樫のテーブルを叩き、アイリスは必死の形相で父母に食い下がった。


「確かに、グラウゼヴィッツ家は私たちブレイザー家より格上です。ですが、不貞者と知りながら、その者のもとに嫁ぐことは断じて出来ません! ブレイザー家は武門です――不貞の家に嫁げば、白馬の軍旗を汚すことになります! お父様、お母様――どうか考え直してください!」


 二度、三度と小さな手がテーブルを叩く。歯を食いしばって睨みつける娘を前に、夫妻は少しばかり困ったような表情でその場に立ち尽くしていた。夫妻とて、本心からグラウゼヴィッツ家との縁組を望んでいるわけではない。不貞者のところに嫁になどやりたくないという親心は、貴族も当然持っている。

 ただ――辺境地の小貴族であるブレイザー家の娘が王国政府中枢に太いパイプを持つグラウゼヴィッツ家に見初められたとなれば、それは大きな政治的躍進に繋がり、家門を永続させるという目標にも繋がる。男爵は深々と頭を下げ、絞り出すように言葉を紡いだ。


「すまない、アイリス――それでも、私はこの縁談に……」


 応じてほしい、と続けようとした言葉は、突如として部屋に響いたノックの音に遮られた。男爵は不機嫌そうに首を振ると、無言で扉を開けた。そこには、手紙を手にしたメイドの姿があった。


「旦那様――軍から親書が来ております」

「陸軍省が何の用だ、まったく……」


 ふんと鼻を鳴らし、男爵は乱暴に封筒を破って中身を取り出した。それらを一瞥した男爵は、つまらなさそうに中身を机に放り出した。


「部隊を新設する予定があるから会議に出席しろ、と来たか。伯爵家以上しか発言権など無いくせに呼びおって……」

「……部隊を新設?」


 アイリスが問いを投げると、男爵は小さく頷いて答えた。


「女子の志願が認められてもう五年経つが、実戦部隊で初めて女子のみの騎兵隊が編成されることが決まったそうだ。見てみるといい」


 アイリスは机に置かれた紙を手に取り、静かにそれを読み上げた。


「ユニコーン騎兵部隊の編成準備に際しての軍評議会……?」

「ああ。騎兵学校に女子学生を集めて、ユニコーン部隊を編成するそうだ。以前から試験部隊と騎兵教導団で少数運用されてきたようだが、やっと実戦配備となったらしい。人工繁殖に成功したから、今度は乗り手を集めて訓練を施そうというわけだ。アルタヴァ共和国との緊張も高まっているし、同調して国内にも共和派が現れ始めたとも聞く。ユニコーン騎兵の新設部隊があれば、国内の治安維持だけでもかなりの戦力強化に……アイリス?」


 アイリスは、手にした軍からの親書をじっと眺めていた。男爵が顔を覗き込んだ瞬間、彼女は瞳に刃の輝きを宿して父母を見つめ返した。


「……決めました」

「……!?」


 ただならぬ様子に、男爵夫妻は固唾を呑んでアイリスの言葉を待った。アイリスは机に親書を広げて、堂々と胸を張って宣言した。


「……私はユニコーンライダーになります。ユニコーンは清らかな乙女にしか扱えない幻獣――そこに身を置いていれば、グラウゼヴィッツ家も諦めることでしょう。流石に、騎兵学校に志願した者に対して無理な縁談を持ちかけてくることはないはずです」

「なっ……」


 あまりにも予想外の答えに、夫妻はぎょっとして目を見開いた。


「ま、待て――どういうことだ、アイリス――」

「だから言ったでしょう。私は騎兵学校に志願し、ユニコーンライダーとなる。貞潔を守り、武門の女として国家に忠義を尽くすのです。いけませんか?」


 アイリスの言葉は淡々としたものだった。だが、その余裕は冷静な判断から生まれたものではない。有り体に言えば、ヤケクソの産物である。

 脂ぎったバツイチ中年貴族のもとに嫁ぐくらいなら、軍隊のほうが百倍いい。厳しい日々になるだろうが、好きでもない中年貴族に夜ごと体を弄ばれるくらいなら、軍隊でシゴキ倒されたほうが遥かにまともだ――彼女の思考は半分沸騰していたが、今の彼女にとってはこれが最良の結論だった。彼女は手にした親書で机を叩きながら、困惑する父母に詰め寄った。


「親書を見た限りでは、まだ騎兵学校への志願は可能なはずです。急ぎで王都に志願書を送れば、私も入隊が叶うでしょう」

「……だ、だがそれでは――」

「何だと言うんです? 私ももう十五歳です、自分のことくらい、自分で決められます。それに――」


 ずい、とアイリスが身を乗り出すと、男爵は思わず一歩後退した。アイリスは深々と息を吸い込み――次の瞬間、城に響き渡るような声で叫んだ。


「――私の処女は、中年バツイチにくれてやるほど安くないっ!」


 叫ぶやいなや、アイリスは手近にあったペンと公文書用の羊皮紙を引っ掴んだ。貴族特有の流麗な文字で、素早く、なおかつ鮮やかに身上書を仕上げ、最後に自らのサインを記してその上からブレイザー男爵家の家紋――軍馬に跨る戦女神の紋章が入った印を捺した。

 アイリスはしゃんと背筋を伸ばし、羊皮紙を父母の前に突きつけた。武門としての教育の成果もあるが、もとより彼女は気が強い。一度決断すれば、曲がることも折れることもない。


「まだ何か、言いたいことがありますか? どうしてもと言うのなら……」


 アイリスは羊皮紙を机に叩きつける。とうに冷静ではない――その程度のことは、彼女自身にも理解できている。だが、己のプライドに照らして許されない縁談から逃れる千載一遇のチャンスを逃すほど、彼女は優柔不断ではない。碧い瞳をかっと見開いて、彼女は己の意志をはっきりと言葉にした。


「この場で私を勘当してもらっても構いません。例え勘当されて全てを失っても、自分の誇りを曲げて望まぬ縁談に応じなかったことを誇りに、私は軍で身を立てていきます」

「……!」


 ブレイザー男爵夫妻は色を失い、ただ呆然とその場に立ち尽くしていたが、先に立ち直ったのは夫人のほうだった。夫人はアイリスを正面から見つめ、続いて右手を男爵の肩に置いた。


「……よいではありませんか。アイリスがここまで言うのなら、それが正しいのでしょう。グラウゼヴィッツ家との縁談は、家の存続にとっては魅力的ですが、それ以外の面を見れば、今ひとつ納得できないものがあるのも確かですから」

「し……しかしだな……」

「アイリスももう十五歳です。そろそろ、自分の足で歩いてもいいはずです」


 思わぬ援護射撃に、男爵は暫し考え込み――やがて、小さく頷いてアイリスを見つめた。


「分かった。納得できないものがあったのは、私も同じだ……志願を認めよう」

「ありがとうございます、お父様」

「……ただし、一つだけ条件をつけさせてもらう。もし途中で落伍して戻ってきたら――そのときは、私の言う通りの相手と結婚してもらうぞ。よいな」


 是非もない。アイリスはしゃんと背筋を伸ばし、スカートの裾を摘んで見事な貴族の礼を見せた。


「はい、お父様――約束を違えることのないよう、全ての力を尽くして参ります」


 ――この日、一人の騎士の伝説が幕を開けた。

 王国を駆け抜けた若き英雄。戦場を征く一角獣の勇者――王国騎士アイリス・フォン・ブレイザーの戦いは、縁談拒否から始まった。

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