第18話 結成、第七分隊
陸軍訓練施設で行われた初めての銃剣訓練が終了したとき、少女たちは四十八名、一人の例外もなく疲れ切っていた。止まる間もなく模擬銃を振るって突きを繰り出し続け、動きに問題があれば即座に痛烈な殴打を浴びる――その苛烈さは、若干十五歳の少女たちにとっては耐え難いものだった。
腕が疲れ切って上がらなくなるまで訓練が続けられ、全ての訓練――と言っても、ただ正面に向かって突きを繰り出すだけ――が終わった頃には、まともに模擬銃を持ち続けられる者は誰ひとりとして残っていなかった。
最後まで多少なりとも技のキレを維持していたのは、兵士としての十分な素養を持つエリカと、武門の生まれ故に多少ばかりの槍術を修めてきたアイリス、そしてそれに追いつこうと、持ち前の根性と優れた基礎体力のみで強引についてきたカレンの三人だけだった。
その姿は周りの者たちにとって驚くべきものであったが、何も余裕を持って訓練をこなしたわけではない。彼女たちも他の訓練生と同様に全ての力を使い果たし、今はぐったりとして大浴場の片隅で動かなくなっていた
「おい、インテリ……」
「何よ……あと、その呼び方はやめなさいな」
半ば湯船に沈んだような状態で、カレンは隣に腰掛けていたエリカに視線を向けた。その頬骨や腕には強かに殴打された痕跡が残っており、挙句の果てには背中にピストルベルトで殴りつけられた痕跡が痛々しく残っている。
「……今日アタシが何回殴られたか、数えてるか? あのヤベー教官様にさ……」
「知るわけ無いでしょう。第一、殴られるのは貴女の問題じゃない……」
「でもよ、理不尽じゃねェか……アタシの分を背負って、お前も何発か殴られとけば楽出来たのによ……」
「バカなことを言っていないで、さっさと上がるわよ。この後もミーティングがあるし、自由時間なんてほとんど無いんだから――アイリス、貴女も行くわよ……アイリス?」
エリカが右隣に座っていたアイリスに視線を向け、軽くその肩を揺すると、彼女ははっとした表情で背筋を伸ばしてエリカを見つめた。
「寝てた?」
「一瞬ね……」
「疲れているのは分かるけれど……お風呂で寝たら戦争に行く前に死んじゃうわよ。行きましょう」
アイリスは痛む体を引きずってもたもたと体を動かし、痛烈な蹴りを食らった足を引きずりながら浴場を出た。ベアトリクスも相当に訓練生を殴り、痛めつけてきたが、リーアが行使する暴力は身体的、精神的の両面においてそれ以上のものだった。
口調は丁寧、常に笑みを絶やさない――それ自体は良い。だが、貴族として完成された礼儀正しさと共に繰り出される凄まじい罵詈雑言の数々と、笑顔のままで叩き込まれる容赦のない暴力は、確実に彼女ら訓練生の精神を蝕みつつあった。数時間の訓練であっても、リーアによる「教練」はおよそ耐え難いものであり、少女たちの心身は壮絶な負担に軋んでいた。
限られた入浴時間を終えた少女たちは、そこかしこが痛む体を引きずって再び戦闘服を着込むと、列を成してブリーフィングルームへと向かう。彼女らの動きは極めて緩慢で、戦闘訓練中の機敏さはどこにも見当たらなかった。いくら肉体を緊張させようとしても、今日一日の訓練――徒歩で遅れることなく訓練施設へと向かい、その上で銃剣格闘訓練を延々と続けたとなれば、もはやどこにも体力など残っていない。
がらんとした廊下を暫し歩き、少女たちはブリーフィングルームの扉を開けて整理番号順に着席した。既にベアトリクスとリーアは到着しており、幽鬼のような足取りで戻ってきた訓練生一人ひとりの顔を見つめてにやりと笑った。
「ウジ虫諸君――人生初めての銃剣戦闘訓練、ご苦労だった。一人前の殺し屋にはまだ遠いかもしれないが、この二週間が貴様らウジ虫共の××××を引き締め、便所バエのサナギ程度には進歩させてくれることを私は期待している。この中に敬虔な信者が居るかどうかは分からないが、少なくとも陸軍にいてカミサマに出会ったことは一度もないし、訓練施設に降臨なされたことは一度もない。ただ祈って××××に奇跡を突っ込んでくれるのを待っているのではなく、自らの手で奇跡を掴み取り、ズボンを下ろして××××に突っ込む程度のやる気と度胸が貴様らには必要だ――さて、激励はここまでにしよう。リーア、後は頼む」
ベアトリクスがそう言って一歩下がると、リーアは微笑みを浮かべたまま軍服の裾を摘んで一礼し、相変わらず腰に提げたままのマチェットナイフの鞘を撫でながら少女たちに微笑みかけた。
「こんばんは、ウジ虫さんたち。入浴してツヤツヤテカテカの綺麗なウジ虫さんになったところで、皆さんには今後の訓練の予定をお話致しますわ。××××と、ついでに耳の穴かっぽじってよくお聞きくださいまし――ベアト、例のアレを」
「ああ――では、諸君に配布物がある。全員、上から一枚ずつ持っていけ」
そう言って、ベアトリクスは近くの机に置いていた書類の束を手に取った。全員にそれらが回されると、リーアは小さく頷いて言葉を続けた。
「明日からの訓練は、三人一組の『槍仲間』が二つの一個分隊で行っていただきますわ。六匹のウジ虫さんたちが協力して目的を達成し、迅速かつ丁寧に祖国の敵をぶっ殺して人肉ハンバーグに変える練習ということになりますわ。第一分隊から第八分隊まで、それぞれに分かれて競争してもらいますから、仲違いしているようでしたら今のうちに全裸で殴り合いでもして親睦を深めておいてくださいまし」
「……!」
少女たちの表情に緊張が走る。もっとも、チームを組むことそのものに何らかの感情を持ったわけではない。ただ、六人で構成される一個分隊という実戦的単位による訓練を告知され、自分たちがこれから本格的な戦闘訓練――言ってみれば、敵兵を殺すという直接的な目的を持った状況に飛び込んでいくということを改めて思い知らされたがゆえの反応だった。
「そして、貴女がたの手元にあるのが部隊の編成ですわ。好きな者同士で決めていてはいつまでも部隊が編成できませんし、訓練にもなりませんのでこちらで適当に決めさせていただきましたわ――御覧くださいまし」
周りの少女たちが一斉に表を確認する。アイリスたちも、揃って自分の部隊と組む三人の「槍仲間」を確かめた。幼少期から社交界に出入りしていたアイリスにとって、もとより人の名前を覚えるのは容易いことだった。
(テレサ・ヘンメリにオリヴィア・モンドラゴン……それと、ユイ・セトメ……私たちが第七分隊ですのね)
真っ赤な髪を編み込み、すらりと長く強靭な手足を持った訓練生がテレサ、兵士としては小柄ではあるが、よく日焼けした褐色の肌と意思に満ちた水色の瞳がよく目立つのがオリヴィア、切れ長の瞳を静かに光らせ、アイリスのものよりもなお深みのある艷やかな黒髪を持っているのがユイ――入校したときに、同じ部隊の者の顔は概ね覚えてしまっている。
(エリカを殴ってた人は……居ないか。まあ、直接関与してなかっただけかもしれないけれど……都合がいいかな)
大きな問題は起きないだろう、と思ったアイリスはほっと胸を撫で下ろした。露骨に周りを見下していた頃のエリカと衝突し、数人の訓練生が浴場で彼女を殴打するという事件を目の当たりにした彼女にとって、それだけが現状の懸案事項であった――が、その心配は薄い。直接手を下した者とは今も積極的に会話することはないが、エリカの態度は最初の頃と比べて大きく軟化している。度々訓練中に置き去りにされることはあったが、それはあくまでアイリスとカレンが彼女に追いつけていないが故の問題であった。
全員がお互いのパートナーとなる部隊を確かめたことを確認すると、リーアは満足げに頷いて手をぽんと叩いて全員に命令した。
「今さらかとは思いますけれども、今後の流れやお互いの向き不向きを考えましょうか。ウジ虫さんたち、六人で一つのウジ虫団子におなりなさい。一人の男に六人同時に奉仕するように、小さく集まってもらいましょうか。今日の自由時間は、ここでクソくだらないお喋りをして、同じ分隊員同士で親睦を深めることにでも使ってくださいまし」
その言葉に従い、少女たちは六人一組となって集合した。訓練中に何度か言葉を交わしたことはある――だが、余計なお喋りに使っている時間はほとんど皆無に等しく、顔を合わせて話すのはこれが初めてに近かった。
テレサを始めとした六人組は、アイリスたちと部隊を結成することに気付いて驚きに目を丸くした。良くも悪くも目立つ三人組――身体能力はいずれも並以上、カレンを除けば軍事に関する造詣も深く、ペーパーテストでも優れた結果を残している者ばかりであるが、その出自故か、何かと周りとは違う彼女たちは人目を引いた。暫し彼女たちは無言のまま向き合っていたが、隊のリーダーらしい赤髪の少女――テレサは、ぽんと手を叩いて微笑みを浮かべた。
「あ――なんだ……君たちはアレだ、よく目立つから自己紹介はいいよ。多分だが、私たち全員が君たちのことをよく知ってるからさ。まあなんつーか……色々あったし、優秀だってことはよくわかってるから。私はテレサ・ヘンメリ――家が大工で、あれこれ組み立てたり、足場に上ったりするのが得意だ。よろしくな。ちなみにホーリーネームは『土方』だ。まあなんつーか……そのまんまだな」
そう言って、テレサは三人と交互に握手を交わした。快活で付き合いやすそうな相手が隊を率いていることに、アイリスは安心感を覚えた。腹に一物抱えていたり、必要以上に自信過剰であったりという点が無く、性格がはっきりしているというのは同じ部隊で戦う上ではプラスとして働く。テレサが椅子に腰掛けると、その隣の少女が小さく頷いて立ち上がった。
「僕はオリヴィア・モンドラゴン――入校時の自己紹介でも言ったかもしれないけれど、ここに来る前は山小屋で木こりをして暮らしてた。兵隊になった理由は、もともと外であれこれするのが好きだったからかな。ホーリーネームは……ああそうだ、『原人』だ。釣りとかハンティングが好きだって言ったら、強制的にこの名前にされたんだ――」
オリヴィアはちらり、とベアトリクスの方を向いて、視線がこちらを向いていないことを確かめてから舌を出した。概ねふたりともさっぱりして付き合いやすそうな相手であることに、アイリスは一安心した。
(同じ部隊でやっていくのは大丈夫――こっちの二人は体力もありそうだけど、問題があるとしたら……)
アイリスは左端に腰掛けているユイに視線を向けた。テレサとオリヴィアに比べて手足はひと目で分かるほどに華奢であった。訓練には何とかついてこられているが、全ての訓練が終わった頃には青息吐息の有様に陥り、両脇をテレサとオリヴィアに支えられているのを、アイリスは何度か目撃している。
もっとも、兵士として致命的に不十分というわけではない。家業として大工や木こりを手伝っていた者と比べれば、どうしても見劣りするというだけのことであった。他の者たちとそう変わらない――が、彼女のペースに合わせていれば、相当に出遅れることは間違いなく、八つの分隊で競わせる形式の訓練においては、若干ばかり工夫が必要になるとアイリスは感じていた。
オリヴィアが席に着くと、ユイはすっと立ち上がって丁寧に一礼した。貴族のものではない――だが、その仕草から彼女がそれなりの社会的階層にいることをアイリスとエリカは見抜いていた。
「ユイ・セトメです。父は極東オオヤシマ皇国出身の軍医学校教授で、母はヴェーザー王国人のハーフです。えっと……皆さんほど走ったり戦ったりは得意じゃありませんけれど、座学と初歩的な医学だけはそれなりに得意なつもりです。どうにか、皆さんに追いつけるようにがんばります。えっと……ホーリーネームは……言いにくいんですけど、『根暗』です……よろしくお願いしますね」
そう言って、ユイは深々と頭を提げる極東式の礼をして席についた。先の二人と比較して態度は控えめで、自己主張があまり得意ではないように見える――だが、どこか居心地の良さを感じる、上品な人物だとアイリスは感じた。
(オオヤシマ皇国――確か、東のもの凄く遠い国にある国家だったよね……)
頭の中に世界地図を思い描く。東の果ての小さな島国――名前だけは知っており、独自の文化を持つ海洋国家だということだけはアイリスも認識していたが、それまでだった。後で詳しいことを聞いておかなければならない、と彼女は思った。
(どうにか、うまくやっていけそう……かな)
分隊の仲間に恵まれたことを感謝しながら、アイリスは他愛のないおしゃべり――ほぼ二十日ぶりに、自分の身の上話や、軍隊生活での目標などについて、思う存分に私的な言葉で語りあい、ごく僅かな自由時間は、賑やかな言葉のうちに過ぎていった。