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第131話 逃れ得ぬ戦い

 草木も眠る丑三つ時――四人の工作員は、国境の護りを固める要塞線の内側に、密かに侵入しつつあった。偵察活動から二十四時間、アイリスとカレンは素早く敵陣に浸透し、その中枢へと忍び寄りつつある。オリヴィアとテレサは別方向から攻撃の機会を伺い、残りの二人は彼女らの愛馬と上空を突破するグリフォン隊を誘導する準備を済ませていた。

 老若男女の別なく動員するアルタヴァ共和国軍とて、長大な防御線を完全に護り通すだけの兵数を用意することは難しい。そして、その内情がいかなるものであるのか多少ばかりの知識を持つ者にとって、内部へ侵入を試みることはそれほど難しいものではなかった。

 かつて友好国であった時代のうちに、要塞線の幾分かについては内部の構造図が作成されており、武門に育ったアイリスにはそれを目にする機会があった。それ故、騎兵隊が出入りする際の勝手口が城壁の一部に存在することも、十分に彼女は理解していた。あとは偵察でもってその位置を把握すれば、それで十分に事足りる。


「……向こうに二人いる。お嬢はここで待ってろ。アタシが始末する」

「了解」


 ナイフを手にしたカレンはアイリスと目配せし、音を立てることなく闇夜を疾走する。騎兵らしからぬ働き――だが、これもまた彼女ら第七分隊にとっての役割の一つである。迅速な移動手段として幻獣を活用し、敵地においては自らの脚でもって任務を遂行する。彼女らはもはや単なる騎兵戦力ではなく、独立した一個の戦略兵器としての役割すら帯びていた。

 全く気付かれることなく歩哨の背後に忍び寄ったカレンは、手にした黒染めの刃を一閃した。何の躊躇いもなく喉側の動脈にナイフを食い込ませた彼女は、深々と刃を突き刺して抉り抜き、声を上げる間もなく二人の歩哨を絶命させた。

 身体が崩れ落ちるよりも早くランタンをその手から奪い取って壁際に亡骸を寝かせると、小さく右手を振ってアイリスを呼ぶ。見事な腕前だ、とアイリスは密かに感心しながらも、彼女が生きてきた世界がどのようなものだったのだろうかと思いを馳せた。

 治安が良いとは言えない下町に生まれ育ち、暴力がもっとも身近なものだった――それ故に、自分と家族を守るために武器をとらねばならなかった。その理屈は彼女にも分かる。だが、アイリス・フォン・ブレイザーの身体そのものがカレンの生き様を理解することは永遠にないだろうと、彼女は知っていた。生まれからして、あまりにも違いすぎる。


(……けれど、仲間だ。現に私は、カレンの体術で生き延びている)


 同じように歩哨のもとに忍び寄り、声を上げる間も与えず瞬殺することなどできそうにない。真正面から剣を交えて撃ち伏せることならできるだろう――が、短剣を躍らせて喉笛を裂くような剣技は持ち合わせていない。

 だからこそ、アイリスはカレンを信頼していた。自分の持たぬ力を振るい、それでもって仲間を生き延びさせるその行動は、武人然たるアイリスにとって好ましいものであった。彼女が単なる騎士であれば暗殺の剣技を卑怯卑劣と謗ったであろうが、軍団の統御者である彼女にとって、軍働きに王道非道はあれども、上策下策はない。

 民草のために振るわれるのであれば、刃の色を気に留めるべくもないと彼女は知っていた。だからこそのゲリラ的攻撃である。真正面から突破できないのであれば、策を弄して敵の陣地を荒らし、意表を突いて抜け出すほかにない。

 倒れた敵兵に一瞥をくれ、アイリスは足音を殺してカレンの後に続く。地図は全て頭に叩き込んであるが、それは地上の部分のみである。弾薬庫が恐らく半地下であり、いくつにも分散配置されているだろうことを彼女は想定していた。

 しかし、位置の予想ができないわけではない。砲座からある程度の距離を保ちつつも、用意なアクセスが可能な場所――要塞砲の配置さえ判明すれば、あとはおおよその推測がつく。そして、前日の偵察で彼女らは概ねの敵の位置を把握していた。

 足取りに迷いはなく、集積された物資の影を縫うように走る。重厚な城壁こそ備えていても、もとより外部からの攻撃に耐えるための防備である。国内に浸透した兵員に裏から突き刺されることなど想定していない。唯一警戒すべきは、城壁に設置された正方形の砲陣地である。城壁での抵抗が困難になった場合、砦として立てこもるための簡易な城塞であったそれは、火器の開発に伴う戦時改修の中で強固な要塞壁に守られ、「線」の護りを主とする国境要塞の中にあって、唯一「円」の護りを誇っていた。


(主弾薬庫は恐らく、あの防御陣地からアクセスできる場所だ。そこに火を着けて誘爆を起こさせ、敵の目を引いているうちに一気に突っ込む。騎兵用の出入り口が封鎖されているなら、そのときは強行突破だ。どこかで剣を奪って、片っ端から斬り倒す)


 僅かな月明かりの下、彼女は懐に納めていた懐中時計を一瞬だけ確認した。弾薬庫を二箇所同時に爆破し、敵の目を引いて撤退を援護、自らも混乱に乗じて離脱――針に糸を通すような作戦ではある。


「……ここだな」


 建物の影でカレンが足を止める。彼女の指差す先には三人の兵士――弾薬庫の防備を固める歩哨の姿があった。革製のベストには拳銃が四丁、手には片手剣と小盾を携えている。接近戦向けの装備だ、とアイリスは瞬時に看破した。真正面から突っ込めば確実に殺られる。

 カレンは暫しの間敵の様子を観察していたが、やがてふっと息を吐いて腰に提げていたナイフを手に取り、右手で軽く握って相手を見据えた。


「……ナイフを貸してくれ、お嬢」

「……いいけど、投げつけるつもりじゃ――」

「よく分かったな――っ!」


 アイリスからナイフを受け取るやいなや、彼女は一人の兵士に狙いを定めると、自分の持っていたナイフを全力で投げつけた。ヘルメットで守られてない喉に命中――隣に立っていた兵士が驚愕の表情を浮かべたが、それが最後の表情となった。続けて飛来したカレンの銃剣が額を貫き、アイリスから受け取った三本目のナイフは、薄い軍服を貫いて左胸に突き立った。


「一丁上がりだ」

「なんてデタラメ……けど、いいじゃない!」


 そのまま一気に走り出す。彼女らに与えられている時間は極めて少ない。アイリスは瀕死の兵士から弾薬庫の鍵を奪おうとしたが、どこを探っても見当たらない。それを見たカレンは、にやりと笑ってポケットに入れていたマルチツールの中から針金を取り出し、素早く鍵穴に突っ込んだ。


「どこで覚えたのよ、それ……」

「色々あったのさ……っと、開いたぜ。もっと良い鍵使えよな、金無いのかよこいつら」


 一分も経たないうちに解錠に成功する。分厚い鉄扉を静かに閉めたカレンは、隠し持っていた小さな光源――蓄光性の低級魔石を手に、静かに弾薬庫の中に進み出た。二重扉を開けてさらにその先へ進めば、油紙に包まれた火薬や、厳重に箱詰めされた鉄球――おそらくは榴弾と思われるものが積み上げられていた。


「よく燃えそうね。良い花火にしましょうか」

「お嬢も大概物騒だな――だが、確かにその通りだ。やっちまおうぜ」


 肩掛け鞄に収まっていた焼却用装備――高粘度可燃性樹脂と硫黄を充填した焼夷擲弾を数発取り出し、火打ち石とゼンマイを組み合わせた時限点火装置を組み合わせる。さほど難しいものではない――単にゼンマイが切れれば、その瞬間に火打ち石が火花を発して点火役に引火、焼夷擲弾がその威力を解き放つといった単純な代物である。

 アイリスはそれを弾薬箱の間に埋め込むと、懐中時計をじっと見つめながら点火の時を待つ。三秒、二秒、一秒――彼女の指が仕掛けを離れる。


「点火よし。三分でドカンよ。この規模が誘爆すれば、周りはめちゃくちゃなことになる――離れるわよ」


 アイリスがそう言ってその場から離れようとしたそのとき――これまで沈黙を守っていたカレンが突如として立ち上がり、その場で小銃を構えた。


「……!」


 アイリスも弾かれたように銃を構える。そして――その直後、爆音と共に鉄扉が吹き飛んだ。



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