第127話 航空懲罰部隊
敵襲を告げるオリヴィアの叫びが闇夜を裂いたとき、部隊の最後尾で警戒に当たっていたテレサ目掛けて、既に鈍色の鉤爪は振り下ろされていた。通常の騎兵を上回る優速でもって駆けていても、その速度は航空騎兵からすればさほど驚異的なものではない。
「――りゃあッ!」
半ば反射的に、テレサの右手が騎兵槍を引っ掴む。空中から突進する敵を刺し貫くほどの槍術の腕前は彼女にはない。ただ、部隊でも随一の名高い並外れた膂力でもって振るわれた横薙ぎの一閃が爪を跳ね返す。
「なに――」
「一発で終わるかよ!」
即座に引き戻して突き出した穂先は敵の気勢を削ぐに十分な重さを秘めていた。ガン、と鈍い音とともに敵が手にしていた盾が火花を散らして弾け飛ぶ。空中でバランスを崩しながら着地――次の瞬間、頭上から剛力でもって乱暴に叩きつけられた一撃は、兜をひしゃげさせて頭蓋を粉砕するに十分な威力を有していた。
「よくやった――食らいな!」
続けざまに降下しつつあったもう一騎目掛けてカレンが二連式散弾銃を連射――致命打にはならずとも、闇を切り裂く凄まじい轟音と閃光、そして散弾の豪雨がその行き足を止める。
「精度はイマイチだが――そらよっ!」
隠し持っていた二丁目をすかさず発砲、それに呼応するように全員が対空射撃――オリヴィアほどの腕を持たない者では空中の敵に命中させることは叶わないが、それでも近接する標的の進路を妨害する程度の効力は発揮する。
「今だ、走れ!」
エリカが叫ぶやいなや、全員が再び疾走を開始する。これまでのややゆったりとしたペースではなく、正真正銘の全力疾走――騎兵戦に慣れたアイリスを先頭に鏃型の陣形を組んだ第七分隊は、敵の爪から逃れてただ猛然たる脱出に移った。無論、上空から襲い来るグリフォンの一団を振り切るほどの速度ではない。追いつかれるまでの時間を僅かに稼ぎ、その間に相手が根負けすることを祈ることしか彼女らにはできない。
「追手に航空隊を投入してくるなんて……! あの『ファック野郎ども』をもう少し念入りに焼いておけば――」
銃に弾を込め直しながらユイが毒づく。その様子を、側にいたテレサとカレンは目を見開いて見つめ――それから、声を上げて笑った。
「ファック野郎、ね――いいじゃないか、ユイも言うようになったもんだ!」
「いいじゃねえかよ先生、アタシらの流儀に染まってきたってわけだ――なら、一発くれてやりな! 物分りの悪いファック野郎だ、一発当てて風通しをよくしてやれば……」
カレンが最後まで言い終わる前に、鋭い銃声が響き渡る。降下しながら突進しつつあった一騎に命中――兵士の左胸の胸甲が貫通され、斜めに傾いた身体は重力に引かれて地面に叩きつけられた。トリガーに指を掛けてすらいなかったユイが振り向くと、そこにはライフルを構えたオリヴィアの姿があった。
「……ユイの獲物だったかな」
「かもね――けど!」
リロードの隙を補うようにユイが発砲――迫りつつあったもう一騎の左肩に弾丸が食い込み、急激に速度を落としながら編隊から離脱する。だが、即座に他の兵士がフォロー――総数を三騎減らしたものの、九騎編隊を形成して彼女らを追う。
(三騎落とされて、まだ追ってくる!)
威嚇射撃を加えながら、アイリスは不可解な現状を整理しようと思考を巡らせた。十二騎一個飛行隊――そのうちの三騎が落とされたというのに動揺せず、あくまで追撃を継続しようとするからには、それ相応の理由がある。通常であれば距離を取って攻撃を一時控えるか、撤退して出直すはず――そうであるのに攻撃を止めないのは、なぜか。
(それに……あいつら、銃で撃ってこないし爆装もしてない。焼夷弾程度なら持ち運べるはずなのに、どうして――爪だけで?)
攻撃はいずれも急降下による白兵戦――通常であれば小型の対地爆弾を利用した集団での急降下爆撃を行うところである。グリフォンの爪は確かに強力な武器であり、命中すれば重甲冑を纏った兵士であれ、要人護衛用の装甲馬車であれ一撃のもとに粉砕する。急降下から振り下ろされる鉤爪の威力は絶大であり、確かに戦いを決着させるに相応の武器ではある――が、あくまで補助的なものに過ぎない。
(武器を持たない理由……そんな交戦規定はありえない。なら、何らかの事情で武器を持てない……? 銃火器の使用を禁止されていると考えれば――)
そこまで考えて、彼女の脳裏に閃光が走った。幻獣騎兵として優れた能力を有しながらも、武器を持つことが出来ない――それが何らかの「政治的事情」によるものであるとするならば、思い当たる節はある。
(ヴェーザー空軍でもよくあること――航空隊は貴族出身者が多い。諸侯軍が持っている航空騎士団から引き抜かれることもあるし、家督を継げない次男以下の受け皿になっている部分もある。それは……革命以前のアルタヴァでも同じ……)
ありえない話ではない、とアイリスは判断した。革命後のアルタヴァでは粛清の嵐が吹き荒れた――だが、特殊な技術者集団でもある空軍戦力を粛清してしまえば、介入戦争における敗北は必定となる。貴族主義の色が濃いとはいえ、戦力の喪失は体制の崩壊に直結する。そうであれば――政治的転向を求めた上で戦力に組み込むということは十分に考えられる。
(政治的に問題がある部隊……なら、火器で武装できないのも理解できる。旧体制派の兵員に爆装なんてさせられるわけがない。そういうことなら、この不可解な状況に説明がつく。攻撃を繰り返しているのも、撤退そのものが許されていないからだ……!)
それらの状況証拠をして、アイリスは眼前の相手の正体がいかなるものであるのか認識した。おそらく誤りはない――歴史が生んだ悲劇とも言える存在であり、アルタヴァが友邦であった時代には、ブレイザー男爵家も貴族との交友を結んでいた。
(旧体制派の政治犯で構成された懲罰部隊……! それも、よりによって航空隊とは……!)
かつて友であったかもしれない者を撃たねばならない葛藤は、確かに彼女の中にもある。だが、二対の鉤爪と鋭い嘴は、彼女を決して逃してはくれない。ならば――手にした刃を振るい、立ちはだかる全てを撃ち落とす。
「非情と謗られようと、私は――!」
一直線に降下してくる敵兵目掛け、彼女は折れた騎兵槍を叩きつけた。刺突武器にはなり得ない。だが、単純な鈍器としてならば、その威力は未だ変わりない。鈍色の爪と槍が火花を散らし、予想外の反撃を受けた敵は空中に再び舞い上がった――が、薙ぎ払うように使うことを想定していないランスは、アイリスの手からすっぽ抜けて闇の中で転がった。
(拾い直す余裕はない……なら!)
鞍のホルダーに差していた小銃に着剣――再度突撃してきた敵目掛けて突き出す。次の一撃は鋭い嘴――ナイフのように尖った先端が顔面を襲ったが、彼女はそれを小銃のバット・プレートで受けて跳ね返し、器用に頭上で一回転させて敵兵の顔面を薙いだ。
兜を貫くほどの威力は発揮しない――だが、痛烈な一閃で兜の金具が外れて吹き飛び、その下から若い青年の顔が現れた。アイリスは胸元の階級章を一瞥――だが、そこには何もない。
「なっ――」
「聞きたいことがあるのよ。ついてきなさい」
アイリスはすかさず手を伸ばし、墜落寸前で立て直した青年の着ていたコート――航空隊士官のものとは思えないほどやつれたそれを掴み、疾走の勢いのままに鞍から引きずり下ろした。そのまま全力で加速――無理な荷重が掛かったハーネスが金具から千切れ跳び、哀れにも彼はグリフォンから引きずり降ろされ、そのまま鞍の後ろの荷物置き場に乱暴に引き上げられた。
「離せ、このっ――」
「抵抗しないで。私は貴方を殺さないけれど、手元が狂えば放してしまうかもしれない」
「なっ……」
「だから動かないで。貴方が模範的な捕虜でいる限り、私は相応の待遇で接する」
疾走するユニコーンから放り出されれば、無論即死である。青年は目を見開いたまま、アイリスの言葉に頷くしかなかった。
「アイリス、そいつは――」
エリカが何か言いかけたが、彼女は途中で言葉を飲み込んで小銃を一発、空に向かって撃ち放った。続けざまに信号擲弾を投擲――空中で鮮やかな真紅の光が咲き、敵兵の視界を奪う。アイリスは深く頷き、雷鳴のような声で叫んだ。
「……手を出すな! 追撃を止めれば、人質は適切な方法で生かして帰す! だが、我々に危害を加えるなら、こちらも容赦は出来ない!」
腰に提げていたナイフを引き抜き、アイリスは青年の首に切っ先を突きつけて言葉を続けた。まるで剣舞活劇の悪役だ、と思いながらも、彼女は自らの言葉でもって、かつて友であったかもしれない者に選択を突きつけた。
「――さあ、選べ! 交渉の席に着くか、テーブルをひっくり返すかだ!」