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第124話 その姿、獅子に似て

 作戦の成否を左右する条件は各種存在する。それは指揮官の判断力であり、投射可能な戦力の総数であり、兵員一人ひとりの士気である――が、それらと同じく重要な要素が存在する。いかなる名将に率いられた屈強な兵員であっても、決して逆らうことのできない流れ――「運」と呼ぶ他にない何らかの不確定要素は、必ず戦局に介在する。

 その意味合いに置いて、彼女らの上には天佑があった。月は分厚い雲に覆われて風は吹かず、ただ兵士の篝火だけが辺りを照らす。夜襲には絶好のコンディションの中にあって、第七分隊第一班――エリカ、アイリス、カレンの三人は、手にしたガラス瓶をじっと見つめていた。


(ヤシ油、硫黄、松脂、木炭粉、それから――)


 雲に遮られて僅かな光を届けるばかりの月の下、アイリスは瓶に貼り付けられた紅いラベルを指でなぞった。危険、と一言だけ警告が記されたそれは、傍から見れば単なる酒瓶にしか見えない。だが、その実態は多種多様な焼夷剤を混合充填の上作成されたヴェーザー王国陸軍の準制式兵器――「Ⅰ号型焼夷擲弾」である。

 一定の規格があるもののサイズや瓶の色などは全くもってまちまちであり、多くが民間からの供出――愛国奉仕活動の名のもとに集められたガラス瓶に焼夷剤を詰め込んだ、極めて原始的な急造兵器である。

 その取り扱いは爆弾と変わらず、導火線代わりの布に着火して投げつければそれで事足りる――が、充填された焼夷剤の威力は絶大そのものであり、なおかつあらゆる歩兵用兵器を超える量産性を誇る。それこそが一見すると間が抜けているようにも見えるこれに対して、王国軍が準正式の肩書を与えている理由であった。

 第一班に配給された焼夷擲弾の数量は一人あたり二発――八発を装備する第二班に比べれば少ないが、攪乱と揺動を主とする彼女らにとっては十分である。工作部隊が突入してきたと敵に錯覚させ、より強力な破壊工作を実行可能な第二班の攻撃を成功させることが彼女らの目的である以上、仮設兵舎や倉庫に対する攻撃は二の次――むしろ、第二班に攻撃開始を教える狼煙の役目を果たすための武器であった。


「……行くわよ。火種の準備を」


 エリカの一言に、二人は腰に提げていた小さな缶――火種入れを開いた。これから自分たちが何をしようとしているのか、誰もがよく理解している。焼かれるのは物資だけではない――密かに攻撃の機会を待つ第二班にその時を報せるために、彼女らは目につくありとあらゆるものを焼き尽くす。たとえそれが、兵士が眠る仮設兵舎だとしても変わりはない。


「……攻撃開始」


 普段の雄々しい叫びと槍を振り上げた突撃ではない――ただ静かな、だが迅速な攻撃を命じる一言が夜風に溶ける。その刹那、膝を折っていた三騎が一斉に立ち上がり、次の瞬間には電光より疾く駆け、その迅速をもって歩哨の兵員の認識を上回った。

 敵襲、の叫びすらも上がらない。文字通り全速力の疾走を持って乱入した第一班は、敵の警戒をあっさりと突破してのけた。後に残るは兵士の驚愕のみ――だが、誰よりも驚いていたのは他ならぬエリカ自身であった。


(敵には私たちが見えていない――これは天佑と言うべきか!)


 エリカは握りしめた焼夷擲弾の導火線を火種入れに突っ込み、手近な木箱に視線をやった。中身が何であるのかを確認する術はない。帆布を掛けて野ざらしに積まれているということは、少なくとも爆発物ではない――そうであることを祈りながら、彼女は焼夷擲弾を投げつけた。瓶が割れ砕けると同時に爆発にも近い勢いで炎が広がり、暗闇に包まれた集積拠点を真紅に照らし出す。


(容赦すれば自分が死ぬ、なら私は――)


 立て続けに二発目――次の一発は、何が起きたのか確かめようと数人の兵士が這い出てきた直後の仮設兵舎目掛けて投げ放たれた。木造フレームにキャンバス張りといった、ごく当たり前の身の毛もよだつ苦悶の絶叫――耳を塞ぎたくなるのに耐えて、エリカはラックに差していた騎兵槍を引き抜いて命令を下した。


「目標は何でもいい! ここに来たら全部が敵よ!」

『……!』


 その一言にアイリスとカレンは一瞬目を見開き、手にしていた焼夷擲弾を一発手に取ると、兵舎目掛けて放り込んだ。瞬時に地獄絵図が広がる――が、それは徹底的に冷徹な計算のもとに成り立った行動であった。

 物資の焼失は確かに動揺をもたらすが、兵員から冷静さを奪うほどの効果を発揮するとは限らない。だが、人員に対する殺傷――それも、残虐性が明らかに分かる焼夷兵器による攻撃となれば大きく状況は変わる。

 火炎はもとより人間の精神を大きく揺るがす力を秘めているが、それが人体に対して使用されたとなれば、猛烈な憎悪を喚起させるものとして作用する。戦場における憎悪は敵を討つ力ともなるが、同時に冷静さを失わせる諸刃の剣でもある――それを理解しているからこそ、彼女らは一切の慈悲をこの場において断ち切った。

 混乱と悲鳴――そのことごとくを背に、少女たちは一斉に槍を構えた。白銀に研ぎ澄まされた穂先に紅蓮を映すその姿は、裁定をもたらす熾天使のように気高く、なおかつ無慈悲な美しさを湛えてその場に在った。

 敵襲、総数不明――歩哨の叫びと兵士を叩き起こす狂乱のラッパの音が、彼女らの前に討つべき相手が現れることを予言する。本格的反撃――それに先んじて、幸いにも焼き尽くされなかった兵舎から飛び出した一団が、少女たちに向けて小銃を構えた。


「お前たちが――」


 これをやったのか、と続けるその声が届くよりも早く、三人はそれぞれ別な方向へと散った。エリカは右へ、カレンは左へ――そして、アイリスは前へ。

 撃鉄が落ちる刹那に空中へと飛び上がって火線から逃れた次の瞬間には、強靭な四つの蹄と一閃された槍が、小銃を構えた兵士の一団を蹂躙していた。肉と骨を踏み砕く不快な音、槍の穂先が敵の臓腑を貫いた感触――おぞましいそのことごとくに耐え、アイリスは血に濡れた槍を振りかざした。徹底的に敵の注目を引きつけ、第二班の攻撃に備えなければならない。


「――かかってこい、私はここにいるぞ!」


 羅刹のごとき咆哮を上げたアイリスは眼前の敵を睨みつけ、そのまま一切の容赦を投げ捨てて一直線に疾走した。何の変哲もないただの突撃だが、銃剣を構えてすら居なかった兵士にとって、それは致死の暴風となって吹き荒れるかに見えた――が、ふいにその動きが止まり、次の瞬間にはほぼ百八十度逆方向へ飛び退った。

 突き出されようとしていた槍が大きく弧を描き、同時に闇の中で火花を散らす。屈強な雄牛の角と鋼鉄をぶつけたような硬質の音が響いた次の瞬間、彼女の顔面めがけて鞭のようにしなる何かが側面から打ち込まれていた。


「――ッらぁ!」


 裂帛の気合とともに槍がそれを弾き落とす。月を覆い隠す厚い雲の下にあって、アイリスは自らが投げ放った焼夷擲弾が放った炎の明かりで、確かに敵の姿を見定めていた。低い唸り声と、真紅に輝く体毛を持った獅子の如き姿――そして、闇夜の下で伸び縮みする尾の尖端には鉤爪型の毒針が光る。

 その背に跨る騎士の重甲冑は黒く染められ、乗り手の表情は目庇の奥に昏く沈んでいる――が、その視線が剥き出しの敵意と殺意を帯びていることだけは、アイリスには十分に理解できた。

(マンティコア――)


 ぎり、と歯噛みして眼前の幻獣を睨みつける。獅子の牙と爪、そして伸縮自在の蠍の尾――人肉を好んで食する凶暴性故に一般的ではないが、その強大さと俊敏さから極稀に軍用として用いられることがある幻獣である。


(重要物資だってのは分かってたこと――なら、防備に切り札があるのも当然か)


 静かに槍を水平に構え、アイリスは眼前の敵を睨みつけた。それに呼応するように敵は腰に提げていた大振りな刃――鉈とも手斧とも取れる分厚い刃を抜き放つと、その切っ先をアイリスに突きつけた。左腕に纏った重手甲であっても防ぎきれないだろうことを予感させるには十分な武器である。


(騎士の名乗りもない戦いね。けれど――)


 アイリスは右手の槍を軽く持ち上げ、その穂先を敵の心臓へと向ける。名乗ることが許されない以上、こうして応えるほかにない。


(――戦場で出会ったなら、こうするしかない。みんなのところへは、行かせない!)


 弾かれたように前へ――尋常の兵士であれば、次の瞬間には貫かれている。だが、マンティコアに騎乗したアルタヴァ兵は手にした凶刃を大きく薙ぎ払って、アイリスが突き出した槍の一撃を弾き落とし、次の瞬間には跳ね上げる一閃でもって彼女を強襲した。


「――!」


 柄で受ければ折られる――そう判断したアイリスは、素早く槍を回転させて穂で刃を受け流した。耳障りな音とともに火花が散る。だが、攻撃はそれだけでは留まらなかった。伸縮自在の尾が首筋目掛けて飛来し、毒針が串刺しにせんと迫る。


「これしきのことで――!」


 引き戻した石突が毒針を弾く。だがさらなる連撃――続けざまに振るわれたのは、鈍色に輝く獅子の鉤爪だった。アイリスがたまらずサイドステップして仕切り直そうとした瞬間、敵の激烈な斬撃が彼女の鼻先を掠め、進もうとしたその先に毒針の尾が回り込む。アイリスは全力で愛馬を制御し、ほぼ垂直の跳躍でもって激しい攻撃から逃れた。がつん、と強烈な荷重が全身にのしかかる。


(このままだとやられる……けれど――)


 空中でポーチに入っていた焼夷擲弾を取り出して点火――幻獣に対してどれほどの効果を発揮するかは分からないと知りつつも、アイリスはそれを眼下の兵士に投げつけた。刹那に広がる爆炎の中、一瞬だけその中から飛び退くマンティコアが見える。

 だが、それはアイリスにしてみれば貴重かつ勝利を引き寄せるために絶対に必要な一瞬であった。十五メートル余りの距離を取り、焼夷擲弾から放たれた爆炎を挟んでアイリスは敵と対峙した。名乗りも無く始まった、誰とも知れない騎兵との戦い――それを前に、彼女は再び槍を水平に構え直した。


(――こいつは、私が倒す!)


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