第121話 嵐の突撃者
戦場という混沌に満ちた世界においても、古今東西のあらゆる場面において通用してきた普遍の真理が存在する。絶えず状況が変化し続け、一秒先の未来すら闇の中に溶けている業火の下であっても、一兵卒から全軍を預かる帝王に至るまでが共有する一つの原則――それは敵に先んじること、すなわち先制攻撃である。
古くは弓や投槍によって隊列を崩す、あるいは騎兵による迅速な機動によって敵が戦闘準備を整えるよりも早く打撃を加える――あるときは大軍がその優位を確定的なものにするために、またあるときは寡兵で大軍に牙を剥き逆転勝利を手に収めんとするため、半ば常識として用いられてきた戦法である。
この場における第七分隊は、明らかに後者であった。敵は少なくとも小隊以上、頼みの綱のユニコーンは隠れ家の向かいの納屋に隠したまま――そうあっては、彼女らにできることはただ一つである。敵に先んじて弾丸を放ち、敵を混乱に陥れてその隙に自らの愛馬を取り戻すことにある。
そして、銃を手に取った三人――アイリス、エリカ、オリヴィアは、精鋭揃いの部隊の中でも特に優れた狙撃手であった。敵がアルタヴァ共和国正規軍と見るやいなや、オリヴィアは真っ先に部隊指揮官の少尉を射殺し、他の二人は立て続けに軍曹、あるいは曹長を狙撃――部隊の戦力を瞬時に削り落とした。
彼女らの優先的な攻撃目標は第一に小隊長、第二に補佐を務める小隊陸曹、第三に小銃班の統括を任された指導陸曹である。堂々と階級章を着けたままの彼らは、優れた狙撃手たちにとっては格好の獲物であった。民兵隊が徴発した村があるという情報を前に気が緩んだのか、彼らごく当たり前の狙撃手対策すら忘れていた者らをことごとく弾丸が貫くに至って、瞬時に小隊は混乱に陥った。
「狙撃手だ! 全員隠れ――」
一瞬のうちに三人が立て続けに射殺され、小銃班を預かる班長――伍長が右腕を振り上げて叫ぶ。だがその動きと声は、少女たちに狙うべき目標を教えるも同然であった。撃ち終えた小銃を脇に置くと、彼女らは敵から奪った銃を素早く手に取り、数秒のうちに第二射を放っていた。
次の一射も決して外しはしない。敵国の小銃であれどもマスケットであるならば大差はなく、十分な技量を持った彼女らにとって、敵から奪い取ったそれは心臓を抉るに不足のない武器であった。
少尉から伍長までが撃ち倒されるに至って、不運にも彼女らのキルゾーンに入り込んだアルタヴァ軍部隊は瞬時に混乱に陥った。班長が革製の胸当てを撃ち抜かれて倒れる様を目の当たりにして、若年で経験の浅い兵が戦意を保っていることは極めて難しい。整然たる隊伍は散り散りに乱れ、手近な建物の影から散発的な応射――その大半が第七分隊の隠れる民家を掠りもしない。
「最後まで付き合う必要はないわね……アイリス、お願いしても?」
僅かに顔をのぞかせた兵卒を撃ち抜いて、エリカはアイリスに手榴弾を二発手渡し、続けて腰に提げていたサーベルも託した。状況からエリカの意図を察したアイリスは小さく頷いて一個に火を着けると、スリングで小銃を肩に掛け、民家の窓から飛び出して屋根に飛び移り、そのまま手にしていた手榴弾を、敵が隠れている方向目掛けて投げつけた。爆発と悲鳴――だが、彼女の目的は他にあった。
「昔の私じゃできなかった、けれど――」
そのまま屋根を駆け、軒先に積まれていた藁に飛び込む。物音に気付いた敵兵が発砲――だが、そのことごとくが一発たりとも命中することなく空を切る。アイリスは逆に発砲音から敵の位置を察知すると、もう一つ残っていた手榴弾を手にとって投げつけた。二発目の手榴弾に混乱が拡大する中、彼女は対面の納屋まで一気に駆け抜けると、扉を蹴破って鋭く口笛を吹き鳴らした。
「――行くよ!」
真っ先に飛び出した《ブリッツ》に流れるように騎乗――同時に、エリカから受け取って
いた指揮官用のサーベルを抜き放った。単なる指揮刀ではなく、騎兵が武器として使用するに十分な武器である。
そして何より、剣術を得意とする彼女にとって、それは現状を打開する最良の道具であった。抜刀突撃――である。サーベルは多数の敵兵に単独で切り込み、乱戦を生き抜く上では槍よりも遥かに強力な武器となる。
アイリスは一度だけ振り返ると、分隊員たちのユニコーンが飛び出していくのを確認して、それらを守るために敵兵に向き直った。手綱を軽く引いて合図を送るやいなや、彼女は白銀に輝くサーベルと流星のごとく閃かせ、一直線に敵へと突進していった。
馬上で剣を水平に構えて突進してくるアイリスの姿を前に、未だに戦意を保っていた一部の兵士は密集して銃剣を構え、それを機に怯えていた者たちも密集して切っ先をアイリスに振り向ける。騎兵を相手にする上では最も基本的な戦術――だが、一個小隊程度、それも熟練した下士官を欠いた状態での密集陣形は、ユニコーン騎兵の打撃力を前に大きな威力をもたらすことはない。
銃剣の切っ先が届く直前、軽く二度手綱を引いて合図――同時に、彼女は愛馬と共に軽く五メートルほど飛び上がる。敵兵が驚愕と共にその姿を追ったときには既に、彼女は陣形の後ろへと回り込んでいた。右手のサーベルは軽く引き、柄に僅かに力を込める。
「何っ、女だと――」
振り返った兵士が驚愕の声を零す。そして――その一言が、彼の最後の言葉となった。軽く引いたサーベルを横薙ぎに払ったと同時に血飛沫が吹き上がり、アイリスの頬に紅い戦化粧を残した。手首を返して立て続けに切り下ろし、振り上げた蹄が歩兵を踏み砕く。
突撃の勢いで小銃を取り落とした兵士がナイフを振り上げて飛びかかる――が、アイリスは盾代わりの分厚い手甲を嵌めた左腕でその刃を弾き飛ばすと、手を伸ばして軍服の襟元を掴み上げ、そのまま容赦なく《ブリッツ》を疾走させて陣形を突き崩し、最後に突撃の勢いのままに乱暴に放り捨てた。
「この女、狂って――くそっ!」
方向転換の必要性はもはや存在しない。ただの一撃で残存兵力の四分の一を削り落とされたアルタヴァ兵に士気と呼べるだけのものは残されていない。小銃による狙撃で指揮官を失い、立て続けに圧倒的な騎兵戦力――単独で一個小隊を軽くあしらうだけの打撃力を見せつけられれば、あとは崩壊して逃げ去るばかりであった。
走り去っていく敵を追撃することもできただろうが、彼女はあえてそうしなかった。追撃すれば皆殺しにすることもできた。だが、そうしてしまっては意味がない。極めて精強な戦力に遭遇する危険性があるということを生き残った敵が伝えれば、それだけで彼女らは「恐るべき戦力」となり、交戦を避けるべき対象として認知される。
高い機動力で捕捉から逃れ続け、神出鬼没に輸送隊を襲う悪夢の部隊――そうあることを望むが故、彼女は逃げ去る敵を見逃した。素手で掴んだ兵士を引きずるような行動に出たのもそのためである。強大な打撃力と無慈悲さを兼ね備えた騎兵の集団となれば、恐怖の象徴には十分である。
アイリスは一度だけ小さく息を吐いて、左の手甲にこびりついた返り血に視線をやった。似合わないことをしている、という自覚こそある。だが、より良い戦いのためにそうするしかなかったこともまた事実である。
「恨みがあるわけじゃない。けれど―」
アイリスは軽い身のこなしで地面に降り立ち、足元に倒れていた少尉の胸から血に塗れた徽章を剝がし取る。ついでとばかりに腰に提げていたポーチ――おそらくは地図が入っていると踏んだものを半ば引きちぎるように奪い取った。
「――こうするしかない。貴方だって、同じことをするでしょう?」
彼女小さく首を振ると、一度だけ手首を振って右手のサーベルから血を振り飛ばし、民家で様子を見ていた仲間たちの元へと、ゆっくりとした足取りで戻っていった。