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第119話 暗号

 第七分隊の行動は極めて迅速であった。生存者のいない森から村へと戻るやいなや、彼女らは村を集積拠点としていた部隊が残していった装備品や補給物資――もとより軽装であり、略奪を前提としていた民兵隊であったが故にそう多くはない。

 荷車を押していたオリヴィアは、小さく息を吐いて地面に掘られた穴に中身を投げ込んだ。彼女の表情は決して明るいものではない。それを見ていたエリカは一瞬だけ視線を逸したが、すぐに前を向いてオリヴィアに問を投げた。


「物資はそれで最後? もうここには戻ってこないから、確実にやって」

「……これで全部だ。あとは何も残ってない」

「いいわ。記録資料は回収した?」

「敵の持ってた地図と、物資の帳簿――あとはよく分からないけど、数表がひとつあった。かなり厳重に梱包されてたから暗号だと思う。僕にはわからないけれど、こういうのが得意な……」


 オリヴィアはそこまで言って、集めた書類の整理に回っていたユイに視線を向けた。彼女の表情は、他の者たちよりもさらに暗い。実際のところ、彼女が駆けつけたところで致命傷を負った民間人を救うことはできないし、貴重な医療資材を費やすだけの意味は作戦上どこにもない。

 救援のために武装して駆けつけただけでも十分以上であり、それ以上の行為は何ら利をもたらすものではない。その程度のことはユイ自身も良く理解しており、体調であるエリカの決定に対して異を唱えることはしなかった。

 だが、衛生兵という他に無い技能――軍医局のエリートである父から薫陶を受け、戦場という地獄において一人でも多くの命を救うことを誇りとする彼女にとって、救えた「かもしれない」命を見捨てることは激しい痛みをもたらす。

 エリカは暫しの間ユイのほうを見つめていたが、一度だけ深く頷いて、オリヴィアの手から数表を受け取った。


「今はいい、と言いたいところだけど――私にも分からないわね。砲兵なら数学もできたのでしょうけれど、今の私にその知識はない。解読を頼みましょうか」

「……いいのかい」

「他に出来る人がいないからよ。それに……感情の切り分けくらいできるって、私は知っているから」

「分かった、任せる。こっちの物資は全部燃やしておくから」


 オリヴィアは小さく頷くと、火打ち石を使ってすばやく火を起こし、焼却予定の物資が並べられた浅い穴に火種を放り込んだ。火種は乾いた牧草に燃え移り、さらに火薬にまで引火して一瞬のうちに炎の勢いは増していった。それをエリカは一度だけ振り返ると、書類の整備に当たっていたユイの肩に手を置いて、努めて穏やかな声で彼女に呼びかけた。


「ユイ――少し、いいかしら」

「……何かあった?」


 ユイの返事はいつもと変わらない調子である。だが、無理をしていることは誰の眼にも明らかであった。まともでいられないから、無理矢理にでも普段どおりに振る舞おうとする――ある種の不自然さが浮き出ている。だが、エリカはそれをあえて無視するように、彼女に向かって乱数表を差し出した。


「敵の物資から乱数表が出てきたわ。貴女――数学はできるわね?」

「それなりには、だけど。得意って言えるほどじゃないよ」

「なら……これにどんな意味があるか、一緒に考えてもらっても?」7


 エリカは手近な木箱を引き寄せると、ユイの隣に腰を下ろした。ユイは手にした紙に視線を落とすと、瞳を鋭く光らせてそれをじっと見つめた。傍から見れば単に数字が羅列されているだけであり、何ら意味のあるものではない――が、ユイは即座にその正体を看破した。


「数字の羅列……ってわけじゃないね。出現頻度に規則性がある。ほら……ここ、『17』って数字が繰り返し出てる。これ自体が何らかの暗号文だと思う」

「……今の一瞬で?」


 エリカは目を見開くと同時に、打ちひしがれて何もできなくなっているかもしれない、と思い込んでいた自分の考えの浅さを恥じた。苦境にあることは間違いない――が、ユイが見せる洞察力はいささかも鈍っていない。


「すぐに分かったよ。アルタヴァと同じ言葉を使ってるおかげで、内容もなんとなくだけど想像がつく。数字と文字が対応していて、それを合わせていけば内容が解読できるタイプだね」

「……やるわね。それで、読めるの?」

「大丈夫。ペンと紙、あとは……エリカ、何でもいいから、文庫本を一冊貸してくれる? 解読法を説明するから」


 ペンと紙はエリカにも分かる。何らかの分析を行おうとしているのだろう、ということは想像できたが、最後の一言に彼女は首を傾げた。


「文庫本?」

「そう。何でもいいよ、詩集でもいいし、聖典でもいい。なんなら恋愛小説でも」

「……分かったわ。じゃあ、これを」


 エリカは背嚢を探り、収まっていた軍事専門書――訓練学校時代、給金で購入した軍の選書を取り出した。アルタヴァ介入戦争に従軍したヴェーザー王国軍士官の手記である。ユイはそれを手に取り、最初のページを開いてそっと指先でなぞった。


「文章の中で出てくるアルファベットの頻度は、だいたい決まってるんだよ。よく出てくる文字が分かれば、あとはそれを数字に当てはめていけばいい。例えば……そうだね、このページで一番多く出てくるのは『E』だね。その次が『T』……だと考えると、『17』がEで、『13』 がAかな。接続詞と前置詞は簡単に破れるから、そこを足がかりにすれば……」


 紙の上をすばやくペンが走り、ユイの指先と頭脳が数表の一部を復号していく。その鮮やかさを前にして、アイリスは目を見開くほかになかった。書き連ねたアルファベットの下に数字を並べては文章の意味を通そうとし、誤りであれば消して再試行する。一般的には苦痛と思われる作業であったが、ユイの表情には僅かながら活気が戻っていた。

 アルファベットと数表の対応を組み上げては、既に完成した部分から文章の流れを汲み取って未解読の部分にアルファベットを当てはめていく――複雑なジグソーパズルのような工程を必要とする、常人であれば膨大な時間がかかるはずの作業であったが、ユイの明晰な頭脳は十分足らずのうちに答えを導き出した。

 それを横から覗き込み、エリカは首を傾げた。適当にアルファベットを並べたとしか思えない文字の羅列の間に、接続詞や前置詞が挟まっているように彼女には見えた。


「これじゃ読めないわよ」

「いいんだよ、これで正解。だけれど、これじゃまだ意味が通らない。接続詞とか前置詞は解読できるけれど、それ以外の部分が二重化されてる。民兵隊が使うものにしては複雑だから、この部隊が使う暗号じゃない。荷物の中から出てきたのなら、正規軍への届け物かもしれない」

「……まずいわね。本部に連絡を取るべきかしら?」


 エリカは真剣な表情で提案すると、ユイは小さく頷いて答えた。


「内容によっては。もしかしたら、私たちに制圧の命令が出るかもしれない」

「……分かったわ。続きを解読して頂戴」

「ここまで来ればあとは簡単かな。文字列を単純にずらす形式の暗号……シフト暗号だね。あとは規則性を見つけ出せばいいだけなんだけど、とりあえ三つずらしてみるね。前に進めるタイプだと思うから……」


 そう言って、彼女は手元の紙にアルファベットを書き付けていく。元の文字から三つ先のアルファベットに置き換えながら文字を連ねていくうちに、彼女の手があるところで止まった。


「……見えた。これ、数字の『2』だね。多分その後も数字だから――」


 ペンを素早く走らせ、ユイは三桁の数字――『294』という文字を紙の上に書き出した。それを見たエリカは、興味深げにユイの手元を覗き込んだ。


「どうやったのかしら?」

「簡単だよ。単語の文字数分だけ、アルファベットをスライドさせればいい。数字の『2』は三文字、『9』と『4』は4文字……だから、それぞれずらせば読める。あとはこれを対応させていけば……出来た。『294号後方資源集積地にて、食用馬20頭を確保』だね」

「……!」


 あまりにも鮮やかな技術にエリカは舌を巻いた。それなりに学問に励んできた自信はあるし、座学でもユイやアイリスに追いつこうと努力を重ねてきた。だが、眼の前で見せられた驚くべき才覚を前に、彼女は半ば呆然としながら、解読されていく暗号文を見つめていた。


「前線に輸送される物資の割当かな、これ。色々書いてあるよ。兵員用の糧食とか、これは……馬具かな。騎兵物資が結構多めかも」

「……見せてもらっても?」

「書き終わったのから見ていってもいいよ。読み方が分かれば、書き直すのはすぐできるから。物資の内訳をどう捉えるかは、エリカに任せる」

「了解……確認するわ」


 一瞬にして解読されていく暗号――ユイの言う通り、その大部分は補給に関する情報であった。前線へと送られる補給物資の内訳について事細かに記されており、それだけでも敵の補給の内情が伺い知れる。集積拠点の場所を推測できるような情報こそ無かったものの、破壊工作の任を負った彼女らにとって貴重な情報であることに変わりはない。


「……確かに騎兵用の装備が多い。それと、肉用の牛馬が結構出てるわね。どこかの農村から徴発したにしても、かなりのハイペースで吐き出してることになる」

「確かにそうだね。私が今解読してるのにも、羊の供出について書かれてる。けれど……前線にこんな大量の肉を送る意味ってあるのかな? 糧食の肉の割合を考えると、かなり多いと思う。ドラゴン並の大食いじゃないと――」


 ユイがそこまで言ったところで、エリカは目を見開いて紙を握りしめた。頬は緊張に強張り、手は小さく震えている。


「それね」

「……えっ?」

「貴女の言った通りよ。肉を大食いする戦力が前線に集められる予兆よ」

「まさか――そんな」


 そこでわかったのか、ユイは手にしていたペンを取り落とした。人間の兵員では消費しきれないほどの大量の肉が前線に送られる――それが指し示す答えは、ただ一つだった。


「――アルタヴァ軍は前線に竜騎兵を送り込むつもりよ。それも大規模空襲――輸送の算段がついた時点で本国から一気に航空隊を送り込んで、ヴェーザー王国軍を焼き払うつもりでいる……!」


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