第117話 燃える誇りのままに
決して狂乱に陥らず、されど炎のごとく苛烈に臨め――国軍を預かる士官としての教えと、諸侯の先陣を切るブレイザー男爵家の教えは、奇しくもほぼ同じものであった。突撃の号令が鼓膜を打つやいなや、アイリスは愛馬に命令を下し、流星となって闇夜を突き抜けていった。
通常の部隊であれば明らかなスタンドプレーであり、単身での突撃という自殺的攻撃にほかならない。尋常の組織であれば愚行と断じられても不思議ではない突撃であったが、第七分隊の面々にとっては、それが最良の「戦術」であった。
アイリスの騎乗技術は分隊でも卓越している。他を圧倒的に寄せ付けないその技術は分隊にとっての最高の武器であった――が、それは同時に彼女に追随可能な援護手が存在しないことをも意味していた。
馬上での戦技であればエリカの技術はアイリスに次ぐものの、二人の間にある技量の開きはあまりにも大きく、なおかつアイリス自身の乗馬技術と、優れた能力を持ちながら彼女の他には心を開かなかった孤高の軍馬である《ブリッツ》の相乗効果は、護衛を必要ともしない程の戦闘能力を生み出していた。
それ故、第七分隊はアイリスを槍の穂先とすることを躊躇わなかった。並の兵士では――少なくとも徒歩のゲリラ兵では彼女を止めることなど不可能であるし、手練の騎士を一個分隊動員したところで、稲妻のような進撃を僅かに押し止める程度のことしか出来ないと、全ての隊員が理解していた。
そして何より、アイリス・フォン・ブレイザー本人の気質がそうさせた。戦場においては誰よりも前へと進出し、兵士を導いて槍を掲げる――騎士道華やかなりし時代、「一番槍のブレイザー」の名と共に前線へと飛び出し、ある者は帰ってこなかった――誇り高き先祖たちと同じく、彼女は雷鳴よりも高々と雄叫びを上げて敵陣へと突撃した。
(この背中に続く者のために、私は――)
体感できる限界を超えて後方へと飛び去るように流れていく景色も、篝火を手にした敵兵が吹き鳴らす笛の音も、威嚇射撃の銃声も――戦場の狂気、尋常の兵士であれば恐怖するに違いない全てを意識に捉えたままに、彼女は冷静さを保っていた。
「止まれ、貴様!」
「押し通るッ――!」
着剣した小銃を構えた歩哨が一瞬にして眼前に迫る。村の周辺を警戒していたそれに対して、アイリスは槍の穂先を真っ直ぐに突きつけたまま、電光のように駆け抜けていった。圧倒的な速度を乗せた突撃が革製の胸甲もろともに敵兵を刺し貫き、アイリスはそれを一瞥して軽々と放り捨てた。
斃した敵に頓着することはない――彼女の鋭い眼光は、次の標的に狙いを定めている。警戒は既に発せられ、民家を拠点にしていた敵兵が数名、彼女の側方へと躍り出る。ターンして狙う余裕はない――アイリスは手綱を軽く引くと、槍を手にしたまま《ブリッツ》を空中へと踊り上がらせた。
主の命令に対して、忠実なる愛馬の反応は迅速であった。瞬時に五メートル近く垂直に飛び上がり、側面に展開していた兵員の射撃を回避――そのまま空中で体を振って頭を下に向けると、アイリスに攻撃の機会を与えた。
(降下攻撃――いや、ここは……!)
空中で手綱から手を離す。極限の危ういバランス――その中で、彼女はグレネードポーチから一発の手榴弾を取り出して火を着け、飛び出してきた敵の一団――降下攻撃に備えて着剣した歩兵一個小銃班目掛けて投げつけていた。
空中からの擲弾攻撃――従来の騎兵戦闘においては全く予想不可能な攻撃に対し、地を這うばかりの陸兵に抗う術は無かった。手榴弾が地面に落ち、兵士が悲鳴を上げてその場から逃れようとした瞬間、それは大音響と共に炸裂し、周囲を覆っていた薄い金属製の外殻、そして内部に詰め込まれていた無数の金属片を衝撃波と共に飛散させ、円周状の殺傷範囲を形成した。
くそったれ、と叫ぶ声すらかき消して爆光が閃き、周囲の兵士を薙ぎ倒す。打ちのめした敵の只中にアイリスは着地すると、手にした槍を大きく薙いで立ち上がりかけていた者をその場に叩き伏せ、まだ息のあった者の背中に穂先を突き立てた。
突如としてなだれ込んできたユニコーン騎兵に対して、アルタヴァ軍民兵の動きが止まる。だが、それも僅か一瞬のこと――敵だ、と叫ぶ声と共に銃弾が降り掛かった。
閉所や山間部での戦闘に最適化して短縮されたショートカービン、あるいは短く切り詰められたソードオフ・ショットガンといった多種多様な近接戦闘用小銃が火を吹いてアイリスを追い詰めたが、放たれた弾丸のことごとくが空を切る。
そして、再装填に必要な――正規兵と比較しても十分に「短い」とも言えるその時間が、彼ら民兵隊にとっての命取りとなった。アイリスに続けて突入してきた第七分隊の兵員の攻撃は迅速であり、尋常の騎兵であれば見逃しかねない僅かな機会ですら、敵を鏖殺するに十分であった。
愚かにも短剣を振るって指揮を執っていた分隊長の頭蓋がオリヴィアの狙撃で弾け飛び、立て続けに放たれたエリカの一射――オリヴィアほどではないにしろ、並の兵士からすれば驚異的な精度といえる射撃が、その隣に立っていた敵兵の心臓を撃ち抜く。
それに続く三連射が頭を押さえ込み、次の瞬間にはターンして突っ込んできたアイリスの槍の一閃が歩兵のことごとくを蹂躙した。時間にすれば数分――だが、その殺戮劇は民兵隊の士気を挫くには十分であった。家屋の窓から散発的な射撃を繰り返しながら後退を続ける者も、すぐさまオリヴィアの反撃によって頭蓋を弾かれて沈黙した。
士気が保たれている限りにおいて、ゲリラ兵――正規訓練を受けていない兵員の作戦遂行能力は正規軍と比してもそう大きく劣るものではない。むしろ、郷土――場合によっては街区単位を編成単位とすることさえある民兵隊の紐帯は極めて強靭であり、戦友としての意識はより強い。
だが、その紐帯すら破壊するほどの圧倒的戦力――尋常の兵法では太刀打ちできない幻獣騎兵などを投射されれば、途端に彼らの弱点が露わになる。正規軍と比較して軽便な兵装では十分な火力による反撃を行うことができず、隠密行動あるいは隠匿を重視した、軽歩兵を中核とする部隊編成は、騎兵の機動力と打撃力に追随できないという問題点を有する。
それ故、彼らは眼前に出現した圧倒的戦力を前に、ただ一つ自らが生き残る道――離脱を選ぶ他になかった。それは、第七分隊にとって戦術的な勝利を意味するものであった。しかし、それは同時に彼女らにとってある一つの破滅的結果を導くものでもあった。
拠点としていた家屋から飛び出し、散発的な反撃――撃破ではなく遅滞を目的とした射撃戦を繰り返しながら、アルタヴァ軍民兵は猛然と森の只中へと逃げ出していく。その先に待っているのは、老人や婦人、あるいは少年少女といった非戦闘員の一団である。
「待て、このクソども――」
カレンが怒りに燃える声を発し、槍の柄を握りしめる。その瞬間ばかりは、誰もが同じ感情を抱いていた。村を奪った外道を殺さなければ、罪なき者たちは「敵を引き入れた反逆者」として蹂躙される。そればかりは許すことができない。
(私は、軍人として――)
燃え上がるエリカの瞳が、逃げていく敵の背中を捉える。彼女は部隊長であるが故に、誰よりも現状を深く理解していた。集積拠点を襲撃し、民兵隊を駆逐するという目標は既に達成されているため、敵の追撃の必要は無い。
だが、彼女の内に燃える軍人の誇りが、逆徒として殺されるであろう無辜の命を見捨てることを許さなかった。討つべきはアルタヴァ政府とそれに従う共和主義の軍勢であり、圧政に苦しむ民草ではない。彼女は深々と息を吸い込み、燃える正義のままに命令を下した。
「分隊長として命じる――外道どもを、一人残らず駆逐しろ!」
――それに応えたのは、闇夜を貫く五つの雄叫びであった。