第116話 奪還の夜
「あんたら、ヴェーザー王国の軍人さん――それも騎兵隊だろう? お願いだ、民兵隊の無法者を追い払ってくれ! あの連中、村を占領しちまって儂らを追い出しやがったんだ! 頼む場所がもうどこにもないんだ……! 頼む、あいつらを叩き出してくれないか……!」
深夜の森に響いた声――敵国の市民が助けを求めるそれに対して、第七分隊は一様に眼を丸くした。民間人に紛れたゲリラ兵による攻撃を警戒していた彼女らにとって、それは全く予想外のことであった。
「……何ですって? 私たちが、共和国軍の部隊を撃破することを歓迎しているように聞こえたのだけど」
訝しげにエリカが問い直すと、老人は彼女の手を握ってその場にひざまずき、さらに言葉を続けた。
「そうだ……! 他に何も頼れるものなんてない、あんたらがあの連中を追い出せば、土地も家も帰ってくる。国軍みたいに統制の取れた連中じゃない、共和国政府の印鑑こそ持ってるが、軍服を着た野盗みたいなものなんだ、だから――」
「――待ちなさい。貴方は、自国の兵士が死ぬことを望んでいる。国を売るつもり?」
敵国の市民に対してするにはおかしな問いかけだ、と思いながらもエリカが言葉を投げかけると、老人は一度目を伏せてから、確かな声で答えを返した。
「共和国政府なんてものができる前は、領主様が我々の面倒を見てくださっていた。贅沢ができるような生活じゃなかった――が、誰も飢えずにいられた。だがな……革命が起こってから、何もかもがひっくり返った。領主様は処刑されて、代わりに共和国政府を名乗る役人がやってきて……軍部に送ると言って種籾すら持っていくようになった」
「……」
「それでも儂らは耐えてきた。他にできることなんて何も無かった――長男まで兵役に取られ、娘は国営工場に徴用されて帰ってこない。それでも徴税は厳しくなるだけで、何も良くなどなりはしない。最後は……この有様だ。ヴェーザーとの戦争のために、村をまるごと接収されて追い出された。そうだ――儂らは売国奴だ。国を売って、村を買い戻す」
エリカは暫し無言のままでいた。眼の前の老人の言うことを信用してもいいのか――裏でゲリラと結託して自分たちを地獄に追いやろうとしているのではないか、という疑念が絶えず湧き上がってくる。
現地住民との共闘というのはあらゆる戦争で見られた形態であり、一部ではそれが戦局を決定的なものにすることさえあった――が、敵が民間人の間に隠れることを得意とするアルタヴァ軍であるという事実が、彼女に一定の警戒心を抱かせていた。
「私たちと共闘すれば、貴方たちは村を取り戻せる。そして、私たちは敵の前方小拠点を叩くことができる……そういうことかしら?」
「ああ、そうだ――儂らには、他に方法がない。ここはどうか――」
助けてくれないか、と言おうとした老人を制して、エリカは瞳に鋭い輝きを宿したまま口を開いた。
「……貴方たちが民兵隊と通じていない証拠があるのかしら」
「そんな――あんな連中……!」
「証明できないなら、私たちは警戒を解くことはできない」
「待ってくれ、こっちは本当に――」
銃を構えようとしたエリカを前に、老人は慌てたように声を上げた。その様子で嘘ではないと判断したのか、エリカはカービン銃の銃口を下ろしたまま、避難民と思われる村人たちをまじまじと見つめ、続いて隊員に命令を下した。
「分かった……ボディーチェックを。武器はもちろんだけど、暗号用の数表を隠し持っていないか徹底的に調べて。それから判断する」
「つまり……我々の村を解放してくれる、と?」
「厳密には違うわ。敵の物資集積拠点になっている可能性が高いから、そこを襲撃するだけよ。軍事物資は焼き払うし、貴方たちを戦闘に関与させるつもりはない。もちろん監視もつける。人道支援のために来たわけじゃない」
その言葉を聞いた老人の眼に光が宿る。避難民たちも一様に表情を明るくし、第七分隊に期待の視線を向けた。
「……それでも、民兵隊を追い出してくれるんだな?」
「結果的にはそうなるでしょうね――くれぐれも、作戦中は迂闊な真似はしないで。私たちは……貴方たちの命にまで責任を持てない。戦いが始まったら引っ込んでいて」
「ありがとう……どこの騎兵隊かは知らないが、助けてくれるのだな。みんな、この方たちを村まで案内するぞ!」
老人が拳を突き上げると、村人たちも声を上げて拳を握りしめた。予想もしない事態に隊員たちは驚きを隠せずにいた――が、その胸中には不思議な高揚感があった。人道支援や市民の解放のために来たわけではない。
だが、自国の国民すら踏みにじるというアルタヴァ側の圧政を打ち砕き、苦しむ民を救うことを、彼女らはある種の聖戦であるかのように感じていた。もちろん警戒はする――が、ただ敵を打ちのめすだけでなく、何かを救うことができるという一点において、彼女らの戦意は確かな昂ぶりを見せていた。
(人民のための政治を打ち立てるはずの共和革命が、逆に人民を苦しめている……か)
やつれた村人たちを監視しながら、アイリスは隊列を組ませて村へと向かう道を案内するように命じた。列を組んで薄暗い森を行く村人たちの周囲に第七分隊は展開――周辺を警戒しつつ、静かに進み続ける。村人には老人が多く歩みは決して速くはないが、そのゆっくりとした歩調は、結局休むことのできなかった兵士たちにとって貴重な休息の時間を与えた。
「……この先が村だ。松明は使えん……ついてきてくれ」
出発して数時間後、先頭を進んでいた中年の男は立ち止まって全員に松明を消すように命令を下した。その代わりに、ポケットに入れていた小さな袋から紐で繋がれた小石――薄っすらと蛍光を放つ低純度の魔鉱石を取り出すと、エリカの前でそれを揺らした。
「こいつの光についてきてくれ。民兵隊が見えたら俺たちは止まる。あとは……おたくら騎兵隊の好きなようにやってくれ。命令通り、俺たちは森の奥で引っ込んでいる。子供や年寄りを守らないといけないしな」
「わかったわ――貴方たちも、気をつけて。村を制圧したら伝令を送るから、それまで耐え忍んで。敵の巡回が来たら……」
「荷車に斧と鉈を隠してきた。騎士相手の切り合いは無理だが、身を護る程度ならどうにかなる……はずだ。頼んだぞ」
そう言って、男は足音を殺しながら歩き始めた。第七分隊の面々は一瞬だけ視線を交わすと、静かにその後に続く。民兵隊が侮るべきでない相手であることは訓練学校でも散々叩き込まれたし、何度かくぐり抜けた実戦でもその技量を把握している。
万が一後方に敵が回り込み、市民の列に襲いかかったならば――そこまで考えて、エリカは首を振った。もしそうなれば誰も助からない。成り行きで協力することになった敵国の市民であり、任務上何の責任も負っていないとしても、死なせてしまえば後味は良くない。
そのまま数十分間薄暗い森を進んでいくと、第七分隊の眼前が不意に開けた。森林地帯を抜けて平野部に出た――その先には、小さな明かりがいくつか見えていた。
「案内できるのはここまでだ。あの明かりが俺たちの村だ。もう敵の哨戒線に入っているかもしれない。後のことは、任せる」
「……ええ。貴方たちも――ご武運を」
敵国の市民にかける言葉ではないな、と思いながらもエリカは敬礼を送り、続いて辺りに展開した分隊員たちに視線を向けた。
「これより我々は敵の前線集積拠点を奇襲する。目標は村落であり、アルタヴァ国民の財産が含まれている。ヴェーザー軍人の誇りに照らせば、罪なき人民の財産を傷つけることは許されない。軍需物資はことごとくこれらを焼き払え。だが、民草の家は燃やすな――征くぞ」
闇夜でサーベルを抜くことはしない。その代わりに槍を真っ直ぐに構えて、エリカは闇夜の向こうにちらつく灯を見据えて命令を下した。
「――第七分隊、突撃!」