第114話 罪は風に溶けた
先端が開かれてから数分――六人の騎兵による突撃は、一個中隊規模の輸送隊列をあっさりと鎮圧するに至った。小隊といっても大部分は軽武装ないし非武装の輜重兵であり、まっとうな兵力として換算できる護衛戦力は小隊規模にも満たない。理論上はごく当然の勝利――それを収めた第七分隊は、淡々と兵士たちを拘束していった。
「動くなよゴミども、殺さなかったのは弾がもったいねえからだ――おとなしく縛られとけ、運良く捕虜交換のダシになったら帰れるかもしれねえからよ……今は黙ってろ」
「っ……!」
アルタヴァ軍の兵士たちは一様に悔しげな表情で目を伏せた。部隊の規模では圧倒的に優越しているが、将校あるいは下士官に対する集中攻撃で統制を乱され、武装に劣る輜重兵を一気に突破することで戦線を崩して士気を崩壊させられた。
あとは誰か一人が武器を投げ出して投降すれば、連鎖的にその環は広がり、圧倒的な数的優位を保ったままに敵に投降せざるを得ない結果となる――古来より士気の維持が鉄則とされる理由の一つが、今アルタヴァ軍の前に結果として立ち現れることとなった。
その法則を確かなものとするのは絶対的な力である。その点において、第七分隊はこれ以上ないほどの適性を備えている。現状、輸送部隊では絶対に太刀打ちできない戦力であり、あらゆる抵抗を踏み砕いて前進するその姿こそ、アルタヴァ軍輸送隊の心をへし折ったのである。
「お嬢、そっちはどうなった? ここはあらかた終わったぜ、縛って転がしとけばいいんだろ? 武器も全部没収して、そこに積んである」
「うん、こっちも大丈夫――抵抗しないで。私たちには、貴方たちを殺す理由がある。あえてそうしない理由を考えて」
縛り上げた捕虜が立ち上がろうとしたところを、アイリスは素早く槍の石突で制してカレンと視線を交わした。その背後では、既に捕虜の拘束を終えたエリカとユイが、メモ帳と鉛筆を片手に鹵獲した物資の把握に当たっていた。大部分は食糧と水――それ以外には馬匹の飼葉や弾薬などといった、ごく基礎的な補給物資である。
「ユイ、衛生資材は使えるかしら?」
「野戦医療用のキットが一つだけ。王国軍のとは規格が違うけれど、消毒薬とか、医療器具なら使えるかもしれない。包帯とかなら余裕があるけれど……鹵獲するほどでもないと思う。救援が必要な友軍がいるなら持っていくけど、いらないかな」
「なら焼却しましょう。水と食糧も必要だけど、今の私たちじゃ運搬にも限度がある。肉類だけ奪って、あとは燃やしていくしかないわね。弾薬はいくらでも使いみちがあるから、擲弾も含めて持てるだけ持っていきましょう。貴方たち、そこをどきなさいな」
敵から奪ったばかりの指揮刀を見せつけるように光らせながら、エリカは冷たい目で周囲の兵士を睨みつけた。金色に輝いてはいるが、真鍮を磨き込んだ拵えに、研磨剤で鏡面加工した刀身――当然ながら刃付けなどされておらず、真っ当な軍刀と打ち合えば一刀両断される程度の代物である。
アルタヴァに貴族が生き残っていた時代には黄金拵えのサーベルを手にした指揮官が戦場を駆け、鍛冶職人が鍛え上げた刃でもって戦っていたが、今となっては工業的規格のもとに制作された、見た目だけのなまくら刀を振り上げ、小役人的な計算のもとに戦いを行う者ばかりとなった。
その象徴とも言える見た目ばかりの指揮刀を大げさに振り回して周囲を威圧しながら、エリカはすぐ近くにあった木箱に銃床を振り下ろし、厳重に梱包されていた火薬類を一つ一つ丁寧に背嚢に納めていく。
ついでとばかりに側に倒れていた少尉から拳銃を奪い取ると、彼女はポケットに入れていた結晶体――通信用に渡された共振結晶を取り出した。その隣にカレンとテレサが素早くガードにつき、銃剣の切っ先で周囲の兵士を牽制する。
「……こちら第七。座標19の38にて敵の輸送部隊と遭遇。これを撃滅す、どうぞ」
『了解した――ご苦労だった、シュミット軍曹。敵の補給物資内訳は?』
「大部分が水と糧食、あとは僅かな弾薬類と、馬匹用の飼葉、衛生資材などです。役に立ちそうなものは……ほとんどありません。一部を鹵獲し、焼却します」
『わかった、やってくれ――捕虜はいるか?』
「投降した輜重兵を武装解除、拘束しています」
エリカのその答えに、司令部付の副官と思われる通信手は少しばかり間を置いてから応じた。
『捕虜については我々のほうで始末をつける。物資の焼却は武器に関してのみ行なえ。三十分以内にワイバーン小隊を送り込む、貴官らは小休止の後、その場から離れろ。巻き込まれたくなければ、早めに近くから離脱することだ』
「――了解いたしました」
『なら、行け。次の目標を捜索、撃滅するといい。現場での裁量は委ねる――以上』
その言葉を最後に、司令部との通信が途切れる。エリカは背後で不安そうな表情を浮かべる敵の輜重兵に一瞥をくれると、共振結晶をポケットに収めた。
(……ワイバーン隊が来るということは、何もかもを吹き飛ばすつもりね。物資だけじゃない――人間もろとも、全部)
あまり気分のいい話ではない、とエリカは思った。大規模な地上部隊であればその場で投降、後方の収容所に送るなどの方法も選べた。だが、たった六人の部隊に投降したところでどうすることもできない。
結果的に他の部隊に始末を任せることになるが、司令部は捕虜の獲得――それも敵占領地域にまで出向いてそれを行うだけの余裕はないと判断した。慣習的に守られてきた戦時国際法においては明確に罪と看做される行為ではあるが、戦場にそのようなものが通用しないことは、戦史を学ぶまでもなく理解できることだった。奇襲に遭って全滅した、と言われれば、誰もそれを明らかにすることはできない。
「……司令部は何と?」
問いかけてくるアイリスの瞳は澄んでいたが、その透明さがエリカの胸を締め付けた。国民軍と銃火器の発達によって失われつつある騎士道をその身に纏い、誰よりも気高く戦い抜く勇士を前に、残酷な現実を露わにしなければならないというジレンマ――それに耐えながら、エリカは自らの責務を言葉にした。
「ワイバーン隊がすぐここに来る。殲滅よ」
「……」
アイリスは何も言わなかった。彼女とて、戦場が清廉なものであるという幻想を持っているわけではない。投降した敵兵を問答無用に焼き払う程度のことは歴史上そう珍しいものではないし、捕虜を取らない部隊が存在することも知っている。
無論、騎士の誇りに照らすならば白旗を上げた者を撃つことはできないし、ここに捨て置いた捕虜が焼き払われることにも賛成できない。だが、自分たちが国家を扶翼する存在である以上は、任務を達成する以外に王家への忠誠を示す方法はない。
「……分かった。必要な物資を回収して、人は置いていこう」
「……ええ」
自らの行いは罪である――だが、命令に忠実であろうとするならば、手を血に染めずにはいられない。アイリスは小さく息を吐いて、足元に倒れたままになっていた将校――狙撃で倒した中尉の胸元に手を伸ばすと、弾丸に貫かれて砕けた徽章と認識票を奪い取り、腰に提げていた雑嚢にねじ込んだ。エリカはその姿を少しの間複雑な表情で見つめていたが、やがて右手を掲げて全員に命令を下した。
「総員傾注――撤収するわ。この連中は後続の部隊が始末をつけてくれる。私たちは日没まで任務を継続。行くわよ」
『了解!』
分隊のそれぞれが分捕り品を背嚢に詰め込み、困惑する敵を置き去りに乗馬――そのまま全力で森の彼方へと駆けていく。その最中、エリカは一度だけ背後を振り返った。果てしなく続くようにも見える森の向こう、木々の隙間に小さな影が見えた。数は六騎――翼を持った騎兵の一団である。
姿を現した一瞬後、そのことごとくが森へ向かって急降下した。直後に魔力の奔流――ブレスが空気を貫く甲高い轟音が響き、土煙が高々と立ち上った。本物の竜騎兵ほどではないが、地上人員を吹き飛ばし、薙ぎ払うには十分な威力であった。
(手を下したのは、私たちじゃない――けれど……)
――殺したのは、私だ。
エリカのその思考は、言葉にならないまま風の中に霧散していった。