第109話 戦火再び
最悪の報せというものは、概ね平凡な手段で伝えられがちである。現役の佐官から一介の下士官に対して、命令あるいは連絡といった形式で伝えられたのならばまだエリカも余裕を保っていられたであろう。
表向きは家族同士の私信としてやりとりされたという事実――それが、事態が極めて深刻であることを何よりもよくエリカに理解させていた。家族間の私信はといえども届け先の憲兵隊によって最低限の検閲を受けるのが恒例であり、概ね例外は認められない。
しかし、それが佐官、特に王都防衛大隊の指揮官が差し出したものともあれば、形式上は検閲されたことになっているものの実質的にはほぼ無検閲であり、暗殺魔術のような特殊な術式反応、あるいは毒物などが検出されない限りは開封されることはなく、中の文書について触れられることもない。
「……」
エリカの額を冷や汗が伝う。激しく心臓が脈打ち、封を切ることもままならない。震える手で腰のナイフを抜くと、彼女は深く息を吸い込んでゆっくりと封筒を切り開け、その中身をそっと机に落とした。
「……開けていいかしら」
「確認されても困るぞ、インテリ。ついでに……中身を見ないほうが幸せになれる、って言っておくなら今しかない」
「……」
カレンの言葉に、エリカは暫し黙考し――そして、顔を上げて全員に告げた。
「一応、私一人で確認するわ。私個人宛かもしれないしね。もし政治的な内容だったら、簡単に私から説明するわ。知らないほうがいいことは、私も教えない」
敢えて情報を開示しないという選択は、仲間を信頼していないという意味ではない。極めて危険な政治的事件に巻き込まれている現状、危険な秘密を握っている存在は少ないほうがいいという彼女自身の戦術的判断によるものだった。
エリカは何度か深呼吸すると、ゆっくりと手紙を開いて目を通していく。彼女の顔色は決して良いわけではないが、それでも取り乱すようなことはない。表情を隠したまま難局へ飛び込める程度の精神鍛錬は軍に入隊する前から施されている。
確認にかけた時間は三十秒程度――全て読み終えたエリカは小さく頷いて手紙を畳むと、軍服のポケットに押し込んだ。それから緊張した面持ちの仲間たちのほうを振り向くと、真っ直ぐな視線を向けたまま口を開いた。
「……簡単に言うわね。シュヴァイガートは軍籍を抹消されたわ。けれど、半分はタカ派が自分から売り飛ばしたようものね。まあ、ここまでは予想通り――けれど、主戦論は未だに収まっていない。あくまでシュヴァイガートの個人的な失態であって、政治的なイニシアチブを握る材料にはならない」
『……』
分隊員たちは一様に表情を曇らせた。政治的にはもちろん、実際に「命がけ」の行動に出たものの、得られた結果はその程度――政治に対して微々たる影響力しか行使できなかったという不満を露わにする彼女らをなだめるように、エリカは言葉を続けた。
「……暗い顔をするわね。けれど、まあそういうものよ。ただ、問題はここからよ――昇進で空いた席に座ったのがタカ派の人間だった。人事に関しては陸軍大臣と幕僚監部に一任されているから、政治的にはもうどうしようもない。今すぐにとは言わないけれど、アルタヴァと近い内にもう一戦交えることになるかもしれないって」
「もう一戦って……睨み合いが続いてるって聞いたけど、破られるのか」
緊張した面持ちでテレサが問いを投げると、エリカは僅かに間を置いてから応えた。
「……詳しいことは書かれていないけれど、アルタヴァ側に部隊の移動が確認されたそうよ。一応非公開情報だけど、国境駐留部隊で噂にはなってるみたい。それと……」
さらにもう一言何か話そうとして、エリカは急に口をつぐんだ。そこから何かを察した五人は一瞬だけ視線を交わして小さく頷く。知るべきでない秘密を知っている――それだけで、兵士の寿命は大きく縮まる。
「……分かった。言わなくても、いい」
アイリスのその一言で、エリカは肩の力を抜いて手近な椅子に腰を下ろした。それからしばらくの間無言の時間が続いたが、不意にエリカがぽつりとつぶやいた。
「戦いから逃れられないなら、勝って笑うしかないのよね」
当たり前にも聞こえるその一言は、全員の胸に重く響いた。それぞれが技術を身に着けた特殊要員である彼女らにとって、戦うことと勝利することは、自らが生きる意味に直結している。手にした力を振るい、立ちはだかる仇敵を打ちのめすことによってしか勝利を掴みえないという冷たい現実の中に彼女らは生きている。
「……だな。死んじまったら笑えねえ。だったらよ、アタシは――」
握りしめた拳を左胸に当てて、カレンは全員の顔を見回した。
「部隊に剣を向ける連中は全員ぶん殴ってやる。アタシの前に立つやつは、どこの誰だろうとブチのめす。生きて帰って笑わなきゃ、今までの苦しみ全部が嘘になる。アタシらユニコーン隊は、救ってきたやつらにとっての希望であり続けなきゃいけないし、救えなかったやつらの無念を背負って戦わなきゃいけない……なんて、らしくねェか」
「……いえ。感動したわ」
ふっと笑みを浮かべたエリカは椅子から立ち上がり、机に置いたままになっていたナイフを真っ直ぐに構えてから腰の鞘に静かに戻した。その瞳が見つめているのは破局的結末ではなく、勝ち残る未来だけであった。
「生き残るわよ。私たちは誰も死なないし、死んじゃいけない。他の分隊も、隊長もそう。必ず五十人で生き残る。それ以外に、私たちに残された道はない。だから――」
彼女がそこまで言って右手を差し出したその瞬間、再びドアをノックする音が響いた。急に興を削がれたエリカは露骨に不機嫌そうな足取りでドアを開け――途端に表情を引き締めると、その場で敬礼した。
「何だ、そんな場所で円陣を組んで。貴様らの楽しい決起集会の邪魔でもしたかな」
不思議そうな表情で顔を出したのは、若干ばかり疲れた表情のベアトリクスだった。その手には異常な分厚さの書類の束――そして、腰には拳銃が一丁提げられている。
「……いえ。お気になさらずとも」
「まあいい。貴様らには先に伝えておきたいことがあってな――アルタヴァ軍に動きがあった。睨み合いを破るつもりかしらんが、国境近辺の戦力が再増強されている。一撃加えてくる可能性は十分にある」
「出撃――ですか」
「そうだ。貴様らは四十八時間後に出撃、山脈を踏破して敵の前方へと進出してもらうことになる。基本編成は四個分隊――だが、貴様ら第七分隊は越境部隊として敵の後方へと回り込んでもらう」
『……!』
その場の全員の表情が途端に緊張を帯びる。停戦協定に関する公式会談が持ち上がるより先に、直接的武力衝突の危険性が持ち上がる――それ自体はエリカから聞かされていたが、それ以上に彼女らを驚かせたのは単独潜入という命令であった。
その命令が驚愕を与えるであろうことをある程度分かっていたのか、ベアトリクスは少しばかり声のトーンを落として少女たち全員をざっと見回し言葉を続け、ポケットに入れていたものをエリカに手渡した。
「越境作戦は貴様ら六人だけでどうにかしてもらうが……一つだけ、役に立つ道具を渡しておく。先に言っておくが、こいつは貴様らのチンケな年俸の五倍はする。失くしたり壊したりするなよ」
「イエス・マム――これは?」
手のひらに乗せられたのは、不可思議な虹色の輝きを放つ、金属の枠で囲まれた大振りな結晶体であった。流石の彼女にも検討がつかない――だが、ユイは横から答えを出した。
「……共振結晶ですか?」
「見事だ根暗女。人間の臓物以外に詳しいものがあったとはな――そうだ、こいつは共振結晶といって、軍魔道士の変態どもが空中で会話するときに使う術式に近いものを、普通の人間でも扱えるようにする特殊な道具だ……同じ母岩から生えた同質の魔力結晶に刻印を刻み、全く同じ性質を発揮するようにした魔道具……こいつで司令部と連絡を取り合いながら、貴様らには後方での偵察作戦と破壊活動を行ってもらう。期間は無期限、支援は無しだ」
『……』
その場の誰もが顔を見合わせていた。尋常の部隊ならばあり得ない危険を伴う任務――だが、彼女らが目指すものは勝利だけである。その行動が誰かを救うものであるならば、正義と名誉のもとに戦う兵士たちが引き下がることはない。
「……貴様らにやりきれるか?」
半ば挑発的な問いかけ――それに対して、彼女ら六人は声を揃えて答えた。
「――マム・イエス・マム!」