第108話 流動
「ご苦労だった……で良いのだろうか。貴様らが愚かすぎて、適切な言葉が見つからん。貴様らはこの惑星の法則から外れているのではないかと、私は時々思う」
「このクソ馬鹿ども、アザラシの×××に頭突っ込んでおっ死にくださいまし……が適切な表現かとは思いますけれど、とりあえず帰ってきたから出迎えて差し上げましょう」
任務を解かれ、後方の補給基地へと帰還した第七分隊を最初に出迎えたベアトリクスとリーアの言葉は極めて辛辣であった。軍政に深く関わる重大事件に踏み込み、結果として諸問題を引き起こす原因となっていたタカ派急先鋒の失脚劇に関与した――その報告を軍政本部から受けたベアトリクスとリーアは衝撃に打ちのめされる一方、どこか安心感すら覚えていた。
(この連中は相当に頭のネジが飛んでいる……が、飛び方が真っ直ぐだ。行動は間違いなくイカれ野郎のそれだが、王国軍人の備えるべき規範意識がそうさせた。こいつはもしかすると……)
分隊兵士はいずれも精悍そのものであり、その表情には一点の曇りも見られない。監査によって武器商人との癒着が暴かれ、それを誤魔化すために法務局の派遣した王都防衛隊を麾下戦力をもって制圧する――シュヴァイガート陸軍中将……否、元中将は軍における内乱の禁を犯し、第七分隊は反逆者として処刑される危険性を知りながらも己の正義、王国軍人の名誉に基づいて敢然と行動した。
その行為の英雄的側面はベアトリクスもリーアも十分に認識しており、結果的には軍部、特に国際協調派にとって目の上のたんこぶであったシュヴァイガートを排除することに成功したという一点において、彼女たちの行動は大いに価値のあるものであった。
だが、一歩間違えば命を失いかねない危険な行動でもある。第七分隊はユニコーン隊でも随一のスペシャリストを揃えた集団であり、失えば国防への損失は大きい。ベアトリクスとリーアは視線を交わすと、一歩前に踏み出して少女たちを睥睨した。
「貴様らバカどものおかげで事務屋の文官どもはてんやわんやの大騒ぎだ。間抜けを曝したシュヴァイガートにも問題はあるが、それを差し引いても貴様らの行動は過激に過ぎる。結果だけ見れば結構なものだが、手放しに称賛するわけにはいかん」
「あのいけ好かない政治屋モドキをブチのめしたことだけは褒めてさしあげましてよ。ただし、政治に首を突っ込んで丸焼きになりかけたのはいただけませんことよ――とりあえず……迎賓館暮らしで体が鈍っていないか確かめましょうか」
訓練学校を卒業して以来の凄みのある言葉に、面々は一様に後ずさりした。その趣旨は至って単純である。格闘徽章を保有する近接戦闘術のプロフェッショナルが、分隊の全員に代わる代わる格闘術のレッスンを行う――もっと単純な表現に留めるのであれば、軍規の範囲で遠慮なくボコるということである。
「……罰走に変えていただけませんか?」
アイリスが恐る恐る問いを投げる。せめてランニングならばまだ救いがある――そう期待しての言葉であったが、ベアトリクスとリーアは満面の笑みで応えた。
「駄目だ」
「駄目でしてよ」
自らの信念について疑うべき点は何一つない――が、言い渡された無慈悲な宣告は、彼女らに自らの行動がどれだけ政治的な危険性を帯びていたか理解させるには十分であった。
「……で、誰から逝く?」
「全員一緒にかかってきてもよくってよ?」
もはや逃げようがない。少女たちは一斉に敬礼すると、逃げるように訓練場に向かって駆け出していった。その背中を見つめるベアトリクスとリーアの瞳には、どこか呆れたような――だが、何か尊いものを見つけたときの鮮やかな光が満ちていた。
「ウソだろお前! 何でアタシんときだけ二人がかりなんだよ!」
訓練開始から数時間後、第七分隊の面々は兵舎の分隊居室に到着するなりその場に倒れ込んだ。全員が容赦なく叩きのめされたが、格闘術に長けたカレンには普通では足らないと判断されたのか、ベアトリクスとリーアが交互に襲いかかる特別メニュー――傍から見ていればほとんどリンチにも近い訓練であったが、一種の懐かしさすら彼女は感じていた。
「……ひっさしぶりにボコられたなぁ。ひでぇ有様だ」
ぐい、と腕を伸ばしてテレサが背中をさする。カレンほどではないにしろ、格闘巧者である彼女もまた、過酷なメニューの被害者であった。
「まあ、明日に引きずる罰走よりかはいいだろ。派手にやられたけどよ、立ち上がれる程度には容赦してくれてたからな。問題があるとすりゃ……」
「……今後の私たちの任務、ね」
カレンの言葉を引き継いだエリカの表情は硬い。それは決して、格闘訓練で受けたダメージによるものではない。指揮官としての役割が主となる彼女とて、体の痛みと思考を切り離せる程度に心身を鍛え上げている。
彼女の憂慮することは唯一つ、自分たちの行動によっても政治的なパワーバランスが変化せず、暴挙に出たシュヴァイガート中将ただ一人をスケープゴートに主戦主義者が権力中枢に食い込み続けることである。
政治的コネクションの広さに関して言えばタカ派が圧倒的――その大部分が汚職や癒着によって生まれたつながりであるにしろ、使える人脈であることに変わりはなく、陸軍大臣を始めとした王国政府中枢はその上澄みをすくい取って政治を執り行っている。
議会の大半が高級将校と門閥貴族によって占められ、未だ普通選挙という概念そのものが成立していないヴェーザー王国において、清廉を重んじることの利益はさほど大きくはない。
国際的穏健路線と政治的潔白を重んじるハト派を占めるのは、数少ない平民出身の将校に限られており、彼らの声は貴族制を中核に発展を遂げてきたヴェーザー王国の「歴史の壁」に阻まれることになる。
国法によって賄賂が禁じられ、過度の癒着が国益を害するという考えのもとで一定の政治監視機構は成立しているものの、隠蔽と偽装は絶え間なく行われている。シュヴァイガート中将に対する監察にも一定の意味はあった――が、軍部全体に巣食う問題を解決するには至らない。
「この一件でタカ派の力をどこまで削れたか、私たちには推測するしかない。政治に関する内部情報を得る手段が不十分な以上、私たちのところに情報が回ってきた時点で既に『手遅れ』の危険性がある」
『……』
エリカの言葉に、分隊員たちは一様に沈黙した。上層部のみで情報がやり取りされ、末端の一部隊である彼女たちに命令という形でそれが回ってきたときには、既に打てる手が無くなっている――彼女が恐れているのは、それだった。
今回の一件で、彼女たちは明確にタカ派に敵対した。シュヴァイガート中将を切り離すというやり方でもってタカ派が生き残りを企図することは明白だが、それは彼女らに対して敵対姿勢を緩めることには繋がらない。特殊部隊に対して直接的な暗殺を行うことはあり得ないにしろ、休戦明けの第一撃――恐らくはその一戦でアルタヴァ共和国軍を崩すであろう、最大の衝撃力を叩きつける初戦の最前線に送り込まれ、戦力としてすり潰される危険性は常に彼女たちを脅かし続ける。
希望が残されているとすれば、陸軍の意思決定における最高権力者――陸軍大臣が、彼女たちを重要な中核戦力として取扱い、同時にアルタヴァ共和国との国境戦役において彼女らに助けられた現場指揮官ら――その大半が政治的中立、もしくは平民出身者であるが故に心情的にはハト派に近い者たちの支持を得られるということである。
強力な打撃力を秘めた機動戦力は現場からの信頼が深く、少なくとも戦闘団単位では彼女らを簡単にすり潰すことは許容されない。前線で戦った数千の将兵からしてみれば、彼女たちは真実、前線に舞い降りた戦女神であった。
「私たちは戦わないといけない。けれど同時に、生き残らないといけない。私たちを生かしてくれた存在と、救えずこぼれ落ちていった命のために。死にたくないし、死んじゃいけない。そのために何ができるか、考えましょう。多くの情報を得て、自分たちが生き残る未来を探すのよ」
エリカの言葉に全員が深くうなずいたそのとき、不意に部屋のドアをノックする音が聞こえた。エリカはさっと振り返り、小さくドアを開けて様子を窺った――が、そこに立っているのが軍の伝令だと知ると、ドアを開け放った。
「何か?」
「書簡を預かっております。第十三幻獣騎兵独立部隊第七分隊、分隊長――エリカ・シュミット軍曹まで」
「……隊長の検閲は?」
「その件でしたら――不要かつ無粋である、と」
「無粋?」
困惑しつつも、エリカは手渡された書簡を受け取り――次の瞬間、大きく目を見開いた。陸軍の紋章が入った国防色の封筒、その右端に記されていたのが、他ならぬ彼女の父、シュミット陸軍大佐の署名であったが故である。
「……ありがとう。後で確認するわ」
単なる家族の連絡とは思えない――そう判断したエリカは一旦封筒を受け取って伝令を返し、分隊員たちをざっと見回してから口を開いた。
「……予想以上に政局は早く動いているみたいね。たぶん逃げられないわよ、私たち」