第107話 後始末、あるいは落とし前
深夜の陸軍省本部庁舎で、少女たちは騒乱の事後処理に当たっていた。第七分隊の乱入によって捕らえられたシュヴァイガート中将は憲兵の手によって連行され、生き残ったシュミット大佐と麾下の部隊のうち、負傷者はユイと居合わせた医官による手当を受けていた。
「全く、うちの隊長と副隊長ってやつは――とんでもないことをしやがる。おいそこのクズ、もたもた歩くんじゃねえ。インテリとお嬢に絡むなんざ百万年早いんだよ」
「さっさと行きな、生きて軍刑務所か、死んで地獄かどっちがいいか選ぶんだよ」
カレンとテレサは乱暴に捕虜の背中を小突いて進ませ、油断なく槍を構えてその背中を見送った。
中将の指揮下にあった兵士のうち、その半数は槍と蹄の餌食となった――が、残った半数はあっさりと降伏した。もとより政治的野心のおこぼれに与ろうとしていた者たちであり、本人は何ら政治に関する志を持たない。自らの身を護ることも叶わないとなった時点で、彼らに抵抗するだけの意志は残されていなかった。
「でもよ、ふたりとも――何でアタシらを連れて行かなかったんだよ?」
「水臭いぜ、何か秘密を抱えてたのは事実だろうけどさ」
槍の石突きでタイルを叩きながら、カレンとテレサは頬を膨らませた。確かに事情はある――政治的判断力に優れた二人が出向くことが、あの時点では最も適切な選択だった。騙されていたことに気づきはせずとも、最良の人選であったことに変わりはない。他の四人が慌てて駆けつけたのは、アイリスとエリカが部屋に鍵も掛けずに消え去ったが故であった。
「部屋で呑み直そうかと思って遊びに行ったら、誰も居ねェからたまげたぜ。お嬢は酔ったフリするし、インテリは妙な企み抱えてそうな顔してるし――こいつはいつもか」
「ちょっと待ちなさいな」
「まあそういうわけでな、アタシら的にも色々考えたのさ。お嬢とインテリが揃っておかしなことを考えてるとなると、こいつは政治だ……ってね。そんでもって――今は医務室で絶賛ハリキリ中のお医者様にご登場願ったってわけだ」
「……ユイが?」
エリカは一瞬驚いて目を見開いたが、すぐに納得して小さく頷いた。軍医局の重鎮であるならば、政治にも多少ばかりはタッチしていたとしても不思議ではない。それに、頭脳明晰な彼女にとって、ここまでの状況だけで何が起きているかを判断することは容易いものであった。
第七分隊の足を止める、あるいは目眩ましのような目的で催された宴会の場でアイリスが一芝居打ち、そして現在指揮権を一時的に掌握しているシュヴァイガート中将が熱烈なタカ派シンパである――それらの状況を総合的に判断した結果、ユイはアイリスやエリカと同じく、国内での武力衝突という予測を弾き出してのけた。
穏やかな心根故に、ユイは政治的な争いに関わることを嫌う。それは概ね普通の隊員たちもそうである。だが、仲間に危険が迫っているとなれば、話は別であった。アイリスとエリカが馬車で移動したという歩哨の証言、そして王都の地図から概ねの場所を推測、ユニコーンに飛び乗って駆けつけた――それが、第七分隊の兵士たちの選択であった。
「流石は軍医様の卵だ、アタシらとは頭の出来がまるで違う。魔法みたいだった。駆けつけてみれば酷い有様――だけど、あのオマヌケ中将がおしゃべりなおかげで助かった。自己顕示欲が強いんだろうな、ああいう手合は。自分で時間を稼いでくれたおかげで、エリカの親父さん――大佐も死なずに済んだ。被害がゼロってわけにはいかないが……」
「……十分よ。お父様を助けてくれてありがとう」
思いもよらぬ感謝の言葉に、カレンは相好を崩して軽く胸甲を叩いた。
「珍しいな、インテリからお褒めの言葉を頂いた」
「肉親を助けられたら、誰だって感謝はするものよ?」
「そりゃそうか――で、アタシらこれからどうなんだよ? 成り行き上仕方なかったとはいえ……指揮権を掌握している将官をやっちまったんだ。軍法会議にかけられたら死刑だぜ?」
槍の柄を何度か握ったり離したりしながら、カレンはエリカとアイリスに問いを投げた。罠に嵌められて殺されかけたとはいえ、彼女たちの行動は紛れもない反逆である。その行動は不当な理由によって武力を行使したシュヴァイガート中将の行動に反発してのものであり、軍事法廷の審理では間違いなく無罪放免であろうが、問題はより短期的なところにある。
「あの中将サマ、タカ派の急先鋒って話だろ。そいつをやっちまったら、ぶっ殺されてもおかしくねえ。仮に軍法会議を逃れても、下手すりゃ暗殺だ。アタシは嫌だぜ、そういうの」
「……まあ、そうなるでしょうね」
エリカは否定せず、こともなげに頷いた。だが、彼女はにやりと笑って言葉を続けた。
「何の後ろ盾もなければ、の話だけどね。やり方は至って簡単よ、カレン。この一件で私たちは政治的にフリーになったから寝返り上等だし、ついでに言っておくと即座に殺しに来るわけにもいかない。まあ考えてもみなさいな、取り込もうとした部隊に頭を丸かじりされて半殺しの目にあった時点で、連中は一度手を引くわ。失敗した仲間のために何か手を貸すほど、タカ派の軍政屋はお人好しじゃない」
「つまり……シュヴァイガートはこの失敗で完全にハシゴを外されたし、アタシらはハト派にガッツリ寄ることになる。誰も彼もそんな案件に触るのは嫌だから、しばらくは触りに来ない……」
「まあ、簡単に言えばそんなところね。シュヴァイガートは責任を被せられて表舞台から放り出されるでしょうし、私たちに即座に手を出すこともできない。ただ……国際政治の動きだけは、私たちだけじゃ止められない」
その一言にカレンが息を呑む。背後から刺し貫くことを前提とした偽りの休戦協定――継続的な平和の構築を試みるのではなく、国境での睨み合いを長引かせるうちに再侵攻の準備を整える戦時外交は、将官一人を止めたところでどうすることもできない。アイリスは一度目を閉じて、エリカの言葉を引き継いだ。
「外務省が一枚噛んでいる。シュヴァイガート中将の尋問から何か情報を掴むしかないけれど……話すかな?」
「私が思いっきり殴ったときにバカになってなければ……だけど。引き出す方法はいくらでもあるでしょうし、そこから先は私たちの守備範囲外よ。まああの様子じゃ、向こう三日はまともに取り調べできないでしょうけど」
派手に銃床を振り下ろしたことを思い出し、エリカはその行いを若干ばかり悔いた。だが、眼の前で父を拘束され、侮蔑の言葉をぶつけられたことで少なからず怒りを覚えていたのもまた事実である。直前で気付いたおかげで頭を叩き割る勢いで振り下ろすことはなかったものの、あとほんの一言でも挑発の言葉が多ければ中将はその場で頭蓋を砕かれていただろうことを、他ならぬエリカ自身が理解していた。
「殺したかと思ったぜ、インテリ」
「加減はしたわよ。貴女にやらせたら殺してたでしょ?」
「……まあ、否定はしないな。アタシだったら殺ってただろうさ。投降した連中はともかく、剣で斬りかかってきた馬鹿どもは……まあそういうことになるだろうさ」
どこか冗談めかした言葉であった。だが、口調の軽さとは裏腹に、その全てが紛れもない真実である。カレンの前に立ち塞がった者はいずれも圧倒されている。彼女は槍を一回転させて夜空を指し、笑みを浮かべてアイリスとエリカに視線を向けた。
「……次はアタシらも連れてけよ。心配なんていらねえからさ――ずっと、一緒だ」