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第106話 粉砕

「よく来てくれたと言うべきか、何故来てしまったというべきか――招いたのは私だが、なかなか面白い歌劇になりそうだ……死にゆく者のために、答え合わせをしようではないか、諸君?」


 軍靴を鳴らし、シュヴァイガート中将が一歩歩み寄る。口元には余裕の笑みが浮かび、手には金細工で鮮やかに飾られた拳銃が握られている。アイリスとエリカがこの場所に現れることをどこか望んでいたように、纏う雰囲気は楽しげであった。


「……何が言いたい」


 エリカが素早く小銃を構えようとしたが、途端に足元に警告射撃――石畳が火花を散らして弾け飛ぶ。彼女は渋々銃を地面に置くと、ゆっくりと両手を上げた。


「……わかった。アイリス、貴女も」

「……」


 同じくアイリスも武装を解く。彼女らの視界には、射殺された、あるいは剣を突き刺された兵士の亡骸が絶えず映り込んでいる。常人であれば錯乱しかねない阿鼻叫喚であったが、二人は強靭な精神をもってして耐え忍んだ。

 銃を置いた二人を前にして、中将は舞台の女優に対してそうするように拍手を送った。少なからぬ皮肉を帯びているその拍手に、二人は銃を置きながらも冷笑でもって答えた。


(……けど、武器は一つじゃない)


 袖口に隠したスライディングナイフ――一振りで刃が飛び出す両刃のナイフに意識を集中させ、アイリスは近づいてくる中将に視線を向けた。必中を期待できる距離まで寄ったところで袖口から振り抜きざまに投げつける。少女たちが花束や絵筆を手にする頃、彼女は短剣を渡されて修練を積んできた。武門の模範としてそうあるべきと定める家訓に基づいて、彼女は相討ち覚悟の戦いを挑もうとしていた。


「余計なことは考えないほうがいいとも、お嬢様方。答えを聞く前に死にたくなければ、妙な真似はやめるべきだと言っておこう。ああ――それから、先に言っておこう。私は銃を二丁持っているし、後ろの連中が外すとも思えない」


 手にした拳銃を交互に振り向けながら、中将は彼女らの五メートル手前で立ち止まった。投げナイフも格闘も、あと一歩届かない絶妙の距離――全てが計算された距離のとり方に、彼女らは密かに歯噛みした。飛びかかったところで、拳銃で額を射抜かれるか、小銃隊に滅多打ちにされるだけである。


「……そう、動かないことだ。もっとも――君たちはこのままだと、いずれ死ぬことになるが。これから始まる『答え合わせ』の後、生き延びる選択肢を与えることとしよう」


 やってみろ、と喉元まで出かかった声を飲み込み、アイリスは静かに中将の言葉を待った。沈黙を肯定と捉えたのか、中将は拳銃を向けたまま、楽しげな口調で話し始めた。


「ここに来たということは、恐らく君たちはこの夜に何が起きるのかを予測できていたのだろう。そして――それは同時に、あの瞬間に私を謀ったということにもなる。シュミット大佐が監察のために庁舎に入ったことを知りながら、君たちは何も私に報告しなかった」

「……」

「だが、その程度のことは私も当然予想できる。だからこその影武者だ……君たちに見せた通り、あの場所に私本人がいるべきではないからこそ、ああさせてもらった。だがな、シュミット軍曹――貴様の父親は、影武者を尋問するほど愚かでも無かったし、私の荷物や持ち出した書類を調べるほど退屈もしていなかった」


 そう言って、中将は背後で銃を突きつけられているシュミット大佐に一度だけ視線を向けた。


「見事なものだよ。大佐が監察に来るという情報は、私のところにもリークで入ってきた。議事堂庁舎、あるいは私個人の執務室――狙うならどちらかだと思っていたし、本人は実際に議事堂庁舎に監察に入った。だが……」

「……騙されてから気付いたか、愚か者」


 渋いバリトンの声――銃を突きつけられたまま、シュミット大佐は中将に向かって嘲りの言葉を投げつけた。途端に銃床が背中を殴りつけ、大佐は苦しげに息を吐いて沈黙する。


「……後ろが騒々しいが、まあいい。これで最後だ……ともかく、見事な男だった。自分を囮に使って、実際の監察が入ったのは商業ギルドだった。おかげさまで私は証拠を固められ、結果としてこのようなことをするしかなくなった」

「っ……!」

「なに、悪事などどこにでもある。清廉潔白な軍政家などいるものかよ、軍曹。君も将官になれば同じことをするだろうし、父君もそうするであろうとも。武器商人と軍人の付き合いとは、そういうものだ」


 武器商人から賄賂を受け取っていた――その疑いによって監察が入ったことを、中将は悪びれもせずに認めた。腐敗しない軍部は存在しないという歴史の必然を盾に平然とその場に立っている彼を前に、エリカは殺意の炎を瞳に燃やした。


「……言ったな、外道」

「何とでも言えばよい、軍曹。君の理想は美しいし正しいが、政治の世界では無力だ。清廉潔白という道は、勝利の門に続くとは限らない。そうだな――あと半日早くそれを知っていたら、少なくとも君は助かっただろう。この愚かな男はもう手遅れかもしれないが……おっと、妙な気を起こすなよ」


 拳銃を油断なくエリカに向けながら、中将は挑発めいた言葉をエリカに叩きつけた。袖口に呑んだ武器を抜き放つよりも、中将が手にした拳銃の撃鉄が落ちるほうが早い――それは彼女とて十分に理解している。だが、殺意ばかりは隠そうともせず、燃える双眸は揺らぐことなく眼前の敵を捉えていた。


「近代的国民軍……そう呼ばれるものを備え、官僚制を敷き、同時に自由経済が遍く市場を支配する国家においてはありがちなことだ。私をこの場で殺しても、その在り方は変わらない。全ての官僚が哲人となる日が来ない限りはな。君の義憤は、歴史の断崖に届かない」

「それが何だというの。私は――私の目に映る範囲で不善を打ち払うわ」


 返す言葉は堂々たるものだった。将官を前にしてなお、彼女が怯むことはない。その言葉に感心したように中将は頷き――そのまま、トリガーに人差し指を掛けた。


「だがな、軍曹。私は人差し指一つで君の理想を終わらせることができる。そして――君の後ろにいる父君の理想も、この場で叩き潰すことができる。国家を動かす力の本質は、突き詰めれば暴力に過ぎん」


 中将はそう言い切って、拳銃を突きつけたまま笑みを浮かべた。多弁なことだ、と顔をしかめる二人を前に、彼はさらに言葉を続けた。


「それと――君たちをここに招いたのは、私だ。シュミット大佐が自分自身を餌に私を釣り出し、雌雄を決しようとするだろうことまでは読めていたからな。同時に、君たち自身がそれを看過しないだろうことも予想できていた。その上で『今夜は外に出るな』と言っておいた。そうすれば、反骨精神に溢れる若者は闘志を燃やすだろうと思ってね」

「……」

「同時に、状況の急変は冷静な判断力を失わせる。それは別に、混乱の中に思考を飲み込むことばかりではない。君たちの元に送った使者がいい例だ――あれは私の腹心だよ。君たちは書簡の文面を見てハト派が救援を求めてきたと勘違いしたようだがな」

『……!』


 事実としてその通り――予想通りに事態が進み、武力衝突という最悪の展開へと状況が突き進んでいることに意識を取られた彼女たちは、眼前の相手を無条件に味方であると認識していた。その錯誤を起こさせること――それが、シュヴァイガート中将の仕掛けた一手である。


「結果はご覧の通りだ。若さと勢いに乗せられた軍曹は見事に釣り出され、愚かな佐官は処刑される。さて……ここまで教えてやったんだ、提示される交換条件は見えているな? 時代遅れの貴族と、これから父親を失う哀れな女よ」

「……主戦派に回れと?」


 銃を向けられたまま、アイリスとエリカは中将を睨みつけた。その瞳に輝く反骨の炎は消えず、剥き出しの刃のような鋭さを帯びている。その視線をもってして否定の意を表すには十分――だが、彼女たちはさらに自らの言葉をもって、中将の提案を退けた。


「この五体が引き裂かれても断るわ。貴方は国を滅ぼそうとしている。戦争狂に与して殺戮者の悪名を背負うくらいなら、私はこの場で名誉を抱いて死ぬ。そうでしょう、アイリス?」

「ブレイザー男爵家の誓いのもと、私は国家の盾となることを誓った。戦火を広げる奸賊の走狗にはならない――たとえ、心臓を貫かれたとしても」


 堂々たる宣言――それを前に中将は歪んだ笑みを浮かべ、もう一丁の拳銃を抜き放って構え、二人の心臓へと向けた。もはや語る言葉もない、と言わんばかりの態度であったが、その沈黙に割って入ったのは、雷鳴のような嘶きと蹄の音だった。


「何――」


 兵士たちも、中将も、そして捕らえられたシュミット大佐も――いずれもが驚愕に目を見開く中、一発の銃声が鳴り響く。飛来した弾丸はシュミット大佐に向けられていた拳銃を撃ち落とし、続けて放たれた斉射はその周りにいた兵士を貫き、あるいは追い散らす。

 もはや、姿を見る必要もない。最初の狙撃で陣形を崩し、前衛が強襲突破する――その作戦は、「彼女たち」に共有されているものであった。混乱に乗じてエリカは地面に置いていた銃を掴み取り、躊躇うことなく前へと飛び出していた。


「誰も来ないと思ったのなら――」

「このっ……!」


 銃床が振りかぶられ、次の瞬間稲妻のように打ち下ろされる。決して殺しはしない――だが、凄まじい衝撃は確かに、中将の意識を刈り取っていった。


「――それは、大きな誤算よ。まあ、何も言わなかったのも事実だけど……押しかけてくるかもしれない、くらいは思うべきだったわね」


 悠然と立つ彼女の脇に、四騎のユニコーン騎兵が整列する。銀に磨かれた鎧と槍の穂先は、月光を映して殺意の煌めきを放ち、騎士たちは隊長と副隊長の命令を待っていた。


「……なあインテリ、こいつらをどうすればいい?」


 乱暴な言葉での問いかけ――だが、エリカはそれに笑顔で応えた。


「――ぶっ潰しなさい、思うがままに!」


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