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第105話 闇を駆け征く者

「何だっていきなり――見つかったらどうなるか分かったものじゃないって!」


 派手に石畳を鳴らして猛スピードで疾走する馬車の中で、予め用意されていた小銃を手にしたアイリスは悲鳴にも近い声を上げた。車軸が外れるのではないかと思うほどの異音を上げながら走る軽便馬車を操るのは、シュミット大佐が連れていた監査官の一人――陸軍騎兵の精鋭である。


「大丈夫よ! ゲストハウスの警備はそれほど強固じゃなかったし、歩哨ならうまく黙らせたわ」


 アイリスの声に答えたのは、同じく銃を手にしたエリカであった。彼女の方は比較的平然としている――というわけでもなく、表情は緊張に引きつっている。だが、決して取り乱すようなことはない。自分の父親が身を危険に曝す作戦を立案し、その矢面に立っているという状況下においては、異常なほど落ち着いているとも言えた。


「黙らせたって――隠し持ってた金貨を握らせただけじゃない!」

「それで十分よ。歩哨はそんなに色々知らされてる風じゃなかったし、一晩外泊して遊んでくる、って言ったら納得してたわ。朝までに戻ってくるとも言ってるから――多分何とかなるわ」

「夜遊びしてくる、の一言で誤魔化せたわけが――」

「誤魔化せるわよ。私たちは十五歳よ、隠れて酒場に行っても不思議じゃない」


 エリカの言葉そのものはあくまで冷静――そうであるからこそ、アイリスはエリカに引きずられる結果となった。シュミット大佐からは、シュヴァイガート中将への監察について首を突っ込むなと言われているためあまり関わりたくはなかった――が、状況はもはや監察云々ではなく、国内での武力衝突にまで及びつつある。

 国内対立によって外交の行方が左右され、それが今後の国家の存立にまで関わる事態となれば、もはや監察に首を突っ込むなどという問題ですらなくなる。ここでシュミット大佐を失うということは、ユニコーン隊が最前線に送られ、情勢次第ではすり潰されるということにも繋がりかねない。


「それに、この一件はハト派――それも、それなりに上のほうから持ち込まれたもののはずよ。アイリス、貴女は不思議に思わなかったかしら? 単なる伝令なら私たちのところまで来られない。普通は歩哨に郵便を預けるでしょうし、開封検閲されるはずよ」


 激しく揺れる馬車の中にあっても、エリカの思考は冷えていた。彼女の中にも少なからず焦りはあるだろう――が、感情と判断を完全に分離する程度のことは、当然ながら幼少期から叩き込まれている。いずれはヴェーザー王国の国防を担う立場となることを嘱望されてきた彼女にとって、その程度の切り分けは極めて容易い。


「私たちの扱いについて、歩哨といってもある程度は伝えられているはずよ。貴重な戦力で失うわけにいかない、程度のことでしょうし。ただ、シュヴァイガート中将には一つ誤算があった」


 左手で銃を手にしたまま、エリカはすっと右の人差し指を立てた。第七分隊随一とも言われるほどの明晰な頭脳――それは単に、前線における指揮と状況判断のみに用いられるものではない。

 自らが置かれた難局において、限られたパズルのピースから全体像を洞察する政治的洞察力をエリカは十分に備えている。彼女は真剣な表情でアイリスに問いを投げた。


「アイリス、陸軍施設の警備にあたる兵員の選出だけど……どこから兵士が出ているか、知っているかしら?」

「それは……確か、内務省警備部か何かの出向者で占められてるって聞いたけど。それが――」

「そう、そこよ。あえて生粋の陸軍省出身者を排除した理由――アイリスなら知ってるでしょう?」

「知ってるよ。陸軍迎賓館といえば、クーデターの代名詞だもの。継承順位の低い王族を担ぎ出して、陸軍の一部過激派が政権を乗っ取ろうとした事件……もう十年も前の話だけど。確かそのとき、陸軍省の警備兵がクーデター要因を手引きして迎賓館に招き入れて、当時の陸軍大臣を殺害する手助けをした……それがきっかけで、戦闘とは無関係な施設の警備……特に重要人物の滞在する施設は、例外的に内務省が取り扱うことになったって。他にも……議事堂占拠事件とか、昔は色々あったから」


 当時五歳であったアイリスも、その事件についてははっきりと記憶していた。辺境直轄地の統治を任されていた継承順最下位の王族が、配下の騎士団や密かに集めた傭兵隊で地方軍閥を形成し、同時に王都の兵士の間にシンパを作って決起、パーティーのため迎賓館に集まっていた陸軍大臣やその他閣僚を多数殺害して政権の奪取を目論んだ事件――王家が血を分けた者に対して誅討の令を下すという、近代国家において類を見ない一大騒乱の最中、ブレイザー男爵家は討伐騎士団を派遣して直轄領へ侵攻、傭兵隊と交戦しその大多数を殲滅する戦果を挙げている。

 その結果として生まれた妥協案こそが、軍施設、それも政治に用いられる一部について、軍部省の派閥争いとは無関係かつ一定の国内向け戦力を有する実働組織を当て、軍内部の派閥抗争と施設管理を切り離すというものであった。施設警備要因の「身体検査」が完璧になりえないということをさらけ出すことにはなれども、政治色の薄い外部組織に警備を委託するという方式によって、かつてのような議事堂占拠騒ぎを引き起こさない仕組みが作り上げられている。


「……けれど、それが今度は逆に働いた」


 アイリスの答えに満足したようにうなずき、エリカはさらに言葉を続けた。


「政治的に色のついていない要員なら、確かに陰謀には巻き込まれない。迂闊にクーデター部隊を通して騒ぎになることもないし、裏切り者になることもない。けれど、軍の直属でないことには問題がある。指揮系統が違うせいで、たとえ陸軍大臣でも歩哨に言うことを聞かせることはできない」


 エリカはそこで一旦言葉を切って、アイリスを正面から見つめた。アイリスは一度目を閉じて、彼女に続きを話すように促した。


「それが中将の誤算だった。私たちを外に出すな、といったところで、内務省がそう命令していない限り彼らがそれに従うことはない。中将が命令していたのかどうかはともかく、内務省側が陸軍省に従うとも思えないしね」

「……」

「もう一つ――彼らは、正式な手続きを踏んだ文書と人員が私たちのもとに来たら、通す以外のことはできない。施設と人員の警備が任務である以上警戒はするけれども、陸軍省から私たち宛てに届いた荷物については、『十分な信頼があるもの』と認識するしかなかった。だから、私たちのところに伝令を通したし、荷物の検閲もしなかった。それは、彼らの任務ではないから。同時に、私たちを何かから守ることはしても、私たち自身が出ていくことは止められない。陸軍兵士を軟禁するにあたる政治的事情は、今の所ないからね」

「……中将は、それを見落としていたってこと?」

「私の読みが正しいのなら、そうね。意外とこういうところは――」


 見落とすものよ、と言おうとしたところで急に馬車が止まった。二人は揃ってつんのめり、小銃の銃床を床について体を支えた。何が起きたのか――そう思ってエリカが顔を出した瞬間、鋭い銃声が闇夜を貫いた。同時に、エリカの頬に鮮血が飛び、御者が目を見開いたまま倒れていった。


「なっ……!」


 何が起きたのか――それを理解するよりも早く、エリカとシュミットは揃って小銃を掴んで撃鉄を起こし、体は馬車を飛び出していた。苛烈な修練によって肉体に叩き込まれた動物的感覚が彼女たちにそれを為さしめている。

 その銃口が向く先に、彼女が探していた人物の姿があった。拳銃を突きつけられ、拘束されたシュミット大佐――辺りには護衛の兵士の姿もある。その周りを囲むように、陸軍正式のものとは異なる、黒い軍服を身に纏った一団が立ち、中央には同じく軍服を纏った高級将校――シュヴァイガート中将その人が、大げさに手を広げながら、薄笑いを浮かべて立っていた。


「よく来てくれたと言うべきか、何故来てしまったというべきか――招いたのは私だが、なかなか面白い歌劇になりそうだ……死にゆく者のために、答え合わせをしようではないか、諸君?」


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