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第102話 政局と英雄と

「案内までしろと言ったつもりはないのだがね、軍曹」


 薄暗い廊下を歩きながら、シュミット大佐は隣を行くアイリスに目をやった。その視線の半分は、どこか感心したような色を帯びている――だが、もう半分には拭いきれない不信感が少なからず滲んでいた。

 無論、それがわからないアイリスではない。裏口前に残してきたエリカを思いつつ、彼女は硬い口調で応じた。


「案内のつもりではありませんよ」

「厳しいことを言う。監視のつもりかね」

「どう捉えてもらっても構いません。それに――大佐がここの案内を必要とするとも、私には思えません。敢えて言うなら……士官に対する当然の接遇です。ブレイザー男爵家の、武人としての務めと言ってもいい」

「一人の貴族としての接遇かね。古風なことだ」


 アイリスはそれには答えず、無言で眼前の扉を押し開けた。シュヴァイガート中将に知れればろくなことにならないというのは十分に理解していたが、彼女はシュタイナー大佐の瞳に宿る意志の炎に一縷の望みを見出していた。


(大佐は穏健派のはず――なら、少なくとも私たちの敵にはならないし、和平交渉の障害にもなりえない。本当に陸軍法務班の監察なら、私たちが責任を問われることもない……)


 幸いにも、アイリス・フォン・ブレイザーという少女には事物の理非を見抜くだけの力が合った。先天的なものも少なからずあるが、彼女が発揮する力の大部分は、ブレイザー男爵家において叩き込まれた英才教育――ある種の帝王学によるものである。王族のそれとは違うにしろ、一国一城の主として戦列の前衛に立つことを運命づけられた彼女には、それだけの器量が十分に備わっている。


(今は――信じて良いはず。少なくとも、私たちが……)


 何か損をすることはない、と思って顔を上げ、書庫の脇を通り過ぎようとしたそのとき、不意にシュタイナー大佐がその場に立ち止まり、アイリスを真剣な表情で見つめ、それから問いを投げかけた。


「軍曹……いや、男爵家長女、アイリス・フォン・ブレイザー。貴公に問いたいことがある。アルタヴァ共和国政府との和平交渉について、貴公は何を思う?」

「自分は一介の下士官です。政治的な発言をするには――」

「そうではない。先程言ったように、私は軍人としての君ではなく、ブレイザー男爵家の長女――この国家を守る盾にして、王権の扶翼者としての君に聞いているのだよ」

「……」


 アイリスは暫し沈黙した。確かに彼女はヴェーザー王国軍に籍を置く一人の下士官であり、政治的な発言が許される立場ではない。だが、それと同時に王国の防衛を支えるもう一本の柱――一人の貴族として返答を求められるのであれば、それにはブレイザー男爵家の長女として答えなければならない。

 軍人として沈黙を守るか、貴族として問いに答えるか――その板挟みの中、彼女は数秒間の逡巡を経て顔を上げた。


「……貴族としての私に、この休戦協定をどう思うか聞いているのですね?」

「その通りだ。軍人としての貴官に対しての問いではない。王国の未来を支える若き貴族として、この状況をどう思うか」

「それは――」


 答えは決まっている。タカ派の内部から持ち上がり、相手が協定違反を犯した際に集中攻撃を加え、アルタヴァ共和国の政体を完全に破砕することを前提として結ばれる休戦協定など何の意味もない。

 戦争を終わらせる手段として相手を完全に屈服させるというのはあまりにも前時代的に過ぎ、戦後秩序の回復すら困難とする。併合を目論むにも政体と経済基盤が完全に破壊されてしまえば統治は不可能となり、収奪の対象として荒れるに任せれば、いずれ再興した暁の苛烈な報復――それが十年後となるか、二十年後となるかは分からないにしろ、アルタヴァ人の怒りは歴史に刻まれ、破滅的な結果をもたらすことになる。

 それ故に、戦争を始めようとするにあたっては「終わらせ方」を考えねばならない。精強な軍事力を保持しており、なおかつ国力に大きな差があれば敵国に痛打を加え、戦線を拡大させて降伏に追い込むことはこの上なく容易い。

 だが、現状においてヴェーザー王国とアルタヴァ共和国の国力は互角であり、戦局は国境近辺での小競り合い程度に留まっている。国軍と諸侯軍の合同編成から成る動員能力の高さを活かし、正面からの大火力投射をドクトリンに据えたヴェーザー王国軍と、国軍を中核戦力としながらも遊撃隊としての民兵が間を埋め、火力に優る敵の抵抗点を迂回して浸透、擲弾や火炎瓶を用いた肉薄攻撃によって戦力を削り落とすアルタヴァ共和国軍が衝突した場合、戦線が拡大するほどに補給線が伸び、ヴェーザー王国軍はゲリラ戦の脅威に常に曝され続け攻勢を維持できなくなる。

 本来ならば、そのような致命的事態に陥る前の段階で攻撃を中断するとともに、相手国に対する交渉を持ちかけなければならないところである。両国は敵対関係にあるものの、今のところは国境近辺での小競り合いに留まっており、外交的手段が全く通用しない段階にはない。偶発的戦闘――それが実質的にタカ派の謀略によって引き起こされたものであったにしろ、成り行きから始まった戦いならば、政治によって鎮火させることは十分に可能である。

 問いを投げられたアイリス自身も、それを十分に理解していた。タカ派の陰謀によって両国の間で衝突が起きたことまでは関知しないにしても、政府を開戦やむなしの風潮に持ち込んだ背景には、軍部内に巣食う主戦論者の意見があることは十二分に理解しているし、休戦協定がまやかしのものに過ぎず、相手を背後から突き刺すための準備期間として持ち出されたことも知っている。

 彼女は王国を守る盾であり、戦火の只中に飛び込む責務を負っている――だが、それは断じて武力攻撃による事態の解決を望んでいるというわけではない。むしろその逆であり、武力行使は外交努力によって事態が解決されない場合においての最後の手段であると考えていた。

 抜かずの剣こそ誇りとせよ――その言葉は、ヴェーザー王国の貴族全ての胸に刻まれており、無秩序な攻勢や侵略戦争を繰り返してきた過去と決別し、王家の守護者たる名誉とともに諸侯の間で共有されている。だからこそ――彼女は、一人の貴族として問いを投げられたとき、しゃんと胸を張って答えることができた。


「――この和平交渉は、まやかしのものに終わる」

「……ほう」

「主戦派から出てきた交渉案であり、協定を目眩ましにアルタヴァ共和国の脇腹を突き刺すのが目的なのは明らかです。休戦などよくて半年――アルタヴァの動き次第では、もっと短い期間になるかもしれない。協定違反の言いがかりをつけて再侵攻を試みるつもりでしょう。今度は、もっと強大な戦力を携えて」


 シュタイナー大佐は暫し沈黙していたが、やがてふっと表情を緩めてアイリスを正面から見つめた。裏口で見せた剥き出しの刃のような雰囲気は霧散し、どこか穏やかな――だが、底知れない野心のようなものを秘めた視線を彼女に向けていた。


「どこから情報を聞いたのかはさておき……大した判断力だ。ブレイザー男爵家は女にも戦働きをさせると聞いたが、どうやら真実のようだな。生まれ持ってそうなのか、それともそう育てられたのか……どちらにしろ、見事だ」

「お褒めに預かり光栄です、大佐。しかし、何故私にそのような問いかけを?」


 アイリスが首を傾げると、大佐はにやりと笑って答えを返した。


「時代は英雄を求めているからさ」

「……英雄?」


 武人にとっては胸躍る――だが、政治においてはこの上なく不吉な響きに、アイリスの心はざわめいた。


「男爵家の長女でありながら家を飛び出して特殊部隊に入隊し、初陣ながらも最前線に切り込み敵を撃退した――火薬が支配する戦場に騎士道物語を復活させたのだよ、君は」

「……」

「それだけのことをしておいて、英雄としての資格を持たないはずがない。情報管制がなければ、今頃君たちを新聞屋が囲んでいるだろうし、軍から公式に勲章が授与されるはずだ。ユニコーン隊……いや、今は第十三幻獣騎兵独立部隊だったか。お飾りの部隊でないことは軍の誰もが知っているはずだ。ならば――」

「――主戦派を抑え込む広告塔になれると?」


 アイリスの声に鋭さが混じる。自分たちの功績がどのようなものか――そして、それらが政治的にどのような意味を持つのか理解できない彼女ではない。だが、シュタイナー大佐の言葉はその全てがあまりにも危険に過ぎるとアイリスは感じていた。

 国内での対立を解消するどころか、政争に持ち込んで権力奪取を図る道具として使われる――そこには、タカ派に取り込まれる前に抱き込んでおきたいという意図がある。現状、ユニコーン隊は政治的にハト派に親しいものの、政治的な状況の変転次第でどう転ぶか分からないのも実情であった。

 現に指揮権をタカ派急先鋒であるシュヴァイガート中将に握られている以上、波に揺られる小舟のような立場であることに違いはない。それを全て分かった上で、シュタイナー大佐は彼女に問いを投げかけていた。


「……君たちがそうあることを望むのなら、という話ではあるがね」

「それは……部隊指揮官が決めることです。我々の戦果が政治的宣伝において価値を持つものであることは認めるにしても、それの使いみちまでは、私はここで答えられません。ただ――」


 自分の発言が政治的に危険なものであることは理解しながらも、アイリスは言葉を続けた。


「――国家の平和を守るのは、軍人であるにしろ、貴族であるにしろ……本望であることに変わりはありません。今のタカ派主導の軍部は、道を踏み外しつつある。それだけは、ここではっきりと言うことができます」

「……わかった、今はそれでいい」


 その一言を聞いた時点で、シュタイナー大佐は小さく頷いて書庫の扉に手を掛けて中に入ろうとし――ドアを半分開けたところで立ち止まって、アイリスのほうを振り向いた。


「君との話はここまでだ。付き合ってくれた礼だ――私がここに来た理由だけ、君には伝えておこう」

「……?」

「……監察だ。嘘ではないよ――シュヴァイガートに武器承認からの収賄の疑いが掛かっていてな。まあ、軍政屋にはよくあることだ。奴もうまく誤魔化すだろうがな。それと……指揮権を奪われているのなら、この一件には踏み込むな。監察の結果が出れば、いずれ楽になれるかもしれん。それまでは……動くなよ」

「……イエッサー」

「よろしい。歩哨に戻ってくれ――あと、娘には私の代わりに謝っておいてくれ」


 背筋を伸ばし、普段とは違う小声で敬礼を送ったが――最後の一言には苦笑を浮かべ、目を閉じて首を振った。


「それは、大佐ご自身で。では――またどこかで」


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