第100話 されど和平は遠く
「くそったれめ! 案の定だ――戦争が追っかけて来やがった!」
突如響いた銃声に対して、即座に反応したのはカレンだった。下町――というよりもスラムに近い場所で育った彼女にとって、建物の上を取って攻撃してくる敵を探し出すのは極めて容易であった。
「オリヴィア! 赤い屋根の建物の三階――手前から二番目の窓だ! ぶっ殺せ!」
「了解っ!」
瞬時に敵の姿を見出したカレンの指示のもと、オリヴィアが一瞬で狙いを定めて発砲――飛んだ弾丸は過たず敵の額を穿って動きを封じる。銃声でパニックに陥った市民が次々と逃げ出していく中、二発目の弾丸は護送馬車の窓ガラスを突き破った。
「……!」
小銃を手にしていたアイリスの思考が刹那に加速し、同時に鋭敏になった視覚は敵の銃火を捉えていた。オリヴィアほどではない――だが、流れるように小銃を構えた彼女は敵の心臓を照星の彼方に捉え、一切の躊躇なくトリガーを引き絞っていた。
轟音とともに飛翔した弾丸が左胸を穿ち、あっさりとその場に打ち倒す。迷いなき一撃をもってしてアイリスが敵を打倒すと、僅かながら敵に動揺が広がった。三発目は遅れる――それを呼んだエリカは、小銃を掲げて命令を発した。
「護送対象を中央に囲んで! 御者と中将を守るのよ!」
周りを固める議事堂衛兵が即座に護送馬車の周りを囲み、第七分隊の面々はその外周に散開――敵の攻撃に備えたが、三発目はついに飛来することはなかった。二名を射殺――他にも敵はいるだろうが、即座の対応に恐れを為したのか動く気配を見せない。
「閣下は無事だ。全周警戒のまま前進。メスガキ共もだ……ゆっくり前に進め。敵を見たらすぐに殺せ。さっき撃った二人を見習って、迷わず頭を吹っ飛ばせ」
小銃を油断なく構えたまま、衛兵隊の隊長が命令を下す。即座の反撃で出鼻を挫かれたのか、敵は動く気配を一切見せない。だが、一度退いたと見せかけて再度の攻撃を行うという方法は都市ゲリラの戦法においてありふれたものだということを、その場の全員が認識していた。
亀の歩みのようにゆっくりと、大通りを部隊が進軍する。周囲に群がっていた市民は建物の奥に引っ込み、ただ震えて時が過ぎるのを待つばかりである――だが、第七分隊の少女たちにのしかかる圧力はそれ以上であった。
現状、シュヴァイガート中将はタカ派に属する将官であり、彼女らが望む真の目的――再攻撃への時間稼ぎではなく、継続的な平和につながる交渉をアルタヴァに持ちかけるのを支援するという戦術的目標にそぐわない存在ではある。
だが、ここで中将を共和主義ゲリラに討ち取られれば彼女ら自身の存在意義が危うくなるのもまた事実であった。任務を果たせない軍人に価値はない――例えそれが、祖国をさらなる争いの渦中に巻き込もうとする将官で守らねばならない定めであったとしても、彼女たちは命令に忠実に守り、自らに許された僅かな自由と良心に基づいて己の為すべきところを為す。
(何か裏があるのは間違いない……けれど、ここでシュヴァイガート中将の首を共和主義者のテロリストに差し出すのは得策じゃない。タカ派だろうと交渉のテーブルを作る人間が死ぬべきではないし、報復攻撃支持者を増やすことにもなりかねない。そう考えると……敵は国内派閥じゃなくて、外国勢力だ)
小銃を油断なく構え、辺りを警戒しながらアイリスは前進を続ける。その間も、彼女の明晰な頭脳が政治的分析をやめることはない。敵は共和主義者のゲリラであろうと判断したが、彼らにどのような意図があったのかを現状から汲み取るためには、政治的な視点が必要になる。
(中将と知って確実に仕留めるつもりでいるのなら、もっと大人数の部隊で攻勢を仕掛けてくるはず……あの規模なら一個分隊以下だ。武器はマスケット……こちらを狙って攻撃したわけじゃない。私なら……そう、爆弾を使う。たぶん、偶然の遭遇戦だ)
暗殺というにはあまりにも不十分な装備と言わざるを得ない。護送馬車には小銃弾数発に耐える装甲が施されており、マスケットによる攻撃が通用するのは僅かな覗き窓に限られる。
一発はうまく命中したものの、車内の人員を殺傷するにはもっと多数の射手による一斉攻撃、あるいは爆発物による直接的な破壊が必須となる。都市ゲリラ戦に長けた相手なら当然理解している。
すなわち、それは相手に備えが出来ていなかったということを意味していた。相手が何者か知らず、威嚇と恫喝のために撃った――アイリスはそう結論づけ、静かに辺りを見回す。予定ルートの変更はなく、途端に静まり返った市街地を緩やかに進行――それ以降の攻撃はなく、窓を砕かれた護送馬車は静かに中央議事堂前の広場に停車した。
「……閣下、こちらへ。メスガキ分隊は周辺警戒――三発目は貴様らの膜で受け止めろ。議事堂の外を徹底的に固めて、虫けら一匹通すな。もし敵が来たら、貴様らが盾になって死ね。憲兵隊に死体を回収させて、食糧公団の運営する豚小屋で供養してやる」
荒っぽく猥雑な言葉が衛兵隊長から投げかけられる。普通の十代の娘であれば赤面してうつむくか、怒りを露わにするであろう態度であった。だが、彼女らの心は鋼も同然に鍛え上げられている。
ある種の悪質な洗脳とも言える教育と訓練の賜物であったが、第七分隊の少女たちはいずれもそうあることを誇りに思っていた。罵倒を浴びせても平然とした表情で敬礼を返した彼女らを衛兵隊長は暫し唖然と見つめていたが、やがてふっと笑みを浮かべて近くに居たエリカの肩をぽんと叩いた。
「腹が立つほど見事な女兵士だ、軍曹。眉一つ動かさん――気に入った、今度会ったら尻から酒を呑ませてやるから、変な死に方は許さん、次があれば、貴様をユニコーンに乗れなくなるまでファックしてやる。どっちの穴もぶち破ってやるからな、どっちもだ!」
「イエッサー!」
エリカは張りのある声で応じ、中将をガードして歩いていく衛兵隊長の背中を目で追った。その背中が十分に遠ざかってから、彼女は小さくため息をついて第七分隊の仲間たちに目をやった。
「……というわけよ。私たちを議事堂に入れるつもりはないみたいね。政治的信頼性の問題かしら?」
「かもな。だとしても、まあやることは変わんねぇわけだ……ムカつくが、そういう役回りなんだろう? ボディーガードとは参ったと思ったが、やることは騎馬つきの歩哨だ。楽に行こうぜ。要するに……入ってくるやつは誰も通さず、問答無用でハネつけりゃいいんだろ?」
「ええ、そうですとも。無理に入ってこようとすれば……貴方の得意なやり方で解決していいわよ」
「……上等だ。素手で頭ブチ割ってやる」
ぐいと腕を伸ばし、カレンが全員に微笑みかける。突然の狙撃で強張っていた雰囲気が僅かに和らぎ、隊伍を成した第七分隊はゆっくりとした足取りで議事堂外周の警戒に加わった。
裏口の防備を衛兵が冷やかすように口笛を吹いたが、彼女は表情を変えずに彼らの後ろで配置についた。何を考えているのかは概ね分かる――言葉にする価値もない、と切り捨てた彼女は、兵士の視線を受け流して馬上から周囲に睨みを聞かせた。
彼女の隣には、衝突を経て最高の信頼を築き上げたエリカの姿がある。一瞬だけ二人は視線を交わすと、着剣した小銃を控え銃の姿勢で保持した。出入り口は三ヶ所、それぞれに二名ずつが張り付き、何か騒ぎがあればユニコーンの機動力でもって制圧する――作戦というほどのこともない。
張り詰めた時間だが、同時にその進みは亀の如く遅い。だが、短時間の戦闘が彼女たちの神経を張り詰めさせ、退屈という概念を奪い去っていた。引き伸ばされた時間の中で警戒を維持し、周囲に絶えず目を光らせ続ける。
(不審な相手なら容赦なく制圧――大丈夫、さっきは撃てたんだから……)
アイリスが小銃をしっかりと握り直したそのとき、不意に裏口の前に黒塗りの馬車が停止した。歩哨が一斉に警戒態勢を取り、同時にエリカが素早く小銃の撃鉄を起こす。ゆっくりと馬車の扉が開くと、門の前から動かなかった歩哨が一歩前に踏み出し、手にしていたハルバードを交差させた。
「……身分証明を。現在、中央議事堂では特別議会が――」
「ハルバードを退けてくれ。通れないだろう」
馬車の外装から概ね議員であろうと察した歩哨は、丁寧ながらも威圧感を帯びた声で降りてきた人物に話しかけ――次の瞬間に放たれた冷たい声に、ぎょっと目を見開いてその場に立ち尽くした。驚いたのは歩哨ばかりでなく、同じように警戒に立っていたエリカまでもが、小銃を取り落とさんばかりの驚愕に打たれていた。
その人物は深く被っていた帽子を指で押し上げると、にやりと笑みを浮かべてエリカに視線を向け、先ほどとは打って変わって、実に明るい調子で彼女に呼びかけた。
「陸軍第七騎兵連隊司令、ゲイル・シュミットだ――通せないとは言うまいな?」