第99話 国家の歯車
「……全員出ろ。最初の任務をくれてやる――国内調整の警護だ」
王都に到着して一週間後の午前六時――第七分隊の少女たちは、陸軍省直属の議事堂衛兵から告げられた命令に顔を見合わせた。その後ろに控える陸軍省の行政官――外交特権の鎧を身に纏い、瞳に鋭い輝きを宿した中年の武官は、興味深げに彼女たちをじっと見つめていた。
「細かいことを話しても仕方がないから、我々は何も言わない。衛兵隊の騎馬隊が先導するから、その後をついてくるだけでいい――貴様らのユニコーンを連れてな。以上だ」
質問はあるか、というお決まりのセリフはない。その流れから、分隊員たちは一切の疑問を許すことなく作戦が進められることを直感していた。第十三幻獣独立部隊は個別の指揮系統を持つ独立部隊である――が、それは政治的な背景によって担保された立場に過ぎない。
国境での戦闘を経てからの和平交渉といった政治的変動が起きれば、その指揮権は軍政を主とする高級士官によって容易に掌握される。最前線においては何者の介入も許さないが、政治の都合によって振り回されやすい――陸軍大臣の肝煎りで作られた部隊に共通の部隊である。
『イエッサー!』
一斉にかかとを合わせ、背筋を伸ばして敬礼を送る。表情は真剣そのものだが、彼女たちの中に現状に納得している者は誰ひとりとして居なかった。政治に明るいエリカとアイリス、聡明な頭脳を持ち合わせるユイはもちろんのこと、他の三人も今の状態を不審に思っていた。
一週間もの間営内待機を強いられるという不可思議な状況――それは水面下での交渉に必要な時間であると認識してはいる。ただ、それだけの間前線を離れなければならないという事実が、少女たちの胸を締め付けていた。
第七分隊はいずれもスペシャリストの集団であり、一週間もの時間があれば前線の部隊に十分な貢献が可能であるとの認識を隊員全てが共有している。だからこそ、今も戦場で張り詰めた空気の中過ごしているであろう前線の仲間と離れ、王都で安穏と待機していることに我慢ならなかった。
特に医療支援が可能なユイと陣地構築を得意とするテレサは、現状に対して少なからず怒りを覚えていた。思慮深さ故に食って掛かることこそなかったものの、慇懃な態度の裏には悔しさが隠れていた。
「……今更かよ」
連絡に訪れた少尉が立ち去った後、テレサは悔しげな口調で呟いた。それが命令であるならば拒否することはできない――だが、命令を受け入れたからといって、その全てに納得できるわけではない。反発しながらも現状を受け止め、自らに折り合いをつけていくことでしか現状と向き合うことができない。
「一週間だ。それだけあれば……」
「よせよ、テレサ」
見かねたカレンは彼女の肩に手を置いて首を振った。カレン自身も現状には疑問を抱いていることに違いはなく、できることなら陸軍省の高官を殴りつけてやりたいとすら思っていた。王都で一週間を過ごしている間、戦況に別段の変化はなく国境を挟んでの睨み合いが続くばかりであったが、その間も戦傷者の治療や補給物資の受け入れといった前線特有の任務は依然として存在し、そこに加われないことに対して彼女も少なからず苛立ちを覚えていた。
「ここでキレたって仕方ねェって。アタシがあいつをぶん殴って床に叩きつけるのは簡単さ――でもよ、うまくいけば戦争は終わるんだ。バカやるのは、全部終わった後だ」
「……意外だな、カレンの口からそんな言葉が出てくるって」
「おうとも、アタシも考えて生きてんのさ――行こうぜ、クソったれどものご機嫌取りもアタシらの仕事だ……全部コトが済んだら休暇も貰えるだろうさ。酒でも飲んで愚痴ろうぜ」
ぐいと腕を伸ばして軍服を着込み、部屋に設置したガンロッカーから小銃と槍を取り出す。市街地で発砲することは滅多にないだろう――が、携行する騎兵用装備の数々は、彼女たちにとっての命綱であるとともに、自らの存在意義を担保するものでもある。
小銃を簡易点検し、最後にナイフを兼ねた銃剣を腰に提げる。ここは最前線というわけではないが、全身を固める完全武装は彼女たちにとっての普段着にも等しいものとなっていた。スリングを通して肩に感じる小銃の重みは訓練当初こそ鬱陶しかったものの、今や体の一部となって機能している。
「……いつも通りよ。ただ私たちは護衛につくだけでいい」
スリングを握りしめたアイリスの表情は硬い――が、彼女は自らの果たすべき役目を見定めていた。現状に納得がいかないにしても、戦場を前に惑うことは許されない。生まれながらに将たることを求められた彼女が、幼い頃から胸に刻んできた覚悟が今、この場において意味を為そうとしている。
「……簡単な仕事だよ。普段の訓練よりずっと簡単――だから、私たちらしくやろう。いつだって誇り高く、正義を貫いて」
『……!』
全員が顔を見合わせる中、アイリスは右手を差し出して微笑みを浮かべた。上層部が信用ならないにしても、果たすべき責務は変わらない。そして――自らが武器を振るう理由は政治のためでなく、戦火の怯える国民の盾となり、それぞれの護国の誓いを果たすためにこそある。それを確かめる儀式として、少女たちは一斉に手のひらを重ねて唱和した。
『――祖国のために!』
「見たまえ、全員が魅了されている――連れてきて正解だっただろう?」
陸軍省本部庁舎を離れ、王国議会が設置された中央議事堂へと向かう隊列の中、シュヴァイガート中将は笑みを浮かべて、前方を固める衛兵隊とその後ろに続くユニコーン隊の面々に視線を向けた。
隣に腰掛けていた副官は、感心したような表情で小さく頷き、護送馬車の小さな窓から外を見回した。辺りに行き交う市民は見慣れぬユニコーンの姿と、それに騎乗するうら若き乙女をじっと目で追っている。衆目を引きつけるには上々――シュヴァイガート中将は満足そうに膝を軽く叩き、市民たちに一度だけ視線を向けてカーテンを閉ざした。
「精強な部隊を敢えて見せつけることにも意味がある……戦意高揚だよ。我々王国軍が何を望んでいるかを人民に伝えることそのものが、ハト派に対する目眩ましになる」
そう言って、シュヴァイガート中将は先日招いた相手――エリカの父であるシュミット大佐の言葉を思い返していた。和平交渉の公式発表以前から情報を掴み、特使の護衛に第七分隊が投入されることを掌握する情報網は伊達ではない。
(シュミットが何を考えて動いているのか、はっきりしたことは分からん……だが、娘を人質に取られてあの態度――単なるクソ度胸か、それとも裏があるのか……あるいは両方か。どうにせよ、奴に情報を流しているやつがいる。我々の派閥に潜り込んで、その上で情報を流す間諜が……)
陸軍省の派閥抗争においてスパイ行為が果たしてきた役割は決して小さいものではない。どちらかの派閥に取り入って相手の情報を盗み出すうちに重鎮の座に上り詰め、決定的な場所で態度を翻す――そうした行為が数々のドラマティックな政治劇を生み出すとともに、王国の歴史の歯車を回してきた。
(腹の中に潜り込んだろくでなしを炙り出す必要がある……だが、ここまで逃げおおせたという時点で相当に頭の切れる寄生虫だ。姿を現すとしたら、それは――我々の腹を食い破るときだ。情報共有をしているのは外務省のごく一部のはずだが、そうだとすればなおのこと尻尾を出すとも思えん。ひとまずは民意の操縦に徹するべきか)
シュヴァイガート中将はそう結論づけ、小さく息を吐いて目を閉じ――その直後、突如として響いた一発の銃声に体を強張らせた。
「……!?」
「中将、伏せて――」
副官が拳銃を抜き放つと同時、前方に展開していた護衛隊が周囲を取り囲む。続けて二発目の銃声――さらに爆発音が響き、飛来した破片が馬車の窓を砕く。テロだ、と叫ぶ声が辺りに響き、混乱に陥った市民が我先にと駆け出していく足音が響く。
その中で護衛隊が応戦する銃声を聞きながら、中将はぎり、と奥歯を噛み締めた。
(くそったれめ、ハト派ではないだろうが――間が悪いにもほどがある!)
幸いにも第七分隊は優秀である。彼女らはあらゆる障害を撃砕するだろうとの確信を中将は持っていたが故、現状に恐れを抱くことは微塵もない。ただ、突如として降り掛かった騒動に拳を握りしめた。