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第9話 将器を持つ者

 夜10時――座学と体力錬成による全ての教練が終了し、心身ともに疲労しきった訓練生たちが眠りについた頃、訓練教官のベアトリクス・タウラスは一人頭を悩ませていた。実戦部隊編成に先駆けて集められた50人の訓練生は、2日目の訓練を無事乗り切った。初日で相当に絞った割にはしっかりと食い付いてきている――それが、ベアトリクスの抱いた感想だった。

 最初の数日で地獄を見せて軍隊のやり方を思い知らせようと思っていた彼女にとって、それは喜ぶべき誤算だった。何より、散々に怒鳴りつけて殴打しても、泣き出す者が今の所誰一人としていない。これから訓練が厳しさを増すとどうなるかは分からないが、二日目の訓練生としては上等な部類に入る。


(50人全員が落伍せずついてくるかどうかは分からない。だが、思ったより遥かに気骨のある連中だ。これなら、あるいは……)


 個人の成績をまとめたファイルをぱらぱらと捲り、ベアトリクスは手元に置いたカップラから紅茶を啜った。入隊試験の成績と心理的傾向、そして候補生の出自が示されている。概ね特色のない平均的な者が多いが、その中に三名、彼女の気にかかる者たちがいた。貴族の長女、父親不明の貧民窟出身者、そして高級士官の娘といった、極めて個性的な訓練生たちである。

 志願者のほとんどが地方出身者であり、初等教育を終えて家業を手伝っていたか、中等教育を終えた直後といった、これといって特色のない経歴の持ち主である中、その三人――アイリス・フォン・ブレイザー、カレン・ザウアー、エリカ・シュミットは一際異色を放っていた。ベアトリクスは手元のランプを近づけ、入隊試験の成績と適性を確かめた。


(アイリス・フォン・ブレイザー――ブレイザー男爵家の長女。軍事と戦史に関しての知識は訓練生の中でも上位であり、学科試験の成績も上位……運動能力は平均的だが、剣技と乗馬の経験者。心理的傾向としては、融和的で周囲との協調性に優れる。ただし、善人である故の弱点もある……か)


 添付されていた志願書に記された、本人自筆の署名をそっと指でなぞる。貴族の娘にしては偉ぶらず、自分の「槍仲間」だけでなく、周りの隊員が倒れた際にも手を差し出すなどの光景が見られた。調べてみれば、父であるブレイザー男爵は領民からの支持も厚く、名君と慕われているらしい。帝王学の賜物か、と思いながら、ベアトリクスは続けてページを捲った。志願書の文字は乱暴な筆致で読み辛いが、カレン・ザウアーの名前だけはしっかりと読み取れる。


(カレン・ザウアー――貧民窟の出身者であり、父親は不明、母親は酒場の女主人……学科試験に関しては最底辺に近い成績であるが、運動能力に関しては群を抜いており、中でも格闘術については、過去最高の適性ならびに体力試験の試験官に対して直撃打を浴びせる実力を有する。性格は直情的であり、瞬時の判断能力に関しては優れるが、戦術、戦略面での長期的思考に弱点を持つ……絵に書いたような荒くれ兵士だが、度胸だけは抜群にある。心を折るつもりで罵倒を浴びせたが、こいつは最後まで食らいついてきた……)


 初等教育こそ修了しているようだったが、ペーパーテストの成績を見るにお世辞にも頭のいい人間ではない。だが、戦場において最も重要なのは物怖じしないことだ。指揮命令に必要なのは膨大な知識ではなく、戦争という混沌に飲み込まれないだけの度胸だ。知識はいくらでも後付けできるが、度胸をつけさせることは難しい。訓練によってある一定の領域まで伸ばすことはできても、そこから先――砲撃の降り注ぐ中で兵を鼓舞し、自らも槍を手に突進するだけの勇敢さは、半ば天性の才能による。


(脳ミソまで筋肉で出来ているチンピラだが、筋は悪くない……私も人のことは言えんがな……)


 ベアトリクスは自分の少女時代を振り返り、一人苦笑して続けてページを捲った。エリカ・シュミット――父は陸軍騎兵隊のゲイル・シュミット大佐、長兄は陸軍砲兵隊のケイン・シュミット大尉――その他の兄もいずれも少尉として任官している他、母は陸軍省主計局の主任である。まさに典型的な軍人一家だ。


(エリカ・シュミット――主席入学者であり、学科成績は全て満点。身体能力検査では、カレン・ザウアーには劣るものの極めて優れた結果を残している。軍事に関する理解も深く、状況判断能力に優れた現実主義者であり、指揮官としての適性は高い……か。全く、つまらん評価だ。陸軍教導隊の試験官は、表面的なものだけ見て判断すればいいのかもしれんが……)


 ふう、とため息をついて、ベアトリクスは手にしていたティーカップを置いた。エリカ・シュミットの能力は、他の少女たちのものと比べて圧倒的に優れている。幼少期より家族から軍事的英才教育を受けたこともあるのだろうが、それを差し引いても、彼女の兵士としての素質は抜群だった。しかし、ベアトリクスの評価は今ひとつだった。


(だが、今のシュミットには『将器』がない。個人としての能力ならば誰にも負けないだろうが、協調性に問題が大きすぎる。今の所はミスをしていないが、仲間を助けようとしないのは大きな問題点だ。命を懸けた戦場では、絶対に生き残れない)


 エリカの能力は訓練生の中でも最上位に位置している。本人もそれを自覚しており、決して隠そうともしていない――それが健全に働いているのなら、彼女は全ての訓練生の模範となって、最良の指揮官としての役割を果たすだろう。だが、それは彼女が周囲に手を差し伸べてこそのことだ。自分の力を自分のためだけに使い、周囲に余裕を見せつけるだけの存在は、苦しみを共有して団結に変える「凡人」たちからしてみれば、眩すぎて疎ましいものと見えるだろう。


(まだ2日目とはいえ、既に訓練生の間に反感を抱く者が現れつつある……傷口が広がるより先に、本人の意識を変える必要がある。そこさえ克服できれば、あいつは間違いなく最高の指揮官になるが……一気に矯正するとなると、博打だな)


 ベアトリクスは小さく息を吐いて、手元のファイルをラックに戻して熱い紅茶を一気に飲み干した。特に目立つ三人を「槍仲間」として同じ組にしたのは、彼女の意思によるものだ。いずれの者にも他とは違う優れた点がある一方、埋めなければならない弱点がある。しかし、そこを克服すれば誰もが将となり得るだけの度量を有しているという点において、彼女ら三人には共通項があった。

 そして何より共通しているのは、それぞれの者を貫く意思の強さだ。貴族としての教育を受け、己の帝王学のもとに国民に対して果たすべき責務を知っているアイリス。貧民窟という恵まれない環境にありながら、己を曲げることなく生き抜いてきたカレン。そして、軍人の娘に生まれ、最良の結果を常に求めて冷徹な判断を下す力を備えるとともに、兵士としても抜群の素質を備えたエリカ――毛色は違うが、全員が強靭な自我を備えていることには僅かの疑いもない。


(均質な兵士を作るという目的にはそぐわないかもしれない……だが、この三人は他とは明らかに違う。自分と他者の違いをはっきりと認識できる者ならば、あるいは将器が宿るかもしれない――)


 ベアトリクスは暫し目を閉じていたが、やがて顔を上げると、手元にあったメモ用紙に何やら書き留め始めた。昼間に罵声を飛ばしているときの彼女とは裏腹に、その表情は思慮深く真剣そのものであった。






「よし――本日の授業は、ここで一旦終わりとする。全員、三人一組で練兵場に集合せよ」


 朝食後の午前の座学が終わってから、少女たちはベアトリクスの指示のもとに「槍仲間」同士で練兵場に集められた。二日目に続いて「無限ランニング」が課せられることを予感していた彼女たちは不安そうに顔を見合わせたが、ベアトリクスはふんと笑って彼女たちに視線を向けた。


「心配するな、ランニングは短縮とする。その代わり、今日は貴様らに『敢闘精神』を養うための訓練を施したい。貴様ら淫売どもはベッドで男に噛み付いたことはあっても、誰かを本気で殴りつけたことはないはずだ。それではアルタヴァ軍の童貞ボウズの一匹も殺せん。初期訓練故に形だけになるだろうが、貴様らにはいい体験になるだろう」


 はっきりとした内容こそ話されなかったものの、少女たちは自分たちがこれから何をするのかをうっすらと察した。ベアトリクスはその様子を眺めて何度か頷き、近くに居た訓練生に命じて、倉庫から格闘訓練用のグローブを人数分と、頭に巻くバンダナを取ってこさせた。全て揃ったことを確認すると、彼女は手にしていた棒で強く地面を叩いて、少女たちに命令を下した。


「よし――アバズレ共、今日は貴様らに格闘訓練の基礎を教えてやる。全員、グローブを着装しろ。それから『槍仲間』の隊長はバンダナを頭に巻け。まずは心構えからと行きたいところだが、貴様らのような脳なしには、実戦で体に叩き込んだほうが分かりやすいだろう」

「……!」


 少女たちの表情が緊張を帯びる。入隊から3日目――これまでの2日は行動訓練とランニングに費やされたが、ようやく本物の軍隊に近い訓練を行うことになる。ベアトリクスはひとりひとりの顔をしっかりと見つめ、少女たちに呼びかけた。


「三人一組の『槍仲間』同士で戦い、相手の隊長をその場に組み伏せてバンダナを奪い取れ。捕まえてねじ伏せるのは結構だが、怪我をしないために殴る、蹴る、頭突きを叩き込むなどは禁止だ。もっとも、貴様らに打撃で人間を倒せるとは思えんがな。これ以上説明することもない――散開して、近くの隊を相手に訓練を開始しろ!」


 アイリスの隊で部隊長を務めているエリカは、無言で頭にバンダナを巻くと、アイリスとカレンに一瞬だけ視線を向けて、手にグローブを嵌めた。カレンはエリカを鋭い目つきで睨み、アイリスは少し困ったような表情を浮かべて、二人と同じようにグローブを装備した。

 全員が装備を整え三人一組で向き合うと同時に、ベアトリクスは張りのある声で号令を掛けた。


「では、始めッ!」



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