プロローグ 訓練学校の雌犬たち
走る、走る、ただひたすらに列を成して少女たちが走る。
背には背嚢、手には騎兵槍――合計二十キログラムを超える陸戦装備を纏った少女たちは、三人横並びの状態で隊列を組み、終わることのない長距離走を続けていた。
楕円形のグランドを何周したのか、今や誰にも分からない。既に息は切れ、脚は震えていた。
ただ、彼女たちは命令があるまで止まることは許されない。それは、彼らが陸軍騎兵を目指す訓練兵という立場にあるが故にである。
訓練部隊の一員であるアイリス・フォン・ブレイザーは、腰まで伸ばした長い黒髪をなびかせ、空を映したような碧い瞳で正面を見据えながら、右隣を走る戦友――カレン・ザウアーに問うた。
「何で、私走ってるんだろ……騎兵なのに毎日長距離走って――」
「知るかよお嬢……あたしじゃなくって、あそこで棒きれ片手に怒鳴ってる教官殿に聞いてくれ」
二人はげんなりした顔で、手にした槍を握り直して前を向いた。若干ばかりペースが落ち、前との距離が開きつつある。
このままではいけない、そう思ってアイリスがペースを上げようとしたとき、左を走っていたもう一人の戦友――エリカ・シュミットが、ポニーテールに結んだ長い金髪を揺らして一歩前に抜け出し、付き合っていられない、といった風にそのまま抜き去っていった。
「ちょっと、エリカ――」
「あっ、待てよインテリ!」
置いていかれそうになったアイリスとカレンがペースを上げようとした瞬間、グランドの中央に立っていたはずの教官が猛然と疾走――次の瞬間には、手にした棒による鋭い打撃が二人の後頭部を襲っていた。
「また貴様らかこのアバズレ共が! モタモタ走りやがって、殺すぞ! シュミットに追いつけ――今すぐだ!」
『マム、イエス、マム!』
それは半ば反射であった。アイリスとカレンは表情を引き締め、疲労した肉体に鞭を打ってペースを上げ、既に十メートルは先に進んでいたエリカのもとに追いついた。
エリカはそれを一瞥し、再び前を向いて走り出した瞬間――いつの間にやら並走していた教官の鬼の形相を見て、表情を凍りつかせた。
「脚力は結構――だが、戦友を置き去りにするとは何事か!」
走りながら振るわれた棒の一撃が頬にめり込み、エリカの表情が苦痛に歪む。走り続ける少女たちの間にざわめきが広がり、それを見た教官はランニングを続ける彼女らに向かって怒声を張り上げた。
「雌犬共! まだ無駄に吠えられる程度には活きが良いようだな……良いだろう、褒美をくれてやる――槍構え!」
号令に合わせ、少女たちは手にしていた騎兵槍を一斉に水平に構えた。教官は隊列の最後尾に回り込んで拳銃を抜き、槍を構えて走る少女たちに向かって、さらに怒声を叩きつけた。
「ペースを落としてみろ、後ろから串刺しにされるぞ! それから最後尾のアバズレ共! もし前のクソ共に遠慮してウダウダ走ってみやがれ――××××にチャカブチ込んで、膜を破ってから地獄に送ってやる! この場で殺されたくなければ走れウジ虫!」
理不尽極まりない命令――だが、彼女らに反発する権利はない。回答は唯一つ、無条件の肯定を示す言葉だった。
『マム、イエス、マム!』
ペースを上げて走り出した隊列の中、アイリスは自分の決断を呪った。他に行き先があったのではないか。このような極端な選択をする必要もなかったのではないか――だが、いくら過去の自分を恨んでも、現在の状況を変えることはできない。
(どうして、こんなことに……!)
ここはヴェーザー王国陸軍女子騎兵学校、ユニコーン騎兵訓練部隊。
身も心も清らかな乙女が集い、学び、鍛え、そして殴られる。
雌犬、ウジ虫、そしてアバズレ――猛烈な罵倒を浴びながら、十五歳の少女たちが駆け続ける。
貴族の令嬢たるアイリスが何故にこのような場所にいるのか語るには、およそ一ヶ月前に遡る必要がある――