『代替品が普及した社会において代替品が代替品であると自覚することは割と困難であるという話』
「ホットコーヒー一つ、sサイズ」
「ブレンドとアメリカンがございますが」
「…アメリカンで」
僕は財布から二四〇円を取り出し、会計を済ませる。
まもなく注文したアメリカンコーヒーがカウンターに置かれ、僕はそれを受け取って二階へと向かった。
二階窓際のカウンター席、一番奥。
そこが彼女のお気に入りの席だ。
階段を上り、奥の席に目を向けると、そこにはいつも通り彼女がいた。
我が物顔で、そこがまるで自分の空間であるかの様に荷物を広げる彼女の周りには、彼女以外に客はおらず、カフェの中にある種独特な空間が形成されていた。
「おや、遅かったじゃないか、私の親友、右左右下上」
「遅いも何も、急に呼び出したのはそっちだろう。むしろ、急な連絡にもかかわらず、すぐに応じてあげた僕の行動力に感謝してほしいくらいだ」
僕は彼女、伊呂波阿嘉紗の隣の席に腰を下ろし、コーヒーに口をつける。
「…うん、まあ」
そんな僕の様子の何がおかしかったのか、彼女は首を傾け僕の顔を眺めてけらけらと笑う。
「何か」
「ああうん、いや、なんでもない。…くくく」
「何もないのに顔を見て笑うのは失礼では」
「いやいやいや、違うんだ親友。キミの顔が面白かったわけじゃあない。キミはあれか、コーヒーの味に首を傾げるようなあタイプだったかな、とね」
そう言うと、伊呂波は手元のプラカップに手を伸ばし、カップから伸びるストローに口をつける。
白色の液体にアイスと生クリーム、カットされたケーキのスポンジにカラメル色のソースとチョコチップがトッピングされた、費用対カロリーの非常に高そうなドリンクだ。
見ているだけで胸焼けしそうなそれを、伊呂波は太めのストローでちゅうちゅうと啜りながら、フレンチトーストへとナイフを入れる。
「別にコーヒーの味に不満があったとか、そういうことではなく。言うならば、むしろその逆であって」
「ふむ、というとというと?」
「ここのホットコーヒーにはブレンドとアメリカンの二種類があるのだけど、僕には違いがよくわからなくてね。値段も同じだし、何か違いがあるのかな、と」
僕は再びコーヒーを口に運ぶ。
やはり、僕にはよくわからなかった。
「んんん、そうだね。定義的にはアメリカンコーヒーっていうのは、浅く焙煎したコーヒーのこと、かな。ブレンドっていうのはそのままの意味で、各お店ごとに色々な豆をブレンドして淹れたものふぁね。ふゃからふれんほのあひはおひせことにほほはふほ」
「食べながら話すの、行儀悪いからやめなさい」
「ふぁい」
彼女は口に入れたフレンチトーストをもごもごと咀嚼し、喉を鳴らすと再び口を開いた。
「まあ、アメリカンもブレンドも、これこれこういうもの、といった定義はないし、なんならアメリカンブレンドになったりもするし、そんなに差異はないんじゃないかな」
伊呂波は紙ナプキンで口を拭うと、再びプラカップに手を伸ばした。
ストローで器用に生クリームをすくい、次々に口へと運んでいく。
「伊呂波はさ、コーヒーの味の違いってわかるかい」
「わかるよわかる、超わかる」
私は優秀だからね、と。
「ふうん」
伊呂波はストローでカップの中のスポンジを突きながら、小さくふんふんと頷いた。
「コーヒーってさ、紅茶の代替品なんだよ。知ってた?」
「…まあ、そういう話もあるね」
歴史上、輸入物の紅茶の入手が難しくなり、その代用品としてコーヒーを飲むようになったという話を、どこかで聞いたことがある。
「でもさ、またそのコーヒーの代替品として、玄米を煎ったりとかタンポポの根っこを焙煎したりとかしてさ、飲んだりするんだよね」
「宗教上の理由とかで、あるらしいね」
「発泡酒とか、電子タバコとか、本来代替品であったものが段々普及していって、それが代替品の枠を超えて流通していくことって、最近はそう珍しいことでもないと思うんだけど。それでもビールが飲みたい、煙草が吸いたい、っていう人たちには意味があるんだろうけどね、違いがわかるってことにはさ」
コーヒーの味の違いがわかっても、そこに価値があるかどうかは人それぞれじゃないかなあ、と伊呂波は言う。
「コーヒーの味の違いがわかることは、少なくとも私には意味はないんだよね。私はブラックコーヒー飲まないし。私からすれば、味に差異こそあれどすべて等しく苦い液体だからね」
「それでも、味の違いがわからないよりは、わかる方がいいんじゃないのかな。それは純粋に、選択肢が増えるということだ」
そう僕が言うと、伊呂波は手持無沙汰そうにストローを手で弄びながらうーんと唸る。
「それは例えばさ、むかしむかし死刑を執り行うにあたって、非人道的だからって理由で処刑の方法が斬首や絞首台からギロチンに変わったみたいな話じゃない? 当人からしてみれば人道的だろうと非人道的だろうとその選択にはあまり意味がなくって、結局手段が変わっただけ、外部から見た選択肢が増えただけって感じで」
「相変わらずわかるようなわからないような話をするな、君は」
少なくとも、昼下がりに喫茶店で女子がするような話ではない。
「つまるところ、本人の価値観次第っていう話かな。私はコーヒーよりも、コーヒー飲料の方が好きだしね」
そんなことを話しつつ、伊呂波はごそごそとバッグを漁り、何かを僕に向けて放る。
「そういうことで、これをキミにプレゼントだ。私は新しい可能性を探る」
「…ここまで呼び出しておいてなんの話かと思えば、また禁煙の話か君は」
伊呂波が僕に放ったものは、彼女が普段吸っている銘柄の煙草の箱だった。
「見ていろ下上、今度の今度こそ私はやめるぞ。 このご時世、喫煙者はどこでも生きにくいのだ」
そう言う伊呂波は片手に電子タバコを持ち、これ見よがしに主張する。
「そのセリフ、以前にも聞いた覚えがあるんだけど」
「代替品パワーを侮るなかれ、代替品の本質は新たな価値の創出にこそあるのだから」
伊呂波はそれだけ言うと、私は午後の授業があるからと言って、そそくさと喫茶店を出て行った。
そこには僕と、伊呂波が残していった煙草の箱だけが残されていた。
僕は煙草に火をつける。
「代替品の本質は新たな価値の創出、か」
それならと、思わず僕は小さく笑う。
案の定、僕には煙草の味もわからなかった。