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未踏 22号 ブンの育児日記

作者: 山口和朗

  ブンと暮らして


 ブンの育児日記

 

 血統書

柴 紅竜号 

JS―11629/93

福原秀夫(福原ガーデン)

八王子市

1993 12 31 牡2 牝2

00629―00632/93(一胎児登録№)

193 2 5 登録


 1993年

2月13日 40日(一歳) 1000g

猪又犬舎より 8万で購入 誕生日は1月4日の計算

名前はブン、万年文学青年のブン。

ジュン「弱弱しそうだなー」エミ「顔が熊みたいね」ヨシキ「18歳でやっと念願かなった」私「これからはブンと長生きの競争だ」と各々感想を言う。



  ブンと暮らして



 ブンの育児日記

 

 血統書

柴 紅竜号 

JS―11629/93

福原秀夫(福原ガーデン)

八王子市

1993 12 31 牡2 牝2

00629―00632/93(一胎児登録№)

193 2 5 登録


 1993年

2月13日 40日(一歳) 1000g

猪又犬舎より 8万で購入 誕生日は1月4日の計算

名前はブン、万年文学青年のブン。

ジュン「弱弱しそうだなー」エミ「顔が熊みたいね」ヨシキ「18歳でやっと念願かなった」私「これからはブンと長生きの競争だ」と各々感想を言う。


2月14日 1250g

昨晩は部屋中の臭いを嗅ぎまわって落ち着かなかったが、本日は人にもジャレ、抱かれ、余裕であちこち歩き回っている。


2月15日

早速トイレのしつけを始める


2月16日 1300g

一度捨てたベンチ椅子をまた拾ってきて、ブンの家にする。ドアをつけ、鍵も附けた。


2月17日

ウンチよりメロンの種のようなものがたくさん出ているとヨシキ、調べたら犬条虫とのこと、猪又へ行き虫下し貰ってくる。


2月18日 1350g


2月19日

一日20時間は睡眠をと、食べては少し遊び、後はハウスに鍵を掛け眠らせる。


2月20日 1400g

虫下し3回で虫は出なくなる。


2月21日 

牧野さんのトイレでは用を足さないので、みかん箱でトイレを作ってやる。


2月14日 1450g

蚤がいるようなので、蚤とり首輪買ってくる。


2月24日 

「おすわり」「まて」をはじめる。


2月24日 1400g

牧野さんちのクックを追いかける。トイレをベランダで促しさせる。


2月25日 

玄関にベビーベッドの柵を取り付ける。


2月26日 1450g

風呂に入れず臭いので、タオルで拭いてやる。

いつ食べたのかジュータンの毛玉を吐く。


2月27日

初めての散歩。怖くて歩けず、オーバーのポケットに入れてサカモトまで行く。


2月28日 1500g

下の広場で10メートルほど散歩。一日3回食べる(7時、3時、7時)


3月1日

団地半周の散歩。盛んに臭い嗅ぎ回る。


3月2日 1550g

「おすわり」「まて」完璧。マルコさんちの犬に会い、大はしゃぎ。


3月3日 1600g 体長25㎝、体高22㎝

朝起きてベランダへ行かせると、おしっこ、ウンチするが、昼間自分からベランダへは行こうとしないで、ヨシキの蒲団におしっこ、ジュンの部屋ではウンチと、エミ心配で夢まで見たと言う。ジュン「こいつおれになついてくれるだろうか」と、ヨシキ、「何度もおしっこされ、その度に叩いてしまいジレンマ」だと、


 近頃の心配事

人の手にじゃれていて噛みつくこと。

トイレのこと。

食い意地が強く何でも拾って食べること。

つい叱ってばかりで、いじけた子にならないか心配。

クンは9歳くらいまでかかってトイレが出来るようになったという。まだブンは三才なのだ。


朝の散歩。団地半周。ウンチ、おしっこする。

昼、自分で玄関に行きおしっこする。

夕方、ベランダの窓の前で失敗、窓が開いてなかった。

夜中の3時、板の間で失敗。トイレに直ぐに連れて行かず、目を離した隙きだった。


3月4日(三歳)

ジャーキー大喜びで食べる。

「ふせ」を教える。

散歩に行かなかったら、おしっこ二回、ウンチ一回失敗、夜の散歩は怖がって座ってしまう。


3月5日 1700g

留守番2時間、帰ったらティシュをメチャクチャにしていた。


3月6日

トイレ失敗なし、朝の散歩は嫌がって帰りたがる。2時間留守番。集金人に吠える。

「寝んね」というと嫌がって甘えた声を出す。しかし強く言いハウスに入れると観念して眠る。


3月7日

トイレ失敗ばかり。散歩座ってしまい駄目。


3月8日

トイレ自主的に新聞紙の上でする。ベランダ、風呂、板の間に新聞紙を置く。


3月9日

動物病院へ予防注射に行く。うんち持参、

食事の量について聞く。ブンは腹5分目のようだった。たんぱく質1キロ当たり53グラム。ドックフード2㌔で68g

朝枕元へ餌桶をくわえて来る。餌を作ってやる。充分に餌をもらったせいか、物欲しそうにしない。思いっきり遊び、飛び回っている。

人が来ると愛嬌いっぱい。夜満腹、遊び疲れて良く眠る。


3月10日 2100g

ウンチ漏らさず、おしっこ少量を2回失敗、夜おねしょする。エミに叱られると、直ぐに眠る。良く食べ、良く遊び、良く眠る。


3月11日

シャンプーする。


3月12日

ハウスの戸をはずす。枕元で寝る。


3月14日 2500g

寝る時はハウスでと、台所をアコーデェオンで仕切る。朝方アコーデオンをかじる。


3月16日 4歳

アコーデオンカーテンに穴を開けて出入り自由にしてやる。

ウンチはやはりベランダが良いようだ。食べる量が増えて大量。おしっこは今日は3回失敗。特に蒲団に2回、怒られ眠る。


3月17日 3000グラム

書斎でうんち、窓開けておかなかった。


3月18日

動物病院検査、犬条虫の虫下し処方、蚤はいない、痒がるのは新陳代謝の所為だと、食事は食べたいだけ食べさせてと、躾は九十パーセントは褒めて、しかしボスにはさせないようにと。病気は殆ど食事からくる。良質のドックフードで育てるようにと。


3月19日

下痢して虫が大量に出る。食欲落ちる。


3月20日

元気取り戻す。新しい硬い餌をバリバリ、食べたいだけ食べさせる。


3月21日

冬毛が抜け出す。梳る。

おしっこ、ヨシキの布団で、ジュータンで。


3月24日

ブンについて

○ 人の側が好き、しかし抱かれるのは嫌。

○ トイレはハウスの近くが良い

○ トイレに行きたくなると、泣いてサインを送っている。

○ 外の空気が感じられるところが良い。換気が必要。これらのことからまたしても部屋の模様替え。


3月28日

昨日よりエミ、ブンと一緒に寝る。おしっこうんち失敗なし。落ち着き伸び伸びとしている。


3月29日 3700グラム

病院で湿疹の薬もらってくる。ワクチン注射、本日は出来ず。おしっこ、日に2、3度は失敗


4月4日(五歳) 4000グラム


4月6日 4100グラム

湿疹治療で病院へ


4月7日

あい変らず部屋の模様替え、ブン落ちつかず(ふすまで仕切りをする)


4月8日

寝る前に遊んでやると、ハウスへ行くのを嫌がって、おしっこを撒き散らす。


4月10日

植木の棚でトイレ3箇所作ってやったら、そこでよくする。


4月11日

夜の散歩、サンクスまで、電話機のポールにつないで待たせる。


4月12日 4300グラム

夜の散歩グイグイ引っぱり、薄明かりの公園を歩き回る。


4月14日 4800グラム

ワクチン注射、泣かない。


4月18日

毎日ブンは怒られてばかり、私が植え替えのためか、散歩に行けないためか、ジュンの蒲団、服にと、おしっこをかける。昨晩は腹がグルグル鳴っていると、エミ一緒に寝てやる。


4月19日

おしっこの場所、ベランダから玄関にする。新聞紙が一番手が掛からない。


4月20日

子供たちにブンを任せ、我々は箱根へ、時々ブンのことを思い出すことが、心地よかった。カンナのTV観て、犬と人間の関係、不思議な思いがした。思い返すことの出来る動物が犬だということ、人が犬に出会ったことによって、人は全生物と出会えたということ。人間以外の動物を、犬が理解させてくれるきっかけを作っていると思えた。


4月22日

ブン昨日もおしっこでリンチ、本日はエミが抱いて寝ていたら蒲団に大量。寝起きだったようで、妙な顔をしていると思ったらもらしてしまったと。怒った夜、日々嫌悪感、怒らないで、褒めて育てなきゃと。


5月5日(六歳) 6500グラム

ここ数日、長距離の参歩する。小田公園を一周、鶴見川までと。

おしっこ3時間おき位に、散歩かベランダでさせているので失敗なし。促せばいつでも出来る。良い子だ。良い子だと褒められ、可愛がられ、嬉しそう。

散歩用の帯のバンドを買って来る。引きが強くて手が痛い。

 犬の良さとは

飼い主への絶対的信頼。

寝て起きれば新しい一日を始める。

叱られたことを忘れて、いつものgood boyに

家族が犬と輪になっての生活。

人の一生が、犬をとおして見られるような、成長と変化。

人とのコミニュケーションが、犬をとおして出来る。

犬の素直さが人に影響、犬への優しさが人へと影響。


5月9日 7000グラム

昨日、本日と自転車で散歩。伴走が上手くなった。セソールまでは綱をはずしても、止まれが出来る。道路では自転車のかごにお座りして乗って、買い物では伏せ待ても出来て、


5月11日

セソール裏の遊歩道散歩。夜、頭洗う。ドライヤーに怒って毛布におしっこ。嫌なことをされると、腹いせにやるようだ。

お手、臥せ、待て、止まれ、出来るようになる。後は持って待て、来い、を完璧に、

トイレを風呂場にする、

本日は毛布にしたおしっこを怒らなかった、怒らないと気持ちが良い。


5月15日

二回目のワクチン注射。自転車に上手に座って、病院では注射に、怖がらず良い子。おしっこ、ベランダ、玄関、散歩でと、良い子。


5月25日

セソールまで放して散歩。放しても自転車にちゃんと付いて来る。


5月26日 7500グラム

小田球場、午前中は人気なく、ブンを放して一緒に遊ぶ、離されては追い付きと、満喫する。

散歩コースいろいろ変えて歩く。スーパーではおりこうして待てが出来る。車と犬にほえられ少々怯えていた。

7月には9歳になるのか、最近ブンのいなかった頃の生活を良く思い出す。ブンがいる生活が生活のような気もする。家族がブンに集中し、ブンは家族に信頼を寄せている。


5月31日

昨日より下痢。食べさせ過ぎ。特に間食のさせ過ぎだ。包皮カタルはやはり治療しなければ、膿が服につく。


6月10日(六歳) 7500グラム

先日おんぶして落としてしまい、足捻挫、3日ほどで治ったが、本日、ブンとダンスしてまた捻挫してしまった。

回虫、湿疹、包皮カタル、捻挫と、犬も子どもの様な実に弱い動物だ。走ること、噛むことだけは一人前だ。


6月12日 8000グラム

びっこを引くのが昨日より強くなったので病院へ。片手で突っ張れるから大丈夫でしょうとのこと。注射一本。

耳がひどいと耳の治療。奥まで消毒。薬もらう。一日2回、3日分。

包皮カタルはオスの宿命。酷くならなければ良しとするしかないと。


6月16日

少しびっこ引くが、足の捻挫良くなっている。


7月14日(九歳) 9000グラム

シャンプー。3度目の捻挫3日前にまた。


7月26日 9500グラム

狂犬病の予防注射、フェラリアの薬。来月の丹沢キャンプの注意、色々聞く。足の捻挫に注意、ダニが付くから、でもついたら酒をたらして取るようにと。


 介護日記

 

 このところ夜中に何度も起こされて寝不足。昼間に一緒に寝不足を補おうとするが、直ぐにおきて泣きだし、まとまった睡眠がとれない。昨晩は、あまり泣くから蒲団から放り出した。何度もジュウタンを引っかいて立ち上がろうとしていたが、放っておいた。朝見たらジュータンに血のあとが付いていた。爪を怪我していた。クロマイを塗ってやった。クレーゾール液で血の染みを取った。今日は家中にクレーゾールの臭いが漂っている。天井から下げたリードに下半身を吊り下げ、疲れさせると良く眠る。今もコタツの入った私の机の下で眠っている。


 真夜中の介護

ブンは受容できないのだと思う

見れないこと、歩けないこと、

人のようには諦められないのだと思う。

見えない、歩けないと、眼が覚めると泣いて訴える。助け起こし膝に抱き上げ、揺らしてやるしかないのだった。少しすれば落ち着いて、まだ眠ることは出来ると、しばしの時を眠ってくれるのだから


 日向ぼっこのブンと私

人から見れば、心優しい飼い主と犬の、むつまじい光景に見えるだろう冬の日の陽だまりでの、日向ぼっこ。ブンは私の腕に抱かれ、首をうなだれ、心地よく、おとなしく眠っている。静かな可愛い昔の面影の時が流れ、私は和む。昨夜の激しい、悲しい感情はどこへやら。

 ブンが寝ない、私も寝られない、眠り薬を飲ませているが効かない。どこが痛いわけでもないと思うが、疲れ切るまで、泣くこと、動き回ることを止めない。何度も助け起こし、寝かしつけてやらないと、果てがない。

こんな状態ではブンも生きていてもと思う一瞬があり、もう手で食事を与えまいとさえ、でも食事に鶏肉とパンと牛乳を混ぜて与えるようになったら、元気を取り戻し、とてもまだまだ末期とは思えない。半身が付随なだけ。見えない眼で、歩けない足で、いくら足を擦り剥いても、前へ前へと行こうとする。何かにぶつかって行き止まりとなると、泣いて助けを呼ぶ、前足だけでは後戻りができないので、そこでお祈りでもしているように、放っておくといつまでも泣き続けている。

 歩きたいのだろう。散歩をさせてみよう。昔を思い出すかもしれない。元気に歩けた自分を思い出せば、そんなに歩きたいと泣かなくなるのではないかと、介護用品にあったように、おしめの上からリードの首輪で縛り、チョッキをそのリードで固定し、散歩に出た。後ろ足が自由になったからか、前足を擦りながらも早足で進む。鼻に当たる風が気持ちよさそう、毎日来ていた欅の下の草むらに来ると、草に顔をうずめ、臭いを嗅いでいる。陽射しに眼を細め、生きていることを確かめているかのよう。歩き疲れたのか立っていることが困難そう、足元に引き寄せると、私の足に身体を凭せ掛けてくる。可愛いい、思わず抱き上げ頭を撫でてやる、

 昨日見た映画「ラストコンサート」の、十七才の白血病の少女が、三ヶ月の余命を、自信を失くしたピアニストの再起のために生きる姿を描いていた。愛とは無償のもの以上の、捧げるものとしてのメッセージがあり、生きることとはそのようなことであるとも。



 最後の介護日記


2007年3月にベストと、おしめカバーを買っている。5月にも、一枚買っている。

この一年だったのだなー、階段を自分では降りられなくなり、お前を抱いて階段を上り下りするようになったのは、私の腰がいつも痛かった。


2007年、1月 68歳

ブン階段の前で立ち止まってしまう。降りようとそわそわするが、一歩が踏み出せない。

抱いて降りることにする。目がすっかり白濁し、何も見えないようだ。下に降りても、欅の元へ行き用を足すが、それ以上は歩こうとしない、足腰も弱り、もう散歩は無理のようだった。


2月

下での数十メートルの散歩くらいしかしなくなったブンだが、帰りのエレベーターまでの道のり、そこから玄関までと、抱いて帰る、私の腕、腰の痛みが酷く、何か良い方法がないかと思案していて、ネットで介護用品のベストを見つける。ついでにおしめカバーも揃える。

まだまだ年ではない、ベストの取っ手にSカンを引っ掛けて歩かせる。私の腕が丁度伸ばせて、ブンも適度に腰を引き上げてもらって、散歩が出来るようになった。行きは私が抱いて、帰りはエレベーターで、あとは空中遊泳のようにして、歩いて帰ってこられるようになった。


3月69歳

もうブンは自分では歩けないからと、玄関を開けて掃除していた。そうしたら、ブンが下にいると連絡があり、行ってみると、ブンが自分で歩いている。階段は降りられないはず、誰かに降ろしてもらったとしか考えられない、不思議なブンの快復の時があった。


4月

下に降りてもおしっこ、うんちをして私が抱いて帰ってくるだけ。もう一歩も歩けない。

おしっこを時々漏らすようになり、犬用のおしめを買ってくる。サイズが合わない。買っておいたおしめカバーも使ってみるが、腰が小さくなってしまったブンには、柴犬用のサイズではどちらも合わない、小型犬用も買ってみたが、今度はおしめとしての用を足さない。思案の末、人の新生児用を買ってくる。おしめカバーはサイズを縮めて使ってみる。

 それでも、ゴムで引っぱっているおしめはずり落ち、おしっこが漏れてしまう。

毎日おしっことの格闘、ネットでつなぎ服のおしめカバーを見つける。小型犬用でさっそく試してみる、腰回りはピッタリ、つなぎの紐を足して、完成。

これで夜おしっこが漏れることはなくなる。


5月

何度か下痢をして、蒲団を汚す。尻尾と肛門が近くておしめも、カバーも役に立たない。下痢させないように食事管理を気をつける以外ない。


6月70歳

牧野さんが水道代がすごかったと言っていた。

我が家も洗濯量と回数が増えた。一度下痢されると、蒲団に、シーツに、毛布と、ジュータンは何度も水で濡らし、ふき取って、思わず怒って叩いてしまう。

亡くなったクックのゲージをもらってくる。ブン専用のベッドと思い。寝ている間にそっと入れて寝かせるのだが、起きてしまい、外に出ようと動き回り、手がゲージの隙間に入ってしまい危ないと判る。翌日、ダンボールの空き箱を開いて、内張りをする。泣き疲れては眠るのだが、見ていて可愛そう。やはり一緒に寝てやるしかないと思う。


7月

昼間はおしめをしないようにしていると、あちらこちらにおしっこを漏らしている。

ブンのお漏らしのため、台所をビニールクロスに張り替える。台所ならどこでおしっこしてもいいよと、すると下駄箱前でするようになる。


8月

昼も夜も、お構いなく、お漏らしするようになり、終日おしめをするようにする。


9月 71歳

熱射病が心配で、下の狭い土の上に降ろすが、少しは歩かないと用が足せないようで、Sカンを使って、私の周りを回転散歩をさせる。毎回うんちを出すのが大変になる。


10月

散歩をしなくなった所為か、腰がやせ細り、立つのが困難になる。おしめも、カバーも又合わなくなる、

おしめ。人のおしめパットと二重にする。押しめカバー三枚目注文。


12月 72歳

ドックフードを残すようになる。


2008年1月

ドックフードぜんぜん食べなくなる。缶詰にする。それも食べづらそう。噛む力、飲み込む力が弱っている。水だけは飲ませなきゃと、スポイドで無理やり飲ます。

何も食べようとしない。

食べる意欲はあるが食べられないのだと思い。鶏のスティックをミンチにして、パンとご飯、牛乳を混ぜて手ですくって食べさせることを思いつく。そうすれば一石二丁。すると、よく食べ良く眠り、元気を取り戻していく。

うんち自分で出せないようなので、手で掻き出してやる。ビニール袋にオリーブ油を塗って、ブンの力みとタイミングを合わせて、出終わると、ブンはシッポをピヨピヨと振って喜ぶ。


2月

歩けない身体を前足だけで引きずって歩こうとする。夜泣きをし、徘徊をする、曲がってしまったからだの所為で、同じ所を回っているのだが、何処かにぶつかると、後戻りが出来ず、泣いて助けを呼ぶ。その度に起こされ、付き合うこととなる。

天井にステンレスの自在棒を張り、ブンを吊り上げるようにしてやる、自由になった後ろ足、前足で空を飛ぶように、動き回る。

眠り薬を注文する。


3月1日 73歳

睡眠薬、規定量では効かず、痛くて眠れないのかもしれないと、歯の痛み止めを飲ます。

バファリンも80錠注文


3月2日

私の常食用のチーズに挟んで、この何年もステロイドを飲ませてきたが、それも困難になり、ケーキ作り用の軟らかいチーズ変える。


3月3日

昼夜逆転しているブンは、夜は泣いてばかり、昼間も2、3時間寝ては泣く、天井からのリードでは制約があると思い、車椅子を考える。疲れれば眠るだろうと。身体の曲がったブンには、既製品は合わない。クッキーの空き缶にキャスターを付けて、手づくり車椅子。


3月4日

車椅子試乗させてみたが、ブンの身体が曲がっているためか、キャスターの重心位置が悪く、変更。何日振りかの運動、ブンは楽しそう、実際は歩こうとして歩けず、ただ動き回っているだけの、ブンにとっては詰まらぬ事であったかもしれないが、見ている私には嬉しかった。もう一度歩いてみたいと思うブンの望みを少しでも適えてやれたと、角にぶつかり動けなくなる度、何度も直してやった。


3月5日

買い物に出るのが困難になる。

蒲団で寝ていたので、起こさないでさっと買い物をしてこようと出かけたのだが、帰ったら、ふとんの上でもがいて、シーツが唾でぐっしょりになっていた。

ゲージを嫌がるブンに、何かいい方法はないのか思案する。リードで固定しておかないと、ブンは何処かに入り込んでしまい、泣き苦しむ。思案の末、抱っこ枕を買ってきて、四方をその枕で囲み、天井から吊り下げることを考える。疲れたら抱っこ枕にもたれて寝るだろう位置に、枕を配置して。


3月10日

石川へ3時間ほど、ひとり抱っこ枕の中に置き出かける。帰ったら枕にもたれて寝ていた。


3月14日

朝、うんちが何時もと違う、血が固まったような硬いうんち。


3月15日

夕べも少ししか食べなかったが、本日は朝から何も食べようとしない、水も飲もうとしない。おしめをしようと立たせるが立てない。

嘉樹の誕生会、皆が来て、ブンを抱く。


3月16日

マグロなら食べるのではないかと買ってくるが、食べない。水だけスポイドで強制的に飲ませる。むせて吐き出してしまう。


3月17日

今日は泣いてばかり、夜になっても少し寝ては起き泣く。


am7時

エミ休み、私が眠るため交替。眠り薬と痛み止めを水に溶かし、無理やり飲ませる。


pm5時

30分置きに泣くから、身体を動かしてやっては寝かせたと、私は8時間以上眠れた。昨日は24時間一睡もしてなかったから、

立てないので、吊り上げた状態でおしっこさせる。おしめを横にした状態でやっとつける。


pm8時

今日ということはないだろうが、もうブンは危ないからと、ジュンに電話する。


pm9時

ジュン来る。抱いたり、話しかけたり。


pm10時

蒲団にしばらく寝かせていたら、一声大きな泣き声がした、苦しそうだと、潤が抱き上げると、息が小さくなっている。私が受け取る。心臓に手を当てるが脈がわからない、もう駄目かもしれない、そう言った途端、首がくたんと私の腕に倒れてきた。

11時10分、ブン死亡。私が医者のように言うと、エミ、ジュン、いっせいに泣き出す。私も泣く。


 ブンがいない

三十分おき位に泣いていたブンがいない

泣く度に持ち上げ抱いた、ブンの感触がまだ腕に残っている

泣き声が、呼ぶ声が、いつもふらふらだった寝不足の頭の感じの中にまだ残る

ブンがいない

敷き放しだった蒲団は上げられ、部屋は広々とし、静かに、静かな時が流れ

こぶしの花から、桜の花へと季節は過ぎていくのに

いつでも、いつまでも、起こされず、眠れるようになったというのに

ブンがいない

自分の食事のことより、起きたら、先ずブンの食事を、脱水症にならないように、早く食べさせなきゃと

つい数日前まで、あんなに存在感をもって私を縛っていた

ブンがいない

見えず、聞こえず、歩けずの、寝かされ放しのブンの姿が、まだ部屋の隅のどこかに残る

家族の記憶だったブン

私に愛することを教えてくれたブン

生きる競争をした

私に元気を与えてくれた

生きるとはこういう事と、息子達との夢中の日々を私に見せてくれた

あのブンがいない

呼べば応えるブン、いつまでも待つブン

疑うことを知らない、子どもの心のままのブン

洗濯したおむつカバー、私の作った車椅子、あと数年分のブレドニンも残っているというのに

ブンがいない

けっして、千の風になどにはならないブン

いつも私の思い起こす、その時の中にいるブン

まだまだ生きていく私の記憶の中に、きっと

ブン、お前は生きていくのだよ


 ブン、よく生きた、ガンバッタ


この一年のことではあったが、お前にしてみれば人の四年に相当することではあった。

人のように医者へ行こうなどとは考えもしなかった。

人のようには、何故どうしてなどと考えはしなかった。

死後の事や、残される者のことなど考えはしなかった

残っている生命で常に生きてきた。

後ろ足が駄目なら前足で、

眼が駄目なら耳で、

耳が駄目なら鼻で、

全部駄目なら泣いて、叫んで、

疲れ切って眠りが訪れるまで、

力尽きて死が訪れるまで、


ブン、よく生き、ガンバッタ。

決して不自由を受け入れることなく、

死の瞬間まで生きることを生きた。

生きるということは、決して受容、肯定、諦めなどではなく、

そのようなことは、考えに入れるものなのではなくて、

何が身体に起ころうと、

生きるということを止めないこと、

生きたいことを生きることと、

お前は私に教えてくれた。

ブン、よく生き、ガンバッタ。

やがて訪れるだろう私の死に対し、

お前から学んだこと、

忘れないよ、

ブン、ありがとう。


 ブン 14年と3ケ月 人換算73歳 青年期よりアレルギーがでてステロイドを服用しながらも、よく遊び、よく食べ、よく生きた。

この一、二年は見えず、聞こえず、歩けずと、三重苦の境遇を、不幸とも思わず、ただ在ることを喜び生きた。

生涯悪い子なぞ何一つ無く、ずっとずっといい子だった。

誰に対しても分け隔てなく親しみ、誰からも可愛がられた。

生きることを生きるとはどういうことかを、おまえは身をもって示してくれた。

 お前の記憶は、家族の心にしっかりと刻まれているよ。

ブン ありがとう。


 ブンに届いた花

眼も耳も駄目になっているブンに、会えば「ブンちゃん、ブンちゃん」と、声をかけてくれた婦人。聞きつけて、雨の中、花を買ってきてくれた。


 犬と私の10の約束

 監督 本木 克英(もとき かつひで、1963年12月6日 - )原作 川口晴


 結婚した時の、子どもを授かった時の、喜びと不安のように、お前を飼うにあたって、ただ喜び迎えた。子どもらに対しても何の約束も求めなかった。私の癌が5年経ち、もう転移はないと安堵した時に、これからは、お前と長生きの競争をしようと、お前を迎えたのだった。わずか14年の生涯、映画のように我が家にも様々な事があった。が、変わらぬお前の存在は、夢のような時を与えてくれた。思春期の子どもらへ、働くお母さんへと無言の励まし。


 今、この映画のモチーフになったという、犬の飼い主のための十戒について綴ってみようと思う。映画では、お前のことごとくのシーンが思い出され、最初から終わりまで、涙が流れ続けた。犬を飼った者、犬を亡くした者には解る、犬の気持ち、飼い主の気持ちが、そこには秘められてあった。


† 犬の十戒 † (犬の飼い主のための十戒)


① 私の一生は10~15年くらいしかありません、ほんのわずかな時間でも貴方と離れていることは辛いのです。私のことを買う(飼う)前にどうかそのことを考えて下さい。

 犬の若々しい、素晴らしい時は、壮年期までの5、6年位、後は落ち着いた大人の犬の時となる。その幼青年期の、弾ける心の時を、少しでも多く、深く、家族と一緒に共有しなければ、犬を飼う意味がない。まして鎖などで縛って、番犬などと家畜のように扱うなど、一緒に家の中で、家族の一員として過ごす中で味合える犬との暮らしの素晴らしさ。夫婦が互いに、私の一生は70、80年位しかありません、途中病気になるかもしれません。ですから、どうぞ何時も一緒の団欒の時を大切にして下さいと言うように、恋人達が求め合う時のように、人への犬の心がここには投影影されている。


② 私が「貴方が私に望んでいること」を理解できるようになるまで時間を与えてください。

 おしっこは家の中ではしてはいけない。物を齧ってはいけない。吼えてはいけない。待て、お座り、止まれ、来い、さらに、もって来いと、どれだけお前に要求したことだろう。人の子の長い年月に渉る躾とは違って、数ヶ月のうちにマスターする犬というものであった。

人が、結婚において、互いの望んでいることを、この犬の心のようになって、日々理解し、確認しあうなら、生涯に渉った愛の時が得られるものを、犬のようには互いに応えようとはしない。


③、私を信頼して下さい----それだけで私は幸せなのです。

 信頼とは何か、犬が主人を一途に求め続ける心、オオカミの習性だと言うが、この心がなかったのなら人は犬をペットにはしなかっただろう。人の子が幼少期、親を求め、従い続けるように、それが15、6年の生涯に渉って持続されるという犬というもの。

犬にとって良いボスと居ることが、最高の幸せだというが、犬にとって良いボスとは、人の親のような、何時も見守り、信じていてくれる存在のこと。子にとって、いつまでもそうした親が居ることの喜びのような。


④、私を長時間叱ったり、罰として閉じ込めたりしないで下さい。貴方には仕事や楽しみがありますし、友達だっているでしょう。でも----私には貴方だけしかいないのです。

 犬は、決められた人一人としか同伴しないのだった。人の親と子のように、子が親を選ぶことは出来ないように、決められた主人の都合のままに、付き従うのだった。犬は成犬となっても、求める心は三歳の子どものままで在るのだった。


⑤ 時には私に話しかけて下さい たとえ貴方の言葉を理解できなくても、私に話しかけている貴方の声で 理解しています。

 犬の言葉といえば、ごはんが欲しい、遊んで、散歩に行きたい。嬉しい、悲しい、嫌だ、位のものだったが、人の、家族の言葉には耳を澄まし、眼を凝らし、理解しようとした。人が来た時の喜びの姿、人が去るときのつまらなさ、言葉ではなくいつも態度で示した。あのしっぽの細やかな動き、言葉以上のもの

だった。


⑥ 貴方がどれほど私を扱っても私がそれを忘れないだろうということに気づいてください。

 否、お前は3分後には、自分が何をしていたのか忘れていた。結局お前が何をしても許すしかないのだった。何故なら、お前のやることはすべてお前にとっての意味であったから。怒られ、しばらくは反省しているように見えるのだが。私が怒り続けていない限りは、何事もなかったような、いつもの明るいお前

に戻るのであった。


⑦ 私を叩く前に思い出して下さい 私には貴方の手の骨を簡単に噛み砕くことができる歯があるけれど、私は貴方を噛まないように 決めている事を。

 私はどれだけお前を叩いたことだろう。子どもには一度も叩いた記憶が無いのに、お前には何度も。お漏らしが一番の原因だったが、散歩にちゃんと連れて行くようにしてからは、怒ることなど何も無くなった。家族、訪れる人との愛らしいお前の存在だけがあった。孫が来て、叩かれたり、耳や、尻尾を引っぱられても、けっして怒ることのない、人の気持が解るお前だった。


⑧ 言うことをきかない、頑固だ、怠け者だとしかる前に私がそうなる原因が何かないかと貴方自身に問い掛けてみて下さい。

適切な食餌をあげなかったのでは?日中太陽が照りつけている外に長時間放置していたのかも?心臓が年をとるにつれて弱ってはいないだろうか?

 この数年は、障害のため、訪問者の歓迎も、送迎も、辛そうだったが、動ける間は、人に分け隔てなく、挨拶をし、お見送りをした。まるで自分の務めのように


⑨ 私が年をとってもどうか世話をして下さい、貴方も同じように年をとるのです。

 一年位だったのだろうか、年老い、歩けず、聞こえず、見えずのお前を世話したのは、それまでは眠ってばかりの、居るのか居ないか解らないようなお前だったが、突然に、散歩に、食事に、おしめにと、存在感をもって迫った。可愛かった、元気だった、いい子だった、遂この間までのお前を思い出し。懸命に介護をしたよ。今でもお前の嬉しそうな、あのおしめを替えるときの、しっぽをピコピコと振る、お前の仕草が目に浮かぶ。


⑩ 最期の旅立ちの時には、そばにいて私を見送って下さい 「見ているのが辛いから」とか、「私の居ないところで逝かせてあげて」なんて 言わないで欲しいのです 。貴方が側にいてくれるだけで、 私にはどんなことでも安らかに受け入れられます。そして-----どうか忘れないで下さい 私が貴方を愛しているこ

とを。

 離れて暮らす、ジュンも駆けつけ、家族に見守られ、最後には、私の腕の中で息を引き取ったお前、決して忘れないよ。14年間、24時間、常に一緒にいた、私とお前、たまには家に居ないで欲しいと願ったかもしれないが、私にとっては、お前はいつも私の足元に居て、私を見守ってくれているような存在だった。お前の生涯に渉った忠実さ、親愛の情、大らかさ、繊細さ、記憶に焼きついている。闘病生活、死に様、私への、家族への手本のようであった。生きる競争をした、私とお前、お前の年までには、まだ14年ある。そこまで生きて、はじめてお前に勝ったねと言える。最後まで生き切るからね。お前に会えて良かった、楽しかった。ほんとうに、ありがとう。

               2008-7-1


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