将来の夢
あれほど盛り上がっていた場が、一瞬、シンと静まりかえった。
何かを口にしようとしたがうまくいかず、場がしらける。
しかし、その息詰まった空気を破るように、
「……なあ、カナン」
「え? なあに」
「可南は将来、何になりたい?」
突然、彼がそう問うてきたのだ。
「将来……」
私は……。
「稜クンこそ。ピアノの道……芸大にでも進むの?」
私は意図的に話を彼に振っていた。
「いや。ピアノは……芸術はあまりに奥深くて、畏れ多い。それに地道な基礎練の裏打ちがない、言わば感性だけで弾いているような俺のピアノは「本物」にはなれない」
「じゃあ。何がやりたいの」
「俺は、「建築家」になりたいんだ」
彼はどこか遠くを見つめるような瞳をした。
「それは。お父様の跡を継ぐ、ということ?」
彼のお父様は、かなり名の通った建築家だ。
国内の大きなプロジェクトにも関わっていらっしゃるらしいし、設計した建物が実際に日本各所に点在している。
彼の住むオーダーメイドの高級注文住宅は、彼のお父様が比較的若い頃に携わった本格的な建造物だそうだ。
「つい最近までふらふらしてたけど、可南と出逢って、ようやくこれじゃいけないって思うようになったんだ。親父には色々反発もしてきたさ。でも、ガキの素人目に見ても親父のやってること、創り上げているモノは凄いって思う」
彼はテーブルの上に両肘をつき、手を組んでいる。
「親の七光り、て言われるのは死ぬほど悔しい。でも、七光りだけが通用するほど甘い世界じゃないのも事実だ。だから、これからは本気で勉強もして、まずは大学。海櫻でも問題はないけど、出来れば国立の一流て言われるところの工学部の建築学科に進みたいって思ってる。そして、一級建築士の資格を取って。それからだけどな、将来なんて」
彼は、今までに見せたことのない本気の表情をしていた。
「カナンはどうなんだ?」
「私は……」
言葉に詰まりながら、しかし自分でも驚くほどはっきりと言葉にしていた。
「私はやっぱり。ダンサーになりたい」
知らず知らず、テーブルに前のめりになっている自分がいる。
「当面は今まで通り、国内の主要バレ・コンに挑戦すること。そして来年度こそはビデオ審査になんとか通過して、あの若手ダンサーの登竜門「ローザンヌ国際バレエ・コンクール」にチャレンジしたい。それを足がかりに名門バレエ団に海外留学して、最終的に入団できれば言うことないけれど、それはもう夢のまた夢みたいな話。……でも。ゆくゆくは今レッスンに通っている国内の名門「貝原バレエ団」のオーディションを受けて、合格して入団すること。それがまず、将来の目標」
「それって、プロのバレリーナになるってこと?」
「そう。でも、入団できたとしても舞台に立てるとは限らない。最悪、待機ダンサーのまま終わるかもしれない。私の実力では、コール・ド(群舞)になれるかなれないかで現役引退の可能性の方が高いと思う」
「それでも、なりたいんだろう? ダンサー」
「うん。踊りたい。……プロとして」
それが、期せずして本物の「バレエ・ダンサー」としての自分を初めて認識した瞬間だった。
「建築家にダンサーか。考えてみればすごい組み合わせだよな」
彼は、それまでの堅い雰囲気が嘘のように大きく伸びをした。私もつられて肩の力を抜く。
「そういうカップルの下には、どんな子供が生まれてくるのかな」
「やだ、稜クン。ハナシ飛ばしすぎ!」
二人で顔を寄せ合い、笑い合った。