切り捨てる。
≪私≫は女子高校生だ。
厳密には、女子高校生だった、だろう。
今の≪私≫は、アルベール王国から男爵の爵位を頂戴するマゴット男爵家長女、ウェルウァインであり、現役バリバリの八歳の少女だ。
前世の名前は覚えてないけれど、共学の全日制高校に通う、友達いない歴=年齢、幼児期の諸事情で人見知りを人間嫌いにまで拗らせたプロボッチだったことは覚えている。
それでも特に不自由していなかったので、友達というものは、水や空気、食べ物のようになくては立ち行かないものではなく、嗜好品の一種だと考えていた辺り、本当に拗れていたんだなあ、と思う。
前世は前世で痛い子だった訳だが、高熱を発して絶賛魘され中の少女を放置しているマゴット家の人々も、相当に痛いと思う。人として。
そもそも、隙間風吹き雨漏り滴る廃屋半歩手前の納屋に、粗大ごみと大差ない最低限の家具と一緒に八歳の少女を押し込めている時点で、色々アウトだ。
急な発熱、それもかなりの高熱のせいで、生理的な涙があふれて歪む視界に、炎天下のアスファルトに放り出された蚯蚓みたいな、サイケデリックな極彩色の光の帯がのたうつ中、ふうっと気が遠くなったと思ったら、頭の奥の奥の更に奥にがっちりかかった何重もの錠前がばらばらに壊れて、前世の記憶と思しい諸々が溢れ出てきたのがついさっき。
前世の≪私≫は、拗らせたぼっちが天元突破した、ぼっちオブぼっちの女子高校生だった。
ゲームと読書とガーデニングが趣味なのは、どれも一人で没頭するものだから。
ただしゲームはオフライン限定で、ネトゲもソシャゲも、課金ありきのゲームとか、そんなのは扶養家族を抜けて独立してからの話だし、それまではお小遣いやお年玉、誕生日プレゼント、バイト解禁後はバイト代の範囲内で無理なく遊べるゲームで十分でしょう。
周りから根暗とかオタクとか散々言われたけど、だから何? で我関せずを通していたのに、学校でも有名らしい騎士団(笑)のイケメン(笑)に絡まれたのは、災難以外の何物でもなかった。
一回二回ならスルーもするが、それがことあるごとにとなれば、鋼鉄の堪忍袋の緒も耐久力減少でブチッと逝く。
無理な要求をしても怒らず反論せず笑みを浮かべて要求を呑むけれど、限界を越えたらその瞬間に刺し違え上等で真顔でブチ切れ大陸間弾道遺憾の意が日本人だと、かのマールバラ卿も言っていたろうに。
なので、
『私が根暗のオタクであることが社会の害悪になる明確な根拠を提示して証明してくれないか。そもそも君に興味なんてマクロファージの爪の先ほどもありませんよ。大体、女子生徒はすべからく俺に気があるとか自意識過剰か。何で君の痛いナルシシズムに付き合わなくちゃいけないんだい。君の痛さに他人様を巻き込まないでくれるかな。毛布に喰われてエンジニアに踏まれてもげてくれませんかこの×××野郎』
と、全校生徒の四分の三の暗黙の共通認識をノンブレスでぶちまけたところ、全校生徒の半数近くが興味本位で見守る中、顔を真っ赤にしてふじこふじこと喚きながら、非力なもやしを突き飛ばしやがりました。
バカだバカだと思っていたけど、こいつは真性のバカだ――突き飛ばされて○田行進曲よろしく階段落ちしながら聞いた、ゴキャッと人体から聞こえてはいけない音が、私の前世終了のお知らせだった。
解脱できるほど悟ってないから輪廻転生コースかなあ、と思っていたら、どう見てもSANチェック自動失敗ですありがとうございます、なナニカに引っ張られて、「最近の流行っぽいし、このビッグウェーブに乗るしかないと思って」と、チート押し付けて異世界にそぉい! と放り投げられた。さすが外なる神。そこにシビレないしアコガレない。
と、振り返っていると、熱のせいでいい塩梅に茹だった脳味噌が、こんな時のお約束を引っ張り出した。知らない天井? いいえステータスオープンです。
転生ものの定番じゃないですかステータスオープンとか! と、誰に対してだかわからない言い訳をしつつ、ステータスオープン! と念じてみたら、本当にステータスらしきものが出てきたのには、乾いた笑いしか浮かばない。
手垢に塗れた三文どころか十六文安い、大量廃棄前提で大量生産されてるネット小説か、と突っ込みつつ、表示されたステータスに目を通す。
≪ウェルウァイン・マゴット マゴット男爵家長女 八歳 女≫
筋 力:3/5
体 力:3/6
敏捷性:4/11
知 性:3/14
精神力:3/17
魔 力:2/9^8
魅 力:3/16
所有スキル
刺繍(初等級):レベル-/25
社交術(初等級):レベル-/25
ダンス(初等級):レベル-/25
礼儀作法(初等級):レベル-/25
調理(中等級):レベル-/レベル50
洗濯(中等級):レベル-/レベル50
清掃(中等級):レベル-/レベル50
裁縫(中等級):レベル-/レベル50
生存(高等級):レベル-/レベル99
偽装(高等級):レベル-/レベル99
鑑定(特等級):レベル-/レベル99
記憶の宮殿(特等級):レベル-/レベル99
亜空間収納庫(特等級):レベル-/レベル99
緑の王(神恵級):レベル-/レベル∞
庭師の王(神恵級):レベル-/レベル∞
言語理解(神恵級):レベル-/レベル∞
魔力の湧泉(神恵級):レベル-/レベル∞
守護・祝福
名付けられざる深淵の神の恩寵
状態異常
毒
痴愚の呪い
RPGのキャラクターステータス画面のようなそれに記載されているのは、名前、職業(?)、年齢、性別、能力値、スキル、守護・祝福、状態異常。
能力値やスキル、主語・祝福の内容は、ステータス画面が現れると同時に、何故か理解できたけれど……どうしてそんなことになるんだい? 訳がわからないよ。
能力値やスキルの情報が妙なことになっているけれど、≪私≫の記憶が流入する寸前、元のウェルウァインのものと、≪私≫が流入して解凍された転生特典が混ざっているからで、しばらくすれば≪私≫と混じりあって落ち着くはず。
深く考えたら負けそうな内容が並ぶ、ツッコミどころが多過ぎてどこからツッコめばいいかわからない数々の項目の下、状態異常:毒と出ていたのには、思わず噴いた。
痴愚の呪いとかも噴いたけど、こっちは今すぐ生命に関わるようなものじゃないから置いといて、まずは毒をどうにかしないと。
折角人生やり直すチャンスを得たのだ、こんなところで死んでやる気は毛頭ない。
ツッコミどころは多々あるものの、ステータスの所持スキル一覧にあったスキルにお願いしよう。
先生出番です……って時代劇の悪徳廻船問屋か。
先生こと神恩級スキル≪緑の王≫、レベル∞。
あらゆる植物を支配し、この世界に存在しない植物をも自由自在に造り出す、という「厨二病乙」もいいところなデタラメくさいスキルではあるけれど、生きるためなら使えるものは何でも使う。人間だもの。
まずは状態異常:毒を回復するための、解毒剤になる植物を作って、それから、消耗した体力を回復させる薬草的なものを作ろう。
呪いについては、≪私≫が表に出てきたので、放っておいても恩寵の効果で術者に倍返すから消滅するらしい。なにそれこわい。
スキルの効果? はわかるけど、使い方は今一つ飲み込めなかったので、握った右手の中に、気合いと何となくこれなんじゃないかと思える謎の力とイメージを込めたところ、すぅっと何かが体の中から抜けてく感覚と共に、手の中に何かが現れるのが感じられた。
握った右手をそっと開くと、純銀の茎に、薄く削り、裏側に銀箔を張ったペリドットの葉と、純白の真珠の花弁を持ったハナカンザシ、といった植物が、そこにはあった。
原典の記述に則した性質をイメージすることに意識を傾けていたので、外観のイメージについては曖昧だったが、案外うまくいくものらしい。
それでも、イメージ通りの性質になっているかの確認は必要だろう。
≪ヘルバ=サクラの花枝≫
世に存在するすべての毒と疫病の治療薬であり、邪精霊、悪霊、死霊を祓い、呪詛に対抗する聖なる植物、ヘルバ=サクラの花枝。
花、茎、葉、根のすべてに効能があり、乾燥させても効能が失われることはない。
鑑定結果はご覧の有様で、原典通りどころか、原典プラスアルファの高性能だった。高性能過ぎて逆に引いた。ドン引いたけど、背に腹は代えられない。
目を瞑り、自家製青汁的な青臭さや苦み、渋み、エグみを覚悟して、丸ごと口の中に入れたヘルバ=サクラを咀嚼する。
思っていたのと違い、一杯のお値段四桁円、な天然氷のかき氷のような、ふわふわしゃりしゃりの歯ごたえと舌触りのヘルバ=サクラは、蜂蜜を垂らしたホットミルクの、ほっとするような優しい甘さと、ほんのりとしたミントのさっぱりしたメントール感が喧嘩せずに両立していて、草っぽさは全くない。
最初の一噛みの段階で、全身を支配していた熱と痛みは、強い風に靄が吹き流されていくように引いていった。
節々の疼痛も、体の内側から腐っていくような気持の悪さも、≪私≫が表に出てくるまで、ウェルウァインの頭の中に詰め込まれ、おつむの足りない薄ら馬鹿に見せていた『何か』も、きれいさっぱり消えている。
すっきりしたところで、次は毒のせいで消耗した体力を回復させる薬草だ。
スキルの使い方は、ヘルバ=サクラを作った辺りで何となく分かったから、多分大丈夫。
今度は手を握らず、開いた手の上で、多分魔力だと思われる謎の力で作った繭の中に、イメージと謎の力を流し込んだ数秒後、ふ、と繭が霧散する。
繭が消えると同時に現れたのは、青とも緑ともつかない淡い色を帯びた水晶の茎の上、透き通った黄金の蕊が放つ輝きを、幾重にも重なった薄紅色のオパールの花弁で柔らかく拡散させ咲いている、小ぶりの蓮の花。
イメージ通りにできたなら、これもかなりぶっ飛んだシロモノになっている、はず。
≪ソーマ草の花≫
不老長命の妙薬、ソーマ酒を醸すソーマ草の花。
病気や怪我、呪詛、老化等により消耗した体力と、スキルや魔法の使用で消費した魔力を完全に回復させ、後天的に欠損した肢体(臓器を含む)を再生する。
……あ、やっぱりこちらも大概だった。大概過ぎて引いた。
ソーマ酒とか怖くて醸せないから、このまま食べ……る前に、ヘルバ=サクラとソーマ草を大量生産しておこう。
魔力はソーマ草を食べれば回復するのだし、作れるだけ作って、亜空間収納庫……長いし、面倒だからストレージと呼ぼう。ストレージに放り込んでおけばいい。
まずはヘルバ=サクラから。
十本作ったら、作っておいた「絹糸のように柔らかくて、ワイヤーのように丈夫な棕櫚の樹皮」から抜き出した繊維で一まとめにしてストレージに格納する作業を、疲労感と脱力感の蓄積具合から、急性魔力欠乏症になるちょっと手前まで、ひたすら続ける。
この急性魔力欠乏症については、ステータス画面を開いたときに流れ込んできた情報に含まれていた。
保有魔力の限界まで魔力を消費することで、意識を保てなくなり気を失うという、夏の全校集会あるあるのようなもので、リスクは倒れた時に怪我をするかもしれない、という程度だ。
ヘルバ=サクラの束の数が四十を超え、あと三本で五十束目、となった辺りで、気が遠くなりかけた。
ふらふらしながら、束にできないヘルバ=サクラのばらをストレージにしまう。
ソーマ草を口の中に押し込み、ヘルバ=サクラは普通に美味しかったけど、ソーマ草はどうなんだろう、と思いつつ、咀嚼する。
……え、なにこれ。
噛んだ瞬間、さりっともほろっともつかない儚さで崩れて溶けて、口の中に、類似するものがないので表現不可能な、だけど確かに花の香りとしか表現できない清涼かつ芳醇な香りと、甘さは控えめながら舌が蕩けて消えてしまいそうな甘美な蜜が霧のように広がって、夢みたいに消えていく。
美味しいとか、そんな次元の話じゃなくて、この先、どんな果物やスイーツを食べても、この味を知ってしまったら「この程度か」としか思えなくなる、そういう次元の代物だ。
うわあ、と思いながら、今度はソーマ草にとりかかる。
こっちは三本一束で作る。ヘルバ=サクラより大きいから、三本がきれいにまとめられる上限だからだ。
作っては束ね、束ねては作りを繰り返しているうち、三十七束と二本目で気が遠くなりかけたので、ばらの二本をストレージに放り込み、ベッドに入る。
ソーマ草を食べなくても、魔力の湧泉のおかげで、八時間ぐっすり眠れば、急性魔力欠乏症寸前まで減った魔力は完全回復する。
生活改善劇的ビフォアフターは明日から。
おやすみなさい。
* *
朝です。新しい朝、希望の朝です。
目覚めはいつになく爽快で、身も心も軽く、勢い余ってもう何も怖くない、と死亡フラグを立ててしまいそうなくらい、気持ちがいい。
いつもの癖で、手を伸ばすけれど、目当てのものには届かない。
≪私≫は目が覚めたらすぐ飲めるように、手を伸ばせば届くところにペットボトルのミネラルウォーターを置いていたけど、そんなものがある訳ない。
仕方なく、むき出しの地面の上に直接置かれた、足の一つが外れて大きく傾ぎ、中の詰め物が飛び出す、辛うじて原型を残したマットレスを載せたベッドから出て、キャビネット代わりの、あちこちに穴の開いた木箱の上に置いた水差しに手を伸ばし――止める。
母屋の使用人が、わざわざここまで持ってきた、何とも嫌な気配がするそれを、鑑定する。
≪トゥーファ水≫
服用の三、四時間後に熱病に似た症状を発症し、最短十時間で死亡する。解毒が間に合っても、手足が痺れるなどの後遺症を発する場合がある。
熱病による衰弱死と判別がつきにくいため、この毒物は所持するだけで重罪となる。
……世の中クソだな、って、こういう時の台詞としてはぴったりだ。
マゴット家の使用人たちの、悪意はないが無神経な言葉の数々を、前のウェルウァインは理解していなかったけれど、覚えていた。誰が何を言ったかまで鮮明に、細大漏らさず。
≪記憶の宮殿≫の中に新しく作られていた、ウェルウァインの記憶の棚から引っ張り出したそれらは、いくら足りないとはいえ、子供の前でしていい内容の会話じゃなかった。
伯爵家の末娘であっても、男にだらしなく、貞操観念と性衝動のブレーキである理性に欠けてい母は、放埓な男遊びの挙句、デビュタントの直前にどこの馬の骨ともしれない男の子供――つまり私を腹に宿した。
ちょっとおだててやれば、寝室の扉を簡単に開いて男を招き入れるような女が、ちゃんとした紳士方に相手にされる訳もなく、見目だけはいいが身元は怪しい男どもにちやほやされ、ホイホイ股を開いた結果だから、自業自得ではあるのだけれど。
未婚の母、なんて貴族にあるまじき醜聞を恐れた祖父母が白羽の矢を立てたのが、当時借金で首が回らなくなっていたマゴット男爵家だった。
伯爵家としての権威と多額の持参金で、男爵家の長男と、婚約とまではいかないが、結婚を約束していた幼馴染の準男爵家の次女との間に無理矢理末娘を捻じ込んだという。
まあ、さすがに恥ってものがあるのか、幼馴染の準男爵家の次女は、男爵家の長男が伯爵家の末娘と結婚してから三年後、伯爵家の親戚筋である子爵家の長男のもとに嫁いだそうで、確かに玉の輿かもしれないけど、普通に考えたらひどい話だと思う。
前のウェルウァインが理解できなくて、本当によかった。
頭も尻も軽い、多少見られる顔以外何のとりえもない女が、とっかえひっかえ男をくわえ込んでいるうちに、うっかりデキてしまった「いらない子」が自分だなんて、八歳の少女には少々キツ過ぎる。
ウェルウァインが産まれたのは、挙式から半年後。
その翌年には双子の兄妹――次女と長男が産まれ、男爵家を継ぐ息子と、閨閥を作るための娘が揃い、更にその二年後には弟が産まれ、ウェルウァインはますます「いらない子」になった。
弟妹の誕生日は、昨日。昨日で弟妹は七歳になった。
貴族も庶民も、子供が七歳になると、最寄りの神殿で現還の祝福を受ける。
現還の祝福とは、七歳の誕生日までは、子供は現世の存在ではなく、神々の世界に属するもので、七歳になって子供が現世に還ってきたことを祝う祭事だが、ウェルウァインにはそれを受けた記憶がない。
神々の世界に属したまま、還ってこなければいいと、そういうことなのだろう。
だから、弟妹が七歳になり、完全に無用の長物になったウェルウァインを処分しようとした。
ウェルウァインがそれを理解しないで済んだことに、≪私≫は心底ほっとしてるけど、同じくらい腹が立っている。
ウェルウァインは、呪詛のせいで魯鈍な子供ではあったけれど、母屋の連中の思惑を、感付いていなかった訳じゃあない。
母屋の物置に住まわせていたウェルウァインを、弟妹たちが七歳の誕生日を迎える年になったので、これ幸いとボロ納屋に移した。
水は朝、使用人が土間の甕に注いだものを使うようにと厳命されているけど、それは細かなゴミの浮いた泥水で、母屋の使用人が朝まとめて持ってくる食事は、しなびた野菜くずと家畜用の雑穀を煮込んだ粥が、木の鉢に一杯きり。
水は、ゴミをすくい取ってしばらく置けば上澄みが使えるし、粟、稗、黍に燕麦とかを使った粥は豚の餌より不味いけれど、栄養価は高いから、痩せこけ成長が遅れても、餓死するまでには至らない。
そんな現状を、扱いを、母屋の連中の殺意を、ウェルウァインは受容した。
受容すれば、いい子だと褒めてもらえる、愛してもらえる、そう思っていたらしいが、そんなことある訳がない。
母屋の連中は、ウェルウァインをこれっぽっちも愛してはいない。
――アレを母屋に近付かせないでと言ったでしょう! ああ、おぞましい。早く死んでくれないかしら!
お美しい「奥方様」を一目見たくて母屋に近付いたウェルウァインを、「奥方様」は気持ちの悪いものでも見るような目で見下ろし、扇の陰でそう吐き捨てたのに、そんな奴の歓心を買うために死んでもいいと、どこかで思っていたことが、許せなかった。
だから、ウェルアインは、これで褒めてもらえる、愛してもらえる、なんて満足して、いってしまった。
それが、ウェルウァインの中に閉じ込められていた≪私≫が表に出る条件なのだとしたら、恩寵の送り主は相当イイ性格、いや神格をしている。
顔を覆い隠すほどに伸びている、緩くウェーブのかかった銀朱の髪の内側で、思わずため息をつく。
菜の花色の髪の「奥方様」と、若菜色の髪の「旦那様」の間には生まれようのない銀朱の髪を、「奥方様」は、妹の若菜色の髪と、弟たちの菜の花色の髪を愛するように、忌み嫌っていた。
ウェルウァインには悪いけれど、今の≪私≫には、奥方様も旦那様も弟妹も、どうでもいいものでしかない。
ないわー、とは思うけれど、それだけだ。
「……さて、どうしようかな」
この時間になると来る母屋の使用人が、来ない。
死んだかだか分からないけれど、死んでいるのは見たくないから、「なかったこと」にするつもりなんだろう――ウェルウァインも、納屋も、最初から。
母屋からは大分離れているし、一、二年もすれば骨になっているだろうから、頃合いを見計らってボヤで焼失シナリオか。
うん、準備期間を得たと思おう。
自由に生きていくための力と手段を、この一、二年でわたしはものにしなければならない。
まずは手始めに。
「邪魔」
切れる植物といえば、ススキ。
片側の縁だけをうんと鋭いものにして……よし、できた。
鬱陶しい前髪をざりざり挽き切って、ストレージにしまう。
三十センチ以上ある髪は、人形の髪用やつけ毛用に売れるかもしれない、貴重な資源だ。
さようなら、ウェルウァイン。こんにちわ、新しい世界。
今ここから、≪私≫はわたしを始めよう。