001年目07月23日 長とは何かを考えるだけの話
近衛一番隊に所属してから『リザティア』に訪問したのは初めてというこの屈辱。たかが寄子の領地が騒がれているのも新規の領地故に物珍しいだけの事だろう。ロスティー公爵閣下の隊に所属して十年ノーウェ伯爵閣下の隊に所属して三年になる。年は二十九になった。娘も成長して、家内からはお土産に『リザティア』の服を買ってきて欲しいと言われている。
そもそも、ロスティー公爵閣下の領地では近衛ではないにしろ、隊長を務めていた。異動して降格と言うのは納得がいかない。近衛に上がったとはいえ、隊長は隊長として遇すべきだろう。聡明なロスティー公爵閣下に比べ、やはり息子というのは甘えて育てられたのか、人を見る目が無いな……。まぁ、愚痴はいい。折角の半員休暇だ。他の隊員は先に歓楽街の方に向かったが、何の情報を調べずに向かうと言うのは愚物だろう。
「おい、そこの兵。私はノーウェ近衛一番隊のバルテアだ。歓楽街の情報に関して、供出を求める」
「は!! 私はアキヒロ軽装歩兵三番隊のザックと申します。どのような情報をお求めでしょうか?」
私よりも年上の兵で、しかも軽装歩兵の隊員か……。情報を持っているかも怪しいな……。
「女性物の服が売っている場所の情報を希望する。年齢は三十前後。容姿としては綺麗よりも可愛い寄りだ。後、出来れば、十三の娘の服も買いたい。そちらの情報も希望する」
「了解しました!! その年齢で可愛い寄りであれば、ピンク・アラベスタが良いと考えます。子供服に関しては、ウーディンの歌い手が人気であります」
まぁ、現地の兵の言葉だ。参考にしつつ他の店も当たれば良いか……。
「分かった。情報、感謝する」
そう告げて、兵舎を出て、西門行きの乗合馬車を待つ事にした。
「ん? どうしたザック、面白そうな顔をして」
振り向くと、相棒が立っていた。
「あぁ、レスターか。いや、ロスティー領で見た顔が偉そうに話しかけてきて、おかしくってな」
「またやってんのか。感じ悪いぞ。領主様、あまり陰険なの嫌うだろ?」
「いや、程々にしてんよ。ただ、あいつロスティー領でも干されてたからなぁ。剣の腕は問題無いんだが、隊長の器ではないしな……。年が年だからお情けで隊長にしてもらってたみたいだが。他人に使われるなら良いんだけどなぁ……。そういう意味では近衛の隊員とか、望んでも得られない機会なのに、腐ってるようでな。あの年で俯瞰して物が見れないのは哀れだとは思うわな」
「だーかーらー。そういうのが陰険だって言ってるだろ」
「へいへい。まぁ、良いじゃねえか。人の見定め程度」
「何かあっても知らんぞ……」
レスターが心底嫌そうに言うので、肩を竦める。
「分かったよ。しかし、お客さんも大分慣れて、ひっかかるのもいなくなったしな。まぁ、情報は正しいんだから、十分驚いて帰れば良いさ」
そう告げて、引継ぎの続きに向かう事にした。
ただ、口を開けて、呆ける事しか出来なかった。店舗としてはそう大きくもない店だ。だが、その中に並ぶ商品は見た事も無い形をしており、男の私が見てもあり得ない程の品質で作られている。布の織りの美しさ、縫製の緻密さ、飾りの独創性。王都には任務で何度も訪れたが、こんな服見た事も無い……。
「お客様、どのような服をお探しですか?」
ただ呆然と眺めていると、店員が声をかけてきた。
「いや。商品の質が良くて驚いていた」
「そうですか、ありがとうございます。ただ、うちですと大体品質もお値段も中央付近なので、お求めやすい物になっているかと思います」
それを聞いた瞬間、目が飛び出そうになった。品は良いのだが、先程の兵のいたずらかと思うほどの値段だった。それが、歓楽街の中央? たかが子爵上がりの新興の寄子じゃなかったのか? 何故、このような品質の物を取り扱える。しかもまだ、この上があるだと……。侮っていた相手に手酷く殴り返された気分で、憔悴しながらもう少し価格の安い店を教わり、そちらに向かう事にした。
「あぁ、フェンさん。ご無沙汰しています」
「領主様。どうなされました?」
久しぶりのフェンだが、大分血色も良く、こう、全身から輝かんばかりのオーラが出ている感じだ。仕事、楽しいんだろうな。
「ノーウェ伯爵閣下が来られたので、商工会に関係する情報の共有をしようと思いまして」
「それはまた、ご足労頂きありがとうございます」
ノーウェから聞いた内容をフェンに伝えて、出してもらったお茶を啜る。
「そういえば、何か話をしていたようで。割り込む形になって申し訳なかったです」
「あぁ、いえいえ。雑談でしたので、お気になさらず」
「珍しいですね。雑談なんて」
「あぁ、大した事は無いですが……。そうですね。領主様にも聞いてみたいです。組織の長というのは何をすべきなのでしょうね。最近、組織が大きくなって、色々役職に就く人間が増えてきたので、悩んでいる者も多いのです」
あー、なるほど。それは確かに分からない人間は分からないか。間違えている人間も多いし。
「なるほど。長ですか……。私の見解で良いですか?」
「はい。是非」
「えーと、例えば、フェンさんは、部下の仕事って大体把握されていますよね。仕事振りを確認しないといけないですし、まぁ、どういう事をやっていて、どのくらい出来ないとまずいとかは分かりますよね?」
「はい。最低限の仕事は把握しているつもりです。部下の仕事を引き継いでも、まぁ、回す程度は可能です」
「なるほど。じゃあ、明日からロルフさんの代わりに娼館の管理をお願い出来ますか? 給与は別途割増しで用意しますが」
そう告げると、フェンが慌てたように手を振る。
「いや、それは……。娼館自体を回すのは可能ですが、ロルフさんと同じように回すのは不可能です」
「はい。それで問題無いですよ。それが答えです」
「答え……ですか?」
「長のやるべき事は、その仕事が出来る人間を用意して、その仕事を十全以上にこなす事です。長がその仕事を部下以上に精通する必要なんて全くありません。それくらいなら自分以上にその仕事をこなせる人間を探すか育てる方が健全です」
「はぁ……。しかし、何かあった場合はどうしますか?」
「その場合は最低限回せるだけの情報は持っているでしょう? それを使って自分が回すのもよし、そもそも何かある事を想定して、当てるための人員を用意していればなお良しですね。その場合は、広く薄く全体に回せるようにしていれば、最良でしょう。その間に後釜を育てられますし。私もフェンさんの仕事は把握していますがフェンさん以上にこなすのは無理でしょう。それでも、フェンさんの上司として、『リザティア』の長として存在しています。まぁ、先頭に立ってあっちにいけ、こっちにいけと言いながら、部下の仕事の結果を以って、自分の成績にするのが長の仕事です」
「それだけを聞くと質の悪い人間のようですね」
「いえいえ。その仕事をこなすために皆に給料を払っています。全体の業務を把握するのもまた大変な仕事ですしね。それだけ聞いていると、上前をはねているように聞こえますが、実際には自分で手を出したら駄目な分、大変だと思います」
「確かに、もどかしい時はありますね」
「先日も、兵で思い違いをしている人間がいたので。長が突出した力を持つ必要はありません。かくあれかしと部下にやるべき事を伝え、それを出来る環境を整え、その上で命令された業務を遂行出来る。それが長の長たる所以です」
はぁと溜息にも似た返事をするフェンを横目に、カップを傾け、やや温くなった紅茶の香りを楽しむ事にした。