日は輝き星落ちる。
大正9年 スイス ジュネーブ
この年、新たな国際組織が産声を上げた。
恒久的世界平和を希求するためにとか言うことで国際連盟が発足したのだ。
世界二大海軍国たる、英日。同じく二大陸軍国の仏露。俺はヒーローアメリカ合衆国の5ヶ国から成る常任理事国を有する安全保障理事会がおかれた。
大正10年 ワシントン
世界大戦を経て軍縮を行おうという気運が高まった。
アメリカは日本と英国の力をそごうとした。しかし、そのもくろみはあえなく潰えた。
反対に日英はアメリカの保有艦艇量を日英比8割5分に押さえ込んだ。
大正12年 東京
大都会を大地震が襲った。
世に言う関東大震災である。
まあ、古くさく見えてもかの国の最新耐震基準を通過した建造物ばかりで、倒壊したり火災に遭った建物は少なかった。死者のほとんどは津波によるものだった。
これにより、建造中の天城級空母一番艦が架台から落下し竜骨を損傷。
建造に支障を来した天城は、解体処分となるかと思われたが、かの国の造船企業が修理名目で新たに建造し残りも建造しきった上で海軍に納入することで合意した。
海軍の艦艇は各所から物資を詰め込みスペック以上の速度で関東を目指した。そんな中で長門は40kt/h。伊勢に至っては60kt/hを出し、そのほか輸送船も他の国の常識を遥かに超える40kt/hで急行した。それだけでなく英国やロシアからの援助物資も高速で届けられた。
昭和二年
いよいよ、本格的に昭和時代が始まった。
昭和15年 ドイツ
日英に対し、強いコンプレックスを抱居ていたF・D・ルーズヴェルト率いるアメリカは、次第に同じく英仏に対し憎しみに近いコンプレックスを抱いていたドイツに接近し、これにハンガリーが加わり、米独洪三国同盟が締結された。
昭和16年
アメリカは日本に対し、太平洋諸島の開放を名目に宣戦布告したが、
日本はこれを受け取っていないとした。
12月 日本 東洋道 真珠湾鎮守府
「米本土、サンディエゴより空母3隻を含む艦隊が出港した模様。」
「衛星より画像受信。軍令部より、奮戦を期待するとの伝聞です。」
「艦隊構成判明。空母3,戦艦8,重巡10軽巡12、輸送艦40です。」
「自動迎撃システム敵空母よりの発艦を認識。地対空ミサイル多数発射を確認。」
指揮所内は、慌ただしい。
「続いて地対艦ミサイル発射されました。」
まず対空ミサイルが米艦載機を全て消滅させると、その数分後に対艦ミサイルが米艦隊を文字通り海の藻屑と変えた。太平洋戦争の初戦、アメリカによる、ハワイ奇襲解放作戦は日本側の完封勝利によって幕を閉じた。