その頃のアジア
今回は短いです。
沖ノ鳥島新島に到着した船団は、補給を受け、軍艦は一路呉へ。客船は沖ノ鳥島本島へ向かい、海軍将兵の家族は新島内にて、自由に過ごすこととなった。
新島の内陸部には巨大な砲台の様な物があった。弾にブザーが鳴り民間人は皆島の地下に避難させられることもあったが新島以北はおおむね平和だった。
海軍を軒並み失ったアメリカは、旧大陸へ兵力を送るすべの大半を失っていた。
ドイツへの兵力支援ができなくなっていた。
民生品を積んだ船も、日本の潜水艦による無差別飽和攻撃にさらされ、米国本土に封じ込められていた。兵力や民生品の供給は任せろと自信満々のアメリカを元から信用していなかったドイツのヒトラー総統。今回の件でドイツ艦隊が護衛を担った場合の方が生存時間が長かった事もあり、アメリカを信用しなくなっていた
史実と異なり、赤道以北の太平洋上の島々を平安以来の領土と為し、英国、フランスらと同盟関係を結び連合国となっていた日本。大陸への派兵は帝政ロシアへの兵力支援以外は一切行わず。また、帝政ロシアへも、対共産ロシア戦に限って、という条件がつけられていた。
清を倒した後の中華民国では、国民党対共産党の内戦が激化していた。アメリカは国民党へ支援を行っていたが、アメリカが海上戦力を失い、これが止まっていた。
呉では、入港した艦隊が戦後アメリカを護る時のために、というそれだけの理由で、艦政本部が、大騒ぎで、史実のタイコデロガ級やズムウォルト級に相当する艦艇を作ろうとして、遥夢にどつかれていた。
ただ、イージス艦のようなものを作ることは許された。これによりアメリカは戦後50年にわたり軍事面での貿易摩擦に苦しむことになる。
調子に乗って周辺大国3国に折檻されるのがお約束な半島の愉快な国家では、日本から「独立させることになったのでとりあえずがんばって。」と言われ、とりあえずなにとち狂ったか、李さんが皇帝になってまたも李氏朝鮮の延長をしたのでした。
さて、この大韓帝国(海外領土もないのになぜ大を付けた)は何でか日本を下に見ていらっしゃって、先述のアメリカ艦隊来日も日本懲罰だ!とお悦びあそばされたわけですが、どこぞの週刊誌よろしく、自分の中の結論ありきでしか調査しないので非常に愉快な結果をもたらすため、それを観察して楽しむ、「韓流」が日英で大流行となっていた。
東南アジアでは島嶼部は日本の領土領海のため平和な発展を謳歌しており、タイ王国も、日本からの技術供与により、東南アジアの盟主と言える国家に育っていた