いつもの朝……はこんなシリアスってない
朝、二人は同じベッドで目を覚ます。時おり養父も無理矢理潜り込まされているときがある。
ベッドを購入してきたのはジンだが、ヒラトは無表情のまま喜色を瞳に滲ませて喜んだ。
平素は無感動のように取られるヒラトの感情は、ジンと養父にしか分からない。ヒラトはそれで十分と思っているし、ジンの感情もまたヒラトと養父にしか本当のところは分からないのだから互いに優越感を持っている。そこに養父が組み込まれているのは双子が養父を仲間外れになんてするはずがないからだ。
養父はギルド・狩人のマスターを務めている強者である。その養父に敵うのはヒラト──狩人の一番手のみとされているが、実際には少し違う。
確かに、世間的には狩人のギルドマスターと一番手は他より頭一つ分以上飛び出ているのだが、そこには表向きは程々の評価で約二十番手に収まっているジンもまた肩を並べているのが今のところは四人しか知らない真実だったりする。
地方生まれの双子が王都に着くまでの間、彼らは三人で旅をしていた。当時は幼子と称するに値した双子は、しかし中身は外見に伴っていなかった。外見だけ見れば幼子。しかし、声や滑舌等を抜いた会話の内容はどうにも大人びすぎていて子どもではなかった。
二人の考え方や捉え方。それらは子どもよりも大人と称するに値するものだったのである。
聞くところによれば実の父親はよく家を留守にしていたらしい。二人でひっそりと生活していたが、見つかるときは見つかったし、乱暴されそうになったことだってある。それ故か、そして精霊の愛し子であり妖精が側に付いて視覚的にも捉えられる不思議な子どもたちは誰に習うでもなく独学で戦う術を手に入れ始めていた。
師の無い学びは妙な癖を生む。
父親を喪った双子を引き取った養父は、まず旅のなかで戦闘訓練を開始した。始めに死に繋がるような癖がないかを思い付く限り検証していき、有れば矯正したし無ければ無駄のない動き方を教えた。
学びながらの旅は案外苦痛ではなくて。
最初は足が死ぬと遠い目をしていた二人も、無事に足腰が丈夫になった。
旅の途中、二人は養父に相談しながら見える面を作り上げることにした。つまりは真実の混ざった虚像。全てが嘘では騙しにくい。
黒髪と黒がかった緑の瞳を持つヒラトは基本的に無表情を。そして声も無感動で、感情の籠らない声。これは元々人好きしないヒラトにはピッタリで、感情を表すことがやや苦手だったこともこれ幸いと無感動な声は簡単に出るようになった。
ヒラトの双子の兄弟。ジンは銀髪と銀がかった碧眼を持つ。こちらはヘラヘラとした笑みと軽薄な態度。ヒラトに重きを……今では養父にもだがともかく二人に重きを置いているジンにとってみれば、二人とその他一名以外は凄まじくどうでもいい存在。であるからして、付かず離れずの態度は楽なもの。
これらの難点は二人に少なからず敵が出来たことだろうか。
ヒラトであれば、ヒラトは何故か高貴なお貴族様の関心をよく集めて気に入られてしまった。そのせいで睨まれることは結構ある。
ジンの方はヒラトを気に入ったお貴族様を中心に、何かと下に見られることが多くなった。そこのところは狙っていたのだし良いことだったが、誤算だったのはモテたこと。そちらはヘラヘラとして不誠実を全力で務めたためそれなりに早く解決した。しかしところどころで軽く見られることになった。あれ、あまり悪くない。
これらのことから分かることは、二人にとって今通っている学園に真実友人だと思っている相手がいないことである。二人はどうにも互いに依存しているようだった。互いだけではなく養父も捲き込んでしまっているのだけど。
養父は、少しばかり正義感の強い男だ。
少しばかりというのは、広げた腕を見せて「この範囲だけ」と言い切ってしまうからである。
実際正義感が強いのは養父の師匠。今はもう引退したのだが、双子を引き取って寄り道やら何やらを過ごしてようやく王都に帰った彼らを早々にきらきらとした目で出迎える程度には情報網を敷いている女性だ。
とても綺麗に歳を取っている女性で、養父や片割れ以外ならば双子は彼女を信頼するくらいには懐いている。ヒラトの無表情を崩すことは出来ないけれど、ジンの張り付いた笑みを剥がすことは出来ないけれど。
養父に温もりを与えたのは彼女。
やわらかな口調で「おかえりなさい」と依頼完了後に温かかったり冷たかったりする飲み物やデザートを作って待っていてくれる人。そういった温もりを双子にも与えてくれる、暖かな人。
だから、双子にとってはどうでもいい他人、国、世界、……それらを。
この人が望むのならばと養父の右腕と影になって不本意とも何も考えず感じずに依頼をこなしている。誰かが泣いている、誰かが笑っている、──どうでもいい。どうでもいい、けど。
「チェインさんは笑ってるほうがいい」
寝起きでまだぼんやりとしたまま。ベッドに座り込んだままヒラトはぼそりと呟きを落とす。
頬に落ちてきた本心にジンは寝起きの掠れた声で肯定する。微睡みの中でも聴こえた男は嬉しそうに唇で弧を描いている。
「たぶん、あのひとだけは特別」
ぼくらにとって。
ふと意識を手放すように唐突に寝落ちたヒラトの躯をそっと受け止め、抱き込む。身長は相変わらず変わらない。変わったのは髪の長さくらいか。
ぽかぽかとした体温にすり寄りながらジンもまた二度寝に漕ぎ出そうとしている。
少し離れたところに転がっていた養父が腕を伸ばしてきた。コツン。硬い指先がジンの後頭部に軽く当たる。
「……ん」
厳ついオッサンの皮を被っていない男は静謐さを醸し出す面差しで、端的に言えばただの美形である。眠たそうにぱちりぱちりとゆっくり瞬きをしている。
「……おい、で」
養父大好きな養い子が、誘われて断る筈もない。
平日にしては遅いわねえ、と寝室を覗いた養父の師匠が眼福眼福とばかりにベッドに腰かけてとっくり眺めているうちに、ようやくヒラトがはっきりと目を覚ました。パチリ、交わう瞳の色。
「あら、おはよう。お邪魔しているわ」
「おはようございます、チェインさん」
ジンの拘束は緩く、養父の腕も回っていたと言うよりは乗せられていただけのようで楽に起き上がれた。いそいそと起き上がり、ベッドの上で正座をする。そのままぺこりと頭を下げた礼儀正しい弟子の養い子に、彼女は褒めるように目元を和らげた。
細い指で弟子の髪を梳く。何時からの習慣だろう。気づけば触れることが当たり前になっていた。最初は嫌がる様子があんまりにも可笑しくてするようになったのだったか。コトリと首を傾げ、柔らかく微笑んだまま彼女は綺麗な顔立ちをしている二人の寝顔を優しく見守る。
彼女が弟子を弟子として引き取った当初。
彼は一睡も出来ずに目を真っ赤にしていた。次第に目の下が黒ずみ、隈が出来るまでそう時間は掛からなかったように思う。
そんな弟子が今では養子の子どもたちと同じ床に就いてぐっすりと寝入っている。無防備に眠ることが出来ている。
「大事なのね」
ヒラトはじっと彼女を見つめ、ぱちりと一つ瞬き越しにジンを見た。
放られているジンの手が目に入り、おそるおそる手を伸ばす。
「……大事です、ぼくもジンも」
じゃなきゃ世直しなんて手伝わない。
貴方の望みに沿うことすら、考えなかった。
「苦労の甲斐があったわねぇ……」
慈しみの色が溶けて、彼女はただおっとりと微笑んだ。
「……それより、いいのかしら」
「ん、」
「始業時間よ」
「……あんまりよくない……」
一瞬で現実を突き付けられたヒラトはやや眉を下げて未だ深い眠りに浸かっているジンの頬を叩く。ぺちぺちと少しも力の籠っていないそれは、けれどジンを起こすことは出来た。
「……ひらと……?」
「起きて、ジン。遅刻する」
「………………。っ、えええええ?! うそ!?」
文字通り飛び起きたジンをどうどう、と落ち着かせ。ひとまず朝のご挨拶。ほのほのと見守っている彼女へも挨拶を促す。ジンは素直にぺこしと頭を下げた。へらっと笑う。
「スミマセン……、今日がガッコってことすーっかり忘れてました~」
「僕も」
「あらあら。ばあばが覗いたのも悪くなかったわねえ」
二人揃ってありがとうございますと感謝していると、後ろからぽすりと頭に乗る手のひら。
「……朝飯は、ある。から、食ってけ……」
「わかった、ゆっくり休んでてね」
「おやすみなさい、父さん」
「うふふ、仲好しだわあ」
「羨ましいでしょー」
「ジンちゃんったら。羨ましいに決まってるわぁ」
「チェインさんも仲好しです」
「嬉しいことを言ってくれるわねぇ。ふふっ、光栄よぉ」
ほのほの、花がぽぽんと咲いている。和やかな雰囲気を味わっていたいの、だけど。
そういうわけにもいかないのが学園に身を置く生徒の立場であって。例え夜中から朝方に掛けてずっと戦闘をしていたからといって免除されるものでもない。そもそも養父がわざわざ通わせてくれている、同世代と交流する場だ。
親しい相手は居ないし何が面白いのかもてんで分からないが、養父が大事と言うのならばそうなのだろうと思っている。
ヒラトもジンも友人を作るのに向いた性格ではないが、学ぶことに対してどこまでも真摯にストイックな姿勢は元来生真面目な性根を持つ貴族や平民たちの意欲を煽っていることを、二人だけが気付いていない。
二人が就学した年の学年から、生徒たちは妥協を許さない者が続出している。未だに甘えた考えをする貴族とているが、学園内では誰よりも格の高い第二王子に倣っている貴族は数多く。
ちなみに第二王子とヒラトは交流がある。あちらは友人のように思っている節も見受けられるが、ヒラトとしてはそんなつもりは毛頭無い。ただやたらと話し掛けてくる王族の人、という認識でしかない。
ジンはと言えば、第二王子に続いて権力の高い子息子女がヒラトを気に入っておりそれ故に邪険にされることが多い。その度にヒラトは鋭く冷えきった色を黒がかった緑の瞳に融かしているのだが、今のところ誰一人として気付いていないのだから滑稽なものである。
どうあっても、ヒラトはジンの手を取るというのに。また逆もしかり。
「……っと、着替えにいかねーと」
「ジン、素」
「あー……てっへ!」
「やけくそだね」
「もー任せてよー! うがあああああああ」
「発狂?」
「いい加減ガッコ辞めたいよう……」
小さな声で言うジンを伴ってヒラトは出ていく。その間際に彼女へ目を向け、浅く頷いて。
二人が出ていった寝室で、彼女はほのほのとした表情を保ったまま彼らの養父の髪を引いた。皮を被っているときは刈り上げている、繊細で細やかな髪。彼女はこの感触を気に入っている。
「起きなさい、リライト」
声は、たおやかだった。
「……良かれと、思っていたんだがな」
「あの子たちには合わないでしょうね。そんな場所よ、あそこは」
「ヒラトはともかく、だろう」
「そうね。……ヒラトには惹き付けるカリスマ性っていうのかしらね、それがあるもの」
「ジンにはそれがない……それはたぶん、無意識でも意識的でもヒラトを上位に刻み込んでいるからだ」
「それが取っ払われることを願ってみたんだが」
「きっとそれは叶わないわ。……それに、彼ら自身が望んでいない」
「ジンはヒラトを守る。まるで守護者のように……ヒラトは、上位に立つことでイザという時のための責任を取るつもりでいる」
そんなこと、考えさせたくないのに。
腕で目元を覆った男は呻くように。苦しそうに、吐き出す。
他人のことなんてどうでもいいと言う針鼠のような子どもだった。けれど子どもではなく、弟子として彼女は男を引き入れた。おそらく男にとってはそちらの方が合っていたから。
思う。あの選択は、間違っていなかった。
一つでも違っていて、辿る道がずれていたのならば。もしかしたらあの子たちは男に引き取られても心を開かなかったかもしれない。二人きりで二人だけで完結した世界で生きるようになったかもしれない。今、彼女を彼らが輪の中に入れてくれるのは、男が居るからだ。男が、彼らと彼女との戸口になっている。
考えるだけでゾッとする。あの年齢の子どもたちが他の誰にも寄り掛からず、もしかして、もしかしたら。──壊れて、破滅していた、未来を。
「────チェインさん」
突然ジンが顔を覗かせた。僅かに目を見開いた彼女は、ふと笑むように誤魔化して。
「いってきます」と、張り付けられた笑みとは少しだけ違うものが混ざる笑みに柔らかく返した。
「いってらっしゃい、お気をつけてね」
「父さん起きたら、何か食べさせてもらえると」
「あらあら、大丈夫よぉ。心得ているわ」
にっこり、微笑んだ彼女にジンと後ろから顔を出したヒラトが上下で顔を見合わせてコクンと頷いた。
お願いします、と。
ぺこりと頭を下げてパタパタと出ていく足音を見送って。寝室の出入口に眼差しを注いだまま、彼女は小さく笑みをこぼした。
「あの子たちなら大丈夫よ、きっと。私も居るわ───だから、リライト、」
どうかそんなふうに苦しそうに泣かないで。
どうすればいいか、分からないもの。ぽとりと涙をひとつ落とした彼女は、困ったように目尻を下げた。