ヒラトとジン
異世界転生って憧れます。
とある月夜の日だった。
怖い怖いと駄々をこねるように泣く双子の男児。黒がかった緑と銀がかった碧が溶けてしまいそうなほど大粒の涙を流している。
双子の父親は穏やかな表情で、二人を抱き締める。幼い二人の子どもは容易く父親の腕のなかに収まった。
「少し、待っていてくれ」
「とうさん……?」
「どこにいくの?」
流しても流しても目尻に溜まる涙。瞳の色が映った涙は暖かに父親の指を滑った。
「お前たちの悪夢を払ってやる」
疲れの滲んだ目尻には歳を感じ、けれど子どもたちは気づかない。
死に場所を求めているような虚ろな瞳。父親のその瞳に映る自分たち。
「……だから、泣かないでくれ」
父親の方が泣きそうな声で、願った。
子どもたちは瞬きを一度。同時に、交わすように閉ざして開いた一瞬。
二人は手離すように父親の服から指を離した。
「待ってる」
二人のうち、一人が言った。
二人のうち、一人は笑った。下手くそだった。
「ああ。……待っていてくれ」
その言葉はまるで空っぽだった。
偶々立ち寄った村だった。
その村には極端に人気がなく、誰一人として息をしていないかのような村のように思えた。
厳つい顔立ちの男は刈り上げている後頭部をザリザリと擦り、ふっと目を閉じた。
集中して集めた魔力を編んでいき、柔らかく絡ませていく。大事なのはイメージ。言葉は必要ない。魔力は必要な分だけ、余分には不必要。籠めすぎるのはご法度。それは失敗の元。何をするのか何を目的とするのか、どれほどの規模かどれほどの効果か。頭の中で掛け合わせて長年の感覚を基盤にして大まかに切り取ったものを細かく切り合わせていく。必要な分は必要な分だけ。それ以下もそれ以上も適当ではない。
「──ん、いた」
目を開けた男は足音を立てることなく瞬間的に移動していく。優美さの欠片もない外見で、けれど足取りは必然的に無駄を最大限排除したからか時おり残念なものを見る目で見られることがある。外見にケチをつけられたこともある男は、自分の外見に対して不満は抱いていなかった。
むしろ、年齢より老けて見られるお陰で得をしたことだってある。若く見られたいと思ったことはない。男の立場的にそう見られることは良いことばかりではないからだ。どちらかと言えば割りに合わないことの方が多い。
カタン、今まさに戸を引こうとした奥で物音が響いた。途端息を呑む空気の動き。
もしかしなくとも怖がらせただろうか。男は多少申し訳なく思いながら戸に指を掛けた。奥から感じる魔力の大きさに一瞬躊躇いは有ったものの、そうやって警戒すると逆に間違える気がしたからこその選択肢。ともかく、いきなり抗戦されることはないだろうと気を弛めたその瞬間。
───ぞわり、と。
毛穴が開いて背筋に怖じ気が滑り落ちる。
反射的に構えを取った。咄嗟に戸から指を離して数秒も挟むことなく、その戸はどろりと歪な臭いを発して融けた。ひくり。男の頬が引き攣る。
「……だれ」
声は、幼かった。しかし幼いからと言って油断できるほど男は修羅場を潜り抜けていない訳ではない。
それは例えるなら純粋な暴力。
まるで何も疑問を持たずに奮われる、無邪気な力の塊。無垢を纏い死を生む強大な魔力。
「お、まえ……は」
「おれ? おれはジン──ヒラトを傷付けるつもりなら殺すよ」
「もう一人いるのか……?」
「だから、こうしてアンタに襲いかかってる。ヒラトを傷付けられるのは我慢ならないから」
外見は幼子でしかない。しかし。
「……何を証明すれば矛先を収めてくれるのだろうか」
幼子が眇めた目のままピクリと反応した。
先ずはこちらから、と本能的に嫌がる自身の躯を無理矢理押さえ付けて構えを解く。
このままでは埒が明かないことを何となく察していた。
無防備なまでに空いた手の平を示し、厳つい厳ついと誰からでも同等の感想を向けられる顔に不向きな笑みを浮かべる。浮かべた後で、不気味だと更に不審がられたり後退られたら立ち直れないことに気づいた。
が、どうやら無用な心配だったらしい。
「その人に、ぼくたちを攻撃する意思はないよ。ジンももう分かってるでしょ?」
別の、幼い声が響いた。
「ヒラト……」
「はじめまして、お客人。ぼくはヒラト。あなたのお名前をおしえてください」
「リライト。好きに呼んでくれていい」
「ではリライトさん。先ずはお礼を──ジンが失礼しました」
言葉に次いでぺこりと下げられる頭。まだ頭部と上手くバランスが取れていないはずの躯はふらつくことなく、その傍らではジンと呼ばれた幼子が精いっぱい罰の悪そうな顔をしている。
お礼というのは威嚇に応えなかったことに、だろうか。それにしてもこの言葉遣い、まるで貴族のようだが──。
「お前は貴族では、」
「ありませんね。この世界の貴族には一度たりとも会ったことはありませんが、──そうですか。ぼくの言葉遣いは貴族に間違われるようなものなんですね」
「……ええっと、まずそうだな。基本的に村出身の地方民に教養はない。お前らのような年齢なら尚更だ。商人の子どもや、それこそ貴族の子ども。そうでない子どもが敬語を難なく遣いこなすってのは要らん意味で衆目を集めるぞ。裏を覗いた程度の奴の目に留まれば裏出身だと誤解されかねないから気を付ける必要があるだろうな」
言って、我に返った。こんな子どもに理解できるようなことか、と。
しかしどうやら敬語を難なく口にするだけあって頭の回転もそんじょそこらの幼子では基準にもならないらしい。黒がかった緑に宿るのは見間違えようのない知性の光。
ヒラトと名乗った幼子はなるほどと納得したように頷き、ではこんなのは今回限りにしましょうと独り言のような声量で呟いた。
「ジン、警戒は完全に解いていいよ。後はぼくがやる」
「……でもお前、今日もまた」
「それはジンもでしょ。ぼくたちに区別はないの。どっちもどっち。終わらない悪夢に、苦しさの違いはない」
ジンは銀髪で顔を隠すように俯き、けれどわずかに見える口元はやわらかく緩んでた。
思わずヒラトを見る。彼は、可笑しそうに愛でるよな瞳で男を見た。可愛いでしょ、と、声が聴こえたわけでもないのに聞こえた気がして。
男は寸間なく頷いていた。ハッとしても時既に遅し。
先ほどまで大人びていたヒラトは、ひどく自慢気な表情でにんまりと笑った。余程同意されたことが嬉しかったらしい。
「リライトさんが好い人っていうのは確認できました」
「今のでか?!」
「ふふっ──まぁ冗談ですが、あながちそうでもありませんってところですね。敢えて挙げるのならば、ぼくもジンも反射的に襲い掛かるようなことはしませんでしたし、ぼくらの周りに在る妖精たちも何の警告も発しませんでした」
「妖精憑きなのか!?」
「いいえ、正しくは精霊の愛し子です。知らないうちに愛されたようで──ああ、ジンもですよ」
あ、そうですか。
何かを言える余裕は男に残っていない。
「ところで。どうしてリライトさんはこちらに?」
「いや、目的はない。遠出した依頼先からの帰り道でな。偶然寄っただけだ」
「……時に、不躾ですが」
ふ、と。あぶくのような吐息を一つこぼしたヒラトがおもむろに目を合わせてきた。寸分のズレもなく、ぴったりと焦点と焦点が合っている。
こくん。緊張の表れか、男は唾を飲んだ。
「父を──黒い髪の男を見ませんでしたか」
言われて思い出すのは一つの遺骸。ほつれた黒髪と中身が荒らされた躯。喰えるものだけ食い荒らされ、誰も通り掛からない場所で無惨な骸を晒していた──おそらくは、男。
見た、と、言うべきか。この国で黒髪というのは珍しい。ヒラトの顔の横で揺れている漆黒は、あの骸の持っていた色と似ている気がする。
しかし。
いくら大人びていると言えど、所詮は子ども。現実を覆い隠すなど血の繋がりもない自分には許されないことだと解っている。理性では理解している。だが、あまりにも非道ではないか。
中身がない骸を見た、髪は黒色──ヒラトの髪の色によく似ている、おそらくは男で顔は──。
語る自分の声を想像しただけで吐き気がした。気分が悪くて、こんな幼子に現実を手渡そうとしている自身を嫌悪する。
「なに迷ってんの。何か本当のことを知ってるなら教えてよ」
「そうですよ、リライトさん。あなたが悪いわけではないこと、ぼくたちは解っていますから」
自分より一回り以上幼い子どもたちに背中を押されるようにして、男は自身の見たもの知っていることを満遍なく吐き出した。途中で口もごったりはしたものの、咄嗟に収集した情報は全てヒラトとジンの両名に譲渡された。
受取り拒否はされることなく、かといって子どもらしく半狂乱に陥ることもなく。至って平常に、けれども異常な正常さで以て受け取った。
「……家を出ていって、十日ばかり。覚悟はできていましたから」
「変なの……。父さんが死んだってのに泣けないなんて。……おれ、ヘンなのかな」
「じゃあぼくもヘンだね。お揃いだ」
「ヤなお揃いだなオイ。……バァカ」
気のない振りが出来たのはそこまでだった。二人はほぼ同時に、大きな瞳からコロンと一粒の涙を落とした。互いの指を掛け合わせて鏡合わせのようにお互いの手のひらに縋っている。
見ていて痛々しかった。
いつもなら放っておくのに、今日は何故だか放っておくなんて選択肢は存在しておらず。
男は恐る恐る震えた手、そして及び腰で二人の幼子の頭を胸に抱え込んだ。二人は驚いて、けれど頭に添えられた手のひらから伝わる体温に抵抗することはなかった。
ほんとうは、とどちらともなく掠れた声で囁く。
「薬草なんかじゃなくて、父さんが一緒に寝てくれればそれで良かったのに──」
それはきっと、言いたくて、でも言えなかった言葉。もうすぐそこまでせり上がっていたのに吐き出す勇気が足りなくて、喉奥に引っ込めてしまった幼い子どもたちの“我が儘”。
泣き止む様子を見せずに嘆く幼子たちの頭を抱え込んだまま、男はとことん付き合ってやると静かに涙をこぼした。同情ではなくて、ただ、感化されて泣いた心からあふれた一粒だった。
「──それで? これから、どうするつもりだ?」
泣き疲れてそのまま寝入って翌日。
つられて眠っていた男は双子を起こし、開口一番にそう問い掛けた。
問い掛け先の二人の反応は芳しくなく、おそらくは何も考えていなかったのだろうと当たりを付ける。実際その通りで、そもそも暫くは何とかなっても二人は通常であれば大人の庇護下にいるべき年代。例え魔力が強大であろうと精霊の愛し子であろうとそこは関係ない。むしろ、だからこそより一層庇護が必要だとも思うわけで。
男は迷った。
迷ったが、しかし。
「っあー……、よければ、なんだがな」
次の瞬間、男は襲撃されることになる。
どうやら思ったより懐かれていた二人の子ども──後に双子と知る──ヒラトとジンから飛び掛かるように抱き着かれるという意味で。
襲撃された男は、やれやれと言いたげに二人の頭にそれぞれ手のひらを置き。
力いっぱい抱き寄せたのだった。
泣いた烏がもう笑う。寸前まで泣いていたわけではないけれど、二人は自分たちにそんな言葉を当てはめて幼く笑った。
出会って約一日。長くもない時間で父親代わりに就任した男は、自分の足元をうろちょろとまとわり付く双子を見下ろした。彼らは既に生まれ故郷であるはずの村には一切の関心を持たず、今から向かうことになっている首都・王都へと思いを馳せている。
かと言って幼く目を輝かせている訳ではない。
むしろ目が死んでいる。
「歩くの、疲れそうだよね」
「でも行くしかねーよ」
「きっと筋肉痛になるよね」
「運動好きくない」
「ぼくなんか見事なインドア派だから……!」
「魔物に遭遇したくないからって二人して引き籠もってたしな」
「いやだってほら、お外は怖いよ?」
「それな。怖いことたくさん」
「……俺が守るに決まっているだろう」
「「リライト父さん」」
「くっ……、不覚……!」
ダァン! と壁を叩いたことに後悔はしていない。多少手が痛いからと言って、溢れる思いは留められなかったのだから仕方がない。
そっくり、とは言えない二人の顔立ち。
しかし言われてみれば多少似通っていて血の繋がりを感じさせる作りはそれなりにある。同じ身長の二人は男を上目に見つめ、可笑しそうに苦笑した。
その雰囲気はあまりにも大人びていて、やはりどう頑張ってみても幼子のもつ雰囲気とは思えない。
「擬態しようにも参考に出来る同年代がいなかったもので」
「おれらはまさかの二人ともフツーじゃなかったしな」
「でもお陰で理解し合えた」
「有りと無しじゃあどうあっても土俵は同じじゃない」
「そう考えると有りと有りで良かったなあって思うよ」
「だってたぶん、」
その先のことには口をつぐんだ。言わずとも言われずとも男としても何となく察していた。
違っていれば二人は各々で壊れていただろう、その事実を。
「それよりリライト父さん」
「父呼ばわりは不要だが」
「……いや?」
「父と言われるのはお嫌ですか?」
「……。どちらかと言えば、お前の──ヒラトの敬語の方が嫌だな。どうにもむず痒い」
「えっ」
「だってさ、ヒラト。観念しろよ」
「えっえっえっ……!」
「家族なんだろう? ジンに対するように、碎けた話し方で構わない」
先ほどまでの落ち着いた物腰はどこへ行ったのか。ひどく慌てふためくただの幼子は、片割れの兄弟へ目を向ける。しかし片割れは愉快そうに笑うばかりで口を開こうともしない。
「……う、ん」
こ、くり。ぎこちなく頷いた養い子に、男は厳つい顔へ晴れやかな笑みを、茶色い瞳には喜色を滲ませたのだった。
ヒラトは既に眠っている。慣れない旅路、そして歩いてばかりとは言え足腰への慣れない負担。すっかりぐっすりと眠ってしまった幼子の黒髪を、男の起こした火がちろちろと揺れている。
ジンは上手く眠れないようで、ヒラトと同じタイミングで寝袋に潜り込んだもののすぐに起き出してきた。今は男の横でぼうっとした横顔を火に照らされている。
「……一つ、訊いてもいいか」
「おれとヒラトがもう笑ってることについて?」
「いや、……この世界ではよく有ることだ」
ジンは少しだけ驚いたように目を見開いた。やがて細めると端的に相槌を打つ。
「ふーん。じゃあ、なに?」
「相手を、今回は俺だが……そう簡単に信じてはいけない」
そっちか、とジンは指先で土表をなぞった。
「信じちゃいないよ」
「は」
「信じたのは、リライトさんだけ。……リライトさんの前にも何人かあの村に来たことがあるんだ。そんで、おれたちを連れていこうとした」
「そう、なのか……?」
「そうなの。それなりに顔ととのってるでしょ、おれら。そーゆう趣味のゲスには売れると思ったんだろうな。顔を殴られることはなかったし」
「……ジン」
にこりとジンの浮かべた笑みはひどく機械的で、男は話題にしたことを早くも後悔する。
けれどジンの口は止まらない。
「それに、そーゆう奴らは妖精が嫌う。最初はよく分からなかったけど、今じゃ妖精の表現が伝えたがってる意図を汲み取れるようになった」
「……お前も、大人びた口調をする」
「癖だよ。おれも、ヒラトも」
「誰からそんな……というのは野暮か」
「ヒラトが答えたらおれの答えも一緒だって言ってやるよ」
すべての決定権は、ヒラトに。
そう伝えてくる銀がかった碧眼から男は幼さの欠片も読み取れないことに改めて気づかされる。
「利己的、とはまるで真逆だな」
「おれら……おれは、あいつの手だけは離さないって決めてるから」
それを離すくらいなら、生きている意味はない。
「って、いうか。さっきの質問じゃねーけど?」
「そうだな、ただの世間話だ。……お前は、どう生きたい?」
「……」
拾った石片で土を抉った。
深く、睫毛を伏せて。
「──石に齧りついてもヒラトだけは手を離さないでいいように、強く」
強く、なりたい。
確固たる意志の宿った瞳に、男は眩しそうに目を細めるのだった。
「──ところで、皮剥がしたら? 素顔見てみたい」
言葉通り、皮である。
厳ついオッサンの皮。
何故気付かれたのかと後退り。
しかし男は断固拒否した。
そうして数年後。
いろいろと寄り道や滞在を繰り返した結果、王都へ辿り着くのにはかなりの時間がかかった。
その間、元々成長途中だった双子の戦闘能力は男によって水を与えられるがままにみるみると育っていき、取り敢えず男が居らずとも寄ってくる敵を伸す程度は容易くなった。
そして、双子はそれぞれの軸を定めたらしく、基本的にヒラトを上とし、ジンはその下に付くことを選んだ。それに伴い、元よりあまり人好きしないヒラトは無表情を貫くようになり、打って変わってジンはヘラヘラとした軽薄な笑みを常に浮かべるようになる。
幼子とは見えなくなった、十代後半の少年と青年の両方に足を突っ込んでいる双子。
彼らは既にリライト率いるギルドの隊員として戦闘を経験していた。その度に圧倒的な力を見せ、次第にヒラトが強者として見られるようになるまでそう時間は掛からなかった。
リライトはギルドマスターとして。
ヒラトは面を隠しているもののギルド・狩人の一番手として。
ジンは、ヒラトの下に付いた一隊員として。
こうして、物語は開幕する。
読了ありがとうございました。