76 終焉の先 Ⅰ
この章も見切り発車です。
あれから地上ではおよそ千年の月日が立っていた。
勇気と加奈は成層圏を抜け静止衛星軌道に乗ったところで竜の鎧改を覆う防御膜内に徐々に時間遅延を掛けていった。
静止衛星軌道上なので視点は惑星の一部に固定され全体の様子を見る事は出来なかったが軌道から外れると時間遅延効果のため惑星は流れる縞模様の球体にしか見えなくなってしまうのでやむを得なかった。
初めの数十年は大空洞を中心に従属種族達が再生しつつある大地に生活圏を拡大していった。
そして千年もしない内に惑星全土に広がり白竜族を中心に一大文明圏を築き上げていた。
白竜族は君臨すれども統治せずで基本従属種族に干渉せず自由にさせていた。
そのため各従属種族同士で小競り合いが発生する事もあったがその時は白竜族が大きな争いにならないように仲裁していた。
各従属種族はその出自故にトカゲ人以外好戦的な種族はあまりおらず白竜族の仲裁には大人しく従っていた。
トカゲ人については世界的な気候変動による気温低下で熱帯地域が極端に減少したため熱帯に気温調整してある大空洞に留まっていた。
因みに白い巨大な雪男については生息域が山脈の裏にあったため山脈が遮蔽物になって無事大戦を生き延びていた。
大戦後の気象変動にもその高い熱耐性によって持ち堪えていた。
時々極地側に白竜族が設けていた非常脱出口から餌が豊富な大空洞に潜り込みトカゲ人に狩られているようだ。
勇気は興味を引くものがあれば時間遅延を解き地上に降り立ち衛星軌道上からでは分からない詳細情報の収集を行っていた。
防御膜が重力波を含むありとあらゆるものを任意に弾いたり透過させたり出来る事を利用して光を偏向させ不可視化が出来るようになったため地上に隠密裏に降りるのにも問題はなかった。
適当な従属種族の者を拐って魔力の経路を通して情報を手に入れた後は接触時の記憶を消して解放するという手法で地上の情報を得ていった。
加奈が地球のUFO番組の宇宙人のアブダクションのようだと言っていたがまったくその通りであった。
惑星を数世紀単位で監視するなら自ずとこういった手法になるのである。
地球のUFO番組の話しが与太でなかった場合人類を監視している存在がいる事になる。
宇宙からの来訪者らしき連中と戦いを繰り広げたり現在進行形で惑星監視を行っている勇気には与太と断言出来ない話しであった。
惑星全土に広がった従属種族の内一番多かったのが繁殖力の高い兎人であった。
寒冷化のため大空洞から出てこれないトカゲ人に代わって白竜族の側近くに仕え奉仕しつつ惑星全土に広がった彼らは開発や干拓を行い資源や食料を主として白竜族に提供し余剰分を自分達や各従属種族に回していた。
白竜族は自分達が住まう惑星の環境保全を考え必要以上に急がず不必要に資源の浪費もしなかったので無茶な乱開発も行われずゆっくりと安定的に文明を発展させていった。
途中新参の種族を迎え入れるなどの多少の波乱はあったものの世界は安定的に推移していた。
しかしそんな平和と安定の時代でも闇に蠢くものがあった。
兎人のセラは夜道を急いでいた。
最近この街では数件の行方不明事件が起こっており特に女性の一人歩きは危ないとされていた。
しかし五齡を迎え成人として社会に出たばかりのセラはまだまだ仕事の要領が悪く今日も居残りで遅くなってしまったのだ。
上司の天人は彼らの種族的特徴として下位の者には傲慢で冷淡ではあるが公平に仕事の分担を行うため新人である彼女はどうしても皆より時間が掛かってしまい帰りが遅くなってしまったのであった。
宿舎までの距離は短かったが危険があると言われている闇の中を進むのは怖いものである。
それ故にセラは夜道を足早に進んでいるのであった。
バサッと頭上で鳥の羽ばたきに似た音がした。
咄嗟に上を見ると大きな白いものが覆い被さるように落ちてくるのが見えた。
「キャー!!」
セラは悲鳴を上げた。
「・・・君は失礼だな」
やや甲高い中性的な声が傍に降り立った白い塊からした。
「エッ!?トランさん?」
それは彼女の職場の上司である天人のトランであった。
その白い両翼が折り畳まれ天人特有のほっそりとした体型と男女の区別が難しい中性的で整った顔立ちを認識して始めて相手が誰だか気付いた。
因みにトランは男性である。
彼らの種族は千年前には天使と呼ばれ巨神族と共に現在のこの世界の支配種族である白竜族を含む竜族と終末大戦を戦い巨神族と一緒に滅び去ったと思われていた。
しかし三百年ほど前に大戦を生き抜き長い間潜んでいた彼らは突然表舞台に現れて白竜族の傘下に入りたい旨を打診してきた。
永い時を生きる白竜族には大戦で敵対していた事を覚えていた者も多かった。
しかし巨神なき後単独で白竜族に戦いを挑んでくる可能性はなく中位種族だけあって知性も高く各種魔法も使える彼らは有益と判断され白竜族を頂点とする社会に受け入れられたのであった。
それから三百年、彼らはその傲慢さや冷淡さに反感を買いながらもその有能さをもって従属種族社会の中に一定の地保を築き上げていた。
高い情報処理能力や感情を混じえず冷徹に部下を物のように動かす合理的な管理能力、攻撃魔法や飛行能力を活かした犯罪等に対する治安維持活動、治癒魔法による治療行為などを通じて社会の中枢に確固たる地位を占めるに到っていた。
しかし千年前の事とはいえ大戦前に白竜族の比護下に入った各従属種族と違って大戦で白竜族に戦いを挑んだ出自と他種族を見下すその傲慢な性格も相まって嫌われ者でもあった。
それ故に職場の上司であってもこんな暗い夜道で出会えば警戒するのも当然の相手であった。
「どうしたんですか、トランさん。こんな時間にこんなところで?」
「どうしたじゃない。最近この街で何人も行方不明になっているんだ。いくら宿舎が近いとはいえ日が暮れてからうら若い女性を一人で帰す訳には行かないだろう」
「いつもは一人で帰らせていたじゃないですか」
「いつもは日暮れ前だったからな。今日は特に遅い。まったく帰る前に声を掛けろと言っておいたのに一寸目を離した隙に一人で帰ってしまうとは・・・」
「すみません。日が暮れて帰るのに焦ってしまって・・・。まさかあのトランさんが送ってくれるなんて夢にも思いませんでした」
「いったい君は僕をどういう目で見ているんだ」
「傲慢で冷酷非情な仕事の鬼?」
「ハァ、確かに仕事上で君らを酷使しているのは認めるがね。それでも部下の身の安全ぐらいは気にするよ」
「すみません。つい本音が」
「・・・まあいい、とにかく送っていく」
トランはその顏に疲れた表情を浮かべながらそう言った。
「トランさんはなんでこんな辺境の街に来たんですか?天人の方なら中央でも引く手あま手でしょう?」
夜道を二人で歩きながらセラは以前から気になっていた事を聞いてみた。
数が多く何処にでもおり特殊な技能や才能のない兎人には手近な仕事の選択肢しかなくセラは偶々空きのあった現在の仕事についていた。
それでも兎人特有の勤勉さ故に慣れないながらも精一杯仕事をしていた。
しかし多種多様な専門知識や特殊技能を持ち多くの白竜族が住まうこの社会の中枢である中央都市に厳然と影響力を持っている天人には幾らでも働き口があるのだった。
中央からは最外縁の辺境区にあたるこの街で年若い天人であるトランが中間管理職をやっている事にセラを始め職場の皆も疑問に思っていたのだ。
ただ職場では仕事以外の場で敬遠されているトランにプライベートな質問をする機会がなかったのだった。
「・・・僕はね、蝙蝠なんだ。だから天人の社会への影響力が強い中央では逆にロクな働き口がないのさ」
「蝙蝠さんですか?つまりトランさんは蝙蝠のように高い音を出す特殊能力があってだからこんな暗い夜でも空を飛べるけど同族からは高い音を煩がられて嫌われているって話しですか?」
「違ーう!!いや夜空を翔ぶのは蝙蝠の超音波のように微弱な魔力放射と魔力感知を使っているがそんな意味ではない」
「それではどうしてですか?」
「それは・・・」
トランが答えようとした時それは起こった。
道沿いにあるマンホールの蓋が一斉に吹き飛び中から半透明のピンク色の何かが激しく噴き出してきたのだ。
街のあちこちでも家屋の中でも同様の事態が発生しているらしく物が弾け飛び壊れる音と悲鳴が聞こえてきた。
「な、何?」
「危ない!」
いきなりの状況変化に驚いて硬直していたセラをトランが抱き上げて跳躍した。
一瞬前までセラがいた場所に半透明のピンク色のそれが伸びて押し寄せ埋め尽くしていった。
ビクンビクンと不気味に脈打つそれは粘質な動きと相まって捕まれば只では済まない凶悪さを物語っていた。
空に跳んだトランはセラを抱きかかえたまま翼を広げそのまま滞空を続けた。
周辺を見渡せば街の幾つかで火の手が上がっておりそこには半透明のピンク色の蠢く怪物の姿と絡みつかれ呑み込まれていく街の獣人達の姿が浮かび上がっていた。
炎に照らされていない場所でも同様らしく怪物の蠢く気配と街の獣人達の悲鳴が上がっていた。
「いったい何が起こっているんだ!?」
事態の急転直下に動揺していたトランは恐さのあまり無言で抱き震えているセラの身体の感触に我に返り化け物の動きがない街外れの丘の上に飛んで移動した。
「ここで待っていてくれ!私は街の救援に向かう!」
セラを降ろしトランは阿鼻叫喚の地獄と化した街に戻っていった。
続きます。