第六幕 可能性の無い世界
No.78
屋外。舞台上、荒れた土地である。草がまばらに生える。
舞台奥の上方、一メートルほどの太陽がある。周りには、雲が幾つかある。背景の色は真白である。
舞台中央、客席側には、半円に成る様に椅子が七脚並べられている。下手から三つ目の椅子に、猫の人形が置かれている。
時折、風の吹く音が、音響として流れている。
黒い背広の青年、上手より歩いて登場。
青年 (歩きながら、客席に)
お集まりの皆さん。この劇も終盤に近づいて来ました。残すは後二幕です。
少し、物語が込み入って来ました。僭越ながら、僕が、解説のようなものをしてみましょう。
始めに……。
ん? その前に、自己紹介かな?
え~、僕は、この心の本当の人間です。最後の、また、最初の人間です。しかし、本当は、もう、死んでいるはずなんだけどな。
それで、この物語の事ですが、毎回セットが変わる上、ぐるぐる移動して、目まいがしそうですね。この道のりの構成が、特殊なのですね。
この劇場は、輪の様に構成されているのですよ。最後に彼女は、元の場所に戻ります。お気づきの方も多いかと思われますが。
しかし、僕としては、彼女に、此処に残って欲しいのです。それから、あの女の子は、ああ見えて、実際は二十七歳です。本当ですよ。
(奥の壁に、耳を澄ます)
うん、向こうでは、まだ、話が進んでいる様です。おそらく、彼女は、こちらの部屋を選ぶでしょう。
(下手から、三つ目の椅子のところに行く。猫の人形を取り上げ)
この猫は、此処まで、僕が操って来ました。もう、役割は、終わったのです。此処で、この場所で、僕は、彼女と待ち合わせをしたかったのです。その為、回りくどいことをしなければ、なりませんでした。
(猫の人形を、椅子に置く)
人形に、そもそも、魂など在る訳が無い。僕は、彼女が、知りたかったであろう事を、教えてあげたかったのです。
(奥の壁に、耳を澄ます)
何やら、揉めているな。
(上手奥を指す)
あちらの部屋に行っても、酷く退屈な事があるばかりだ。それよりも、ここに来て、溜まったつけは、支払ってもらわないといけない。
(舞台上を歩く。時々、舞台奥を窺う)
彼女は、……彼女は、この猫を、助けたいと、思うでしょうか? それとも、まったく、気にはしないかな?
僕としては、この先もっと長く、彼女は、旅を続けるべきだと思います。だってそうでしょう。
僕は死んでいるし。彼女は、目的を果たしていない。それに、まだ、希望や期待を持っている。この世界に対して、この漠然とした、空間に於ける、自身の役割に対して。
しかし、人間であれば、誰しもその死に場所を探さなければならない。その心の内に、そして、自身の約束を、己に向かって果たさなければならないでしょう。
彼女は、或る目的を持って、この旅を始めた。それは、この世界にとって、そして、この僕にとって許されざるべきものであった。きっと猫の死など、方便にすぎないでしょう。
しかし、嘘であれ、始めた事は、最後まで、責任を持って、果たさなければならない。例え、死んでしまったとしても。例え、それが、無に等しいものだとしても。
(舞台上、歩き回る)
僕は、論理的に思考するのが好きです。うん。割とそういうタイプです。血液型的に言えばA型なのです。でも、冷たい人とか、血も涙も無い人とか。
そんなことばっかり、言われますよ。悪魔のような人だとか、ね。
ああ、そろそろ、時間です。彼女も遣って来ることでしょう。さて、彼女は、賢い方なのかな、それとも……。
ドアが開き、女の子が登場する。
女の子 何だか、眩しい。それに風が強い。
青年 (女の子の方を向く)
こんにちは。
(頭を下げる)
女の子 あっ。こんにちは。
(頭を下げる)
青年 今まで、どうでした?
女の子 何が?
青年 魂を探す旅。
女の子 まだ、見つかってません。
(辺りを見回して)
此処に、あの猫は来なかった?
青年 来たよ。椅子に座っているよ。
女の子 本当?
(椅子に向かって歩く)
あっ、いた。
……死んでいる。
(猫を触る)
冷たい。唯の、創られた人形になった。最後まで、演じ切ることができなかった。最後まで、向かうことができなかった。
青年 なあ、心は二重構造になっていると思わないか?
女の子 (聞いていない様に。客席に向かって)
私は、
誰にも、
心を開くつもりはない。
例えそれが、
神様でも、
悪魔でも、
意地の悪い人間でも、
優しい人でも、
雄大な自然でも、
心躍らせる芸術でも、
本当に、
好きだった人でも。
私も、
昔、
心を、
見せたいと、
思ったことが、
あった人がいて、
その人は、
暗い部屋に、
閉じこもって、
私の想いを、
聞いては、
くれなかった。
私の気持ちは、
この心と共に、
埋めてしまったの。
ちょうど、
三年前の
あの時に。
十年、
十年かかった。
あの人に見つけてもらえるのに。
私は、
旅人ではなかったけど、
何時も、
何時でも、
歩いて、
追いかけて、
あの人の側にいた。
私には、
まわりの景色なんて、
どうでもよかったし、
今でも、
あの、
狭い世界しか、
思い出せない。
あの人の、
閉じこもっていた。
秘密の場所。
あの、
暗い、
押し潰されるような、
寂しい部屋。
今でも、
同じ瞬間が、
確かに、
ある。
私には、
何も、
分からなかった。
十年かかって、
必死に、
理解しようと務めた。
私は、
彼の魂と、
一つの、
小さな、
約束をしました。
彼は、
長い、
旅の途中で、
それを、
亡くしてしまったようです。
とても、
小さな、
約束だったから。
忘れてしまった。
小さかったから。
知らなかったから。
小さかったから。
大きな契約があったから。
とても、
とても、小さかった。
三年前、
あの場所で、
その記憶を、
埋めてしまったの。
それで、
毎年、
祈りを、
捧げて来たの。
それだけ、
それだけのこと。
忘れた、
亡くしただけのこと。
ああ、
小さかった。
ただ、小さいだけなのに。
ゆっくりと、
空白の空間が増えて行く。
私の祈り、
やがて、
この心に満ちていくわ。
全てを、
白く、
無に変えていく祈り。
変えることの出来ない、
死んだ、約束の為の、
祈り。
女の子、下手から二番目の椅子に座る。
青年 (舞台上を歩き回る)
現実と心が、重なる瞬間がある。だが、それは一瞬で、如何なる真実も、過ぎていく。人は、心の理を忘れ、現実に在る法も理解しない。
(彼女の方を向き)
なあ、僕はもう、死んでしまった。
死んでしまったんだよ。本当に。
ただ、心が、消えるまで、うろちょろしているだけの、情けない存在なんだ。
女の子 あの猫は、人形になってしまったの?
青年 君は、この世界を壊しに来たんだろう?
女の子 (猫を持ち上げて)
人形……。
確かに、似ている。でも、彼であるとは限らない。
青年 君は、元の世界に戻れるとでも、思っているのか?
女の子 (後ろを振り返り)
あなたは、何を知っているの?
青年 在った事の全てと、変わらない事の全て。
女の子 (溜息をつく)
少しだけ、付き合ってあげる。
あなたは、あの予言者の事を、聞きたいのでしょう。
ええ、見てきました。読みました。だから、何?
青年 彼は、僕の友人です。それに、たいした詩人です。
女の子 ふ~ん。
青年 (歩きながら)
此処は、行き止まりの空間なのです。
あなたは、もう此処から出る事が出来ない。あなたはもう此処から出られない。あなたはもう、何処へも行けない。あなたはもう、死んでしまった。あなたはもう、何一つ出来ないであろう。あなたは、世界を失うのだ。
間があり、青年客席の方に向って歩き、下手側から、上手方向に向かって歩いて行く。
青年 (客席を見ながら)
此処でこの話は、終わってしまうかもしれない。とても、とても残念な事です。心の世界の旅、それは、なかなかに、容易には行かないのかもしれません。
(溜息をつく)
ああ、残念だ。君たちは、間違えてしまった。何から何まで、一から十まで、一切合切を。間違えてしまったのですよ。
僕は、少しばかり、鈍い彼女に、ヒントを差し上げたいと思っているのです。少し寛大な僕としては、彼女にヒントを、そう、そうです。「考えるヒント」を、ですよ。
(上手端に辿り着く。折り返して、下手方向に歩きだす)
一つは、
(人差し指を挙げて)
このまま、旅を続ける。この場合、彼女は、元来た道を永遠に失う。あの子は、現実には、戻れない。もう、二度と、生きて在る事は出来ない。
うん、それに、旅を続けた処で、この世界で何も得られずに、彷徨い続けるだけの様な気がするがな。
(もう片方の人差し指を挙げて)
もう一つの道は、この僕が、案内して、元の世界へ、返してあげる事が出来る。そして、また、以前の通り、あちらで、生活やら、仕事やら、演劇やら、食事やら、、電話やら、ペットやら、何から何まで、あなたを待っているあの世界へ戻る事です。まあ、この場合も、猫の魂など、彼との約束など、忘れてしまう事、ですな。何と言っても、現実の生活、それが、大事な処なのでね。
(大きく、背伸びをする。肩を回し、彼女の方を向く)
理解出来たかな? 理解出来なかったかな?
女の子 (猫を眺めている)
もう、終わったつもりでいる。それで、話が済んだつもり? あなたは、私の事を知らない。私の祈りの言葉を知らない。私の叶えられることのない約束、その意味を知らない。
だから。
あなたの言う言葉も、この世界も、理解してあげられないの。私もまた、帰る処が見つからない。
だからって、あなたが、見つけられる訳でもない、でしょう?
青年 君は、子供だ。元の場所に戻れば、また、本当の年齢に帰れる。それが、君の場所である、と言う以外には、ない。
女の子 時間が、此処で止まっているのは、何故? 何故だか解かる?
青年 何故だろう。わからない。
(歩いて、下手端の椅子に座る。独り言のように)
記憶を、探しに行かないと、いけない。忘れた物を、取りに行かないといけない。あの約束を、探しに行かないといけない。
女の子 そう。
(間)
私が、案内してあげようか?
青年 ……此処は、行き止まりだ。
間があり、女の子、青年にキスをする。
青年 何処にも行けないかもしれないのに、その様な行為は、不要であると、思われる。
女の子 (項垂れる。しばらくして、手で顔を覆う)
照明が落ちていき、暗くなる。青年にスポットライトが当たる。
青年 (立ち上がり、客席に向かって)
僕は、とても優しい気持から、彼女を元の現実に返してあげたいと思っています。それで、彼女に、嘘を付いたのです。
彼女は、此処にいても、僕を案内するどころか、自身では何一つ出来ないのだから、途中で二人して、迷子になってしまうのが落ちでしょう。
人間、自分の能力以上の事は、出来ないものです。例え、自由と言われる心の空間に於いても。
そろそろ、日が落ちて行きます。彼女には、早く、帰ってもらわないといけない。僕の役回りは、本当は、この様では無いのです。
直に、夜が来ます。外部に対応する様に、心にも、夜が来ます。彼女は、夜に、耐える事が出来ないでしょう。そして、その後に来る、あの夜であれば、なおさら。
彼女は、猫の助け無しには、此処まで来られなかったし、それ以前に、黒い男が死ななければ、そもそも、この世界に入る事さえ不可能だったはずだ。
彼女は、ただ、見て回った。自分で話し、自分なりに了解する事が出来た。僕は、心の世界に対するには、取りあえず、それで良いと思うのです。
心には、心の理が在り、それは、現実の世界とは、別の働きを為しているものです。死は死ではなく、夜は夜で無い。
……彼女は、どうも、この世界に留まりたがっている様です。早く帰らなければ、時間がもう無いのに。もう少し、この役回りを、しなくては、ならない。
(椅子に座る)
スポットライト消え、照明元に戻る。少し、オレンジが入った色になる。
女の子 寂しい。何か、この場所、さびしい感じがする。外なのに、開けているのに、太陽が出ているのに、暗くて、狭い。
青年 どうだろうな。そうかもしれないな。
女の子 此処は、何処なの? この世界は、何なの? あなたは、此処で何をしているの?
青年 君は、何かを知っているのではないか?
女の子 それは、あなたの前の旅の事? 知っている。でも、よく覚えてない。
青年 知っているのか? 知らないのか?
女の子 知りたい?
青年 僕は、本当の、この世界の案内人だ。様々な人や物、そして、概念までも、いずれあの場所に行く。此処は、行き止まりであり、また、入り口であるのだ。
女の子 あなたは、此処から、何処に行くつもり?
青年 (立ち上がって、客席に)
答えなくてはならない。しかし、答えてはいけない事もある。知らなくてはならない。しかし、知ってはいけない事もある。行かなくてはならない。しかし、行ってはいけない所もある。見てはいけない、世界が在る。係わってはいけない人がいる。尋ねてはいけない事がある。
ここから、青年の話が進むたび、照明が少しずつ落ちていく。
青年 (女の子の方を向く)
しかし、君は、読んだようだ。知っているようだ。少し、答える事にしよう。
僕は、約束があるんだ。ああ、本当の約束。自身が死ぬ為の約束。
僕は、決まった場所で死ななければならない。それは、僕の仕事とは、別の事柄なんだ。
僕は、君に元の現実に返る事を願っている。此処に居ても、目的の事は、果たせないだろうから。
此処は、空虚な場所で、人が無くなる場所だ。一切の物は下降するだろう。縛り付けられるだろう。皆、直に居なくなる。僕は、待っているだけだ。
女の子 ……何を待っているの?
青年 夜だ。あの時の夜を待っている。もう一度来るだろう。僕は、その時に、また再び、あの場所へ行く事になるだろう。
(椅子に座る)
照明が全て落ちて、女の子にスポットライト当たる。
女の子 そう。
小さな事は、忘れてしまったの。
(立ち上がって。少しずつ歩きながら)
私の旅。
ただ、
背景だけが、
流れていた。
誰だか知らない人たち。
それぞれに話し、
それぞれに、
納得して、
現われては、消えて行く。
私の意志は、
私にすら無く、
私の行いは、
全て無駄に終わった。
私の役回り、
私こそ、
唯の役者で、
同時に、
私も、
一人の観客に過ぎなかった。
下手な筋書きに、
私なりに、
役を演じてきたけれど、
もう、
この舞台には、
立たないし、
立ちたくは無い。
私は、
今、
私の中の「無」というもの、
最も、
空虚なものが、
宿ったのを、
心の中で、
感じている。
私の旅。
死を知る事はおろか、
生きている意味すらも、
解らなかった。
会いたい人とも会えず、
道連れは死んでしまった。
魂は無く、
私の信じていた心、
というものは、
何処にも無かった。
新しい土地、
そんなものも無く、
ただ、
飛躍した、
言葉と、
道を踏み外したような、
狂った出来事。
そして、
感情の無い、
この世界の住人たち、
他は、
一切が作り物で、
紛い物だった。
現実の世界。
毎日、
仕事ばっかりしている、
豊かな世界。
楽しい出来事が、
作れる、
愉快な世界、
素晴らしい世界。
悲しい出来事すら、
此処に比べたら、
かわいいと思える。
沢山の感情が在り、
色々な、
表情も在る。
互いに、
係わる事ができ、
私の意志で、
何かを伝え、
変える事が出来る。
私の話は、通じて、
誰かの心に、
きっと届くだろう。
私は、
本当の、
本当に存在する世界だけを、
信じる。
抽象や、
印象、
例えや、
比喩、
それらも、
現実に在っては、
意味を為すけど、
此処では、
何一つ意味を為さない。
どんなに良い言葉でさえ、
ただの部品で、
空虚な、色合いになる。
ただ、
朽ちて行くのを、
待っているだけの、
寂れた、
心の理に、
則った世界。
一切が、
失われていくだけの世界。
全てが、
下降する様に、
存在する世界。
ただ、
一つの出来事の為に、
全てが犠牲になった世界。
(間)
全てが、
明瞭に、
心に了解されたとしても、
全てが、
はっきりと、
面前で証明されたとしても、
それでも、
それでも、
私は、
この、
閉じられた世界で、
生きて行く。
消滅するまで、
私が、
居なくなるまで、
誰も、
私を、
知らないと言っても、
見えないと言っても、
聞こえないと言っても、
そして、
約束が忘れられても、
それでも、
此処に、
残らないといけない。
誰にも、
私に、
何かを言わせたり、しない。
スポットライト消えて、照明元に戻る。
青年 (苦笑いをしながら、拍手をする)
凄いな。僕は、なかなか、そういう事は言えない性質でね。
で、もう一度聞くけど、君は、どうしたいの? あの、猫の人形の魂でも、一人で、探したいのかい?
(間)
まあいいや。
おそらく、直に、この場所が、壊れる時が来る。その時の、ひび割れから、隙間から、元の場所に帰るがいい。
(下を向く)
狂った奴が、これから、来ることになるけど、奴とは、話してはいけない。君も、何処かに連れて行かれるぞ。
女の子 (青年を見下ろして)
この場所が壊れる時って?
青年 強くて、大きな、高くて深い、夜が在る。諸々の心の事象が重なる瞬間が在る。
瞬間で造られた心の、重なる瞬間が在る。僕らは、その時、如何なるものも超えて、好きな場所に行ける。
女の子 この七つの椅子は、誰の為の物?
間がある。照明ここから、徐々に、青黒く、変化していく。それと共に、雲が移動し、太陽が隠れていく。
青年 やめろ。
女の子 一つは、あなたの為だった椅子。
青年 やめろ。
女の子 一つは、あなたの過去の為だった椅子。
青年 ……帰る場所を探している。もう、ずいぶん前から、迷ってしまった。出られる事は無い。
女の子 (構わず)
一つは、あなたの可能性の為だった椅子。
一つは、あなたの魂の為だった椅子。
一つはあなたの運命の為だった椅子。
そして、一つはあなたの約束の為だった椅子。
そして、最後の一つは……。
青年 (立ち上がって)
お前は、誰だ!
何で、その事を知っている?さては……。
(座る)
まあ、いい。お前なんか、知らん。
ああ、そうか。
目が在る。此処には、この場所には、大きな仮面が浮かんでいる。
見られている、前からも、横からも、真上からも。
女の子 そう。逃げられないのよ。
青年 (うろうろと、歩きだす)
区切られた世界。
境界線の上を、
行ったり来たりする。
どちらからも、追い出され。
どちらの側からも、引き込まれる。
何処にも行けないことは、
境界線の高みをめざすことだ。
誰にもなれず、何処の世界にも住めない。
誰にも会えず、ただ、呼吸が苦しくなるばかり。
私以外は居らず、
全ては、何処かに行った。
そして、
それらは、私を見捨て、
何処かの世界で、暮らしている。
私は、ただ死んだ。
私の中身は、全て無く、
「私」自体が、
唯の記号で、
私であるのに、
私を証明するものが、
一つもない。
私の椅子は、空白で、
誰も座る者が居ない。
(間)
心に、水が滲み出して来る。
道が、割れて行く。
建物が、崩れて行く。
人々が、居なくなる。
ああ、
夜が来たよ……。
こわい、こわいな。
僕は、夜が好きではなかった。
僕は、夜が嫌いだ。
僕は、何かを聞いてはいけなかった。
僕を、訪ねてはいけない。
僕に、語っては、いけない。
舞台上、青黒くなる。女の子は、傘を置いたまま、途中で下手から退場している。雨の音がしてくる。
青年 ほら、
知らない、
何かが、
この空間に、
侵入しようとしているよ。
(笑う)
だから言ったんだ。
もう、
何人か、
来ているんだろう?
もう、
入ってきているよ。
そうかい?
でも、
大丈夫だ。
雨が降ってきた。
結構、降ってるな。
傘を差そう。
青年、赤い傘を差し、人形の置いてある椅子の背に、立て掛ける
青年 人形だって、濡れたら寒いからな。
もう、
心は壊れたんだ。
幕が閉まる。