第一幕 静止した世界
No.73
登場人物
*登場する人間は皆仮面を被っている。
女の子(女の子A)十代前半。白い服。
猫(猫A) 黒猫。
第一幕
黒い男 二十代後半。黒い服。
第二幕
初老の男 五十代。二千年ぐらい前の服。
壮年の男 三十代。二百年ぐらい前の服。
第三幕
女の子B 十代前半。青い服。
猫B 茶色。
女の子C 十代前半。橙色の服。
猫C 灰色。
第四幕
男の子A 青い体をした人形。
男の子B 同右。
預言者 四十代。百年ぐらい前の服。
第五幕
大男 四百年前ぐらいの服。
猫(部屋にいる) 三毛猫。
第六幕
青年 二十代前半。黒い背広を着ている。
第七幕
女性 二十代前半。今風の服。仮面を被っていない。
飼い猫 黒猫(尻尾に白い模様)
黒い男 二十代後半。黒い服。仮面を被っていない。
舞台見取り図
第一幕 静止した世界
林の中。舞台上には何本かの人工的な木の幹が立っている。舞台上、照明暗く、背景が青い。
中央奥の木の幹の根元、白い女の子がしゃがみ込んでいる。客席に背を向けている。その右隣に、赤い傘が広がったまま、置いてある。
舞台上手、客席近くに黒い男が立っている。こちらも客席に背を向けて、白い女の子を見つめている。手には、透明なビニール傘を差して、持っている。
雨の音が音響として、流れている。
女の子 (誰ともなく語りだす)
三年前、私の飼っていた猫が死にました。私は、この木の根元に猫の死骸を埋めて、お墓としました。今日が命日です。私は、ここに、花を置き、お供えをします。そして、彼が、安らかに成ることを、祈っているところです。
ところで、私は、いつまで祈り続けていいのかわかりません。私は、彼が今どのような状態にあるのかが、一考にわからないのです。彼は、どこに行ってしまったのでしょうか? 彼は、今どのような気持ちでいるのでしょうか?
それとも、それとも、本当にいなくなってしまったのでしょうか。私が今、こうして祈ることは、また、何かを捧げ続けることは、彼の死にとって、正しいのでしょうか?
また、このような行為に意味は、あるのでしょうか?
(右後ろを振り返って)
あなたは、いつも、私の斜め後ろから、私を見張っていますね。今日は、こういう日は、一人で居させて下さい。
彼は、人見知りなんです。家から、外に出したことがないから。何故って、体がとても弱かったから。
黒い男 傘を、差した方がいいよ。濡れるから。
女の子 後で、差すことにします。差すことは、雨を防ぐことは、できます。ただ、邪魔なだけです。ここでは、どんな様式も意味が無いのです。意味だけが、向こう側へ届かないのです。
向こう側にあるものは、
冷たい雨と、
深い闇。
沢山のがらくたと、
少しの涙。
こちら側にあるものは、
死んだ体と、
真っすぐな木の幹。
青い空気と、
黒く背後に居る、あなた。
と、私。
黒い男 祈りは、届くのかい?
女の子 祈りは、届かない。届くわけが無いのです。何故なら、死は硬い殻に覆われているので、安らかなるものを願って祈る行為は、そこで、止められてしまうのです。
黒い男 何故止められてしまうのだろう。それこそ、死が必要としているものではないのだろうか?
女の子 死は、死として保存されたいのです。そのまま、存在していたいと願っているのです。
黒い男 死、それ自体が願うことが、ありうるであろうか?
女の子 死は、卵の様なものなのです。次の為に何かを常に願っています。その為、こちら側の祈りなど、必要無いのです。きっと、嫌なことを思い出してしまうから。
雨音が強くなる。
黒い男 もう帰ろう。雨も強くなってきた。君も、身体を壊して、風邪をひいてしまうよ。祈りは、きっと聞き届けられるよ。
女の子 あなたは、私が何を、祈っていたか、知っているの? 知っていて、そんなことを言うのですか?
黒い男 ………。僕は、知らない。てっきり、ただ、猫の安らかなる死を願って祈っているのだとばかり、思っていた。
女の子 私が言ったことを、繰り返している。あなたは、何時も、私を眺めているだけで、ちっとも役に立たない。
私の祈りは、あなたとは違う。私はそんなに優しくはないの。
強い祈りと、
弱い祈りがある。
強い祈りとは、
あの世に対して祈るものではなく、
私に優るものに対して
祈るもの。
私を越えるものに対して
祈るもの。
弱い祈りとは、
生きることに対して祈るものではなく、
私を下降させるものに対して、
祈ること。
私を怖がらせるものに対して、
祈ること。
あなたの様な人は、
皆、
救いを求めているのだわ。
救いを、
祈れば、助けてもらえるという
誤った希望を、
胸の内に抱いて、
死を、
死んでしまった事物を
見つめ続けて、
死に対しての親近感、
それを味方に付ける。
でも、
それは、私の可能性に対して、
私の生きることに対して、
行く手を、
進む為に歩くことを、
阻み続けている。
黒い男 雨が強くなってきた。きっと、寒くて、凍えてしまう。風邪をひく前に帰ろう。ここは、寂しくて、いけないよ。気分が沈むばっかりだ。
女の子 あなたは、自分の体を心配しているだけ、私の行為を見て、勝手な解釈を加えて、台無しにしている。だから、また私が、同じ事を繰り返さないといけなくなる。
雨の音が止む。しばらく間がある。
黒い男 雨が止んだ。
女の子 雨が止んだわ。何故かしら、空は、曇っている。雨が……、
(辺りを見回し、手を伸ばす)
雨が、水の粒が宙に浮いているわ。こんな事ってあるのかな。
黒い男 静かになった。
女の子 何の音も聞こえない。何事も起こらない。死は、今この瞬間無くなったんだ。
黒い男 そうだろう。でも、もう帰る所も無くなった。
女の子 死は、帰る所では無いと思う。死は、通り過ぎるものでしょう? ゆっくり歩いているうちに、私は、通り越してしまったのかもしれない。
黒い男 そうだろうか? ただ、全てが止まっただけではないだろうか?
女の子 私たちだけ、動いている。きっと、私たち、死の瞬間に居るの。何でって、私たち、顔が無い、どんな相も浮かばない、どんな記憶も浮かばない、ただ、沈んでいくだけ、止まったまま、ゆっくりと、消えていくだけ。
黒い男 うん。きっと、このまま、色が薄く、淡くなる様に、消えていくだろうね。僕たちは、白い空間に溶けていってしまうんだね。
女の子 そう、そして死は無くなるの。何故って、瞬間が無くなるから、消えていく、如何なるものにも、死からは、除かれていくから。真っ白な空間は、全てを受け入れることは、無いの。
黒い男 君は、だから白いのかな。ここは、とても、静寂に包まれているけど、少し悲しい感じがするな。
女の子 悲しくなんてない。これで、彼の魂も、まだ、他の空間に在ることが、わかったから。
(立ち上がって、背伸びをする。客席を向いて)
少しずつ、明るくなる前に、ここで、お互いの、自己紹介でも、しましょう。見ている人は、きっとわからないから。
黒い男 (客席を向く)
明るくなる前に。きっと、互いが、歩き続ける為に、知らない人に、知ってもらう為に。黒が、淡い色になる前に、全てが、静止して、死を乗り越えた記念に。
(ビニール傘を閉じて、足元に置く)
僕を、
表すとするなら、
多くの言語の中から、
当てはめてみるなら、
少しの経験から、
敢えて、
規定してみるなら、
きっと、
おそらく、
この様であるでしょう。
それは、
軽蔑と信仰、
苦みと優しさ、
切片と球体、
尖った手足と斜線、
蜘蛛の巣の張った頭と、
溶けていくだけの心。
僕が好きなものは、
自由、繋がりの無い、
見放された、自由。
僕が嫌いなものは、
鏡、何一つ映らなかった、
沢山の幻影が踊った、鏡。
僕の時間、
計られない時間、
質量の無い時間、
見えない時間、
きっと、
僕は、
この、白く成りゆくであろう空間に、
呼ばれる為に、生まれてきた、
黒い衣服を纏った、
隅に立っている、
そんな、
男性です。
女の子 (大きく拍手をする)
私が、
もし、
水を持って旅行するなら、
少しの、
自信と行動力を持って、
旅に出るなら、
きっと、
その国々の、
私を知らない、
本当に、
きっと知らない、私を、
見て、
表するなら、
きっと、
この様に、
言ってくれることでしょう。
それは、
混沌と、計算、
悪魔と、絵画、
沢山の、おびただしい、
節足動物と、捉えきれない理想。
私の行動の指針は、
大きな、
そう、少なくとも、
地上に建っている
どんな建物より、
どんな、
苦労より大きな、
建築物、
それを
目印にして歩くの。
とても、軽やかに、
歩くの。
時々、
喉が渇いたら、
水を、
口に含んで、飲むの。
人の歩んできた、
軌跡を、
きっと、
その重さが刻まれた、
足跡を、
辿る様に、
世界と、
この静止した、
死など、
とうの昔に終った、
空間とが、
在り続け、
そして、
私たちを
招待した。
私が祝う時、
あなたがたは、骨になる。
私が救われる時、
あなたがたは、そこに居ない。
私と、
この男は、
この影の様な男とは、
なんでもありません。
何か、
気になるかなー、と思って。
黒い男 (むっとして、女の子に)
何でもないと言うことは、ないだろう。でも、そうかもしれない。僕は、君とは、全く違うから。
女の子 そう。
(間)
私はこれから、彼に会いに、行くことにします。だけど、どこに行ったら、いいのだろう。あなたは、知っているの?
黒い男 僕は、きっとわからない、と言うだろう。わからないと、語る以外に無いのだろう。
女の子 わかるの? わからないの? どっち。
黒い男 ……。何も言えない。
女の子 ふーん、わからないのね。まあ、いいや。でも、案内は、してくれる?
黒い男 (首を横に振る)
女の子 何で? 怖いの? 知らない所に行くのは苦手?
黒い男 わからない。
女の子 わからないって何? 自分の事でしょう。まあ、私の猫の事だから、興味が無いのかもしれないけど、何時もは、じっと眺めているくせに、いざとなったらあまりに役立たずなのね。
黒い男 (ため息をつく)
そうだ、役立たずである。だけど、おそらく、多分、行けないことは、ない気がしないでもない。気がする。
女の子 何? 行きたいの? 行きたくないの?
黒い男 どちらでもない。僕は、あまり動けない。しかし、行くとするなら、僕も別の形にならなければならない。
女の子 何それ。何? 別の形って?
黒い男 つまり、死ななければならない。
女の子 ふーん。じゃあ死んでよ。
黒い男 わかった。
(間)
その前に一つ。
女の子 何? 早く死んでよ。
黒い男 その前に一つ。
(間)
女の子 何!?
黒い男 その前に、確認しておかなくてはならない。
女の子 何の?
黒い男 契約の。
女の子 何故?
黒い男 何故なら、僕は、死ぬからです。
女の子 私には、一切関係ないでしょう。
黒い男 (棒読みになり)
関係ない。関係ない。うむ。
確かに、そうとも言えるが、そうではないのだ。
女の子 ああ! いらいらする! だから何!早く言ってよ。早く助けに行かないと、彼がどっかに歩いて行っちゃうでしょ!
黒い男 (棒読みで)
猫? 歩く。僕は、留まる。魂、器、白い。僕。ゆっくり。
(間、上方を見ている)
何か、書くものは、ないのかな。
女の子 (怪訝そうな顔で)
ペン? 持ってるけど、何で。
(ポーチからペンを取り出す。歩いて行って、男に渡す)
何に使うの?
黒い男 (受け取って)
うん、絵を描こうと思って。死を乗り越えた記念に。
女の子 記念に。
(ため息をつく。男の様子をじっと見る)
黒い男 (上手の壁に、等身大の猫の絵を描く)
できた。
(壁から一歩引いて、絵を眺めながら)
どうだろう。
(女の子の方を向く)
女の子 うーん、どうだろう。あんまり、かな。下手ではないんだけど……。まあ、記念だしね。
黒い男 そうなんだ。
(棒読みになる)
記念。線、隙間、猫、ペン。
女の子 あ、ペン返してくれる?
黒い男 (歩いて行って、ペンを渡す)
ありがとう。
壁に描かれた猫の絵が、徐々に滲み出して、上手な猫の絵になり、その絵から、猫が飛び出してくる。
女の子 (驚いて、見ていた)
あれ、凄いね。
(指で猫を指す)
でも違う、気がする……。
黒い男 凄い。
女の子 凄い事は、ないかも。ここが全然知られていない空間である方が、もっと凄い。ここでは、何でも起こるの。
猫、歩いて行き、女の子の前で立ち止まる。
猫 私は、猫だ。おそらくな。私は私の魂を、取り戻さなくてはならない。それには、君が必要だ。
女の子 (しゃがんで)
そうね。でも、随分イメージが違うなあ、話すとこんな感じなのかな?
(頭を撫でようとする)
よしよし。
猫 (手を避けて)
ああ、あまり触らないでくれ。それは凄く不快だ。私はペットでは無い。
女の子 ごめん。私の猫かと思ってた。
猫 ふむ。そうかもしれないが、それは死んだはずだ。私は私だ。だが何か足りない。それまでは、猫でもないのだ。だからこの様に、会話する事もできる。
女の子 そう。しっかり者ですね。
(立ち上がって、男の方を向き)
それで、あなたはどうするの? 一緒に行くの? それとも、自殺したいの?
黒い男 いや、僕も行きたい。自殺はしないが、しかし、死は近い。
死は目前にある。
死は直前である。
死は己を取り囲む全てである。
死は、冷たい知人である。
とても、信頼のおける、
冷静沈着で、
沈んだ面持ちの、
無数に居る、
縁のある人々の様な、
心から許し合い、
理解し合える、交流。
本当の友人。
だが、
友情には、
約束が付きものだ。
私たちは、
互いに
信頼を、
しなければならない。
時に、
相手を裏切る様な事があっても、
決して、
約束を忘れる事があってはならない。
静かに、
進行していく、
一定の鼓動に於ける、歩み。
猫 (男を見上げて)
なるほど、では、姿を変えるしかないな。私が、手伝ってあげよう。
黒い男 ありがとう。
猫 うむ。これも、私の仕事なのだろう。二人は、改めて、契約を結ばなくてはならない。
女の子 そして、今度は、それが永遠に続くことになるのね。
猫 案ずることは無い。人は誰しも、また、如何なる生命や、物であっても、それは同じ事なのだ。
私の知りうる限り、
良い結びとは、
生きたものを
損なうこと無く、
柔らかく、
そして、
直ぐに解ける様に、
また、
彩りは鮮やかに、
何より、
その間、
それら全ての、
二人にとって全ての、
現象、と予感を、
傷つけること無く、
過剰に、
調べて、辿ること無く、
伸びやかに、
緩やかに、
しなやかに、
合わせて行かなくては、
ならない事だ。
そして、
契約の際に、
嘘やまやかしの言葉は、
断じて、
在ってはならない。
感情や、
記憶に、
流される事は、
在ってはならない。
自らとか、縁とか、業とか、
契約外の事を、
述べてはならない。
秘密の約束、
というものは無い。
何かを果たす為に、
約束が在る訳では無い。
その瞬間に、
結び目が在る訳では無い。
永遠と言っても、
おそらく足りない。
全てと言っても、
まだまだ足りない。
私。
また、
私たち。
黒い男 うん、わかった。それでは、僕から、契約の内容を語ろう。僕からは、三つ、お願いしたい事がある。良く、聞いて下さい。
一つ、
きっとここに帰って来ること。
その際に、
泣かないで欲しい。
二つ、
良い話し合いをすること。
その時に、
大きく、感情を出せばいい。
三つ、
時間を忘れること。
何故なら、
本当に永遠だからです。
女の子 わかった。約束する。
互いに、歩み寄り握手を交わす。
猫 (二人を見て)
うむ。私が見届けたよ。
(男に)
君は、その木を背に、座ってくれないか。私には、君の身長は高すぎる。
男は一番上手にある木の根元に座る。
猫 (女の子に)
次に、君は向こうの端で、壁に向かって立っていて欲しい。そして、この傘を広げて、少しの間待っていてくれ。
女の子 わかったわ。
(傘を取り、下手に向かう。壁の方を向き、立つ)
しばらく間がある。
猫 (客席に向かって語る)
ここまでが、謂わば、プロローグの如きものでしょう。これから、旅の始まりです。退屈は、させないように、気を配りますが、詰まらなかったら、退席は自由になさって下さい。
一つの舞台上の物語も、また、一人の人物の人生に例えられるでしょう。最後まで見ていかれることをお勧めします。誰でも、最後まで付き合ってみなければ、解からないこともありますから。
それでは、一旦、幕を閉めさせてもらいます。
そして、幕が開けましたら、また、私と、彼女と、彼のお話が、始まるのです。後、六つの世界が、待っているのです。
それでは。
(頭を下げる)
幕が閉まる。