ある少年の改革事情
説明文が多くなり、グダグダになっているかもしれません。
どうか、寛大な心で読んでください…。
僕がいるのは、国王の執務室。
立太子すらしていない僕がいるのは不自然ですが、護衛も宰相も気にしていません。
この1年、僕はここで執務を行い王宮改革を進めてきました。
…ぶっちゃけ、父が無能だったんです。
僕の父、リュミエール国王であるパトリック・ローディア・リュミエールは、王太子時代からの恋人である僕の母、マリアーネ・ファル・ヘライズを溺愛ともいうべき勢いで甘やかしていたんです。それは、母上によく似た同腹の姉上、ケイナ・ローディア・リュミエールも同様でした。
バカバカしい限りです。
それが当たり前だと思っている母上と姉上も、はしゃぐ二人にデレデレしている父上も、そして、それを当然だと思っていた幼い頃の僕も…。
執務が一段落して、静寂に満たされれば思い出すのは幼く愚かだったあの頃の事です。
僕が、コウジュ姉上を見下し、その存在さえもほとんど忘れていた、今から9年前の事…。
※※※
当時、7歳だった僕は、王立学院に入学したばかりでした。
母上と姉上、多くの女官達に囲まれて随分甘やかされて過保護に育っていたと思います。
父上にもでろでろに甘やかされていました。
僕は唯一の王子で、王位につくのは確実と言われ、周囲もそう認識していましたから、学院の人達もそういう風に接していました。
…実際は、そうじゃないんですけどね。
西方のシルディス王国なんかは、実力主義が基本ですがよっぽどのことが無い限りは血筋の正当性の為に正嫡子が王位につきます。
ですが、このリュミエール王国では長子相続が基本です。妾腹でも第一子であれば王位につくんです。
コウジュ姉上が長子である以上、王太子として立ち即位すべきは僕ではありません。
そんなことにも気づかなかった僕は、周囲が『僕』に敬意を払ってくれていると勘違いしていたんです。
この時、宰相の長子フィーニス・ファル・ルグレーンがいなければ、僕は勘違いの結果愚王になっていたでしょう。
第一声があんまりでしたが…。
「バカなんだから媚売ってねぇでちゃんと勉強しろよ」
教室での第一声に、周囲が凍り付いたのを覚えてます。
…ムカついて無視するようになったのは致し方ないですよね。
初対面でこんなこと言われたんですよ?!
確かにバカでしたけどねっ。
フィーニスは、この時からコウジュ姉上の事を知っていたんですね。
どうやって知ったのかは、この時は分かりませんでしたが…。
「お前、そんなんで王になるつもりなのかよ」
「見るべきものを見もせず、知るべきことも知らないで偉そうにすんな」
「ちやほやされてんのは、お前が王子で王が溺愛してるからだ」
「…いい加減にしろよ、ガキ」
クラスが一緒だったフィーニスは、ふとした時に上のような数々の暴言としか取れない言葉を投げかけてきました。
嫌なら関わらなければいいと思ったけれど、それが出来る立場ではなかったんですよね。
投げられる言葉に、諦めと失望が混じっている事に気付いたのは結構後でした。
今思えば、フィーニスだけが、唯一真摯に忠告をしてくれていたんです。
少しでもまともな見識を持つ王になってくれるように、と。
それに反発しつつも、フィーニスの言葉を忘れることが出来なかった僕は、王宮の兵士鍛錬場に気まぐれに立ち寄りました。
2年生に上がり、8歳になった直後の事です。
盛大なパーティが開かれて、豪華絢爛なホールで祝われました。そこに、コウジュ姉上の姿がないことに誰一人として気付くことがないまま…。
興味本位でのぞいた鍛錬場で、僕より頭一つ分背が高い少年が木剣を手に兵士と模擬戦をしていました。
後ろ姿しか見えないその少年が、コウジュ姉上だと気付いたのは再び覗きに行った時でした。
その時は、新入りくらいにしか思ってなかったんです。
ガンッ、と鋭く重い音が響き木剣が宙を舞い、コウジュ姉上が手を抑えて膝をついていました。
対戦相手の兵士は慌てて駆け寄り、指導役の士官や他の兵士も心配げに集まっています。
「大丈夫ですか、コウジュ様!」
この時、コウジュって誰だっけと思った僕は本当の愚か者でした。
「っ、大丈夫です。手加減は無用と私が言ったのですから、気にしないでください。武器を飛ばされる私の未熟さが悪いんです」
痛みに眉をしかめながら、きっぱりと言ったコウジュ姉上の声音に、僕はようやく腹違いの姉だということに気付きました。
そして、理不尽にも苛立ったのです。
僕やケイナ姉上は日々勉学に勤しみ、王族として努力を重ねているのにこの人は兵士達にちやほやと構われながら武芸にうつつを抜かしている、と。
…なんて馬鹿だったんでしょうね。
その後、学院でついには侮蔑混じりの視線を向けてくるようになっていたフィーニスに初めて反論しました。それまで、何故か僕は何も言えなかったんです。
「ちやほやされて媚を売って遊んでばかりいるのはコウジュ姉上の方だ」
もっとバカバカしい言葉を口にしたのですが、おそらく、フィーニスの琴線に触れた言葉はこれだったと思うので…。
「本気でそう思っているんだったら、救いようのないバカだな。…コウジュ殿下がどこに行っているのか、何をしているのかちゃんと見て考えてからものを言え」
唾棄する、という言葉の意味を理解しました。
きっと、この時のフィーニスを言うんですね。
コウジュ姉上に、僕は良い感情を持っていませんでした。でも、どうしてか従わなくてはならない気がしたんです。
フィーニスの言葉に。
ちゃんと、見なくては絶対に後悔するような気がしたんです。
…この予感を、無視しないでよかった。
休日を利用して、僕は今まで出歩かなかったところにも出歩くようにして、コウジュ姉上を見つけたらこっそりとついていくことにしました。
…まぁ、びっくりの連続でしたよね。
知らなかったんです。
コウジュ姉上には侍女が一人もついていなかったこと。
誤解していたんです。
コウジュ姉上の乳母とその娘が、つらく当たられたと泣いて逃げ込んできたことを真に受けて。
初めて知ったんです。
コウジュ姉上には食事の用意すらされておらず、日々厨房に頭を下げに行っていたこと。
考えもつかなかったんです。
家庭教師をつけられていなかったこと。
知ろうともしなかったんです。
コウジュ姉上が王都に出て働いていること、その理由が生き学ぶためであること。
どれほど冷遇され、人としてすら扱われていなかったのか。
僕はようやく理解して愕然としました。
フィーニスは、僕の様子から察したのか声をかけてきてくれました。
「ようやくかよ。頭悪いな、お前」
「…フィーニスは、知っていたんだ」
「おれはお前や父上の様に節穴じゃねぇからな」
反論なんてできません。
まさに、僕は、僕達は節穴だったんです。
「殿下」
「リドルで良いよ。敬意も何もないのにそんな呼び方しなくていい」
「お言葉に甘えて。とどめに、コウジュ殿下が王都に出ている時に、鍛錬場行ってこい。指導役は元五大将軍の一人クラレンス・ローグスト殿だから、どうなるかは知らないけどな」
「…どういう意味で?」
「……死にはしない」
フィーニスは、不穏な言葉を残して去っていきました。
…不安でしょうがなかったですけど、すでに自分がバカの中のバカだと理解していたので言葉に従って今度の連休に行ってみました。
フィーニスが話していたのかわかりませんが、あっさりと見つかってしまいました。
「王子様がこんなところに何の用ですかねぇ」
厭味ったらしい言葉とじろじろと無遠慮に見回す視線にイラッとしたのはしょうがないと思うんです。
筋骨隆々としたクラレンス殿に見下ろされたら、普通の子供は泣きますよ。怖すぎます。
「…姉上のことを、聞きたくて」
「申し訳ありませんがね。オレは王子様の『姉上』には欠片も興味がないんですよぉ」
丁寧に指導して心配もしておいて、何を言っているんだと思って口に出しかけて。
視線に含まれた感情が侮蔑だったことに気付くのと同時に、彼が言っているのが『コウジュ姉上』ではなく『ケイナ姉上』の事だと分かりました。
嫌味なのも納得です。
僕達は、コウジュ姉上のことを『王女』として扱っていませんでしたから。
父上も母上も誰もがケイナ姉上が第一の姫で唯一の王女であり、コウジュ姉上はただの張りぼてだと喚ていたんです。
あぁ、後悔してもしきれません。
それに笑って頷いていた自分が恥ずかしくて仕方ないです。
「コウジュ姉上の、ことです…」
「へぇ、王子様に姉が二人いたとは初耳ですねぇ」
クラレンス殿の発言に、鍛錬中の兵士達の反応は二つに分かれました。
青ざめ、心配そうにしている人。僕ではなくクラレンス殿を、でしょうけど。
笑いをこらえてうつむいている人。肩が震えていたのでわかります。
「何が知りたいのか知りませんが、ここにいる奴らはアンタ達にはつきませんよ。オレ達は、人間なんで」
人なら、僕達のような態度はとれないと。
人なら、あんな仕打ちは出来ないと。
突きつけられて、泣きたくなりました。
自分の愚かさと自力で気付くことのできなかった情けなさで。
「…見えていなかったことを知りたいんです。間違えていたことを正したいんです。教えてください。お願いします」
相手は将軍職から左遷されたとか、僕は王族だとか、関係ありませんでした。
僕が居丈高に命令したとしてもクラレンス殿は一言も答えてはくれなかったでしょう。他の兵士達も、濁して逃げていたことでしょう。
だから、誠心誠意頭を下げて教えてもらうしかないと思ったんです。
顔を上げれば、面くらったような表情のクラレンス殿が、首裏をかいて「何が聞きたい」と聞いてきたので「コウジュ姉上に関すること全てを」と答えたら、他の兵士の方々も色々と話してくださいました。
最初は、厨房の料理人が幼馴染だという兵士の方でした。
コウジュ姉上が8歳の時、与えられていた食事は野菜の皮などのほぼ生ごみと少量の麦を炊いた、白湯のような粥が主体だったそうです。
それを見かねた幼馴染の方は、パンや肉の数切れを渡し、コウジュ姉上に深々と頭を下げて感謝をされた、と。その後、情けをかけたことがばれたら大変だろうから今後は良い、とコウジュ姉上は口にした、と。
そんなに幼い頃から、自分の立場をコウジュ姉上は知っていたんですね。
上官に反抗して鍛錬場行きになった兵士の方は少し嬉しそうでした。
どこの国でも、スラムは悩みの種です。犯罪者の巣窟でもありますし、疫病の発生源としても警戒されます。
それを理由に、横暴にふるまい暴力をふるうのは警備隊ではもはや当然だったそうです。
話してくださった方は、コウジュ姉上が子供を庇っている時に居合わせた元警備隊員で、それが原因で反抗し、鍛錬場行になったそうです。
コウジュ姉上の子供を庇いながらに口にした言葉が、忘れられないそうです。
「罪には罰を。それは間違いではないけれど、過剰な暴力をふるう理由にはなりえない。国の治安を守る警備隊が、国たる人を虐げることなどあってはならない。恥を知れ!」
感動した、と語る表情が、何とも誇らしげであることに僕は羨ましくなりました。
僕も、その場に居たかったです。
学ばずとも教わることなくとも、コウジュ姉上は王族としての有り様を理解していたんですね。
近衛騎士の一人でありながら、休職して鍛錬場に通っている方は忌々しげに眉を寄せていました。
王族には護衛がつけられます。僕にもケイナ姉上にもいて、僕は今日は適当に言って撒いてきたんですけど、よっぽどでないと傍を離れません。
コウジュ姉上にも、かつてはいたそうです。女官達からの嫌がらせを受けてボロボロになるコウジュ姉上を嘲笑って傍観するような輩が。
それに対して、もう来るな、とコウジュ姉上が言ったら、その騎士は、我儘の末にいびられてクビにされた、と吹聴したそうです。
コウジュ姉上の冷遇は王宮内では有名な話なので、この方は不審に思い、後々に人となりを知ってからはその騎士に公衆の面前で決闘を申し込んで完膚なきまでに叩きのめしたようです。
騎士を騙る下衆は剣よりも口が達者だ、と嘲笑ってから休職届けを出したそうで…。
この方、絶対腹の中は真っ黒ですよ。
自ら剣を手に取る理由が、そんなに悲しいなんて思いませんでした。
「殿下が生まれる前の事なんで、こいつらも詳しく知らないと思いますがね」
ため息をつきながらクラレンス殿が話し出したのは、コウジュ姉上の母上リンジュ・ローディア・リュミエール様のことでした。
大陸中央にある山間の小さな貧しい国ムジュファールの王女でいらっしゃったリンジュ様は、援助と引き換えに差し出された人質であったようです。ですが、実質はどうであれ一国の王女です。据えるべき立場は正妻であり、王妃と言う地位でなくてはなりません。
母上と相思相愛である父上には、邪魔でしょうがなかったことでしょう。
渋々ながらリンジュ様アを正室にして母上を側室にした父上は、輿入れから1年間、リンジュ様の離宮に訪れることはなかったそうです。しかも、与えた離宮は今、コウジュ姉上が住んでいる離宮です。
その際、母国からついてきた侍女も騎士も強引に追い出し、形ばかりの世話役を一人置いただけだったそうです。
さすがに宰相が見かねて諫言し、父上は一度だけリンジュ様の離宮に赴いて一夜を共にしたそうです。その時、身ごもったのがコウジュ姉上。
父上は、身ごもったリンジュ様に、本当に我の子か、と一言投げ捨てた、と。
当時、クラレンス殿は護衛と言う名の監視役で離宮警備をしていたそうで、まず自身の耳を疑い次に父上に憤ったそうです。
…当然です。
さすがにあまりな発言だ、と宰相がとりなしたのだとか。
リンジュ様は、僕が生まれる1年前、コウジュ姉上が3歳の時に亡くなられています。
その頃から、こんな冷たい王宮でコウジュ姉上は生きていたと思ったら、もう何も言えなくなりました。
涙があふれて止まらず、しゃくりあげる僕にクラレンス殿達が戸惑っているのがわかっても、どうにもできませんでした。
「…クラレンス・ローグスト殿。何をしてるんですか」
怒りを含んだ声が聞こえても、僕は振り向けませんでした。
コウジュ姉上だと分かったからです。
「私の弟を、どんな了見があって泣かせているんですか」
コウジュ姉上は、きっとずっと分からないままでしょう。
さらに泣いてしまった僕の心情など。
この時、僕はこの人には一生敵わないと思い知ったんです。
酷い態度をとってきました。
見えるところではなかったとしても、見下して蔑んできました。
一方的に悪いと思ってきました。
無知であることに気付かずに傷付けることを言ってきました。
なのに、『私の弟』と言ってくれた。
それが、どれほど嬉しくてどれほど悲しくてどれほど苦しかったか…。
きっと、クラレンス殿にしかわからないでしょう。
この時から、僕はコウジュ姉上に近づいていきました。
最初に謝ったら、きょとんとした顔で「何の事?」と言うんですよ。
どこまでお人好しですか。
僕が9歳になる直前、コウジュ姉上が13歳になる半年ほど前の事でした。
母上やケイナ姉上に見つかると厄介なので、こっそりと離宮にお邪魔したら、庭が一面畑になっててびっくりしました。
リンジュ様を押し込む際、改築して壁を高く厚くしたようで、良い目隠しになっているようです。
…完全に囚人の扱いですよね。
半分はハーブ、残りはイモやニンジンなどの野菜類で、離宮の一室を保存室にしていたんです。
クラレンス殿達の手を借りて自作したそうです。兵士の中に農家出身や農作物を扱う商家出身の者がいたようで。
王都で働いて、わずかな麦や調味料を買って、節約しながら離宮の簡易厨房で料理している姿は板についていました。
合間に零される王都の話は、僕の知らない民の本当の姿ばかりでした。
…本を大量に積み重ねて、聡明だともてはやされているケイナ姉上の、なんと薄っぺらいことか。
思わず、学院でフィーニスに漏らすと、今更、と言わんばかりの視線を向けられました。
「知識は活用してこそ意味がある。ただ知っているだけでは意味がない。その点、コウジュ殿下は非常に優秀だ。誰に教わらずとも、間違えてはならないこと、必要な事は知っておられるし、生かす術をご存じだ」
家庭教師もつけたことが無いくせに頭が悪いと、刺繍や編み物を教えたこともないくせに信じられないほど不器用だと、礼儀作法も教えたことが無いくせにお辞儀一つ満足にできないと笑っていた女官達は、何なのでしょう。
「…この国は、ずっと前から腐ってるんですね」
ふと思った事です。
寵愛する側室ばかり優遇するのは良くあることですが、あまりにもこの現状はひどすぎました。
女官達の質の悪さ、宰相を始めとした主要貴族達の愚かしさ、何より、王族の腐り具合が。
そこから、何とかギリギリ戻れた僕は、幸運だったんでしょう。
フィーニスの存在あってこそですから、感謝の念は尽きることがありません。
「やっと、噛みあったな」
…してやったり、と言わんばかりの笑みを浮かべられて、感謝せずともいいかもしれないと思ったのは秘密です。
「なぁ、リドル。お前は次の王になる。その時、こんな腐りきった奴らの相手をしながら国を立て直していかなきゃならないそんなの嫌じゃないか?」
「立て、直す…?」
「そう。このままいけば、あの愚王はどんどん国政を傾けていくぞ。お前が王位につく頃には、財政は圧迫し他国の援助どころじゃなくなってるだろうな。逆に、援助を受けるほどひどくなってるかも」
…簡単に想像できた自分が嫌になりましたよね。
母上達のおねだりに、でれでれして二つ返事で応えている父上を見て来たので、あり得ると思ってしまいました。
援助を受ける際には、コウジュ姉上が人質として差し出されるだろうことも。
吐き気がしました。
つい最近まで、同類だった自分にも。
「だから、その前にお前が王になれ」
「それは、謀反…」
「そうかもな。でも、この先、王位が譲られるのを待っていたら、『国』はどんどん疲弊して、『民』はいなくなるかもしれない。そうしたら、『国家』は成り立たない」
あぁ、同じなんだと思いました。
国たる人、と民を称したコウジュ姉上とフィーニスは同じ考えを持っていたんです。
だから、厳しくもずっと声をかけてきてくれたんですよね。
僕が、『コウジュ姉上の弟』だから。
この時、初めて気づいたんですよ。コウジュ姉上にだけ、フィーニスは最大級の敬意を払っているんです。名を呼ぶ時、話す時、それらの時の声音が他とは全く違うんです。
つくづく、僕は間抜けでした。
「謀反、てのはまだまだ厳しいだろう。でも、今のおれ達にも出来る事はあるはずだ。やってみねぇ?」
悪戯の共犯を求めているかのような笑みに、楽しくなりました。
僕は、二つ返事で頷いて。
僕とフィーニスは、この時、共犯者になったんです。
まず、手始めにフィーニスの父上である宰相ルートヴィヒ・ファル・ルグレーン殿を脅し…ごほん、説得しました。…主犯はフィーニスです。僕は傍観してました。
宰相を説得したら、貴族や要人達の懐柔は丸投げしておきました。
10歳ほどの子供の言葉に耳を傾ける者はいませんから。
宰相が僕、というよりフィーニスの真摯(…?)な言葉を受け止めたのは、それ相応の理由があったからですし…。
まともに動き出したのは、僕とフィーニスが初等科を卒業するかどうかと言う頃で、僕達が中等科にはいかず実務経験を積むことを選び、宰相の元に通うようになった時です。
フィーニスは近衛騎士を目指していたようで、卒業前には入団試験を受けて一発合格してました。
…僕よりフィーニスが王になった方が良くないですかね。
あ、嫌ですか。そうですか。
それからは大変でしたよね…。
父上達に動きがばれると面倒なのでこそこそ隠れて、結果的に王宮の隅っこにいるコウジュ姉上にも隠すことになって…。
まぁ、結果往来と言うことで…。
13歳の時、だったと思います。
フィーニスが笑顔で駈け込んで来たのは。
普段、仏頂面なので驚愕のあまりに固まりましたよ。
「バトリアスの王太子を巻き込むぞ!」
狂ったのかと思いましたよね。笑顔も含めて。
無意識に口に出していたのか、無言でぶんなぐられました。
バトリアスは南方の大国で、軍神グルムファルトを守護神とする軍事国家です。別に軍が最高権を持っているわけではないんですけどね。
この時の王は、女王陛下でカサンドラ様。グルムファルト様との間に二子をお産みになられた聖女様です。
…聖女と言うより、女王様、もしくは女傑といった感じの人らしいですが。
まだ王太子だったディオン・グルムファルト・バルストリア陛下は、父君であるグルムファルト様に生き写しであると評判でした。容姿はもとより武勇もです。
「…その心は?」
「コウジュ殿下と相思相愛」
「マジで?!」
思わず自分のキャラ忘れましたよ。
どこで知り合ったとか、どういう経緯とか、どうやって知ったとか。
疑問は尽きないですが、この時に解消はされませんでしたね。
14歳の時、その疑問が解消されました。
驚きすぎると真っ白になったって表現良くあるじゃないですか、本当にそんな感じでしたね。
…その裏に隠れてた事実に気付くのはもっと後で、また別に後悔するのは別の話で…。
疑問が解消されてから、神官長を巻き込みました。
…寄付やお布施で肥え太った豚が聖職者とか、世の中舐め腐ってますよね。
全部片付いたら罷免しようと決めました。
ディオン陛下が即位後初めての外交公務でリュミエールを選んだのは、確実にコウジュ姉上の事だろうと思いました。
宴の場で再会を、と思いコウジュ姉上のドレスや宝飾品を注文しようとペンをとって紙を広げたあたりで懇意にしている商人から贈り物が届いたんですよ。
新商品の試作品、とかで。
開けてみたらドレスや宝飾品でしたけどね。
よくよく聞いてみたら、色々と仲介を挟んでいましたが大元はディオン陛下と分かりました。
…コウジュ姉上に良く似合うだろう色味にデザイン、バトリアスの禁色ともいえる赤を取り入れた刺繍に、ちょっと引いたのは秘密です。
サイズがぴったりと聞いた時には、ドン引きですよね。
…フィーニスにはばれましたけど、コウジュ姉上にはばれてないのでノープロブレム。
遠目に見ているこちらが恥ずかしくなるというか、声をかけにくくて帰ってしまいたくなるというか…。
再会したコウジュ姉上とディオン陛下の甘ったるい空気に、我慢が出来なかったんです。
色々と鬱憤を晴らしてしまいたいというのもありましたし。
…あの両親と姉の対応をするのが苦痛でしたよ。えぇ、我に返って良かったですけど、そしたら苦労が倍増しになったんですよ。
「良い雰囲気な所申し訳ありませんが、主役には早く戻っていただかないと困ります」
「…ちっ」
舌打ちしましたよ、この人。
何をする気でいたんでしょうね。ここ庭ですよ。
…混乱と同様と恥ずかしさが一気に来たような表情ですね、コウジュ姉上。
何時からいたの、と声に出さずとも聞こえてます。
「姉上が名乗ったあたりからです」
「なんでそんなにいい笑顔なのよ」
何か色々と葛藤して諦めましたね、コウジュ姉上。
まぁ、それより、良い笑顔ですか。そう見えますか。否定しません。笑顔なのは当たり前ですから。
二人がくっつくことで、ようやく最大の見せ場になるんですからね。
…テンションがハイになっていた自覚はあります。
「だって、これでようやく全部明かせるんですよ! 僕は頑張りました! 宰相以下主要な貴族や大臣の弱みを握って脅して、口説いて、ちょっと痛い目見てもらって、神官長を吊るして脅して引きずり出して絞り上げたかいがあって、素晴らしい布陣がしけました!」
主にやったのはフィーニスですけどね!
情けないので言いません。
「さぁ、姉上! 戻りましょう。大丈夫です。お二人の関係を祝福する為ですから。父上も母上もケイナ姉上も黙らせて見せます!」
「テンション高いな! というか、祝福?」
「えぇ。バトリアス王妃となられる姉上に、最高の祝福を!」
…あ、叫ぶのは何とか耐えましたね。
父上はケイナ姉上を王妃にしたかったんでしょうけど、血筋的に見てもコウジュ姉上が王妃になるのが妥当なんですよね。
いくら貧しい小国と言えども一国の王女と伯爵令嬢では、比べる事すらおかしいんですから。
後見の裕福さってバトリアスほどの大国なら対して重要ではないですし、そうなると本人達の意思と血筋の正確性が重要なんですよね。
ディオン陛下自身、半神半人なので貴族の意向に押されることはないですし。
何とも言えない表情してますねぇ、コウジュ姉上。
そこで見るのはディオン陛下なんですね…。
「まぁ、年頃の王族がいたら見合いも兼ねるわな」
でしょうねぇ。
僕も、今までに出席した宴でさんざん年頃の令嬢とかとあいさつさせられましたし。
父上寄りのバカなんて御免ですが。
「いや、お父様達が納得しないでしょ…って、黙らせるって言った?」
「えぇ、黙らせて見せます」
「出来るの?」
「出来ます」
あ、不審そうですね。んでもって諦めましたね。
本当、諦めるの早いですね。諦めが早すぎるのは後々問題だと思いますが、ディオン陛下に任せましょう。
「じゃぁ、行きましょう」
ぐったりしている姉上には悪いですが、さっさと片付けるに限ります。
「行こうか、コウジュ」
「うんっ」
「この態度の違い…」
「仕方ねぇだろ、諦めろ」
ようやく喋りましたね、フィーニス。
ずっといたくせに一言も口にしないんですから。
一番の功労者なのに。
「ふふふっ。まぁいいや、長年の鬱憤を晴らせるんだから、細かい事は気にしないに限るよね」
「その言葉、コウジュ様が言うべきことだろ」
その通りだけどね、フィーニス。
四六時中、あのキチガイ達に構われる僕のストレスもわかってくれない?
酷い? はは、家族を人間扱いしない奴らにかける情けはないんですよ。
ホールに戻ると父上達くらいしか残っていませんでした。
そうなるように宰相達に頼んでいたんですけどね。
…ほっとしてますね。気持ちは分かります。
神官長、涙目になってますね。気持ち悪いです。
「お喜びください、父上。ディオン陛下は姉上を妃に望まれました。大国バトリアスとの友好は尚深いものとなりましょう」
わざと言ってみました。
父上は完全に勘違いするでしょうね。
父上も母上もケイナ姉上も、がっつり勘違いしてますね。
思った通りで嬉しいです。いやぁ、バカですね。
バトリアスの方々も非常に冷たい目をしていますね。
「リュミエール国王陛下。貴殿の掌中の珠を貰い受けることを、お許しいただきたい」
ディオン陛下も結構性格悪いですね。
貴方にとっての掌中の珠はコウジュ姉上ですが、父上にとっての掌中の珠はケイナ姉上ですからね。
あえて勘違いするように言ってますね。
「おぉ! 英傑と名高いバトリアス国王陛下ならば、喜んで!」
「嬉しいですわ!」
いや、あんたじゃない。
…失敬。
またしてもキャラを忘れてしまいました。
僕はどうしてケイナ姉上を賢いと思っていたんでしょう。
妄想癖のある脳内お花畑ですよ、コレ。
「ありがとうございます」
お姫様抱っこが様になりますね! …悔しくなんてありません。僕は平均身長です。
主賓でありながらさっさと最高貴賓室に引き上げていったディオン陛下は、非礼もいいところではありますね。まぁ、声高に言う人間は…いますけど黙らせることはできますし。
唖然と固まっている父上達はさっさと離宮に押し込めてしまいましょう。
ちょっと、早急にしなくてはならないことがあるので。
良い笑顔でクラレンス殿と部下の方々が動いてくださったので、さほど時間はかかりませんでした。
…鬱憤、たまってたのは彼らもだったようです。当然ですけど。
それから1年、僕は改革を進める為にあえて父上達の存在を忘れました。
あ、ちゃんと衣食住は整えましたし、父上達がコウジュ姉上にしたことを再現しよう、なんて考えもしませんでしたから、快適に過ごせたはずですよ。困らない程度に十分な物資と娯楽を用意はしたんですから、文句を言われる筋合いはありません。
宰相達を総入れ替えする必要が無かったのは幸いでした。
任命からやっていこうとすると面倒なことこの上ないですし、主要な貴族達を追い出したらきな臭いことになりかねませんから。
そして、ようやく、全てを終わらせる手筈が整ったのが、今日なんです。
※※※
…いやぁ、思い返してもバカな自分が大半を占めているっていうね。
完全な黒歴史ですよ。
「殿下、お時間です」
「あぁ、もうそんな時間ですか。フィーニスは?」
「仕事が片付き次第、合流するとのことです」
「そうですか。わかりました」
呼びに来たのは、鍛錬場にいた休職中の近衛騎士の方です。
僕の筆頭護衛はフィーニスなんですが、王の仕事を担っている僕の護衛が一人なのは少ない、と進言されて僕が選びました。
いや、だって、僕の護衛だった騎士とかそれ以外とか信用ならないんですよ。
この方だったら、間違った時には力づくで何とかしようとしてくれそうですし。その前に、フィーニスの鉄拳が振るでしょうけど。
…僕は武術も魔術もダメなんですよ。今まで話題に出してこなかったんですから察してください。
えっと、気を取り直して。
これから向かうのは、父上達が暮らす、というかほぼ幽閉している離宮です。
この1年、良く飽きないな、と呆れるくらいにわめいているようでして。
世話をする女官も警備する騎士も可哀想になってくるぐらいに。
まぁ、女官も騎士も父上達にこびへつらってた人達ですけどね。
え、出してしまわないのか?
出来るわけないでしょう。
今、僕の後見は外祖父であるヘライズ伯爵ではなく、バトリアス国王ですから。
コウジュ姉上を見初め、帰り際に僕を「義弟」と呼んでいったディオン陛下を、敵に回したい者はいないでしょう。
そこまで忠義溢れる者がいない、と言う事でもありますが。
今回はそれで良かった、ということで。
あ、もう着きましたね。
嫌な事はさっさと済ませるに限りますが、面倒な展開が待っていると分かると気が重いですね。
出来れば、フィーニスが来る前に終わらせたいのでさっさと入りますけど。
理由? この後でわかりますよ…。
「全員、下がれ」
離宮の警備をしている騎士も女官も、これからの話を聞く資格を持ちませんからね。
「お久しぶりです、父上、母上、姉上」
ご機嫌いかがですか、とは聞きません。良いわけないですから。
ただ、いきなり金切り声で怒鳴るのはやめてください。
鼓膜破れるかと思いました。
思わず倒れそうになったじゃないですか。
あ、支えてくださってありがとうございます。
さすがに僕一人になるわけにはいかないので、騎士だけは残しておきます。
初老の男女と病弱な姉に負けるかもしれない可能性が無きにしも非ず、なほどに僕が貧弱と言うことですよ。…今度から、苦手と言わずに鍛錬に励みましょう。うん。
「ひとまず、黙ってください。父上達の今後について話に来たんです」
「何を話すというのだ、反逆者が」
「そうですね。否定はしません。ですが、反逆を起こさなくてはならない状態にしたのは、誰だと思ってるんですか」
「我だというのか?! あの貧相な小娘に転がされて操られている南の若僧やお前こそが害悪であろうが!」
「…父上、自分と相手の立場をよく理解した上で仰っていただきたい」
「我も若造も同じ王であろう。国力は違えど、それは変わらん」
おぅ…。
正真正銘のバカがいた。
神は政治に介入しません。
人の世に降臨したり事象に関与したりはしますが、人の世の動きは人が決めるべきと言う考えがあるからです。
その為、半神半人であろうとも神としての立場や権威はふるえません。
いえ、出来るんですが、したら最後、その方は大恥をかくことになります。
虎の威を借る狐、という状態です。しかも、虎自身がそれを非常に嫌悪するのですから、その後は推して知るべし、です。
それでも、神の血を引く、と言うのは無視できません。
さらに、ディオン陛下は四方大国の一つバトリアスの国王であることも考えれば、たかだか中堅国が同等などとは言えません。
…なんか、もう、面倒になってきました。
「あぁ、まぁ、それはもういいです。言っても無駄でしょうし」
「何をっ!!」
「ケイナ姉上の降嫁先が決定しました」
早口に言えば、父上達はポカンとした後に勝ち誇ったような顔になりました。
…何を思ったのか、分かってしまう自分が嫌です。
「やはりな。あの小娘がどうやって取り入ったのかわからんが、共に暮らせば否応なしに分かると思っておったわ。無能で愚鈍なことがな」
それ、自分の事ですか?
「地味でくせ毛のつまらない貧相な娘、バトリアス国王には不釣り合いですもの」
その貧相な娘とやらに何年と片思いをしていたのはバトリアス国王その人なんですけどね…。
「あぁ、良かったわ。目を覚ましていただけて。それで、リドル。ディオン様は何時お迎えに来てくださるの?」
…ガチで、この人頭がおかしいですよね。
この様子だと、この数秒間で僕が幽閉したことも都合よく解釈してそうです。
うっわ、めんどくせっ。
…失礼しました。
「人の話、聞いてました? 僕は、降嫁先、と言ったんです」
今度は、意味が分からない、と言いたげに目を丸くしてからおよそ一分弱。
我に返り、理解したのか今度は顔を真っ赤にした父上がつかみかかろうとしてきました。
ま、無理ですけど。間に騎士が入ってくれました。
剣の柄に手をかけてますので、気おされてますね。
普通、この時点で極刑ものなんですが不問に処します。当然です。
降嫁、ということは、臣下に嫁ぐことを意味します。
他国の王族の元に降嫁する、何て言ったら無礼どころじゃありませんよ。相手がバトリアスならなおのこと、宣戦布告ととられかねません。
「今年中に婚約を広め、半年後はコウジュ姉上がご成婚されますので再来年ですかね」
準備に時間もお金もかかりますからね。
いくら何でも、そのまんまポイはしませんよ。国の体面にもかかわります。
「お相手はローグスト子爵です。先月叙爵したばかりですが、ご存知ですか? 元五大将軍のクラレンス・ローグスト殿」
お、母上が顔を真っ赤にしました。
左遷された理由、母上だとお聞きしましたからね。お怒りなんでしょう。
当時、五大将軍だったクラレンス殿に向かって、大鬼がいる追い払え、と笑いながら騎士達をけしかけたらしいですから。騎士達も笑いながら剣を抜いたので、容赦なく返り討ちにされたそうですけど。
その時、「自重なさらないと品性を疑われますよ。側妃様」とクラレンス殿は吐き捨てたそうで。
…品性を疑われかねないことをしといて、母上は侮辱されたと憤り、結果、クラレンス殿は鍛錬場指導役に左遷された、と。
地方に放り出さなくて良かったですね。平民出身は地方にこそ多いですから、まとめ上げる能力があるクラレンス殿を野に置いたら反乱軍を作り上げかねませんよ。
…僕が我に返らなかったら、そうなった可能性が大きいと理解できるだけに笑えない予想です。
「待て、あやつはただの鍛錬場指導役、しかも、平民ではないかっ」
「さっき、叙爵した、と言いましたよね? そもそも、30歳で五大将軍に上り詰めた逸材を、鍛錬場指導役にしとくなんて馬鹿のすることです。さらに言えば、三ヶ月前のバトリアスとの合同軍事演習で、ディオン陛下と一対一の五本勝負をして四敗一引き分けにしたんですから、しかるべき地位と役職を与えるのは当然でしょう」
一勝もしてませんが、バトリアスの高名な将軍ですら完敗し、軍神の現身とさえ称えられるディオン陛下相手に引き分けに持って行ったんですから十分賞賛モノです。
その場の兵士達の興奮度合いと言ったら凄まじかったですからね。
その時、ディオン陛下はクラレンス殿を気に入って愛用の長剣を下賜されています。
この時点で、クラレンス殿を貴族に叙することは決定しました。
神自身が気に入った人間に守護を与えることがあります。それに準じて、聖女もしくは賢者、又はディオン陛下のような神の血を引く者、神子が気に入った者に与えるものを加護と呼びます。
自らの一部ともいえる愛用の剣を下賜するということは、加護を与える、と言うことです。
軍神の神子から加護を与えられた者を、無位無官のままにはしておけません。
…多分、僕がクラレンス殿を取り立てやすいようにディオン陛下が計らってくれたんでしょう。
その裏には、きっとコウジュ姉上がいるんでしょうね。
「軍議でも円卓会議でも、満場一致でクラレンス殿を子爵にすることが決定しました。それに際して、彼を五大将軍に戻しましたので。身分と地位を考えれば、王女を嫁がせても問題はありません」
実際は、ありますけどね。
でも、このまま未婚のまま、というのは体裁が悪すぎます。
病弱、と言っても一日の大半を寝て過ごしているわけではないんです。人よりも弱いかな、ぐらいなのに国外にも国内にも嫁がないとか、何か重大な問題があると宣伝しているようなものですからね。
「あるに決まっておるだろうが! せめて、ルグレーンかボーヴィスに…」
「ルグレーン公爵家には、フィーニスしかいないじゃないですか。ボーヴィス公爵家は、引退していた先代が出てきて断固拒否を表明されました」
取り巻きの一人でしたもんね、どっちも。
まぁ、宰相であるルグレーン公爵はフィーニスに、ボーヴィス公爵は父親に頭が上がらない状態ですが。
「主要な貴族は、1年前の事を知ってるんですから、ほのめかしただけで難色を示すんですよ。唯一、クラレンス殿が頷いてくれたんです」
「もう四十路になろうかという中年男ではないの! リドル、お前は実の姉をそんな好色な男に下げ渡すというの!?」
好色ってどこから出て来たんですか。
たしかに、花街には出入りしてたみたいですけど、普通ですよね?
クラレンス殿は37歳におなりですが、確実に10歳は若く見えますよ。
童顔ですね、って言ったら鍛錬と称して叩きのめされましたけど。気になさってたんですね…。
「年齢なんて問題ではないでしょう。現時点でケイナ姉上はとっくのとうに行き遅れなんですから」
20歳は十分に行き遅れです。
病弱とかはもう理由になりません。
大体、王族の子女は15までに婚約が調い、18で成婚するものです。例外はいくらでもありますし、個人差はありますが、8割方はこの流れです。
婚約者候補すらいなかったのは、ケイナ姉上のせいではありませんけどね。
父上が親バカでバカ親だったということです。
「あぁ、言っておきますが、クラレンス殿はケイナ姉上に好意があって頷いたわけではありませんよ? 今後、僕やコウジュ姉上にとって害とならないように見張っておく、と仰ってくださいました。良き臣下に恵まれて、僕は幸せです」
良い笑顔で言い切ってやれば、父上が苦々しい表情になりました。
自分にはそんな臣下がいなかったことには気付いているようですね。
「で、ケイナ姉上の降嫁の前に色々とやっておきたいことがあるんです。父上」
「なんだ…」
「退位してください」
「…は」
「退位を宣言してください。立太子していない王子が即位するのは、前例がないわけではないので問題はないですし、実務においては宰相以下の助けも会って順調です。なので、父上に退いてもらってもなんら困りません」
「き、貴様っ!!」
「退位後は、離宮にて母上と仲睦まじくお過ごしください。あぁ、弟妹が生まれるのは構いませんが、いらぬ争いの種にならないように排除させていただきますので」
言うべきことは言い切りましたからね。
もう用はありません。
「…リドル」
「なんですか、ケイナ姉上」
「わたくしが、何か悪いことをしたかしら?」
「自覚がないのが性質が悪いですね」
苛立ち混じりの言葉に、苛立ったのは僕の方です。
「陰口を叩かれていい気分になる人がいますか? 泥だらけにされて嬉しいと思う人がいますか? 生ごみのような食事ばかりで、健康に過ごせる人がいますか? 幼い頃、護ってくれるものから見放され見下されてその相手を慕うことが出来る人がいますか? …貴方なら、出来るんですか?」
黙り込んだって、僕は黙りません。
「コウジュ姉上は、それらに耐えました。これまで、目立った怪我も病気もなく健やかでいられたのは、姫神様の守護があったからです」
あぁ、これ、言う気はなかったんですけどね。しょうがないですね。
姫神様、というのはリュミエール王国の守護神である癒しと再生の女神シェルリアエル様の事です。
女神である為、仕える者は当然賢者、と思いきや、この方は聖女を選ばれます。
…同性愛者、というわけではないんですよ。
外見は10代前半の麗しい少女である姫神様が、仕える者を選ぶ基準となさるのは自身の分身たるか否か、なのです。
もう一人の姫神様として存在しうる器である為には、莫大な魔力と許容量が必要です。さらに、根本的な事で言えば同性でなくてはなりません。
その為、我が国で賢者と言えば初代の建国王唯一人なのです。
さらに、姫神様は少々、いや、かなり潔癖でいらっしゃるらしく、自らが選んだ聖女と守護を与えた者以外に名を呼ばれることを嫌がります。
で、付けられた尊称が姫神様、です。国神様、とお呼びした時期もあったようですが、姫神様の方をいたくお気に召されたようです。
「コウジュ姉上は姫神様より癒しの守護を与えられておいででした。だから、頑丈ともいえるほどに健康なんですよ。…ここまで言えば、分かると思いますが、姫神様は父上達に対してお怒りです。神罰がくだらないだけでもまだましでしょう。生きて天寿を全うすることも許されたのですから、コウジュ姉上の優しさと姫神様の寛大さに感謝してください」
真っ青になる父上も震え始めた母上も、呆然としたケイナ姉上も、ここまで来て自分達のしでかしたことを理解したようです。
守護を与えられた者に危害を加えた、という点であって、コウジュ姉上自身に対するものではないようですが。
罪の意識が芽生えただけマシですね。
「では、僕はこれで。必要書類を持ってこさせますので、それまでに心の整理をつけておいてくださいね」
騎士に警備などの諸々を命じてから部屋を出ると、正面の壁にフィーニスが腕を組んで立っていました。
…僕より偉そうなんですが、気にしたら負けですか。そうですか。
「あれで納得しなかったら、どうする気だ?」
当然のように聞いてましたか。別に良いですけど。
「その時は、君の名前も使わせてくださいね」
「…しょうがない」
不満そうですね。その理由がわかってますが、解消しようにも場所が場所ですし。
「おい」
「はい?」
「言うべきことがあるんじゃないのか」
「…ここで?」
「おれは2年待った」
「そうですね…」
これ以上、待たせるとそれこそ僕に神罰が下りそうです。
ゆっくりと跪いて、フィーニスのほっそりとした手を取ります。
…本当、こんなに細いのにどうしてあんなに強いんでしょうね。
視界の端で女官が驚愕のあまり固まっているのが見えますし、間を置くごとに人が増えているような気がします。
…よし、気のせいだと思いましょう。そうじゃないと、恥ずかしくて言えません。
「僕の隣に立っていてください。僕と一緒に歩いてください。僕の間違いを正してください。僕の正しさを一緒に頷いてください。…リュミエール王国の王妃となり、僕と共に守ってくれませんか? フィーニス・シェルリアエル・ルグレーン姫」
「…おれ以外を傍に置くことを許さない。おれ以外の手を取って歩くことを許さない。二心なくともおれ以外に触れることを許さない。リュミエール王国の未来の王よ、おれ以外に心動かされないと誓えるか?」
「誓いましょう」
「なら、おれも誓ってやる。お前の隣は、終生おれだけのものだ」
互いに誓いを口にした数秒後、王宮が揺れるほどの歓声と悲鳴が響いて二人してしばらく耳鳴りがやみませんでした…。
ルグレーン公爵家の嫡子、として出仕していたフィーニスは、実はれっきとした女性です。
玲瓏たる騎士、と評されていたようですが、実際は男装の麗人だったわけで…。
しかも、秘匿されていた聖女様です。
聖女としての称号である姫神様の名前を自らの名と一緒に告げるのは、唯一人。自らが定めた伴侶となる男にだけ、というのを僕は実務の傍ら大神殿に出向いた際に初めて知りました。
容易に口に出来ない姫神様の名である為、フィーニスを聖女と知るのは神官長と父である宰相だけだったということです。今は亡き先王、祖父も知っていたそうですが、父上には話すなと言い置いて亡くなられたそうです。理由は仰らなかったようですが、何となくわかる気がします。
14歳の時に教えられてから、2年が経ってしまっています。
女性から求婚され、それに気付かず放置とか、情けないにもほどがあります。
知らないと分かっていて言ったとはいえ、フィーニスは焦れていたんでしょう。
僕が意味を知ったのを、分かっていたでしょうから。
それから半年たっているんですから、フィーニスには随分と我慢をさせたと思います。
ですから、存分に愛を囁いていくことにしましょう。
愛してます、と言っただけで真っ赤になってく可愛くなるフィーニスを知ってしまったら、囁かずにはいられないじゃないですか。
まぁ、言い過ぎて殴られてしまうのは、ご愛嬌と言うことで。
この後、僕が姫神様から再生の守護を与えられていると教えられて、呆然自失とするのはまた別の話です。