「テンション上がってきた!」
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明良が文芸部に入部してから一週間が経過し、季節は初夏に移ろうとしていた。
彩弥香に文芸部に入るということを伝えたその日に職員室に行って入部届けを貰い、さっそく次の日に
必要事項を記入して提出したのだが、明良はまだ一度も文芸部の活動に参加したことがない。
というのも、二年のこの時期に入部するということは、すでに人間関係が成立しているクラブの輪に
自分という存在が割って入ることで、人間関係が崩れたりしないか心配だということもあったし
なにより自分が気まずい思いをするのが嫌でなんとなく行き辛かった。
そして最も大きな不安要素だったのが、たいして小説の書き方も分かっていないのに
いきなり「文芸部に入れてくださーい」と他の部員に言うのはどこか失礼に思えたのだ。
そんなわけで、明良はとりあえずある程度小説の作り方を勉強してから、改めて挨拶に行こうと思っている。
一応これは大丈夫なのか彩弥香に訊いてみたところ、彼女曰く、
「文芸部は特に活動日が決まっているというわけではなく、好きな時に顔を出せばいいから大丈夫」らしい。
彩弥香の話を聞いていると、思っていたよりも結構雰囲気はゆるそうなので助かった。
で、その小説の書き方だが、とりあえず今は「プロット」というものの立て方を勉強している。
「プロット」とは物語の枠組み、簡単に言えば道筋のことだ。
ストーリーがどのように展開し、この場面ではどういったことが起きるかなどをあらかじめ書き出しておいて
本編を書くときにどこでなにを書かなくてはいかないかをはっきりさせる役割を持つ。
もしプロットがなければ、話が上手い具合に進展せず、途中で物語を書くことが出来なくなったりするのだ。
今まで授業中はずっと寝ていたが、最近はその寝ていた分の時間を小説の勉強に充てていた。
「ホント、この一年半何してたんだろうな」
小説の勉強は凄く楽しいものだった。先日までの、一歩踏み出す勇気が持てず手をこまねいていた自分が
今では本当にどうしようもないバカだったと素直に認められる。
バスケを辞めて以来味わっていなかった「何かに必死打ち込む」ときの
時間を忘れるような感覚は、再び味わうとそれはもう中毒のようにのめりこんでいった。
明良は一番前の席であるにも関わらず、堂々と教科書以外の本を広げながら
大事だと思ったところにマーカーで線を引いていく。
そのとき、ふと横目で隣の席を見る。
隣の席は今日も相変わらず誰も座っていなかった。新学期初日からこの席に人が座っていたことはまだ一度もない。
「どんなやつなんだろ……」
明良は再び意識を手元の本へと戻すと、活字を懸命に追った。
-2-
「文芸部の他の部員?」
彩弥香は自分のお弁当の卵焼きを飲み込むと明良の言った言葉をオウム返しにした。
「あぁ。どんな人たちがいるのか気になってな」
明良は文芸部に入ってからは彩弥香と一緒にお昼を食べるようになっていた。
昼休みを利用して午前中に生じた疑問を質問したり、試しに書いてみた文章を彩弥香に添削してもらうためだ。
初めはお互いの友達と食べてからそれをやっていたのだが、そうすると昼休み中に終わらないため
作業を効率化すべく、昼食を摂りながら同時進行で行うようになったのだ。
「えぇっと……今のところは先輩が二人と二年生が三人。
新入部員が入るかもしれないからまだ確定じゃないけどね」
「三人?」
明良は腕を組んで首を傾げた。三人のうち、明良と彩弥香は分かる。けど、あと一人は?
「うん。私と明良君と、鷹取 真司たかとり しんじ君。ちなみに全員一緒のクラスだよ」
「は? 鷹取なんてやついたっけか? ってもしかして……」
それに対して彩弥香は目線で答えた。
明良は自分の隣の空席を見た。そういえばいる。名前どころか姿すら知らないやつが一人。
「新学期になってからはまだ一回も学校に来てないみたいだけど、間違いなく鷹取君も私たちと同じ、文芸部だよ」
明良は驚きを隠せなかった。
どんなやつなのかと気になっていたら、まさかの彩弥香の知り合いで、しかも文芸部だったとは。
世間というものは広いようで狭いんだなぁ……というのは言い過ぎか。
けれども、疑問が一つ解消したところでまた新たな疑問が浮かんでくる。
「でもなんで学校来てないんだ、こいつ。真宮は何か知ってるのか」
「えっ!? 明良君、もしかして知らないの?」
大袈裟なポーズを取りながら、信じられないといった顔でこちらを見ている。
そんなに驚くことなのだろうか。明良としては至極普通な質問をしたつもりだったのだが。
「おっかしーなぁ……てっきり知ってると思ってたんだけど……」
それはどこか含みのある口調だった。
「どういうことだ?」
「だって鷹取君ってすごく有名だからね。ねぇ、今、涼ヶ谷 美雪の『φの心』持ってる?」
明良は机の横にかけた鞄の中を探って、一冊の本を取り出した。
それを彩弥香に手渡すと、表紙をちらっと見ただけで彩弥香は本の向きを変えてすぐに明良に返してきた。
なら一体何のために本を出したのだろうか。さっぱり分からない。
「なんだ、結局使わねーのかよ」
少し苛立ちを込めてそう言ったが、彩弥香は首を左右に揺すって本の表紙を指差した。
いや、正確には表紙に描かれたこの小説の主人公の"絵"を。イラスト担当は『鷹の爪』となっている。
「これ、鷹取君が描いたの」
「なっ!? マジで!?」
明良は目を大きく見開いた。まさかこの年でもうイラストレーターの仕事をやっているというのか。
しかも、絵の完成度自体は文句なくプロのクオリティだった。
それに『鷹の爪』先生と言えば、涼ヶ谷 美雪だけでなく他にも今売れ筋のライトノベルの挿絵をいくつも担当している
人気のイラストレーターである。
そんな人物がまさか自分の隣の席の主で、一度も学校に来たことのない引きこもりだと思っていた人物だったとは。
だけどようやく分かった。彼はおそらく、学校に"来ない"のではなく、"来れない"のだ。
「……そんなやつが文芸部にいるのか」
「鷹取君だけじゃなくて、他の人たちもすごい人ばっかりだよ。
慎也しんや先輩もプロのイラストレーターだし、紫衣しえ先輩なんて衝撃文庫の編集者やってるんだ。
だからそんな名だたるメンバーが集まる"文芸部"はすっごく注目度が高いんだよ。
まぁ、その反面レベルが高すぎて、入部するのを敬遠されちゃうのが難点なんだけどね」
そう言って彩弥香は他の二人の先輩が関わった作品名をどんどん挙げていったのだが、そのほとんどが明良だけでなく
ライトノベルに詳しくない人でも一度は訊いたことのあるような作品ばかりだったので、明良は終始感嘆の声を零しっぱなしだった。
完全に明良とは違う次元にいる彼らの経歴に感心すると同時に、これから自分はそんな人たちと同じ部活で活動するのだと思うと
焦燥に駆られる思いだった。今のままでは全然駄目だ。やはりすぐに部活に行かなくて正解だった。
もっと文章や小説のことを勉強して、少しでも彼らとの差を埋めなくては。
今更だけど、明良が文芸部にいるのはそこはかとなく場違いな気がしないでもない。
だが、明良は下腹のあたりが疼くのと同時に、胸の鼓動が熱く脈打ち、体中が熱で火照っているような感覚がした。
「やっべぇ……テンション上がってきた!」
目を輝かせながら明良は拳をぎゅっと握りしめた。
そんな凄いメンバーと一緒に活動できるなんて、そうそう出来る経験ではないはずだ。
そんな子供みたいにわくわくしている明良を、彩弥香は微笑ましそうに見ていた。
「……お姉ちゃんの言った通りだ」
「ん?」
今、彩弥香が何か言ったような気がしたが、よく聞き取れなかった。
「ううん。明良君も頑張らないとね」
「おう!」
明良は勢いよくご飯を口の中へかき込んで咀嚼する。
……とそこで一人だけ、まだ経歴を聞いていないやつがいたことに気付いた。
よく噛んでご飯を飲み込んだあと、お茶を一口含んで喉を潤す。
「そういえば、真宮はなんかないのか? 賞を取ったことがあるとか」
「え、私?ううんと……」
しばらく下を向いて何かを考える素振りを見せたあと、意を決したようにじっと明良を見つめてきた。
「その……自分じゃ言いにくいんだけどね……あの……一応、衝撃文庫で最終選考まで残ったぐらいかな……。
結局賞は取れなかったけど……」
「なっ……!?」
彩弥香だけは普通の人かと思っていたのだが……まさか彼女も相当な実力者だったなんて……
「そんな……彩弥香のクセに……」
衝撃の事実がショックで、思わず本音が漏れていた。
「ちょっとそれどういう意味!?」
そう言って彩弥香は涙目になりながらムキーっと怒って顔を近づけて来たので、それを避けるのに飛び退いたために
明良は盛大に椅子から転げ落ちて、頭を打った。因果応報だ。